しばらく工芸品の紹介が続きましたので、紙物に移ります。
能関係の物の整理がもう待った無し(^^;
今回は、江戸時代の謡い(能)の解説本、『諷増抄』(うたいぞうしょう)です。
加藤磐斎『謡増抄』寛文元年(1661年)
一から十巻までの10冊です。
本来は12巻ですが、十一、十二巻が欠けています。
実は、加藤磐斎『謡増抄』は、かなりの稀覯本です。
ネットで調べた限り、全巻そろっているのは、伊達文庫(宮城県図書館)のみです。原本の一部を所蔵している図書館も、数館しかありません。所蔵品のほとんどは、国会図書館も含め、近年の復刻本(新典社, 1985.1)です。
本の程度は、虫食いもなく比較的良好です。
『謡増抄』12巻は、15番の謡い(能)を、次の順に扱っています。
「高砂」「盛久」「江口」「大原御幸」「あこぎ」「養老」「頼政」「軒端梅」「百万」「自然居士」「老松」「通盛」「千手重衡」「二人静」「殺生石」
今回の品は、「千手重衡」「二人静」「殺生石」を除いた12番です。
最初の巻では、謡い全般について記述しています。
「謡増抄大意味」と「能作者付」です。
表紙の内側に、元の所蔵者が各巻の内訳を書き込んでいます。合十二冊と書かれていますから、当初は全巻揃っていたのですね(^^;
序文に、寛文元年八月上旬とあります。
最後の十二巻がないので、刊行年がわかりません。が、伊達文庫本も、寛文元年成立となっているので、刊行年は元々記されていないようです。
諷増抄大意
それうたひのおこりハ。神楽催馬楽の。うたひ物
より出来たるなるべし。神楽は神代にはじ
まれり。うたひハ武家の世となりてはじまれ
り。神代の舞は天猿女にはじまり。諷の舞ハ
申楽なり
盤斎自注に云。うたひとハ。口にて聲にいだし
てうたふ故に云也。詠哥とある詠の字も。言を
永するを詠といへば同し心也。韻もうたふを
詠と云也。文字にハ。諷字をかけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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このように、『謡増抄』では、まず一巻の最初に、「諷増抄大意」で、謡いの成り立ちについて、数多くの典籍を引用しながら非常に詳しく述べ、一巻の大半をこれについやしています。
これは、著者が、和歌や俳句も嗜む国学者であったからでしょう。
加藤 磐斎(かとうばんさい):寛永2年(1625)ー延宝2年(1674)。江戸時代前期の国学者、歌人、俳人。
一巻の最後に、当時の能を能作者別に分類しています。
世阿弥作:
観世小次郎、観世弥次郎作:
金春善竹、金春善鳳、宮増、三条西殿作:
作者不分明:
このように能の番組を、作者別に分類することは、当時としてはかなり新しい試みだったと思います。その中には、現行曲にないものも多く含まれ、能楽資料としても意味があります。学者としての磐斎ならではの記述です。
では、加藤磐斎の『謡増抄』は、謡いの注釈書として、どのような特徴をもっているのでしょうか。
十巻『老松』を例にして見てみます。
老松
増抄云。木の精かたちをあらはしこたへる
ことをいひて。天神の威光をしらせたり。老
松のことを本として作たる諷成へし。草木ハ
非情のものにて。心のなきといひならハせる
故に。松梅の神となることを不審する人有
尤さることわりなり。ここハ神道ハ。陰陽不
測のことなれバ。草木も神とならてハ。かなハぬ
なり。神代にハ草木もよく物いふとあり・
仏法にも。小乗にハ木石無心とたつるなり。
大乗にハ木成仏とたてゝあれハ 。木も神
となる心のなきにあるへからず
一 げにおさまれる四方の国々関の戸さゝてか
よハん
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~ 以下、詩句、語句の解説 ~
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能『老松』
都の者が菅原道真の菩提寺、筑紫の安楽寺に紅梅殿という梅と老松という松を訪ねる。来かかった老人と男が梅と松の徳を物語るうちに姿を消し、夜に入り老松の精が神々しく〈真ノ序ノ舞〉を舞い、御代を寿ぐ。(能楽協会、能楽辞典より)
『老松』は、菅原道真にちなんだ飛梅と老松の伝説に題をとった能です。脇能ですから、これといったストーリーはないのですが、この能のポイントは、主人公の老人と男(若者)が、実は、松と梅の精であったというところにあります。
盤斎によれば、草木に心がないというのは誤りで、神道や仏教では、木にも精があり、神になりうる心をもっていると説いているのです。
そして、以降、『老松』の章句についての解説を、詳細に展開していきます。
このように、まず最初に、それぞれの謡いの謂れを述べ、それから章句の解説を展開するやり方は、現在、一般的に行われている方法です。
先に、豊臣秀次の命によって成った日本初の謡い解説書『謡抄』をブログで紹介しました。また、謡曲という言葉を最初に用いた、江戸中期(明和9年)に出された『謡曲拾葉抄』についても紹介しました。両者の刊行の間には、150年以上の間隔があります。
『謡抄』は、謡いの語句の解説が主です。一方、『謡曲拾葉抄』では、まず、その謡いの概説を行い、それから個々の章句の解説をしています。このスタイルは、『諷増抄』と同じです。
あまり知られてはいませんが、『諷増抄』は、『謡抄』発行の後、半世紀ほど経ってから刊行されました。さらに、その一世紀後、『謡曲拾葉抄』が刊行されたのです。
つまり、『諷増抄』は、謡解説本の形態を整え、発展させる役割を果たしたのです。また、『諷増抄』では、謡いの語句の説明よりも、詩句の解説に重点を置き、謡いが表現する情景や意味を深く理解できるようにしています。これは、加藤磐斎が歌人学者であったからでしょう。
このように、『諷増抄』は謡解説本として画期的な意味をもっているにもかかわらず、『謡抄』と『謡曲拾葉抄』の陰にかくれてそれほど注目されてきませんでした。その理由は、発行部数の少なさだけでなく、扱われている謡いがわずか15番にすぎなかったことにもよるでしょう。
実は、磐齋は、『諷増抄』の続編を準備していたらしいのです。もし、それが世に出ていれば、江戸の謡曲愛好者の必読書となったに違いありません。