遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

沈金源氏物語夕顔四方盆と能『半蔀』

2021年06月20日 | 漆器・木製品

今回の盆は、源氏物語『夕顔』です。

21.2x21.4㎝、高2.4㎝。明治ー戦前。

 

塀にまとわりついた夕顔と源氏の和歌が、沈金で描かれています。

 

 

夕顔が絡まった塀。

 

源氏の歌。

「よりてこそ それかともみめ たそかれに ほのぼの見へ(つ?)る はなのゆふ皃 」

 

源氏は、夕顔が絡んだ貧しい家の主のことが気になって、惟光に夕顔を折ってくるように言います。夕顔は、白い扇にのせられ、女からの歌が書かれていました。

「心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花」
 (あて推量であなた様かと思いました。白露の光を添えた夕顔の花は)

この歌への源氏の返歌が、「寄りてこそ・・・」です。

「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔 」(もっと近くへよって見れば、はっきりと誰かわかるでしょう。黄昏にぼんやりと見た夕顔の花ですから。)

「もっと近くへ寄ればわかるでしょう」とは、恋多き源氏の自信にあふれた歌ですね(^.^)

 

さて、この歌を引用した能『半蔀』です。

      河鍋暁翠『能楽図説』明治31年

【あらすじ】京、紫野、雲林院の僧が立花供養をしていると、一人の女が現れ、夕顔の花を供えたので、その名を尋ねると、ただ五条あたりの者だとこたえ、花の陰に消え失せた。それは夕顔の亡霊であった。(前段)
五条を訪れた僧の前に、半蔀を押し上げて夕顔が現れ、光源氏との恋を語り始める。そして源氏の詠んだ歌を思い出し、夕顔の花を源氏に差し上げたことが縁で二人は契りを結んだと述べて舞をまう。やがて夜が明け、夕顔の霊は再び半蔀の内へと消え、僧の夢も覚めたのだった。(後段)

 

 

(後段)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シテ「さらばと思ひ夕顔の。
地「草の半蔀おし上げて。立ち出づる御姿見るに涙の留まらず。
クセ「その頃源氏の。中将と聞えしは。此夕顔の草枕。たゞ仮臥の夜もすがら。隣を聞けば三吉野や。御嶽精進の御声にて。南無当来導師。弥勒仏とぞ称へける。今も尊き御供養に其時の思ひ出でられてそぞろに濡るゝ袂かな。猶それよりも忘れぬは。源氏この宿を。見初め給ひし夕つ方。惟光を招きよせ。あの花折れと宣へば。白き扇のつまいたう焦がしたりしに。此花を折りて参らする。
シテ「源氏つくづくと御覧じて。
地「うち渡す遠方人に問ふとても。それ某花と答へずば。終に知らでもあるべきに。逢ひに扇を手に触るる。契の程の嬉しさ。折々尋ねよるならば。定めぬ海士のこの宿の。主を誰と白浪の。よるべの末を頼まんと。一首を詠じおはします。折りてこそ。
(序ノ舞)
シテ「折りてこそそれかとも見め。たそがれに。
地「ほのぼの見えし。花の夕顔。花の夕顔。花の夕顔。
シテ「終の宿は知らせ申しつ。
地「常にはとむらひ。
シテ「おはしませと。
地「木綿付の鳥の音。
シテ「鐘も頻に。
地「告げ渡る東雲。あさまにもなりぬべし。明けぬ先にと夕顔の宿明けぬ先にと夕顔のやどりの。また半蔀の内に入りて其まゝ夢とぞ。なりにける。

 

五条あたりの貧しい宿のほとりに僧がやって来ます。舞台には、夕顔が絡まった作物が置かれ、シテ、夕顔はその中に入っています。僧とのやりとりの後、シテは、「さらばと思ひ夕顔の」(それならば)と夕顔の花が絡んだ半蔀を上げて、外へ出て、クセを舞います。

「・・・・・・・   猶それよりも忘れぬは。源氏この宿を。見初め給ひし夕つ方。惟光を招きよせ。あの花折れと宣へば。白き扇のつまいたう焦がしたりしに。此花を折りて参らする。(いえ、それよりも何よりも忘れられないのは、源氏の君が初めてこの宿をお見つけになった夕方、源氏の君が惟光をお招き寄せになって、『あの花を折れ』とおっしゃったので、私が白い扇の、端の方を十分に薫物でたきしめ、この夕顔の花を折って載せてさしあげました)
シテ「源氏つくづくと御覧じて。(すると源氏の君はそれをつづづくと御覧になって)
地「うち渡す遠方人に問ふとても。それ某花と答へずば。終に知らでもあるべきに。逢ひに扇を手に触るる。契の程の嬉しさ。折々尋ねよるならば。定めぬ海士のこの宿の。主を誰と白浪の。よるべの末を頼まんと。一首を詠じおはします。折りてこそ。(もしあの時、見ず知らずの私にお尋ねになっても、『これは夕顔の花でございます』とお答えしなかったならば、そのまま何時までも無縁の者として過ぎてしまったことでございましょう。この扇に手をお触れになったのが御縁となって、逢う契りを得たのは、ほんとうに嬉しいことでございます。そして、時折尋ね寄る宿の主―私が、素性の知れない海士の子であろうと、誰であろうと、頼りになってやろうと思召して、一首の歌をお詠みになったのでございます)
地「折りてこそ
(序ノ舞)
シテ「折りてこそそれかとも見め。たそがれに。
地「ほのぼの見えし。花の夕顔。花の夕顔。花の夕顔。(折りとってこそはっきりとわかるのです。夕暮れの薄明かりに見ただけでは、果たして美しい夕顔の花か、よくわかりますまい。私の事も、もっと親しくして下さらなければ、お分かりになりますまい)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

( )の日本語訳は、佐成健太郎『謡曲大観』第四巻2504頁より引用

シテ、夕顔は、クセ舞いの後、「折りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見えし 花の夕顔」と謡いながら、優美な序の舞をまいます。そして、夜明けとともに、半蔀の内に入り、消えていきます。すべては僧の夢のうちに終わります。

このように、能『半蔀』では、源氏物語、二人の出会いの情景が、夕顔の言葉をかりて語られています。源氏の歌「寄りてこそ・・」は、「折りてこそ・・」となり、私が夕顔の花を折って差し上げたからこそ、二人の縁ができたと夕顔は言います。「ほのぼの見つし花の夕顔」は源氏の姿であったのに対して、「ほのぼの見えし夕顔の花」は夕顔の貌です。能『半蔀』は、非常に雅な夢幻能で、夕顔が、夕顔の精に昇華した様をテーマにした能ともいえるのではないでしょうか。

源氏物語『夕顔』から題をとった能には、内藤左衛門作『半蔀』以外に、世阿弥作『夕顔』があります。能『夕顔』では、源氏との美しい想い出ではなく、源氏との逢瀬の時、物の怪によって儚く消えてしまった自分の運命が主題となっています。

コメント (2)
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