輪島塗の黒漆四方盆です。
21.4x21.6㎝、高2.3㎝。明治―戦前。
沈金で絵と和歌が表されています。
源氏物語十帖『賢木』の一場面です。
鳥居と垣根は、六帖御息所が隠れた野宮を表しています。大きな木は、榊でしょう。
「神かきハ
しるしの
すきも
なきものを
いかにまかへて
をれる
さかきを」
葵上との争いにやぶれ、源氏との間が遠くなってしまった六条御息所は、斎宮に従って伊勢へ下向することにしました。そして、野宮(斎宮へ下向する前に身を清めるために留まる所)に隠れるように滞在しているところへ、源氏が逢いにやってきます。小芝垣の塀に囲まれた一角の黒鳥居をくぐり、榊の枝を折って差し出した源氏に対して歌をおくります。
「神垣に しるしの杉もなきものを いかにまがえて 折れる榊を」(ここの神垣には、目印となる杉がないのに、どうお間違えになって榊を折り、私を訪ねておいでになったのですか)
疎くなった源氏に対して、六条御息所はいやみを言いながら、クールに接しています。
なお、「しるしの杉」とは、古今集にある次の歌にある杉をさしています。
「わが庵は 三輪の山もと 恋しくは とぶらひ来ませ 杉立る門」古今集982 詠人知らず(私の粗末な家は三輪山の麓にあります。恋しくなったら、どうぞ訪ねて来て下さい。門脇にある杉を目印にして)
それに対して、源氏は歌を返します。
「 少女子(おとめご)が あたりと思へば 榊葉の 香をなつかしみ とめてこそ折れ」(少女子がこの辺にいると思うと、榊葉の香りが懐かしく、探し求めて折ったのです)
こうして源氏は、御簾の内に入ることができました。
あとは、例によって例のごとく(^.^)
源氏物語『賢木』のこのくだりをもとに、世阿弥が作った能が『野宮』です。
木版画『野宮』、明治。
【あらすじ】晩秋の頃、京都の嵯峨野にある野宮の旧跡を、旅の僧(ワキ)が訪れます。すると、若い女(シテ)が現れ、ここは、昔、六条御息所が斎宮になる皇女とともに籠った場所で、葵上に源氏を奪われ、傷心して伊勢へ下向する身なのだと語り、姿を消す。(前段)
その夜、僧(ワキ)の前に、ふたたび六条御息所の霊(シテ)が若い女の姿であらわれ、源氏との思い出や牛車で葵上との諍いに敗れたことなどを語り、昔を偲んで舞いをまったあと、車にのり、成仏して、迷いの世界から抜け出ていく。(後段)
源氏物語「賢木」の歌が登場するのは、前段です。
ワキ「これは諸国一見の僧にて候。我このほどは都に候ひて。洛陽の名所旧跡残なく一見仕りて候。また秋も末になり候へば。嵯峨野の方ゆかしく候ふ間。立ち越え一見せばやと思ひ候。
これなる森を人に尋ねて候へば。野の宮の旧跡とかや申し候ほどに。逆縁ながら一見せばやと思ひ候。
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ワキ「われこの森の陰に居て古を思ひ。心を澄ます折り節。いとなまめける女性一人忽然と来り給ふは。いかなる人にてましますぞ。
シテ「いかなる者ぞと問はせ給ふ。そなたをこそ問ひ参らすべけれ。これは古斎宮に立たせ給ひし人の。仮に移ります野の宮なり。然れどもその後はこの事絶えぬれども。長月七日の今日は又。昔を思ふ年々に。人こそ知らね宮所を清め。御神事をなす所に。行方も知らぬ御事なるが。来り給ふは憚りあり。とくとく帰り給へとよ。
ワキ「いやいやこれは苦 しからぬ。身の行末も定なき。世を捨人の数なるべし。さてさてここは古りにし跡を今日ごとに。昔を思ひ給ふ。いはれはいかなる事やらん。
シテ「光源氏この処に詣で給ひしは。長月七日の日けふに当れり。その時いささか持ち給ひし榊の枝を。忌垣の内にさし置き給へば。御息所とりあへず。神垣はしるしの杉もなきものを。いかにまがへて折れる榊ぞと。詠み給ひしも今日ぞかし。
ワキ「げに面白き言の葉の。今持ち給ふ榊の枝も。昔にかはらぬ色よなう。
シテ「昔にかはらぬ色ぞとは。榊のみこそ常磐の陰の。
ワキ「森の下道秋暮れて。
シテ「紅葉かつ散り。
ワキ「浅茅が原も。
歌地「うらがれの。草葉に荒るる野の宮の野の宮の。跡なつかしきここにしも。その長月の七日の日も。今日にめぐり来にけり。ものはかなしや小柴垣。いとかりそめの御住居。今も火焼屋のかすかなる。光は我が思い内にある色や外に見えつらん。あらさみし宮所あらさみしこの宮所。
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能『野宮』はかなり長いのですが、源氏物語「賢木」の和歌に直接関係する場面は前段の中ほど。僧が若い女に、事のいわれを尋ね、それに対して、女が光源氏が野宮を訪問してきた下りを述べるところです。
ワキ「いやいやこれは苦 しからぬ。・・・昔を思ひ給ふ。いはれはいかなる事やらん。」(いやいや私は不都合な者ではありません。・・・昔が思い出されるというのはどういう事なのですか)に対して、シテ(女)は答えます。
女】光源氏がこの所に詣でなさったのは、九月七日の日、今日にあたります。その時光源氏がすこしばかりお持ちになった賢木の枝を、社の垣の内にさして置かれたので、六条御息所は、とりあえず、「神垣はしるしの杉のなきものを、いかにまがへて折れる榊ぞ」と詠まれたのも今日に当たります。
僧】本当に面白いお話ですね。今、あなたがもっていらっしゃる榊の枝も、昔と変わらない色ですねね。
女】昔に変わらない色とは、榊だけです。榊はいつも常盤色ですが、その陰の下道は、秋が過ぎると紅葉が散り出して、浅茅が原の草葉もうら枯れて行き、野宮のあたりは全く荒れてしまうのです。
源氏が折って差し出した榊は、いつも変わらず青々としているが、私の居る野宮は、秋には草茫々と荒れてしまう。同じように、私の心も寂しく荒涼としたものだと六条御息所は言いたかったのでしょう。
後段は、加茂の祭りの際、物見に来た葵上と六条御息所の車の止め場所めぐる争いが中心です。葵上の従者たちによって、片隅へと追いやられてしまいます。源氏をめぐる二人の立場を象徴するような出来事ですが、このように情けない自分の身の上も、前世に犯した罪のむくいによるものであるから、神仏にすがって、迷いの心を絶ちたいと去って行きます。
このように、能『野宮』は、晩秋の荒涼とした野宮を舞台にして、六条御息所のはかない身の上を、しみじみとした情感のなかに描き出す名作です。
六条御息所を主人公とした能には、もう一つ、『葵上』があります。やはり、世阿弥の作です。題名は『葵上』ですが、実際には登場しません。舞台に置かれた小袖が、病床の葵上を表します。この能では、辱めを受けた六条御息所が、恨みと嫉妬が昂じて鬼女となり、病床の葵上に襲いかかろうとする物語です。
一人の女性を主人公にして、全く対照的な二つの名作を作り上げた世阿弥は、やはり天才ですね。
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