遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

光秀は生きていた?!

2019年11月24日 | 故玩館日記

もうすぐ、明智光秀を主人公にしたNHKの大河ドラマが始まります。

エリカ様の騒動(安倍総理の花見買収隠し?)で水がさされたとは言え、いずれ大河ドラマフィーバーで美濃一帯が浮かれることは目に見えてます。少しでもゆかりのある所では、すでにプレイベントが行われています。

 

光秀の前半生は謎に包まれていますから、いろいろな伝説が生まれる余地は十分です。

そんな折、面白そうな場所がありましたので、フィーバーが始まる前に行ってみることにしました。

 

岐阜県美濃地方の中央部、山県市に光秀の墓があるというのです。

山県市は、岐阜市の北東部に広がる人口2万6000余の山里の地です。

 

せっかくなので、まず、墓の近くにある四国山香りの森公園へ行きました。

巨大なドームや遊び場なども備えた規模の大きい公園です。

 

香りの森公園といわれるだけあって、ハーブが多種類栽培され、施設の中では、ハーブを使ったいろいろなモノづくりを体験することができます。横には、カフェも併設されています。

当然、女性に人気の場所ですが、平日は、ほとんど人をみかけません。独占状態。

 

ここはパスして、その奥にある低い山、通称、四国山に登りました。

ここも、誰もいません。

かわりに、苔むした小さな仏が、道端に点々と座しています。

なぜ四国山かというと、山道の脇に、このような石仏が、全部で88体もあり、四国88カ所をギュッとまとめてあるからです

『今から260年ほど前のこと、両親を伴って四国八十八カ所霊場巡りの旅に出た宇野要助は、2人が涙を流して有り難がる姿を見て「こうして実際に霊場巡りのできない故郷大桑の人のためにも」と、ミニ八十八カ所霊場を作りました。』              (山県市ホームページより)

江戸中期に、山を切り開いて、人々のためにミニ霊場をつくった人がいたのですね。

急いで歩けば、1時間ほどで四国参りができてしまうのですから、今でも有難い。

 


頂上付近の眺望。100mほどの低い山です。

光秀の墓は、正面の山の向こう側にあります。


山を越える道はないので、一度南へ下って、ぐるっと迂回せねばなりません。

国道256号線から、山県市中洞集落内の細い道に入り、突き当たった所が、光秀の生誕と死にまつわる白山神社です。

明智光秀は清和源氏土岐氏の流れをくむ美濃国守護土岐氏の支流の武将といわれてます。その関係で、この神社には、光秀の母が産湯を汲んだとされる井戸跡や明智光秀の墓と伝わる「桔梗塚」があります。

 

道は、この場所で行き止まりです。とても狭い。もうすぐ観光客がドッとやってきます。それまでに少しでも駐車場をということで、ショベルカーで突貫工事をしていました。それでも観光バスはとても無理。かなり混乱するでしょう。

光秀の母がうぶ湯を汲んだとされる井戸。

井戸穴らしきものはなく、枠のみ(^^;)


 その横の道を上ります。

 

 すぐにあらわれたのが、桔梗塚。

 

 光秀の墓は五輪塔と石塔です。

 

『白山神社に隣接する林の中にある桔梗塚は明智光秀の墓とされています。光秀は、本能寺の変の後に身代わりとなった影武者「荒」木山城守行信に恩の「深」さを感じ荒深小五郎と姓名を改めたとされています。その後、関ケ原合戦で徳川家康に従軍しようと藪川(現・根尾川)を馬で越えようとしたときに洪水に巻き込まれ溺死しました。従者たちは光秀の遺品を持ち帰り、墓を建てたと伝えられており、現在も地域住民により毎年供養祭を行っています。
 なお、明智家の家紋は「桔梗紋」で、土岐氏の家紋「水色桔梗紋」から用いたのではないかとされており、この桔梗紋にちなんで「桔梗塚」と呼ばれるようになりました。また、山県市合併当初、市民により選ばれた市の花も「キキョウ」であり歴史が脈々と受け継がれていることを感じられます。』                   (山県市ホームページより)

 
なんと、明智光秀は生きていたのです。山崎合戦で死んだのは、影武者、荒木行信。光秀は、荒深小五郎と名を変え、この地に隠棲したのですが、関ケ原の戦いで東軍に参加しようとして赴く途中、薮川で溺死した・・・・これが、この地に伝わる光秀伝説です。

確かに、ここをまっすぐ西へ20kmほど行けば、根尾村の薮川(根尾川)に行き当たります。根尾川については、以前のブログで紹介した私のホームグランドなのですが、水が高ければ馬で渡るのはとても無理です。それに、数えてみると、この時点で、光秀は74歳、戦は無理でしょう。東軍に組する理由もよくわかりません。義経のチンギスハン伝説に似ていますね。
 
しかし、シーンとして誰もいない隠里のようなこの場所にしばらく留まっていると、光秀は生きていたのではないかという気がして、老武者の顔が浮かんでくるのです。薮川で溺死したというのも、荒唐無稽な話ですが、何となく光秀らしい。少なくとも、落ち武者狩りで農民に討たれるよりは(^^;)

 


コメント (12)
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