(臨月近いお腹、はちきれそうにパンパンです)
枚方の関西医大に診察に行く為、久しぶりに夫の運転で高速と171号線を走りました。
昔の色々な想い出がうかびました。
高槻のお寺にあるお墓にいくのも、姑と弟の家にいくのも171号線でした。
イエス・キリストを信じてクリスチャンになってからは
十数年間毎週、聖日礼拝に
神戸から滋賀県の守山にある教会に、名神高速で通いました。
疲れて疲れて吹田のパーキングでいつも仮眠をとらなければ
家には行き着けませんでした。
後ろの座席か助手席には亡くなった娘がいつもおりました。
吹田のPには想い出が多すぎて入る気にはならなかったです。
娘のS子が二度と戻ってこない様に、過去は一瞬一瞬過ぎ去って行きます。
今こうしてPCに向かっているこの瞬間も、もう二度ともどってきません。
デモ過ぎ去ってゆくことは、決して悲しいことではありません。
前に向かって歩いている事ですから。天国の希望に向かって歩いている事ですから。
娘のお腹にいる三人目の孫も、一瞬一瞬を希望に向かって生きるために
生まれでる用意を、神様がしてくださっておられます。
母子共にみこころにより健康でありますように祈ります。