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知花ときわ会

知花地域の活動と各地の情報を広く紹介し、情報共有することで地域活性化に繋げようと、このブログを開設しました。

三助じいさんの昔語り ①

2006年03月19日 | ★歴史・伝統・文化

金城山助じいさんは明治14年生まれである。1968年に米寿を祝われ、その後も達者でおられる。ここに少々まとめた話はそのころ聞いたものである。三助じいさんの屋号は「後大屋(クシウフヤ)」である。近所には有名な「知花焼窯」の跡があったといわれ、川沿いからはその破片が出るそうである。その川は嘉手納へ下って比謝川になっている。豪雨の時川から二軒目の三助じいさんの庭先まで水かさが増したこともあったという。梅雨時に訪ねていったときのこと、庭から蛙が跳びこんできたのには驚いたものである。

火打ちの話 
民間にマッチが使用されたしたのは、7、80年ほど前で、それ以前は「竹ブーブー」と呼ぶ竹筒を使って火をおこしていた。竹筒に孔をあけ、それに竹灰のようなやわらかい灰を入れ、火打石と鉄を打って出た火花を煙管のたばこに点火し、たばこに火がつくと、それを竹筒の灰に落しておき、枯松葉などに移して火種とした。家族にたばこを吸う人がおればよいものの、いない家では「火取り」を持って、朝などよく貰い火をした。

釈迦とミルク 
むかし、サーカとミルクという神がいた。両神は土地の領有をはじめた。サーカは「見える土地は自分のもの」といった。ミルクは「見えない土地は自分のもの」とそれぞれ土地を領有した。
 ところが、サーカは目分の領有がやせ地であることを知り、腹を立てて火種を隠してしまった。それを見ていたのがいた。それはセーグヮー(ばった)であった。世の中は暗くなり、いろいろの悪いものが発生し、悪事が続発した時だけに、セーグワ―の知らせはミルクを喜ばせた。火打ち石は川に投げ捨てられていたのである。これを拾って世の中を元の明るさに戻したミルクはセトグヮーに言った。「おまえが死ぬ時は、土の上でなく草の上で死ぬがよい。」こうして徳をさずかったセトグヮーは今でも草の上で死ぬということである。

廃藩のサムレー 
明治のころになると廃藩置県があって、首里、那覇から無禄の士族たちが田舎へ下り、ヤードゥイ(屋取)をつくって住みついた。その頃の歌に次のようなものがある。

あわれつれなさや廃藩のサムレ
今や山原に下がていめさ
  (哀れなのは廃藩のサムレ(士族)である。今は昔の栄華もどこへやら、草深いヤンバル(国頭地方)へ下っておられるよ)

これに対してサムレーたちも次のように答えたものだ。
 
玉や砕けても光あるつもり
  光ある間やサムレあらに
  
(たとえば玉は砕け、元の形を失なおうとも光だけは失なわないものだ。今このようにおちぶれてはいても、士としての節度のあるうちはサムレーであるはずだ)

砂糖キビ 
ウージ(砂糖キビ)を決められた面積より多く作ったら、畑まわりのコーサク(耕作当)がやって来て、根こそぎにして捨てた。そのころの上納は次のようになっていた。
 ちゅういじ………………1丁
 五分………………………1丁の半分
 二分五厘…………………4分の1丁
 1分2厘5毛……………8人で1丁
 
上地マチースーのこと
 内にあまり頭のきかない、働けない人がいた、名前は「上地マチー」といい、ふだん「上地マチースー」といっていた。
 ある年、上納物に苦労した家族は、この男を死亡したことにして葬式を簡単に取行ない、山原地方へ逃がした。
 それから何年もしてほとぼりもさめたころ、この男は帰って来たが、帰って来てからもろくに仕事もせず、葬式の際の龕(がん)の係りとかニンブチャー(鉦打ち、念仏師)などしていた。

地割り直り 
百姓地は3年ごとに所有がかわった。それを「地割り直り」といった。3年目になって「地割り直り」が近づくと、畑にある作物は青物でも取入れを急がねばならなかった。そのままにしておくと他人のものになったからである。それでその頃になると畑は荒れてモウ(荒地)になった。そして食糧難に陥り、蘇鉄を食べることも少なくなかった。
 百姓他の他にシチャキー上納(仕明上納)があった。これは上納は安かったが、労働力を要
することで、特定の家以外に持てるものではなかった。請地の上納は少し高かった。

「はぜまけ」の返し口
「はぜまけ」の返しを時々やっている。自分がやるとすぐ治る。
むかし一人娘が夜遊びに耽り、朝寝坊ばかりしたので、親がせっかんしたところ、それを苦にしてハゼの木に首をくくって死んでしまった。それ以来、この木の下を通ると木の毒気にあたってかぶれたりするが、それはすべてあの不幸な娘のせいだそうな。
 
ハジよ ハジよ ハジよ
 ようりちきよ ようりちきよ ながりちきよ
 この 已相(ミーソー)男の 朝口 夕口や
 おとろしむんど
 
たほう たまじりの
 さあてイんじ かかりよ
 うぬ(その)義理聞かんあれぇ
 唐から下て来ようる大大刀(ウータチ) 小大刀(クータチ)さあに
 たち切りすんど 横切りすんど
 
東大山の木や、根切れぇ 梢や 枯りんど
梢しけぇ 根やむてぃ
うりとぅちゅん 聞かんでぇ
炭窯に ふすみらすんど
あくちん ちかますんど
蟹(ガニ)に食わすんど

ふるみよう(不動明王) ふるみよう
ふうみよう
なみあみだんぶつ (南無阿弥陀仏)
なみあみだんぶつ なみあみだんぶつ
らそうくらみて てらさいよ らそうくらみ
ててらさいよ らそうくらみて てらさいよ

こうしてヤナグチ(嫌口)を言って煙草の煙を吹きつければ治る。

【参考文献】上江洲 均/南島の民俗文化 1987年 より 
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