知花ときわ会

知花地域の活動と各地の情報を広く紹介し、情報共有することで地域活性化に繋げようと、このブログを開設しました。

シーシヤー

2006年03月18日 | ★文化財
仲大屋(ナーカウフヤ)の東隣りに建てられウフデーク(ウスデーク・臼太鼓)の時には旗頭と獅子舞の踊りが奉納され、獅子舞たちは知花公民館(アシビナー跡)へ向かって出発する。(昭和55年6月完成。村神屋の移設分祀(ブンシ)
 


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祝女墓

2006年03月18日 | ★文化財
鬼大城の墓の東側に位置する。村人は「ヌールバカ」と呼んでる。岩陰を利用して前面を石積みにし、墓口をアーチ工法にしている。墓の形式は、名嘉真好史宜勝分類のいわゆる「岩穴囲い込み墓」である。ある葬式の時にヌールバカへ入った村人は、約30基の蔵骨器を見たという。
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鬼大城の墓 【市指定文化財】

2006年03月18日 | ★文化財
知花グスクの南側の丘陵地に位置する。大城賢雄は大柄で武勇にすぐれ、俗に鬼大城と呼ばれた。1458年、首里王府軍の総大将として勝連按司の阿麻和利を討伐し、その功績で越来間切の総地頭に命ぜられた。その後の政変で第一尚氏王統は滅び、鬼大城も知花グ
スクに追われ自害した。墓の形式は、名嘉真宜勝分類のいわゆ「岩穴囲い込み墓」である。【市指定文化財】
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ノロ(祝女)と旧家 ---知花の古い話---

2006年03月18日 | ★歴史・伝統・文化
ヌルの話
知花のヌル(ノロ)は屋号チハナク(仲村姓)という家から出ているが、若いというので祭祀に出ていない。チハナクの話では同家の娘が最初のヌルを拝命したが、若かったのでその兄が道案内をしたことから例になり現在に至っている。その兄の役はミッチュというが、ミッチュとは「道案内」のことであるといっている。

しかし、これには異論がないわけではない。ミッチュは「ニッチュ」すなわち根人である、と。ヌルも他家から出るべきだとの説もある。
 
知花のヌルドゥンチ(ヌル殿内)からヌルが出るべきであるが、先のヌルは数十年前に死亡し、子供がなかったので、当人の夫(婿養子)の血縁者からさらに養嗣子を取っている。その養嗣子はオホンダカリ(屋号)系統から入っている。

【参考文献】上江洲 均/南島の民俗文化 1987年より抜粋

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