懐かしい未来

常に迷子だと感じてる、帰国後の混乱を擦り抜けようとしてる、無職っぽい休憩を楽しんでるアメリカ人です。

心変わり A Change of Heart

2012-05-09 | 人生

ご無沙汰でした。先月実家から、母親が入院したという連絡がありました。普通のインフルエンザだと思ったら、一週間経ったら話しかけても反応しないという状態になり、父が救急車を呼んで、直接重症管理室に入りました。(集中治療室より、もっとも死の危険が高い室。)肺炎と敗血症だと判明しましたが原因を確認できずに病院にあった抗生物質を全部一緒に点滴で投与しました。私はたまらないほど怖くて、すぐに帰国しました。人生の中で一番怖い時でしたが、あまりにもショックが大きすぎて家族みんなは心がまひしたような感じでした。

数日間でレジオネラ症だと判明し、適切な治療を始めることができました。あれから数日間、人工呼吸器を使い、意識不明のままでした。大きくて優秀な病院の医者でしたが、母の肺炎など、初めてそんなにひどい状態を見たって...1から10まで、病気の重さは10点でしたので覚悟するといいかもしれないとまで言われました。健康な人でも肺炎や敗血症やレジオネラ症で死ぬ人もいますが、母は若い頃、ガンで脾臓を摘出されたので、ばい菌を退治する内蔵をなくしたわけで、余計に危ないことでした。本当にいつ死んでもおかしくない状態でした。

私は一週間実家にいましたが、もう日本に戻らなくてはならない時が来たら、母は入院した時より状態が安定していました。恐る恐る日本に戻り、息を殺して連絡を待っていました。自分にとって、世の中で一番大切な人は母です。誰よりも親しい友人でもあり、自分の一部のように、なくては生きていけないような存在です。もしこんなに早く母をなくしてしまったら、魂を失っちゃうじゃないか、頭がおかしくなるじゃないかと心配していました。

しかし日本に戻ってから、母は意識が戻り、だんだんよくなってきました。そして人工呼吸器をやめ、食べ物を食べられるようになり、普通の部屋にも移動しました。奇跡みたいとみんなが言っていました。

レジオネラ症というのは、一回かかったら何ヶ月も全く体力がない病気なので、治療がまだまだ続きますが、若い頃から5年に一回ぐらいは重い病気で入院したり危険な手術を受けたりしてきた母にとっては、病院は地獄のようです。入院は何週間もかかると言われていましたが、状態が安定したため、抗生物質治療は家でもできるので退院のOKをもらいました。

だから今はもう大丈夫です。色々考えるだけで涙が出ますが、ものすごくほっとして、自分の体はこんなに大きな刺激にどう反応すればいいか迷っているみたいです。とにかく安心です。母はもう家で薬を飲んでゆっくりするだけでいいです。もう、心配はないです。毎日、少しずつ力が入ってきています。よくスカイプでビデオを使って喋っています。

いつか結婚式に出てもらえる。いつか孫を抱きしめてもらえる。まだこれから一緒に人生を楽しめる。嬉しい。感謝でいっぱい。神様、私の母を救ってくれてありがとう。


というわけで、去年の大震災が起きた時、絶対に日本を元気にしたいという気持ちでいっぱいでした。今もその気持ちが変わりません。でもこれは私自身の精神的な大震災でした。第2の故郷である日本には絶対戻りますが、とにかくアメリカに帰って、大好きなママを元気にしたいです。

 

 


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