懐かしい未来

常に迷子だと感じてる、帰国後の混乱を擦り抜けようとしてる、無職っぽい休憩を楽しんでるアメリカ人です。

サポートしてくれる人が必ずいる

2011-06-29 | 人生

私の仕事の一部は「カウンセリング担当者」、つまり「PA」ですが、木金に東京へ出張に行ってきました。出張っていうか、PAのためのカウンセリング研修でした。

私は栃木県のJETプログラムを通して来ているALT(英語の先生)のPAで、東京の研修に出席したのは日本全国のJETプログラムのPAの人たちでした。PAの研修は毎年2回行いますので、今回は東日本大震災が起きてから初めて集まりました。

ニュースにも出たので日本人はもう誰でも知っていると思いますが、ALT(つまり外国人)は皆逃げちゃったような状態でした。親戚や親友など、だれもいないのが一番不安だったからじゃないかと思います。

ただ、本当にみんなが逃げたわけじゃない…残っているJETの人はまだまだたくさんいます。でも日本に残ったからといって、不安はないわけじゃありません。なので、当時、怖がっている外国人がたくさんいました。私達PA自身が怖くても、怖がっているALT達のカウンセリングをしなければいけませんでした。(正直、当時はすごくイヤでしたが、自分のことを考える暇がなかったことで逆に自分の不安を忘れられたかもしれません。イヤなのはイヤですけど。)

それで、日本人から見ると、情けないかもしれませんが、東北地方から遠い県に住んでいるALTでも、逃げたりしていた人も数人いたみたいです。一番遠かったのは富山県でしたっけ?

とにかく、研修に行って、一つのワークショップでは、ただ皆は自分の大震災の時の経験を語り合いました。「結果」のようなものが出なかったし、あまりにも圧倒的で、勉強になったこともあったとは言えませんでした。
しかし、私にとっては心が癒やされました。PAとして苦労していたのは私だけじゃないって、こういう風に思っていたのは私だけじゃないって、周りの怖がっている外国人(友達を含めて)が自分じゃなくなったのは私だけじゃないって、大震災のせいで友人関係が崩れたのは私だけじゃないって、私は一人じゃないとよくわかりました。日本人と違う悩みもあったと思いますが、研修で集まった外国人の話を聞いたら、孤独感がおさまって安心しました。

もちろん、宮城県や岩手県など、東北に住んでいるPAの人達も出席しました。とても大変な目にあって、今でも仕事の代わりに毎日ボランティア活動を続けるしかない人もいれば、例えば宮城県の一番西の方にいて大変なことが起きているさえ分からなかった人もいました。津波でJETプログラムで来ていた2人のALTが亡くなりましたが、PAとしてその1人の女性の遺体の身元を確認しなければならなかった人も研修に来ていました。とても信じられない悲劇です…
予想通り、私よりずっと大変な目にあった人もいました。しかし、私の話を聞いて驚いた人もいましたので、私は苦労したという気持ちはただの自分のわがままじゃないんだと思いました。自分自身に、恐怖以外に具体的に困ったことがあったわけじゃないですが、30人のパニクっている外国人(特に、海外の大げさで間違いだらけのニュースしか見なかったり、帰って来いとしつこく両親に言われたりしていた人達)の世話をするのが…ひどかったです。もう二度とあんなことをしなくていいように…

まあ、そんなにうまくいきませんけど。来月新しいALTの人達がいよいよ来日します。来日するけど、ずっと向こうのニュースを見てきたので実情がよくわからなくて、恐る恐る来るわけです。なので同じことが最初から起きるのが怖いです。実際に両親が来日を反対している人も来ます。もし来てから両親のしつこい命令を我慢できなくなったらどんなにややこしいことになるか…

とにかく、まだ私のほうからも「栃木県が安全だよぉ」というEメールを送っています。今のところ、みんなはだいたい聞いてくれているみたいです。
これからどうなるかだれも分かりませんが、頑張っていきます。

3月11日、私は日本人になりました。

2011-06-20 | 人生

仕事中、人生が変わりました。

 

3月11日から一週間の間、外国人が東日本から姿を消しました。

私の職場の外国人の同僚もいなくなって、空っぽの椅子を残しました。

 

想像もつかなかった状況になったら、想像もつかなかった気持ちになりました。日本に残るのが当然だと私は思いました。えらいと思う人はいるかもしれませんが、全然そんなことないです。

日本に残る日本人に「残っててえらいね」と言わないでしょう。ただ、残るしかないと思っているだけです。でもよく考えると、日本人の場合でも、本当に日本に残るしかないわけじゃないです。もしさっさと荷物をまとめて出ていこうと思えば、できます。

だから「日本に残るしかない」より、「故郷を出るわけない」というのだと思います。私の場合、「帰国しなくていい」じゃなくて、「故郷を出たくない」という気持ちだと気づきました。日本を離れるのが辛い...アメリカに帰ったら日本の事が心配で頭がおかしくなりそうだと思いました。周りの人の元気な顔を見られるので、見られなくなったほうがずっと不安です。特に海外の大げさなニュースを見ていると、日本全体がとんでもない地獄になっているみたい...(汗)

 

思わぬ事件が起きる場合、無意識 の反応で本当の気持ちが明らかになると思います。

私の場合、大震災当日:恐ろしい余震が続く中、生放送で津波を見て感じた恐怖。周りの日本人と国籍関係なく全く同じ気持ちになった瞬間。日本を出たいという思いが頭に浮かばなかったこと。全てが日本人と同じで、全て無意識でした。それに、胸の痛みなどで、自分がどれほど日本を心の底から愛しているかが初めて分かりました。

日本が好きだというのがずっと前から分かっていました。「なんで日本が好きなの?」と聞かれると、例えば食べ物のおいしさや日本人の丁寧さや電車の便利さ等々が答えになれたかもしれません。

でも今回は何か違います。その深さというか...「なんで日本を愛しているの?」という質問の答えがわからなくなりました。

例えがちょっと違うけど、もし親が「なぜ子供を愛していますか」と聞かれたら、子供の性格やマナーや成績や顔のかわいさなどの話が出ないと思います。「我が子だからです。」

だから私はどれほど日本を愛しているか、また、なぜ日本を愛しているか、納得させる答えをあげられないと思います。ただ、3月11日、無意識の反応で、どれほど日本を愛しているか、そして死ぬまで日本が完全に自分の一部になっていること、やっと気づきました。

 

毎日仕事があるし、年休も残っていないのでまだ一回も東北でボランティアができていないのがとても悔しいです。自分の無力感を軽減するためにもなるのが恥ずかしいけど、これからは週末にでも東北に行ってできることをしたいです。我が国のために。

日本の復興を見るのが楽しみになってきています。負けないぞ日本!

 


東日本大震災後の在日私

2011-06-13 | 人生

前回書いたように、大震災の後、気持ちがめちゃくちゃになって自分が自分でなくなってしまったような状態になりましたけど、「自分が無事だったくせに」と自己批判することが多かったです。

でもどうしても気になったことがあって、それは日本人と違う事情だったと思います。

もちろん母国で災害が発生した日本人は一番大変だったと思いますが、それは別にして、私は在日外国人として日本人と違う目にあいました。日本に住んでいるけど日本語が分からない外国人にとって、英語の情報は不足している事などで困るのは当然ですけど、私は日本語に不自由はないので、困ったことはそんなに簡単じゃなかったです。

在日外国人にとっては、日本に住んでいると、どんなに日本が好きでも、どんなに長く日本に住んでいても、どんなに日本語が流ちょうでも、外人扱いを死ぬまで耐えなければなりません。それはシンプルな事実です。社会に受け入れてもらえない国に住むと、我慢するか、疲れて帰国するか、とちらかの道を進むことになります。

日本に住んでいる外国人は、日本で普通な生活を送るために、できるだけ周りの日本人と交流して、日本人の友達を作るのが一番です。それとともに、心理的に疲れる時も来るので、その時、同情できる人と一緒にいるのが一番です。(長年海外生活を送った日本人なら同じほどほっとできるのでそれも嬉しいけどなかなか珍しいです。)

とにかく、本題に戻ると。その面で私の在日外国人友達は大切です。日本語休憩にもなるし、同じ日本の納得できないところを「変だよねぇ~」と打ち明けてストレス解消をしたりします。

「大変だけど私達は日本が大好きだからがんばれる」というお互いの気持ちでした。そう思いました。でも大震災が起きたら、すごい勢いで周りの外国人—私の大事な友達を含めて—がさっさと逃げちゃいました。

一番つらい時だったのに、家族から遠く離れていて不安だったのに、ひとりぼっちになってしまいました。

「同情できる人」はいなくなりました。

一緒に海外生活を頑張ったり、一緒に日本のいやなところを我慢したり、一緒に日本のすばらしいところを大喜びしたり、一緒に笑ったり泣いたり外人扱いされたりしている人がいなくなるのは初めてでした。

そこで生まれて初めてある強い気持ちが湧いてきました。

気持ちが初めてじゃなかったかもしれませんが、その強さを経験したことがなかったです。

 

3月11日、私は日本人になりました。

 

つづく