どうせ地球のチリだからな。

生き方を変えたから、ブログも変えようと思った。
企画屋の日記です。

別な生き方

2011-07-28 11:39:57 | Weblog
スコップだの、震災だのと関係のない、以前のような気ままな日記を書く。
途中、やはり絡むかもしれないが、それはほら、俺の勝手な日記だからな。

俺には五歳年上の、別な生き方をしている兄がいる。
同じ家庭で育ち、同じモノを食べ、同じ様な時間を過ごしたが、兄とは別な生き方をしている。
性格も全く違う。

頼り甲斐があるような、ないような。
フワフワと喋る、優しい人だ。

俺がまだ保育所の頃、兄は怖かった。
怒らせたら終わり。
いつでも間違っちゃいねぇし、強かったし。
そりゃそうだね。
小学校四年生対年長さんだから。
力も頭も、兄にはかなわない。

ただ、常に優しかった。
兄は自分の小遣いで買う、駄菓子屋での買い食いの時、必ず弟の俺にも何かを買って帰って来てくれた。
いや、今思えば必ずかどうかは知らないけど。その場で食っちまえば分からないからね。
小学生の予算なんて、タカが知れている。
よくて【うまい棒】
大体は【麩菓子】

俺は嬉しくて、
「おいしい!」
だの、
「やったぁ!」
と言いながら食べたが、正直、フガシが嫌いだった。
おいしくなかった。
チョコが好きだから、黒糖と麩ではテンションは上がらない。
ただ、お土産として嬉しかった。

フガシは安いから、兄の習字の帰りの日は駄菓子屋さんでフガシが多かった。

年甲斐もなく、気を遣って喜んでしまったせいで、
兄は安い麩菓子で弟が大層喜んだ、と需給のギャップが生まれた。

兄が習字に行って、俺は絵を描いて一人で遊んでいると雨が降ってきた。
母が、雨だ雨だと騒いでいたことを覚えている。

程なくして兄がずぶ濡れで帰って来て、母にタオルで拭いてもらっていた。
(あぁ、雨だから、今日はお土産はないんだな。)
と子どもながらに胸が潰れそうになっていた。
(別に約束をしてる訳じゃないし、お兄ちゃんは雨の中、頑張ってお習字に行って来た。)
そんな思いがあった。
「泣き虫」と家族に言われるほど、俺はよく泣いていた。
何かにつけ、アホみたいに騒ぐ訳ではないが、よく泣いていた。
兄は突然、
「あ。忘れ物してきた。」
と言って、雨が止んだらもう一度行ってくると言って、その言葉通り出かけて行った。
母が、何を忘れたのか?と聞くと、
「スズリ!」
と言っていたのを覚えている。
記憶は置換される。
硯を忘れたと兄は言った。
俺は音の響きで、スズリとはこの石のような黒いもの。
と知っていた。
兄は習字バッグを置いて自転車で行ったので、バッグをあけたら俺が知ってるスズリが入っていた。
「ままぁ、スズリってこれ?」
そう聞きたかったけど、聞かなかった。

兄は泣きそうになっている弟を見て、駄菓子屋に行ってくれたのだ。
それを、俺は知っていた。

息を切らして、
「りょう、これお土産。さっき渡すの忘れちゃった。」
と麩菓子をくれた。
「フガシだ!」
と泣くと、
「今日はこれもあるよ。」
とビッグワンガムというプラモデルみたいなオマケのついたガムもくれた。

絶頂。
「ごめんね、さっき渡せばよかったんだけど。」
と兄はまた嘘をついた。
「いいよ。」
と、何故か俺が兄を許す立場に逆転していた。

俺の補助輪が取れたら、駄菓子屋に一緒に連れて行くと約束をしてくれた。
「ままぁ!ホジョリンとれたらダガシヤだって!」
と、それは騒いで宣言した。

根性で補助輪なしという限定解除に挑む俺。
楽勝で外れた。
目的がシッカリしていると子どもは強い。
そして、俺がそうであるように、子どもは何でも知ってるし記憶はいつか置換される。

ケーキを無料で届けたり、犬を追い掛け回して保護したり、家を片づけに行ってみたり。

兄に教わった事を、俺は30過ぎてもしてるだけだなぁ。

ケチケチしねぇで、やれる事をやる。
自分の魂を信じて動く。

信念とは錨のようなもの。

揺らがずとどめる。

俺の兄に限った話しではない。
兄が弟を思うように、弟が兄の気持ちを察するように、
お互いが分かっていながらも、互いの評価を求めることなく、
人の為に何か行動を起こすこと。

そんな兄と俺。親父(おまけ)


雨だ雨だと騒いだ母(おまけ)と俺。


そんな俺は、今こんな。過激派か!
大きくなったなぁ!


事務局のブログ。