ちゃこらルーム

ちゃこらのポジティブライフ
明るく楽しい毎日を過ごしています。

本日外来 

2006年11月27日 | 病気の事
今日は通院日でした。
いつも通り、先に採血。
採血を待っている間、血管を温めておいたので、無事に1回で採血終了

そして主治医の診察。
診察と言っても、実際には雑談が主です。
いよいよ今日で予定していた抗がん剤が終わります
よくここまで乗り切ったなあ・・って、自分で自分を誉めてあげたいです


私は術前化学療法なので、順調に行けば次は手術。
なので、手術に向けての具体的な話などもたくさん聞いてきました。

まず、一番の問題は 手術の方法。
3つの選択肢から、自分が希望するものを決めて欲しいと言われました。
その選択肢とは
   1、乳房温存手術
   2、乳房全摘手術
   3、乳房前摘手術&同時再建手術

もちろん、この後手術に向けての検査の結果や状況によっては温存ができない場合もあるそうですが、第一には本人の意思を優先する方向で考えるとのこと。

少し前までは乳房の再建には保険が適用されなかったらしいのですが、今年の春あたりから保険適用になったため、どれを選択しても費用はあまり変わらないそうです
でも、これって究極の選択に近いものある気がします・・・・。

医療的な面では、どちらを選択してもその後のリスクは同じとのこと。
ただし、温存すれば放射線の必要がでてきたり、摘出部の周辺にガン細胞が残っていた場合には再手術が必要になる可能性もあるので、術後の治療は当然変わってくるそうです。
そして、温存した場合はかなり引きつれたり変形する事もあるかもしれないということ。

全摘の場合には補正下着などの違和感も有るし、手術傷に予想以上にショックを受けることも有る。

再建にもやり方がいくつかあるが、お腹の肉を使う場合は、お腹にもかなり大きな傷ができてしまう。
腋のリンパも取るから、すると一度の手術で3ヵ所カットです・・(泣)
胸の袋にに食塩水を入れて少しずつ袋を膨らませるやり方だと、仕上げにもう一度手術をする必要があるとのこと。
              


何を一番に感じるかは個人の価値観によって大きく変わります
たとえどんな形になっても自分の乳房を残したい人。
ガンのあった乳房に未練なんてないからスッパリ取っちゃって欲しい人。
そして、それぞれのメリット・デメリット。

一番大切なのは私自身の気持ちなのですが、はっきり言って自分がどうしたいのかはよく分からないんですよ~ !!
べつに、おっぱいなんてなくってもいいかなあ・・・・とも思うのですが、実際のところどうなんだろ・・・?と考えると、想像したって分からないんです

逆に、作り物のおっぱいにも多少抵抗があるような・・・。
だって、元のおっぱいは年と共にそれなりの姿になっていくだろうけど、作り物の方はいくつになっても元気ハツラツだったりしちゃうのかな・・・?とか考えたり・・・。

主治医曰く、「温存しておいて、やっぱり全摘」の選択はできても、「全摘した後で温存を希望する事はできない」とのこと。
となると、とりあえずは「温存」できるなら温存希望でお願いしようかと思っていますが、一応来週に、形成外科の担当医の診察を予約してきました。
話を聞いてから決めてもいいかな・・・とも思うので。

同時再建の場合は、摘出までが乳腺外科の医師が担当、途中でバトンタッチして、形成外科の先生が手術をするのだそうです。
形成外科の先生は、「アーティスト」なので、芸術センス抜群の先生らしいです。
どんな先生かちょっと興味もあったりして・・・・(笑)

あ~!やっぱりガンの治療って全て自己責任なんですね。
私はまだまだ勉強不足です
考えても分からないのに、気が付くと悩んじゃってるの



今日は最終クールの点滴が終わって晴れやか~な思いで家路に着くのを楽しみにしていたのですが、せっかくの「祝!」気分もすっかりトーンダウン。
いろいろ考えすぎてしまったりして、気分はどんよりです

でも、考えようによっては自分の思いを尊重してくれるっていうのはとてもありがたいことなんですよね。
考えても分からないから今日はとりあえずなにも考えずに寝ようと思います。
(とは言ってもたいてい点滴当日は眠れないんだけどね・・・)





結婚式!!

2006年11月24日 | 日常の事
昨日は姪っ子の 結婚式 に行ってきました~!
思えば、20代から30代前半は友人の結婚ラッシュだったのに、このところホントに結婚式からご無沙汰していました。
ずいぶん久しぶりの披露宴
家族でおめかしして出席してきました~!!

う~ん、やっぱり若人はいいですなあ~(なぜかオヤジモード)
姪っ子はまだ二十歳。
若すぎる・・との心配をフッ飛ばしてくれるほど優しそうなダンナ様で、叔母としては一安心
そして、何より姪っ子の美しさに感動してきました。
とにかく可愛い!可愛すぎる!!

教会での誓いの言葉や指輪の交換も、とても絵になっていました。


ところでうちの娘(中学生)、初めての結婚式に感動しているかと思ったら
「ウチが結婚する時は 「「永遠の愛をちかいますか?」」って神父さんに聞かれたら
「「え~・・どうしよっかな~」」と答えてくれる人がいいな」とのこと
そんな場所でも笑いのとれる、ギャグの分かる人 がいいんだって
お笑い系かよっ?? と、思わず突っ込みを入れちゃいました。
 

そして披露宴
きれいな花嫁に、おいしいお料理に、もうもう最高の一日でした
ちなみにお料理はフランス料理・・フルコース
  前菜
  ジャガイモのポタージュ
  カサゴのロースト サフラン風味
  牛フィレのポワレ バーニャカウダーソース
  冷たいフレンチトースト 
どれもとってもおいしゅうございました
幸い副作用の味覚障害も少し良くなっているじきだった事に感謝しつつ、
おいしくいただいてくることができました。

やっぱりお祝いの席って改めて自分の幸せも実感できますね。
右をみても、左をみても、みんな笑顔  
心がポカポカになりました


とくに病気のこともあるからか、ただ単に自分が年を取ったからなのかは良く分からないけど、当たり前のことに感動したり、喜んだり、誰かの幸せを願ったりできるってことがたまらなく幸せだなあ・・・と思えた一日でした。


とはいえ幸せなのは今週かぎり、週明けには通院、点滴があると思うと少しトーンダウンですが、シンデレラ気分で週末は元気に楽しく過ごそうと思います





仕事の事

2006年11月21日 | 日常の事
今日は20日締めの伝票の整理に追われていました~!

我家は自営業なので、私が経理事務を担当しています。
この病気が見つかるまではダンナの実家で事務処理をしていたのですが、今は必要なものを全て自宅に移してしまったので自宅で仕事をしています。
なので、かなり自分のペースで仕事を片付ける事ができるため、ずいぶん楽になりました。
(とは言っても、体調が優れない時とかはやっぱり仕事が負担になる事もあります。)

働きながら治療をするのってやっぱり大変ですよね。

私の知人に、去年乳がんが見つかり 働きながら治療をした人がいます。
彼女の職業は小学校の先生。
病気が分かったのは4月。
新しいクラスを受けもったばかりで、しかも6年生の担任でした。
もう少し早く分かれば6年生は受け持たなかったし、負担のすくない副担任になるとかの選択もできたのに・・・と嘆いてはいましたが、立派に勤めきりました。

途中、手術のときだけ三週間ほどお休みしましたが、それ以外は8クールの抗がん剤治療中も休まず出勤していました。
副作用で体がボロボロなときも、「子供の顔を見ると元気が出る」とか「子どもたちに助けられているの」と言っていましたが、今思うとかなり辛いときもあっただろうと、尊敬の思いでいっぱいです。
(しかも、小学校なんてウイルスの宝庫!
免疫が低下してる体でそんな中に入って行くなんて無謀なことなのに・・。)

そして、そんなに素晴らしいお手本が近くにいることは何より心強いです。
もちろん、彼女は今も元気一杯で教壇に立っています

がんばり過ぎはよくないけれど、自分のやりたい事をやりたいようにやるって事もストレスをためない生き方かなぁ・・・と思います。
彼女にとっては仕事が生きがいで、「働いている自分がなにより好き!」なのだろうと思います。

私の場合、今の仕事が生きがい・・と言う訳ではないのですが、まあ生活の一部みたいな感じなので仕事そのものがストレスになることもないかな・・・。

やりたい事優先・・・そのために、やるべき事をちゃんとやろうと思います。
(ちゃんとといいつつ、かなりラフですが・・・






寒くなりました

2006年11月20日 | 日常の事
季節はすっかり冬ですね~
寒いのは苦手ですが、この季節になるとマスクをしても違和感がなくて助かります。

化学療養中は免疫力が低下し感染しやすいため、マスクをするように主治医からも言われていたのですが、どうしてもできずにいました。

嫌いなんです・・・マスク。
真夏は、マスクしてる人なんていないし、それでなくても暑くて耐えられない!
(そうじゃなくても被り物をしている頭が暑いんだからっ

それでもなんとかここまで、風邪一つひかずに治療を進めてくることができました。
うがい・手洗いのおかげだと思います。
でも、寒い季節には防寒にもなるから、マスクもなかなか使えるアイテムかなあ~なんて思います。

インフルエンザも心配です。
私の病院では、化学療養中はインフルエンザの予防接種は打たないで欲しいとのこと。
ワクチンと言えども軽く感染した状態にして体が免疫をつくるので、注射をしたことでインフルエンザの症状がひどくでてしまう人がいるからだそうです。
なので、私以外の家族にはしっかり打ってきてもらおうと思います。
イヤだと言われても打ってもらいます
強制接種

あとは、免疫を上げる食事を積極的にとるように心がけてこの冬を乗り切ろうと思います



バトミントン

2006年11月18日 | 脱毛の事
昨日の夜は、娘の学校のPTAバトミントン部の練習日でした。
実は私が部長をしています。
告知からしばらくは練習を休んでいたのですが、この先手術をするとしばらはラケットを持つことはできなくなるかもしれない・・・・と思ったら、せめて手術までは楽しんじゃおう!と思いなおし、ヅラでラケットを振りまわしています。
昨日は、買ったばかりの「泣けるアイライン」をばっちり引いてでかけました。
アイラインをしっかりひくと、すこし病人顔から解放されます。

部員は20人足らずの小さな活動ですが、メンバーには病気の事を打ち明けた人は3人。
(その中の一人は打ち明けた瞬間「ちゃこら~、いやだ~、そんなこと言わないで~」とボロボロ泣かれて大変だった。そんな、まるで私死んじゃうみたいじゃん!泣きたいのはこっちだって!)
以来、打ち明けるのも考えものだなあっておもったんです。
だから他の人達は病気の事も、ヅラだということも知りません。
なんか、最近は隠している事も面倒になってきちゃって、カミングアウトしちゃった方が楽かなあ・・・とも思うのですが、それはそれでまた面倒な事になりそうな気がするのでやめています。
主婦の集まりって、すぐにうわさ話が広まっちゃうので気をつけないとね。
不自然・・・って思う人がいても勝手に思っていてもらいましょう!と開き直ってきました。
だって、夏から全然髪型が変わらないってのはやっぱり不自然ですよね~
手術まで、伸びない髪を振り乱しながら楽しもうと思います!




脱毛

2006年11月16日 | 脱毛の事
ウィッグをかぶり始めてか4ヶ月ほど経ちました。


最近になって、わずかに残っていた「まゆげ」も「まつげ」もすっかりなくなってしまい今は顔面ツルツルです。
季節が乾燥してきたからなのか、まつげがないからなのか、風が目に染みます。
いつも涙が流れてきます。
涙がよく出るから、目の回りの皮膚まがガサガサです。
付けまつげ を買ってみたものの、これもなんかしっくりきません。
しかも、よく涙が出るのですぐに取れちゃいそうだし・・・・。

そしてまゆげ。
少し前まではいくらかほそぼそと残っていたので気にならなかったのですが、全部なくなってみるとまゆ毛を描くのもとても難しいです。
目印がないから、日によって形が微妙に違ったりして、「いけてる日」と「いけてない日」があります。

そういうことも影響しているのかもしれませんが、最近、ウィッグもしっくりきていないように感じています。
不自然っていうか、なんか、病人っぽさが拭い切れないようで・・・。
ウィッグが変わったというよりも、やっぱり自分の顔がしっくりこないからだと思うのですが、これからの季節、乾燥も大きな敵になりそうです。
見た目に自信がなくなると、人に合ったり外出したりするのが憂鬱になってしまうんです。
付けまつげ・・じゃなくて「付けまゆ毛」なんてものがあったらいいのに・・・なんて思ったりしてしまいます。
シールになっていて貼るだけ。
毎日同じ形のまゆ毛で過ごせます・・・なんてダメかな?

ダイスケ(ネコ)のこともあってここ数日涙も多く流したのですが、感情とは無関係に涙が流れることも多くて、外出すると北風が目に痛いです。
頭の脱毛は仕方ないと諦めるけど、顔までツルツルはさすがになんとかして欲しい。
ひどいよ!抗がん剤!!

ダイスケとは今日、最後のお別れをしてきました。
しばらくはそばに置いて、落ち着いたら納骨する予定です。
今ごろ天国で先代のプードルと遊んでいると思います。


ずっと大好き!

2006年11月15日 | ペットの事
元気な時のダイスケです。(男名前だけど、女の子です!)

今も布団に寝かせています。
ふっと見ても、本当にすやすや眠っているように見えるのに、触ると冷たくて現実を思い知らされます。
できることならこのまま剥製にしてでもそばに置いておきたい・・なんて勝手な思いがよぎってしまいます。

いつもいる場所にふと目が行く時、その姿を探してしまいます。
振りかえると「ミャア!」と返事をするような気がします。
ただいまって帰ってきても、いつもの空気と違います。
昨日も書いたのですが、本当に心にぽっかりと穴があいてしまっています。
  

我家には、もう一匹ミニチュアダックスの「レオ」がいます(この子は男の子)
なんとなくレオもさみしそう・・・。
時々寝ているダイスケをのぞきこんでいます。
いつもならじゃれて絡んでいくのにさすがにそれはしません。
犬にも分かるのかな?

昨日は友人がお花を届けてくれたり、お別れに来てくれました。
そんな風に一緒に悲しんでくれる友がいることもとてもありがたいなあと思います。

今夜はダイスケと一緒に過ごす最後の夜です。
家族でダイスケの思い出をたくさん語り合いました。
明日、最後のお別れをします。
たくさんの思い出を胸に、しっかり見送ってこようと思います。

いなくなってしまうけど、これからも家族の一員です。
ずっとずっと大好きだからね!!
  


虹の橋

2006年11月14日 | ペットの事
夕べ、飼っていた猫が天国へ旅立っていきました。
17歳。
この子は、結婚前に主人が飼っていた連れ猫です。
当時私はトイプードルを飼っていたので、お互い連れ子状態。
猫VS犬 なので、上手く行くか心配していたものの、共同生活は結構うまくいっていました。
二人が遊んでいる光景、いまでも懐かしく蘇ります。
その後、子供が生まれ、成長していく中、我家の歴史には常にこの子たちがいました。

プードルは18歳で三年前老衰で旅立ったので、いまごろ久しぶりの再会を喜んでいることと思います。
昨日は偶然にも私の母の命日でもありました。
苦しむのはかわいそうだと、母が連れていったのかもしれません。

先月から急に食欲も落ちて、動物病院の先生にも、「一月持たないかも・・。」と言われていたので覚悟はしていましたが、ペットの死はやっぱりとても辛いものです。
心にぽっかりと穴があいてしまったような感じです。




抗がん剤治療

2006年11月11日 | 病気の事
ここの病院では、術前に抗がん剤治療をするとのこと。
(どこに行っても同じという前病院の医師の話しと違うじゃん!!)
6月に入院してセンチネルリンパ節の検査をして、そのまま抗がん剤治療に入りました。
抗がん剤は全部で8クールの予定です。
はじめ4クールは CEF と呼ばれているもので、ファルモルビシン・エンドキサン・5FUという三種類の薬を使い、後半4クールはタキソテールという薬を使います。

どちらの薬も初回のみは入院にて点滴を行い、それ以外は外来で点滴。

初回は入院して、抗がん剤の点滴と、センチネルリンパ生検というわきのリンパへの転移を調べる検査を行いました。
検査といってもわきの下に2cm程度メスを入れるので、ちゃんと手術着を着て手術室で局所麻酔で行いました。
麻酔がかかっていてもやっぱり痛かったです・・・。
この検査結果は残念ながら陽性でしたので、本番の手術ではリンパも取ることになりました。

CEF投与 1回目 入院にて(6月14日)
投与の直後はとくに大きな副作用も出なかったのですが、6日後ひどい頭痛と肩こり、なんとなくムカムカ感が出てきました。
12日後からは頭皮が痛痒く、脱毛が始まりました。
(ずでに退院してすぐにウィッグを購入しておきました)

CEF投与 2回目 外来(7月10日)
今回は血管痛があり、冷やすといいと聞いたので腕に冷えピタをはって過ごすが緩和されず、逆に温めるほうが楽になった。
副作用はなんとなくムカムカする程度だが、白血球減少時はとても疲れやすい。
時々頭痛。

CEF投与 3回目 外来(7月31日)
血管痛がますますひどくなる。
ムカムカが前回より強くなる。

CEF投与 4回目 外来(8月28日)
ムカムカがひどくなり、のどの奥に物が詰まったような感覚が続く。
口内炎、ノドの痛みなど。
10日過ぎると楽になる。

タキソテール投与 1回目 入院(9月21日)
当日はなかなか眠れない。
翌日 舌に違和感がある。
5日~10日ひどい関節痛と指先のしびれ、寝ていても辛い。
2週間過ぎると体の痛みも少し回復するが、舌の違和感は続くので何を食べても味覚がなくおいしくない。

タキソテール投与 2回目 外来(10月12日)
副作用の感じは前回と同じ。

タキソテール投与 3回目 外来(11月2日)
ほとんど前回と同じように、日にちで出てくる症状が決まっている。
関節痛、筋肉痛が全快より長引く気がする。

そして現在に至ります。
当面の目標だった抗がん剤投与も残すところあと1クールとなりました。
想像していたほど大変ではなかったけれど、それでもやっぱり気持ちの浮き沈みも激しくて、自分の精神状態を普通に保つ事が一番大変だったような気がします。
理屈では納得しているつもりでも、実際に髪の毛が抜けはじめた時はショックだったし、気持ち悪い時には気分も晴れません。
いろいろな思いを経験しながら、心も成長して来れたのではないかな?と自分では思っています。
残り1クールの抗がん剤が終わると手術が待っています。
焦らず、1歩1歩着実にこなしていきたいなあ・・と思います。

乳がん・・・病気になって当たり前の日常にとても感謝できるようになりました。
当たり前の毎日に感謝しながら、日々の思いをつづっていきたいと思います。

病気のはじまり

2006年11月11日 | 病気の事
2006年5月、思いがけない乳がん告知に戸惑い、落ち込み、そして、病気を受け入れて、長く付き合っていく覚悟も最近は少しできてきた気がしています。

まず、ここまでの治療の経過を簡単に紹介しようと思います。


2006年2月
胸に痛みがあり、しこりに気づく。
インターネットで調べると、痛みの有る場合は「乳腺症」とあるので自己判断。
2006年5月
やっぱり気になるので、自宅近くの総合病院を受診。
レントゲン、エコーの結果「恐らく乳腺症だから半年に一度の検診を続けてください。一応念のためしこり部分の細胞を調べておきましょう」といわれ細胞診。
(痛そうな見慣れない針の付いた機械が恐かった・・痛くなかったけど恐かった)
1週間後、結果は電話でと言われていたので病院に電話すると、
医師「あ~ちゃこらさんねえ・・・意外な結果が出たのでまた病院にきて欲しいのよ。」と言われる。
(意外な結果??なに???なんなわけ????)
ちゃ「あの~ 意外っていうのは?」
医師「良くない結果がきてるのよ」
ちゃ「良くないって、乳がんってことですか?」
医師「そうだねえ・・。意外なんだけど。」
この先の会話は自分でもよく覚えていませんが、ガンの進行度とかについて尋ねた記憶があります。(聞いても分かるわけないんのにね。)
そして、そんな大事なことを電話口で告知するのか?ということにびっくりしました。

その日から外来へ行くまでの2~3日は激しいうつ状態。
いま振りかえると笑っちゃうけど、本気で「もう死んじゃうのかな」なんて思って毎日泣いていました。
まず、最初にしたことは本屋さんへ行き「乳がん」の本を数冊購入してきて、一気に読みました。
はじめのうちは、読めば読むほど最悪のパターンばかりに思いが行ってしまい更に落ち込むばかりでした。

そして外来。
このときは 夫 と 夫の姉 に付き添ってもらって病院へ行きました。
主治医の説明では、
「とりあえず手術して、それの病理結果でその後の治療が決まる」
とのことでした。
私としては、その病院で治療を続けるかどうか迷っていた事も有り、セカンドオピニオンを受けたいことを申し出ましたが、
医師「治療法方に選択肢のある場合はそういうこともあるけど、ちゃこらさんの場合はもう結果も出てるし、どこにいっても同じですよ」
ちゃ「それでもいいので、考える時間を下さい」

結局、2週間後の手術の予定と術前検査の予定をしっかり予約して帰宅しましたが、多分その先生のやさしさなのかもしれないけどニヤニヤ話すところや目を見て話しを聞かないところなどがどうしてもひっかかり、別の病院への転院を決意しました。     

それからインターネットで乳腺専門医のいる病院を探しまくり、何かに導かれるように今の病院にたどり着きました。

新しい病院の主治医は若くて元気な女の先生です。
1つ質問すると10くらい返してくれます。
この先生に会って、それまでの不安が半分に減りました。