これは2000年春に旅した時の記録です。
現在のシェムリアップは観光地として整備され、まったく様変わりしているようです。
バンテアイ・スレイ、「女の砦」と名付けられたお寺は、私達が行くほんの一年前まで外国人の立ち入りが禁止されていました。
それと言うのも、ポルポトの本拠地に非常に近く、1998年春にポルポトが死んだ後もポルポト派残党が出没し、危険な状態が続いていたからです。
東洋のモナリザと言われるデバター像があるバンテアイ・スレイは、アンコール・ワット、タプーロムと共に是非行ってみたい場所でした。
2000年にカンボジア旅行を決定したのは、バンテアイ・スレイの観光が可能になったからでした。
シェムリアップから40キロ北のバンテアイ・スレイまで1時間半、ガタガタ道を揺られながら、ガイドさんが体験した内戦中の悲惨な話を聞いて、、、そして爆睡
バスを降りる前に
「寺院まで道から外れて歩かない 寺院の敷地から外には出ない 森には絶対入らない」
と厳重に注意を受けました。
ポルポトの本拠地に近いだけあって、最も地雷の多い場所で、完全には撤去されていないとのこと…
第4東塔門です。まだ観光客が少ないせいか、土産物売りの子供もまばらです。
明方、地面を揺るがすような落雷と滝のようなスコールがあったためか、そこら中水溜りになってます。そして、この第4東塔門前の水溜りをどう切り抜けようか、暫し思案です。
薄紅色の砂岩で造られたバンテアイ・スレイは、こじんまりしたお寺ですが、そのレリーフの彫りの深さ美しさは今まで見たどの寺院とも比較にならないほどです。
フランス人のアンドレ・マルローが「東洋のモナリザ」と評したデバター像へ期待が膨らみます。
リンガが並ぶ参道を進みます。このリンガ、実はシヴァ神の○○だとか
ボロボロの門らしきもの通るとこじんまりした第二東塔門と周壁です。
どの門の破風も建物の壁も、紅色砂岩に掘られたレリーフが非常に細かい上に深く、美しさに溜息です。
中央はナラシンハです。
ツチノコのようなナーガが並んでいます。
ラクシュミーと象の破風です。下にはガルーダが。
水牛に乗るヤマをナラシンハが支えています。
三頭の象に乗るインドラです。
踊るシヴァ
サンスクリット文字が書かれた柱もあります。誰も解読できないのだとか。
門などの屋根は「迫り出し構造」で造られています。そして内部にもレリーフが。
門の中の暗さと外の明るさが幻想的
どこまでも続くような門くぐりです。
そして、ジャジャーン 主祠堂です。
2012年現在、主祠堂付近は立ち入り禁止になっているようですが、12年前は自由に入れ、みんなが東洋のモナリザの前で撮影しています。
主祠堂の上部です。
先ずはデバターと同じポーズで撮影会
東洋のモナリザ、デバター像は思っていたよりかなり小さいです。
決して、隣でポーズをとるデブだ~が巨大な訳ではありません。
アンコール・ワットやアンコール・トムで見たデバターとはまったく違い、とても肉感的で今にも壁から出てきそうな感じです。
色々な表情の東洋のモナリザがいましたが、一番のお気に入りは穏やかに微笑むこれです
主祠堂の前には、守護坐像のナラシンハが構えています。
主祠堂に向かい合うようにある経堂です。
ドヴァラパーラの背中と経堂です。
裏側にあたる西塔門やその周りの壁は、かなり崩れていました。
当時あの奥の森には、地雷がまだまだいっぱいあると言うことでしたが、12年経った今、ちゃんと地雷は撤去されたのでしょうか。。。
現在のシェムリアップは観光地として整備され、まったく様変わりしているようです。
バンテアイ・スレイ、「女の砦」と名付けられたお寺は、私達が行くほんの一年前まで外国人の立ち入りが禁止されていました。
それと言うのも、ポルポトの本拠地に非常に近く、1998年春にポルポトが死んだ後もポルポト派残党が出没し、危険な状態が続いていたからです。
東洋のモナリザと言われるデバター像があるバンテアイ・スレイは、アンコール・ワット、タプーロムと共に是非行ってみたい場所でした。
2000年にカンボジア旅行を決定したのは、バンテアイ・スレイの観光が可能になったからでした。
シェムリアップから40キロ北のバンテアイ・スレイまで1時間半、ガタガタ道を揺られながら、ガイドさんが体験した内戦中の悲惨な話を聞いて、、、そして爆睡
バスを降りる前に
「寺院まで道から外れて歩かない 寺院の敷地から外には出ない 森には絶対入らない」
と厳重に注意を受けました。
ポルポトの本拠地に近いだけあって、最も地雷の多い場所で、完全には撤去されていないとのこと…
第4東塔門です。まだ観光客が少ないせいか、土産物売りの子供もまばらです。
明方、地面を揺るがすような落雷と滝のようなスコールがあったためか、そこら中水溜りになってます。そして、この第4東塔門前の水溜りをどう切り抜けようか、暫し思案です。
薄紅色の砂岩で造られたバンテアイ・スレイは、こじんまりしたお寺ですが、そのレリーフの彫りの深さ美しさは今まで見たどの寺院とも比較にならないほどです。
フランス人のアンドレ・マルローが「東洋のモナリザ」と評したデバター像へ期待が膨らみます。
リンガが並ぶ参道を進みます。このリンガ、実はシヴァ神の○○だとか
ボロボロの門らしきもの通るとこじんまりした第二東塔門と周壁です。
どの門の破風も建物の壁も、紅色砂岩に掘られたレリーフが非常に細かい上に深く、美しさに溜息です。
中央はナラシンハです。
ツチノコのようなナーガが並んでいます。
ラクシュミーと象の破風です。下にはガルーダが。
水牛に乗るヤマをナラシンハが支えています。
三頭の象に乗るインドラです。
踊るシヴァ
サンスクリット文字が書かれた柱もあります。誰も解読できないのだとか。
門などの屋根は「迫り出し構造」で造られています。そして内部にもレリーフが。
門の中の暗さと外の明るさが幻想的
どこまでも続くような門くぐりです。
そして、ジャジャーン 主祠堂です。
2012年現在、主祠堂付近は立ち入り禁止になっているようですが、12年前は自由に入れ、みんなが東洋のモナリザの前で撮影しています。
主祠堂の上部です。
先ずはデバターと同じポーズで撮影会
東洋のモナリザ、デバター像は思っていたよりかなり小さいです。
決して、隣でポーズをとるデブだ~が巨大な訳ではありません。
アンコール・ワットやアンコール・トムで見たデバターとはまったく違い、とても肉感的で今にも壁から出てきそうな感じです。
色々な表情の東洋のモナリザがいましたが、一番のお気に入りは穏やかに微笑むこれです
主祠堂の前には、守護坐像のナラシンハが構えています。
主祠堂に向かい合うようにある経堂です。
ドヴァラパーラの背中と経堂です。
裏側にあたる西塔門やその周りの壁は、かなり崩れていました。
当時あの奥の森には、地雷がまだまだいっぱいあると言うことでしたが、12年経った今、ちゃんと地雷は撤去されたのでしょうか。。。
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