良い子の歴史博物館

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ソロモン

2005年02月27日 | 人物
ソロモンは古代イスラエルが最も繁栄した時期の王である。
エルサレムに壮麗な神殿を建設した。

神殿建設には、荷物運搬人だけで7万人、石を切る者が8万人という具合に、
膨大な強制労働を徴用し、7年半かかったものだった。
その他にも、13年かけて壮大な王宮を建設している。

防備のための都市も幾つか建設し、
倉庫の都市、兵車の都市、騎手のための都市なども建設した。
これらの都市の幾つかは、発掘され、
ソロモン時代の壁や城門の一部などと考えられるものが発見されているそうだ。

ソロモンの富はめちゃくちゃ多く、金の年間総収入が現在の価値で200億円を下らない。
人々は黄金に満ちていたため、銀は取るに足らないもののように見なされていたほどだった。

富の元となったのは、交易によるもので、あらゆる場所の貿易商人が、やって来た。
四千の畜舎や、1万8千頭の馬あるいは騎手を持っていたという。

ソロモンも、フェニキア人と提携して、貿易船団を組織して、海外交易を積極的に推進した。
数多くの珍しい品々がエルサレムにもたらされたという。

しかし、ソロモンの治世の後半は、圧政的だっため、
各地に反乱分子が登場し、不穏なものとなった。
イスラエルの繁栄は長続きしなかったのだ。
ソロモンの次の王レハベアムのときに王国は分裂し、
2度とソロモン時代のような繁栄は戻らなかった。

ここから以下は、私の仮説ないし、推測を多く含む。

こうしたソロモンの繁栄と衰退の影に、
大国エジプトとの関係の変化があるのでは?と思う。

ソロモン治世当初、エジプトとの関係は極めて良好だった。
エジプトのファラオの娘と政略結婚を行っているほどだ。
エジプトから馬や兵車を大量に買い付けている。
この頃はエジプトにとっても、ソロモンとの交易に利益を見出していたのだろう。

だが、反ソロモン勢力が登場する頃、エジプトの態度は大きく変化しているのではなかろうか?

才能あふれる若者であったヤラベアムが、ソロモンに反旗を上げると、
ソロモンはヤラベアムを殺そうとする。
そのヤラベアムは亡命先にエジプトを選んだのだ。
エジプトでヤラベアムを中心とした反乱勢力が誕生する。
当然、エジプトのソロモンに対する敵対的意思が背景にあったはずだ。
ソロモンの死後、ヤラベアムがエジプトから帰国し、
イスラエル10部族代表として、ソロモンの後継者レハベアムと交渉し、
分離独立を果たす。
ヤラベアム王国(北のイスラエル王国)が金の子牛崇拝を国家宗教にしたのも、
エジプトの影響によるものと考えたい。

エドム人ハダドは、子供の頃、
ソロモンの父ダビデ王の軍司令官ヨアブの軍に一族を皆殺しにされている。
殺された父親の部下数人と共に少年ハダドはエジプトへ逃げた。
ハダドはエジプトで成長する。
エジプトのファラオは自分の妻の妹をハダドと結婚させているほどハダドを可愛がった。
そんなハダドはダビデに代わってソロモンがイスラエル王になったことを知ると、
復讐のために、故郷の地に戻り、“エドム解放軍”を組織し始める。
ファラオはハダドにわざわざ苦労しに行くことはない、
エジプトで欲しいものは何でも与えると言って引き止めた。
ハダドの決意は変わらなかったという。
ハダドの反ソロモン抵抗運動に、やはりエジプトの援助があったと思われる。
エジプトの外交政策の転換が反映していると思う。

ソロモンの死後、その子レハベアムがイスラエル王となる。
するとヤラベアムが帰国し、北部10部族代表となり、やがて王国は分裂する。
レハベアムのユダ王国と、ヤラベアムのイスラエル王国である。

ユダ王国とエジプトとの関係は、さらに悪化し、
エジプトのファラオ・シシャクが大軍を率いて、エルサレムを攻略、略奪する。
レハベアムはエジプトの属国となることを余儀なくされた。

エジプトの外交政策の変化をまとめてみると、
ソロモン初期 :
 極めて良好。政略結婚。
 ソロモン王国が交易で繁栄を極める。

ソロモン後期 :
 しだいに悪化。
 ソロモンの繁栄を良く思わなくなったか?
 エジプトは反ソロモン勢力に加担し始める。
 ソロモン王国の没落が始まる。

レハベアム  :
 ヤラベアムを送り込み、イスラエルを分裂させる。
 さらに直接軍事行動に出て、属国化。
と、なるのではないか?

5 コメント

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やっぱりソロモンの栄華 (alice-room)
2005-02-27 16:30:30
TB有り難うございました。ソロモンのあの栄華が諸部族の反抗により、失われていく過程ですが、大変興味があります。参考にさせて頂きますね。
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TBありがとうございます (ボー・BJ・ジングルズ)
2005-02-28 00:21:35
映画「ソロモンとシバの女王」では、ソロモンがだんだんと人々の反感を買います。

この頃のことを、より深く知ることができました。ありがとうございます。
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反抗者たち (cfsasaki@管理人)
2005-02-28 08:17:44
>alice-roomさん

いらっしゃいませ。コメントありがとうございます。



ソロモンへの反抗者たちについては、聖書の列王上11章に簡単に書かれています。

ここだけでも、ドラマができそうな反抗者列伝となっています。

私の仮説はこれを元にエジプトをからめて補足してみたものです。

単なる仮説ですので、鵜呑みにしないで、参考程度にね。
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シバの女王 (cfsasaki@管理人)
2005-02-28 08:26:29
>ボー・BJ・ジングルズさん

コメント、ありがとうございます。



シバの女王の話は、列王上10章に書かれています。

遠方から、多数の随行員を伴って、女王自ら、エルサレムを訪問したのでした。

でも、ソロモンと男女間の関係があったとは述べられていません。

だいたい若い女性とは限らないし。

まして美人なのか、わからないし。



でも、どういうわけか、ソロモンとシバの女王との間に子供が生まれて、それがエチオピアの王室の始まりとなったとかいう、眉唾伝説が誕生します。

ちなみにシバは、今のイエメンあたりだというのが定説ですね。

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ありがとうございます (hosokawa18272)
2005-03-06 04:50:54
TBありがとうございます。

お返事、遅れましてすみませんでした。



ソロモンの繁栄が失われる背景には、

やっぱり大国エジプトの影がある。というお話。

たいへん興味深くて面白いですねー。

エチオピア王室の話は、初めて聞きました。

自分でも調べてみたいと思います。

ありがとうございました。
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