良い子の歴史博物館

訪れたことのある博物館、歴史上の人物、交通機関についての感想、小論など。

戦艦三笠

2004年12月28日 | 博物館
戦艦三笠
記念館三笠
日露戦争の旗艦。
大砲が大きい。
船内に幾つも部屋があり、それらに資料が展示してある。
夏の時期で、冷房が効いてない場所もある。
操舵室や船長室、食堂などが興味深い。
猿島に渡る遊覧船乗り場が隣にあり、猿島観光のついでに立ち寄れる。
猿島

氷川丸

2004年12月28日 | 博物館
氷川丸とマリンタワー
横浜山下公園に接岸している、かつての豪華客船を展示している。
船内の各部屋に船の模型や資料が展示されている。
レストランもあり、ゆっくり休憩できる。
操舵室からの横浜港の眺めが良い。
デートスポットとしても、雰囲気が良い場所だと思う。

ピース大阪

2004年12月28日 | 博物館
ピース大阪
大阪大空襲をテーマにした展示館。
「平和」を叫ぶ団体ほど、うさんくさいものはないが、資料は見ごたえがある。
戦時中の遺品の一つ一つに重みを感じた。
建物はきれい。
大阪城の一角にある目立たない場所で、休日でも人は少ない。
ゆっくりできる。

横溝屋敷

2004年12月27日 | 博物館
横溝屋敷
横浜鶴見の「田舎」にある旧名主の屋敷。
近くに市民の森や三ッ池公園、二つ池など緑が多い環境の中にある、
見学は無料なのですぐに立ち寄れる。
本宅2階にも登れる。
史料がいくつか展示されている。
門なども立派だ。

伯方町郷土資料館

2004年12月26日 | 博物館
伯方町郷土資料館
瀬戸内海の中のしまなみ海道につながる島、伯方島。
そこに「ふるさと歴史公園」、「伯方町郷土資料館」がある。
村上水軍関係の資料が多い。
駐車場が広いが、我々の車だけであった。
訪問者は少ないのだろう。
資料館に受付のおばさんが一人いたが、
近所のおばさんという感じで、
ローカル色いっぱいだ。
中世の門や城、塔を模した建物がある。
大型船の錨が展示してあり、造船の町であることがわかる。
ゆっくりのんびり見学できるし、展望も良い。
トイレもきれい。

藤原忠平

2004年12月25日 | 人物
平安時代の大政治家。の、はずなのだが、
教科書でほとんど取り上げられない人物。

兄の時平は菅原道真を陰謀で失脚させたことで有名だが、
弟の忠平は儀式や有職故実に詳しいだけの、
無責任な貴族政治家ぐらいにしか思われていない。

兄の時平と違い、菅原道真の学問上の弟子で、
道真が大宰府へ左遷されていた期間、
忠平は道真と手紙をやり取りし、
道真死後も、その名誉回復に尽力した。
時平の方は醍醐天皇とともに、律令政治の再建に積極的な政治を進め、
荘園整理令などの政策を次々と実施している。
菅原道真と対立し、これを陰謀により追放した。
しかし、時平政権は時平の病没で短命に終わる。

当時の状況を世界レベルで俯瞰しよう。
律令制国家の代表たる唐を初め、新羅、渤海、・・・、と、
律令国家が次々と滅亡・崩壊していた時期なのだ。
日本でも、国家崩壊の危機があったと考えるべきであろう。

菅原道真は遣唐使廃止を具申するなど、
早々に律令制に見切りをつけていたのではなかろうか?
忠平も同様であった。

宇多天皇(上皇)-菅原道真-藤原忠平の現実路線と、
醍醐天皇-藤原時平の律令理想路線との対立だったのである。

時平の死後、忠平は藤原氏の氏長者となり、
菅原道真の現実路線に切り替える。
右大臣、左大臣、摂政、関白と長年にわたって、
政権首座につき、班田収受を事実上廃止するなど、
律令制をなし崩し的に終了させていったのだ。

もはや国家が土地を直接支配する時代は終わった。
民間でできることは民間の力でやってもらうのが一番と考えたのである。

この間に平将門、藤原純友が相次いで乱を起こした。
将門が京に滞在中に、忠平は将門と面識があり、
将門の便宜を図ってやったりしている。
純友とは縁続きだ。
これらの乱の裏で、
忠平による何らかの裏の動きがあったとしても不思議ではない。

結局、忠平政府は地方武士団という民間勢力を利用することで、
これらの乱を鎮圧することに成功した。
藤原氏の繁栄は、その後も続き、道長時代を迎えることになる。
思うに、忠平の政治は
・律令制度の廃止
・民間勢力の利用
・摂関政治の確立
という革命的偉業だったのだ。
しかも、摩擦が起きぬように、目立たぬように、
徐々に現実的に変化するという離れ技だったのである。
もし、忠平がいなければ、
平安王朝も唐、新羅、渤海等と並んで滅亡していたかもしれない。

飫肥城

2004年12月23日 | 城・神社・仏閣
飫肥城
宮崎県をドライブしている最中に偶然訪れた城下町の飫肥。
飫肥なんて地名は初耳で、全く事前の知識なしでの訪問だった。
城前の通りを歩いていると、店前や道を掃除している人が挨拶してくる。
観光客大歓迎の町らしい。
城の風情はいい。堀が深く、石垣も大きい。
史料館等も充実している。


電気の史料館

2004年12月23日 | 博物館
電気の史料館

東京電力の施設。
規模は巨大。
蒸気タービンや、水力発電の羽根、送電線の鉄塔がまるまる入る巨大な建物だ。
でも入場者は休日でも極めて少ない。
1時間毎にガイドが見学コースを説明しながら回ってくれる。
最初にビデオを見せられる。百年の歴史だ。
電気の知識が全くないのだが、高圧電気を遮断するのって、大変な技術なのだと知った。
相当な資料がそろっている。
但し、電気の実験のような体験コーナーはない。
あくまでも歴史的史料ということらしい。
喫茶店もあり、ここでゆっくり休憩できる。
ミュージアムショップまであるのに驚く。
電子ちゃんグッズがいっぱいだ。

三溪園

2004年12月23日 | 庭園・公園
三溪園
寺塔、殿舎、楼閣、茶室等の古建築を集めた庭園。
ドライブで海の公園へ行こうとして、横浜ベイブリッジを通り過ぎて、道を間違えてしまい、気がついたら、この公園駐車場に入っていた。
入場料は500円。
意外といい公園だ。
蛍もいるらしい。
池に水鳥、花がきれい。
由緒ある建物が多数あり、見ごたえがある。
食堂で焼き鳥を食べた。

堺市博物館

2004年12月23日 | 博物館
堺市博物館

仁徳天皇陵の隣にある。
当然、仁徳陵を初めとする古墳に関する展示が多い。
埴輪とかも。
建造当時の仁徳陵は光り輝いていたとか。
長年経って、ただの山になってしまっただけで。

大きな不満がある。
仁徳陵を初めとする敷地を自由に入場できるようにして欲しい!!!
大体なんで、古墳が宮内庁管轄なのだ??!
地元教育委員会か、文部科学省の管轄にすべきだ!!


三内丸山遺跡

2004年12月23日 | 遺跡・史跡
三内丸山遺跡
巨大な6本柱がシンボルの縄文時代遺跡。
佐賀の吉野ヶ里に比べると、真面目な公園だ。
復元の小屋がいくつもある。
入り口の建物で、猪の焼肉丼を食べる。
食事時間を含め、3時間もあれば充分。
規模は圧倒的に吉野ヶ里が上。

ちなみに三内丸山遺跡を巡って、結構、論争があるらしい。
一時言われた、「縄文都市」イメージに猛烈な批判が起きているとか。
考古学も曲がり角にあるのだろう。

江戸東京たてもの園

2004年12月23日 | 博物館
江戸東京たてもの園
アニメ映画「千と千尋の神隠し」のデザインのモデルになったとも言われるものも含め、古い建物が多数展示している。ジブリファンが多いのだろう。見学者は多い。
高橋是清邸でお昼を食べた。
暗殺現場の部屋を回ったり、結構楽しい。
広大な小金井公園の中にあり、1日過ごせる。

日本民家園

2004年12月23日 | 博物館
日本民家園
古い日本の民家を集めてある。
生田緑地という環境の良いところだ。
良く整備された散歩道となっている。
民家の一つがレストランになっていた。
そこでお昼を食べる。
囲炉裏に火をくべているところもあった。
落ち着いた雰囲気だ。
全部回るとかなり歩く。
民家園を出ると、蒸気機関車が展示してあり、さらにプラネタリウムのドームがある。
ついでにプラネタリウムを見た。
やっぱり熟睡してしまった。


北海道開拓記念館

2004年12月23日 | 博物館
北海道開拓記念館
開拓の村に隣接している。
大雪の日だった。
建物の玄関前は雪かきしていて、何とか歩ける。
(ものすごい雪で、すぐに積もる)
全身真っ白になりながら、建物に入ると、受付の女性が、気遣ってくれた。
見学者はほとんど皆無!!
すべての部屋に係員が常駐している。
せっかくだから、よく見てあげないと可哀想と思い、じっくりと一つ一つを見て回った。
蝦夷地の歴史知識は皆無だが、結構、面白かった。

北海道開拓の村

2004年12月23日 | 博物館
北海道開拓の村

雪の降る日、というかほとんど吹雪の日に訪問した。
中はとても広くて、古い建築物を一つ一つ見学すると、かなり歩く。
お天気が悪いので、見学者は極めて少ない。
大きな建物でも、誰もいない。
ボランティアみたいな人がたまにいて、いろいろ説明してくれる。
しかし、途中、猛吹雪になってきて、一歩先も視界が0になった。
全身、真っ白。
やっと食堂の看板を見つけ、避難。
もう少しで、遭難するところだった。