良い子の歴史博物館

訪れたことのある博物館、歴史上の人物、交通機関についての感想、小論など。

ヴィレム1世(オラニエ公ウィレム)

2005年06月16日 | 人物
宗教の違いが原因で、とてつもない残虐行為が行われることがあります。
神聖ローマ帝国のカール5世と、その息子のスペイン王フェリペ2世は、
悪名高き異端審問を推進したことで知られます。
1521年に発布したオランダ人への勅令の中でカール5世は
「(ルター)の弟子と改宗者はすべて死刑に処され,
 彼らの財産はすべて没収されるべきである」
としました。
やがて、家庭における宗教的崇拝のための集まりや聖書朗読、
宗教上の論争点を討論することなどすべて禁止され、
男は打ち首にし、女は生き埋めにせよ、という命令が出されます。
カールの40年にわたる支配の間に、
5万から10万のオランダ人が異端審問で殺されました。

過酷な支配は反発を呼び、各地で暴動が起きます。
そこでフェリペ2世は、宗教裁判所長としてアルバ公をオランダに派遣しました。
アルバ公は、2万4千人6千頭の馬を率いて到着します。
異端審問、略奪、虐殺が行われました。
アルバの6年の支配期間中に1万8千人以上が処刑されました。
ところが、ますます頑強な抵抗に遭います。
彼の3万の軍隊は、ハールレム市を攻略するのに7か月かかり、
1万2千人の兵士を失いました。
(余談だがニューヨークのハーレムはオランダのハールレム出身の
 入植者にちなんで呼ばれている)

このようなカール5世やフェリペ2世、アルバ公とは違って、
宗教的寛容さを示した人物がいます。
それが『オランダ独立の父』ヴィレム1世(オラニエ公ウィレム)です。

1959年のことです。
オランダの若き公爵オラニエ公ウィレムはフランスの王アンリ2世と共に
パリ郊外へ狩猟旅行に出かけました。
たまたま二人だけになったとき、アンリはウィレムに、
スペイン王フェリペがオランダとフランスのプロテスタント信者を
全て皆殺しにする計画を立てていることを打ち明けました。
オランダでは同国に駐屯しているスペイン軍がその遂行に当たるというのです。
王アンリは若いウィレムも自分と同じ熱心なカトリック教徒だと思い込んでいたので、
計略を細部に至るまですべて打ち明けたのでした。

確かにウィレムはカトリックを奉じていました。
しかしプロテスタントの友人も多数いたウィレムは、
その謀略を聞いて愕然とします。
それでもウィレムは驚きを隠します。
表面上、カトリックの支持者としての態度を貫きました。
ここからウィレムは『沈黙公』と呼ばれることになります。

オランダへ帰る前に、
ウィレムはその恐ろしい計画を実行に移す際の自分の役割に関して
明確な指令を受けました。
しかし彼は、帰国後直ちに、スペイン軍の撤退を願うよう国民感情をあおります。
事実、その虐殺計画を阻止するためにあらゆる手段を講じました。
「人間より神に従う方が大切だと思っていた」と後に語ります。
このことがきっかけで,ウィレムは「祖国の父」となる道を歩み始めたのです。

1566年、フランドル州で反カトリック暴動が発生し、
瞬く間にネーデルランド北部にも拡大します。
そこでフェリペ2世は、あのアルバ公を派遣したわけです。
アルバはネーデルランド貴族20人余りを処刑したりします。
ウィレムも領地を没収されながらも、アルバに戦いを挑みます。

ウィレム自身は戦争が上手ではありませんでした。
敗北しフランスに逃れたりします。

陸上では負け続けでしたが、『乞食団』と呼ばれる海賊たちがウィレムに協力します。
彼らは海上に冒険を求めた貧民や失業者、
それに宗教的迫害から逃れた市民や貴族が加わっていました。
“乞食”とはスペイン政府側が彼らを罵った蔑称だと思われますが、
海賊たちは自ら“乞食”を栄誉の呼称として用います。
そして乞食の椀とメダルがシンボルとなります。

ウィレム軍は徐々に勢力を回復し、ホラント、ゼーラント両州総督となり、
反スペイン勢力の中心となりました。
そのうちウィレムはプロテスタントに改宗し、「宗教改革の兵士」となったのです。
スペイン軍に包囲されたアルクマールやライデンなども次々に解放します。

ウィレムの首に莫大な賞金をかけられました。
そのためウィレム暗殺が幾度か試みられます。
ついに1584年、ウィレムは凶弾に倒れ,51歳でその生涯を閉じました。

ウィレムの始めたオランダ独立戦争は、ウィレムの非業の死の後も続き、
80年もの長い戦いの末、ついにオランダは完全独立を果たしたのです。

『沈黙公』ウィレムの名は、宗教的寛容さと思慮深さの点で後世に残ります。

コンテナ

2005年06月15日 | 交通機関
現代の物流を支える最大の発明はコンテナだと思う。
規格が合えば、船、鉄道、トラック、航空機の別なく、輸送できる。
輸送手段を選ばないので、戸口から戸口へ輸送可能となる。
頑丈な箱で運ぶので、荷物の痛みを最小限に減らせる。
冷蔵冷凍などの設備付きのコンテナもある。

コンテナ船の場合、従来型貨物船に比べて、港での停泊時間が大幅に減った。
そのおかげで船員たちの港での色恋話が消滅した。
近年では20フィートコンテナ6千個積載の全長300メートルを超える超大型コンテナ船が
登場し、単位積載量あたりのコストを大きく下げている。

鉄道の場合、貨車連結組み換えのためのヤード方式の広大な操作場が不要になった。
北米大陸では、海上コンテナを2段積みにした車両を100両程度引っ張る貨物列車が大平原を走り抜ける。
そのおかげで、自動車大国の米国でも、陸上輸送における鉄道利用の割合は極めて大きい。
日本の鉄道の場合は、線路幅が狭く、米国のような大規模コンテナ列車は不可能だが、
JR貨物の車扱い貨物が年々減少する中で、コンテナ貨物は少しづつ増えている。
トラックに頼っていた陸上長距離輸送では、
長距離部分を鉄道や船舶に任せるモーダルシフトが実現可能となる。

一部で実現しているが、コンテナ毎にICカードをつけて、運送状況を把握管理することも可能だ。
出発地点から到着地点までの最適区間や手段を自動で決定し、配送するシステムを
世界レベルのネットワークで構築することだって考えられる。
さらに集配拠点施設の自動化、ロボット化も進めるべきだ。
宅配便の集配と同じレベルのシステム化をコンテナ輸送で構築して欲しい。
トラックが港で自分の荷物が降ろされるのを待つロスを完全になくして欲しい。

また、狭軌鉄道や、山岳用ナローゲージ、軽自動車向けの
小さなコンテナの規格もあっていいと思う。