学校の社会科授業で三権分立の原理を教わる。
権力を一箇所に集中すると恣意的な権力乱用に繋がるので、
互いをけん制できる3つの機関に分割するというアイディアだ。
ジョン・ロックやモンテスキューなどによって唱えられたアイディアで、
司法、立法、行政の3つを頂点とする三角形の図式で示される。
一方、江戸時代以前の日本史には、こんなアイディアは生まれない。
江戸時代には、支配とは裁判を行うことが主な仕事と考えられたふしがある。
明治になって、司法権を裁判所が受け持つようになった当初、
各県の行政担当者は、大いに不満だったらしい。
裁判しないで、どうやって人民を指導できるのか? と。
町奉行所も代官所も、徴税と裁判と警察業務を全部兼ねていた。
江戸町奉行所の資料を見ると、裁判案件の長期化が課題になっていたらしい。
時代劇のようにスパッと判決がでたわけではないらしい。
民事訴訟は当事者間で解決しろという「相対済し令」が出るぐらいだから、
訴訟案件が多すぎて、処理できず、長期化を招いていたわけだ。
権力の分散アイディアそのものは、アジア諸国でも生まれていた。
王朝時代の中国では、地方へ派遣する官吏を民政と軍事と監察の3つに分けることがあった。
江戸幕府の職制では交代制が多い。
老中とか町奉行は定員が複数で、月番で通常業務をこなす。
これらは、権力の分割というより、官僚の暴走を防ぐためのものだろう。
近代になって西洋から三権分立の原理を学んで、これは良いと考えられ、
ほとんどの国で、導入される。
(少なくとも形式上は)
ところで、本当に三権分立って、最善の権力構造なのだろうか?
行政の肥大化ということが、よく言われる。
行政部門の担当する業務が圧倒的に拡大しているわけだ。
行政組織内部も、結構、首相や知事の命令なしで動く独立部門が存在したりする。
仮に行政の長が不在でも、組織は動いたりする。
それに権力作用として立法/司法/行政を完全に区別できるのかどうかも疑問に感じる。
では、どんな権力構造がありえるか?
ノルトはときどき思案することがある。
解答は出ていないが・・。
権力を一箇所に集中すると恣意的な権力乱用に繋がるので、
互いをけん制できる3つの機関に分割するというアイディアだ。
ジョン・ロックやモンテスキューなどによって唱えられたアイディアで、
司法、立法、行政の3つを頂点とする三角形の図式で示される。
一方、江戸時代以前の日本史には、こんなアイディアは生まれない。
江戸時代には、支配とは裁判を行うことが主な仕事と考えられたふしがある。
明治になって、司法権を裁判所が受け持つようになった当初、
各県の行政担当者は、大いに不満だったらしい。
裁判しないで、どうやって人民を指導できるのか? と。
町奉行所も代官所も、徴税と裁判と警察業務を全部兼ねていた。
江戸町奉行所の資料を見ると、裁判案件の長期化が課題になっていたらしい。
時代劇のようにスパッと判決がでたわけではないらしい。
民事訴訟は当事者間で解決しろという「相対済し令」が出るぐらいだから、
訴訟案件が多すぎて、処理できず、長期化を招いていたわけだ。
権力の分散アイディアそのものは、アジア諸国でも生まれていた。
王朝時代の中国では、地方へ派遣する官吏を民政と軍事と監察の3つに分けることがあった。
江戸幕府の職制では交代制が多い。
老中とか町奉行は定員が複数で、月番で通常業務をこなす。
これらは、権力の分割というより、官僚の暴走を防ぐためのものだろう。
近代になって西洋から三権分立の原理を学んで、これは良いと考えられ、
ほとんどの国で、導入される。
(少なくとも形式上は)
ところで、本当に三権分立って、最善の権力構造なのだろうか?
行政の肥大化ということが、よく言われる。
行政部門の担当する業務が圧倒的に拡大しているわけだ。
行政組織内部も、結構、首相や知事の命令なしで動く独立部門が存在したりする。
仮に行政の長が不在でも、組織は動いたりする。
それに権力作用として立法/司法/行政を完全に区別できるのかどうかも疑問に感じる。
では、どんな権力構造がありえるか?
ノルトはときどき思案することがある。
解答は出ていないが・・。