良い子の歴史博物館

訪れたことのある博物館、歴史上の人物、交通機関についての感想、小論など。

藤村新一

2005年10月31日 | 人物
以前から感じているのだが、歴史教科書に原人なんか書かなくていいんじゃないかと思う。
出土するものは極めて限定されており、ほんのわずかのかけらでしかないことが多く、どうにでも解釈できるものが多い。
「◎◎原人」の想像図が教科書に掲載されることがあるが、はっきり言って創作に過ぎない。
しかも学者たちの間で論争となっているものが多く、とても真面目に学ぶ価値があるとは思えない。
石器時代」という概念自体が、19世紀の学者の提唱で始まったものだが、何の根拠も無いまま一人歩きして育っているのではないか?

小学生の頃、図書館で見た本の中に、白人、黒人、黄色人種のそれぞれが、どの「猿人」-「原人」の系統から生まれてきたかを示す樹木図を見たことがある。
小学生だったが、この図の欺瞞性に気がついた。
それぞれの人種が違う「猿」の系統から出たなら、もっと人種間に違いがあるんじゃないか!?と。

旧石器遺跡捏造事件の中心人物である藤村新一とその取り巻きグループも、自分たちの「発見」したものについての創作に必死だった。
悪いことに「権威」ある学者たちが、彼らの支持者となった。

極めて幸いなことに、毎日新聞社のスクープのおかげで、彼らのでたらめさが明るみになった。
世間の考古学への信頼が落ちたのも当然だが、ノルトは、以前から一部の考古学に不信を感じている。
あまりにも、根拠薄弱な想像で語られる学説が多いからだ。

自分たちの学説に合致する、ほんのわずかな出土品を大きく取り上げ、
「極めて貴重な発見」とかいうコメントが付く。
だが、その他の膨大な数の出土品を無視していたりする。
各種の年代測定法だが、大抵、幾つものパラメータを仮定して、
それが正しいという前提で計算される。
実際のところ、絶対確実なものはない。
結局は、このぐらいの古さにすれば、辻褄が合うから、ということで、
年代発表となっているのではないか?

藤村新一の事件は、ある程度、こうした考古学のいい加減さを知らしめるものとなったという点で、役立ったと思う。

スペースシャトル

2005年10月04日 | 交通機関
スペースシャトルと国際宇宙ステーション(ISS)建設についてNASAのグリフィン長官が「誤りだった」と表明したそうだ。

ことに過去30年にわたって米国宇宙開発の中心であったスペースシャトルを「失敗」と断じたわけだ。
グリフィン長官は議会でも同様の発言をしたことがある。

スペースシャトルに見習い、旧ソ連でブランを開発しようとした。
これからの宇宙への乗り物は、有翼の往復可能な宇宙船になるに違いないと思わせた。

だが、様々な構造的欠陥から、スペースシャトル計画は順調には進まなかった。
「NASA有人月探査復帰に対して」と題するブログによれば、
「再利用型有翼宇宙船は、宇宙を飛ぶ飛行体として無駄が多い」そうだ。

NASAは新たなシャトルも計画しているとの報道もあるので、断定はできないが、
かなりの軌道修正を進めようとしているのだろう。

一度、イメージされた新技術デザインから抜け出すことの難しさがある。
優れた世界最高の技術者集団で成るNASAですら、固定概念から抜け出し、
軌道修正するのに時間がかかったのかもね。