良い子の歴史博物館

訪れたことのある博物館、歴史上の人物、交通機関についての感想、小論など。

モノレール

2005年03月28日 | 交通機関
子供の頃に見た絵本の中に未来の乗り物として、モノレールが描かれていた。
あの頃は、鉄道が廃れて、みんなモノレールになるものと思っていた。

大都市空間の空中を縫うように高架レールが張り巡らされ、
音も静かに、スマートに行き交う乗り物のイメージがあった。

年月は過ぎ、今になってみると、モノレールは、それほど発展していない。

一応、日本は世界有数のモノレール大国である。
おそらく営業キロ数は世界最長を誇るのではないか?

意外なことにモノレールの歴史は古く、19世紀初めには発明されていた。
1888年にはアイルランドで蒸気機関車使用の旅客貨物両用の営業が行われている。
ドイツでは20世紀初めに営業開始した電気式のものが、現在も動いているそうだ。

モノレールの安全性は高く、本格営業開始から百年近く死傷者0を誇る。
残念ながら、数年前にドイツで、死亡事故が発生してしまい、安全神話が崩壊した。
それでもモノレールの構造上、脱線、転覆はありえないし、
極めて安全性の高い乗り物であることは変わりないと思う。

営業的に最も成功を収めたのが日本である。
空港アクセス用として東京や大阪で活躍中なものは、モノレールとしては、
世界で長距離路線として知られる。

大船・江ノ島間の湘南モノレールの評判は高く、世界のモノレール愛好家に知られる。
豪快なスピード感、上り下りや曲線が多く、トンネルもくぐる。
単なる観光用ではなく、地元の住民の足として定着していることも
他のモノレールとは一味違う。
最新のものは、安全を重視するためか、加減速がのんびりで、イライラするが、
湘南モノレールは爽快だ。

世界のモノレールについてはThe MONORAIL society(英文)が詳しい。

モノレールの構造を大きく分けると、跨座 (こざ) 式,懸垂式があるとされる。
跨座式は上からレールをまたいで挟む形式で、懸垂式はレールからつるされる形のものだ。
考案されているものは他にもいろいろある。
System21 1/4モデルは、
横にレールがあって、1本のレールで上下線を構成できるものらしい。
何型と言えばいいのだろう?

モノレールの利点はたくさんある。
・安全性
・比較的省スペース
・タイヤを使う場合、静粛性
  (以前、向ヶ丘遊園地に向かう路線があったが、
   あれは鉄レールを使用し、うるさかったなぁ)
・勾配に強い
・悪天候に強い
・眺望抜群
・地下鉄に比べれば、建設費が安い
・専有高架レールが前提なので、踏切がない。

モノレールは見た目のかっこよさで、子供たちをひきつける。
私もその一人だった。

しかし、実際のところ普及の程度は低いままだ。
廃線になってしまったところも多い。
ひどいのは、大船のドリームランド線だ。
営業開始後1年で、設計ミスが発覚し、運行中止、そのまま廃線になってしまう。

モノレールの欠点として、
・輸送力が小さい
・その割にはコストが高い
ことに尽きる。

東京モノレールは、京浜急行との競争に負け、JR東日本に身売りした。
モノレール以外にも、日本では各種の新交通システムがもてはやされた。

結局のところ、モノレールもその他の新交通システムも、中途半端な存在だ。
輸送力では通常の鉄道に劣り、コストではバスに劣る。

林業や傾斜地農業、山岳地帯の工事や貨物用として、
小型のモノレールは使われるだろう。

テーマパーク用、観光用に特化した場合を除いて、
都市交通としては、モノレールには限界がありそうだ。

【 System21参考】
  System21System21 プラットフォーム
  高架路線の影の違い
  ポイント切り替え

【日本のモノレールについての参考】
  日本モノレール協会

リニアモーターカー

2005年03月26日 | 交通機関
日本における磁気浮上式高速鉄道の本格的な研究開発は1960年代から始まる。
旧国鉄、そして鉄道総合研究所(JR総研)が中心となっている。
既に40年以上の研究が続いているわけだ。
残念ながら、実用化に至ってない。

JRとは別に、日本航空が独自に開発をしたのが、HSSTと呼ばれるシステムで、
こちらは愛・地球博の交通機関として、本格的な営業運転を開始している。

JRの方が超伝導で磁気反発式、HSSTの方が常伝導の磁気吸引式という違いがある。
HSSTは都市交通向け、JRマグレブは本格的高速幹線向けという位置づけになる。

数年前にアメリカの技術者の論文を読んだことがある。
それには磁気浮上式高速鉄道が発展する見込みはないという結論が出ていた。
せいぜいテーマパークの呼び物程度の利用でとどまるであろうと予言していた。
そして磁気浮上式高速鉄道の持つ重大な欠点が列挙されていた。
記憶があいまいで、英文だったので、
今ここで、その具体的な内容を正確に列挙できないのが残念だ。

それまで読んだことのある日本語資料は
リニアモーターカーの優位性を強調するものばかりだった。
多くは
・鉄輪での摩擦力の限界がないので、時速500キロを超えることができる。
・静粛性
・省エネ性
・安全性
などを歌い上げている。

この中の省エネ性に関して、大きな疑問が書いてあったように思う。
あるいはコスト面での問題だったのかもしれない。
ともかく、重大な欠点をズバズバと挙げていたのが新鮮に感じたことを覚えている。
(内容を忘れても、感じたことは覚えているものだなぁ)

リニアモーターカーの実情はどうなのだろうか?

上海のリニアに関しては、様々な問題が発生していることが報じられている。
そのためか、中国高速鉄道の建設計画では、リニアではなく鉄輪方式が採用されそうだ。
新技術のための初期不良という側面もあるだろう。
今後改善されていくのかどうかは、わからない。

日本のマグレブに関しては、中央新幹線計画が凍結状態になったままだ。
実用化からは、程遠い。
もし、すぐにでも実用化できるものなら、中国高速鉄道への売り込みは、
従来型新幹線ではなく、リニアで売り込んだはずだ。
長年の研究のおかげで、幾つもの技術的問題は解決済みという話も聞くが、
実際のところ、どうなのだろう?

HSSTに関しては、愛・地球博の乗客をさばくだけの輸送力が
確保できていないことが明るみになっている。

鉄道の利点は、大量輸送力にある。
だが、リニアモーターカーはHSSTもマグレブにしろ、輸送力に疑問符が付く。
中央新幹線計画でも、この点を指摘する鉄道ライターの本を読んだことがある。

そもそも、時速500キロを超える物体を地上で走らせるのは
“暴力的”な気がしてきた。
何しろ、1気圧の空間の中を叩き割ってぶっ飛ばすわけだ。
飛行機なら、気圧の低い高空を飛ぶ。
もしかして、磁気浮上式高速鉄道って、飛行機よりもエネルギーを食うんじゃない?

もし、あのアメリカ人技術者の論文が見込み違いなら、
既にあちこちにリニアモーターカーが走っていて、
鉄輪鉄道が消滅しても良いはずなのに。

あの不吉な予言が当たるかどうか?
私の子供の頃から、リニアモーターカーの夢が語られていたが、
現在も幻、ようやく、博覧会の玩具程度になった程度なんだよねぇ。

話は変わるが、浮上しないものの、
リニアモーターで推進する鉄道は営業運転されている。
東京の都営大江戸線、大阪の地下鉄長堀鶴見緑地線、
神戸市営地下鉄海岸線、福岡市営地下鉄七隈線などだ。

どうも、こちらのリニアも省エネ性では劣るらしい。

従来型モーターが長年研究され、進歩したのに比べて、
リニアモーターは発展途上だ。
プレートとリニアモーターとの間隙が最適位置に一定でないと、
効率が悪くなるわけだが、
車体は揺れるもので、一定になりえない。

リニアモーターという言葉で、夢の技術だから薔薇色だと錯覚してはいけない。

モーリス・デュプレシ

2005年03月15日 | 人物
歴史の中で、あるいは今も、「おっかない独裁者」というのがよく登場するものです。
ヒトラーとか、スターリンとか、金正日とか、・・・。
この種の独裁者は国家レベルだけではありません。
実は地方政治においても登場することがあります。

その代表として、カナダ・ケベック州のモーリス・デュプレシ州首相を紹介します。

まずカナダの政治制度を説明しますと、連邦に英国から派遣される総督がおり、
各州に副総督がいて、英国女王の代理となります。
総督、副総督は名目的存在で、実際の政治は連邦では連邦議会(2院制)が指名する首相、
州では州議会(1院制)が指名する首相が行います。
州政府は州首相を中心とした内閣によって構成されます。
地方政府も議員内閣制というのが特徴です。

デュプレシは1936年から1960年までの長期にわたって、
(途中中断があるものの)ケベック州の首相として君臨した独裁者でした。
その権力を支えたのはローマ・カトリック教会でした。

ケベック州に住む人たちはフランス系移民が大半を占めます。
公用語もフランス語です。
カナダの他州がアングロ・サクソン系の英語を話すのとは異色の存在と言えます。

さらにケベックが異色なのは、まるで中世ヨーロッパ社会みたいなのが残っていたことです。
教会が人々の生活を支配していました。
村人は日曜毎に礼拝を行い、司祭から教えられることは絶対の真理でした。
教会以外の情報源をほとんど持たなかったのです。

フランス本国では、すっかり近代化が進み、教会の権力が低下していたのに、
移民先のケベックでは20世紀に入っても、同じ状態だったわけです。

最初、ケベックはフランスの植民地でした。
絶対王政時代のフランス社会がそのままケベックに移植されたようなものでした。
カトリック教会が政治経済教育文化の全てにおいて中心となります。
後に英国が勢力を伸ばし、ケベックを支配下に置きます。
その後、フランスでは革命が起きて、社会が大きく変化しました。
アメリカ大陸でも独立革命が発生し、英国はカナダにも影響が及ぶことを恐れます。
英国はケベックの変化を望みませんでした。
そこで、英国を支持する条件で、
ケベックの支配権をそのままカトリック教会に委ねることにしたわけです。
ケベックはフランス革命、アメリカ独立革命,そして産業革命などの影響を受けなかったのです。
18世紀農耕社会の遺物が残されました。

実に300年、カトリック教会がケベックに君臨していました。
官庁、教育機関、企業、報道機関、家庭をも支配します。
あらゆる自由主義あるいは教権反対の思想を排斥するのが教会の方針でした。

デュプレシは熱心なカトリック教徒でした。
カトリックの支配権を何よりも大事にします。
カトリック教会は全面的に、デュプレシ政権を支持します。
説教壇から、デュプレシの政党に投票するように人々に呼びかけられました。
司祭が教えることは、全て正しいと信じられています。
デュプレシを褒め称えるお説教を、素朴な人々は受け入れました。

デュプレシは自由を嫌悪しました。
司教たちは,フランスで果たせなかったキリスト教国家建設をケベックでやろうとします。
両者は中世的な捕らわれから解放するものとなる教育や進歩を抑圧することに躍起でした。
ケベックの住民を圧制的な教会‐国家支配に服させることを理想としたのです。
政治と宗教の融合によって、デュプレシの長期独裁が可能となりました。

社会の発展が遅れたおかげで、ケベックには世界遺産の街並みが残るという利点があります。
できれば、そのまま博物館に保存したくなるような封建的社会です。

しかし、否応無く20世紀の文化が、ケベックにも入り込みます。
最大の変化はテレビだったと思います。
テレビで、ケベック以外の世界の様子を映像で見ることができます。
ケベックの人々は自分たちが遅れていることを知ります。
若い世代が、次第に不満を募らせることになります。
変化を求めるようになったのです。

独裁者デュプレシの死が、きっかけとなって、
変化を求める内部圧力が爆発しました。

「静かな革命」の始まりです。
州政権の交代と共に、教育と宗教の分離、技術教育の導入など一連の改革が実行されます。
マスコミはカトリック教会に不利な情報も報道できるようになります。
カトリックの影響が著しく低下していきました。

現在のケベックはすっかり近代化された社会となっているそうです。
観光地として、日本人に人気がある場所ともなっています。
(行ってみたいよう・・・)

それにしても、一人の支配者の死が大きな変化を及ぼすことが、あるんですねぇ。

フレデリック・フォーサイス

2005年03月12日 | 人物
フレデリック・フォーサイスの小説『ジャッカルの日』を読んだのは20年ぐらい前だと思う。
読み応えのある内容だった。

フォーサイスはジャーナリストとしての経験から、
歴史の表舞台に登場しない「裏の世界」についての情報に通じていた。
『ジャッカルの日』も、どこまでが本当で、どこからがフィクションなのか、よくわからない。
欧米諸国の各諜報機関の内情とか、テロ組織や犯罪組織の動向とか、
国際政治の闇の部分などを実にリアルに描く。

この小説はフランスのド・ゴール大統領暗殺未遂事件を背景にしている。

第二次世界大戦後のフランスの政治は混乱し、植民地政策を巡って国論が割れていた。

第一次インドシナ戦争では、ディエンビエンフーの戦いでフランス軍が敗北し、インドシナ半島から撤退する。
その他の植民地も手放していった。

だが、アルジェリアは、なかなか手放そうとしなかった。

アルジェリアでは、民族解放戦線(FLN)が中心となって、激しい独立闘争が続く。
アルジェリア戦争である。

FLNは爆弾テロ攻撃などを強化し、商店や学校などが襲われた。
プラスティック爆弾があらゆる場所に仕掛けられた。
数多くの民間人が犠牲となる。
これにに対し、フランスは徹底的な掃討作戦で、これを鎮圧しようとした。
これまた、残虐非道なもので、テロ組織を支援した疑いのある村の村民虐殺が行われる。
フランス側の犠牲者は約10万人、アルジェリア側は100万人以上の死者を出したと思われる。
想像を絶する血生臭い戦いであった。

フランスの過酷な弾圧に対し、国際世論はアルジェリアに同情的だった。
フランス国内の世論も大半は、犠牲の大きさを嫌い、アルジェリア独立を認める方向へ進む。
もはや植民地を維持することは、割に合わない時代になったのだ。

しかし、数多くの犠牲を出した軍部や極右勢力、アルジェリア在住フランス人たちが、
強硬に反対した。
そして、アルジェリア独立反対派による反乱が起きて、第4次共和制が崩壊する。
反乱勢力は、第二次世界大戦のレジスタンスの英雄であるド・ゴールを政府首班に担ぎ出す。
こうして、ド・ゴール政権が誕生する。

ド・ゴールは着々と政権基盤を固め、大統領権限を強化した第5次共和制で大統領となる。
これで、フランスはアルジェリアを手放すことはなくなるはずだ!

ところが、ド・ゴールは極めて現実的な人物だった。
さっさとアルジェリアの自治を認め、テロ組織FLNとの交渉を進める。
アルジェリアはフランスの重荷でしかないことを、ド・ゴールは熟知していたのだ。

極右勢力にとって、ド・ゴールは裏切り者だった。
何が何でもド・ゴールを倒さねばならない。
幾度と無く反乱や大統領への暗殺未遂が続いた。

ここまでは史実である。
ジャッカルの日の解説なども参考になるだろう。
こうした背景に暗殺のプロフェッショナル“ジャッカル”が登場する。
ここからが、小説の世界、少なくとも表の歴史に載らない話となる。

極右勢力が組織した秘密軍事組織は、ド・ゴールを消すために、
政治暗殺のプロを雇うことにする。

この殺し屋は、単なるマフィアの手先程度とは違う。
法外な報酬を要求するが、仕事は完璧に果たす。
恐るべき殺しのプロフェッショナルだ。

殺し屋“ジャッカル”に接触を試みると、
それを“ジャッカル”は、察知する。
極右組織の情報や暗殺目的、暗殺対象を徹底的に調査する。
極右組織に余り金がないことも承知だ。
“ジャッカル”は金を作る方法として、銀行強盗を勧める。
一斉に各地で銀行強盗が頻発するようになった。
“ジャッカル”への報酬を払う金を作るためだ。

“ジャッカル”はド・ゴール個人の情報も徹底的に調査する。
ド・ゴール本人が暗殺者に狙われていることを知っていても、
絶対に欠かすことのできない式典があることを“ジャッカル”は把握する。
暗殺のプロはまるで心理学者のように、ターゲットを知り抜くのだ。

暗殺計画の存在は、やがてフランス諜報機関の知ることとなった。
この諜報機関というのも、平気で人を拷問にかける。

フランス政府は対策を思案した挙句、一人の優秀な刑事に全権を委ねた。
刑事は“ジャッカル”との対決のために、政府の全ての資源を活用できる。

小説はこの刑事と“ジャッカル”の対決というストーリーになってくる。

フランス政府に計画が露見したことを“ジャッカル”は知る。
極右組織は女性メンバーを政府高官の愛人として送り込んでいたために
“ジャッカル”に政府内部情報は筒抜けだったのだ。

この女性メンバーの気持ちが面白い。
解放勢力に弟を虐殺された恨みに生きる女だ。
なんか極右組織を応援したくなる。

“ジャッカル”は暗殺計画を中止しない。
追っ手をかわしながら、パリに入る。

波乱万丈、お色気を混ぜながら、“ジャッカル”と刑事の対決が進む。
両者は闘争しながらも、相手のプロとしての実力を尊敬しあう。

最後に銃弾がド・ゴールの脇をかすめるが、
刑事が“ジャッカル”を倒す。
“ジャッカル”の死を刑事だけが惜しむ。

こんな殺し屋が実在したのかどうかは知らない。

フォーサイスは、『ジャッカルの日』をベストセラーにした後、
アフリカの傭兵を描いた『戦争の犬たち』でも有名になった。
ところが、後にフォーサイス自身が傭兵を使って、
アフリカの国の政府転覆計画を推進していたことが明らかになった。
この政府転覆は失敗に終わるが、この経験が『戦争の犬たち』に生かされる。

全く、どこまでが事実で、どこからがフィクションか、わからないものを書く作家だ。
それも現代史の闇の部分を扱う点で、興味深い。

ジュール・ヴェルヌ

2005年03月07日 | 人物
一般にSF作家の始まりはフランスのジュール・ヴェルヌと英国のH・G・ウェルズだとされている。

このうちヴェルヌの作品は、私が小学生時代に夢中になって読んだものだった。
当時、日本語で翻訳され、出版されたものは全部読んだと思う。
大型書店に出かけて、入手の難しいものまで探した記憶がある。

ざっと作品を挙げてみると、
『月世界旅行』
『八十日間世界一周』
『十五少年漂流記』
『気球に乗って五週間』
『海底二万里』
『八十日間世界一周』
『皇帝の密使』
『黒いダイヤモンド』
『悪魔の発明』
『砂漠の秘密都市』
『地底旅行』
等・・・・。
他にも、たくさん読んだと思うが、タイトルが思い出せない。
どんな内容だったのかも、すっかり忘れてしまった。

恐らく世界中の男の子を夢中にさせていたのではないか?
フランス文学で、最も翻訳されているのがヴェルヌ作品だと聞いた。
読者数も圧倒的に多いと思う。

ヴェルヌは19世紀半ばから、19世紀末まで、次々と少年向け小説を生み出した。
「既知および未知の世界への驚異の旅」シリーズとして、刊行し、全てベストセラーになった。

19世紀後半の西洋諸国は世界中に進出して、次々と植民地化していた。
帝国主義時代に入ったのである。
少年たちは各地への冒険、征服物語を聞いて、胸を躍らせていたのだ。

科学の発達も進んでいた。
科学の力は、さらに未知の世界へと少年たちに夢を与えようとしていたのだ。

ヴェルヌの作品の背景には、このような時代の空気に満ちている。

ヴェルヌは19世紀の科学知識を元に、宇宙旅行、潜水艦、ヘリコプター、空調設備、
誘導ミサイル、映画、大量破壊兵器などの出現を予言している。

しかも世界中のヴェルヌの作品を読んだ多くの男の子たちが、
大人になって、科学者になった。
例えば、宇宙ロケットの開発の影にヴェルヌ作品の影響があるのは間違いない。

以前、NHK番組で『悪魔の発明』で登場する特殊爆弾の仕組みの
“連鎖反応”の説明を読んだ物理学者が、そこからヒントを得て、
核分裂エネルギーの応用に役立てた話があった。

ヴェルヌは現代史を動かしたのだ。

ところが、高校時代の世界史教科書に、ヴェルヌについての記述がない!
何でだ?

その代わり、19世紀の文学として、
古典主義のゲーテやシラー、
ロマン主義のバイロンやユーゴー、ハイネ・・・
写実主義、自然主義のバルザックやスタンダール、ドストエフスキー、モーパッサン、・・・
などが載っていた。
世界史試験に出るので、作者名と作品名を覚えなくてはならない。
だが、私は世界史教科書に載っている文学作品をどれも読んだことがなかった。

読んだことがあるのは、ヴェルヌのSFとか、
モーリス・ルブランの『怪盗ルパン』とか、
デュマの『三銃士』、『モンテ・クリスト伯』などだ。

だが、SFや推理小説、歴史小説は“大衆娯楽”として、価値が低いらしい。
卑しくも“文学”と名乗るには、○○○主義の系統に属する、
“高等”な作品でなければならないらしい。

ちょっと待て!!
歴史家は文学者ではないぞ!
価値の高い文学は、どうでも良いのではないか?
文化史で取り上げるべきは、
 ・多くの人々に影響を与えた
 ・現代でも影響がある
ものではないのか?

なるほど、ヴェルヌの作品は「人間を描く」点では、お世辞にも、傑作とは言いかねる。
特に作品中に登場する女性は、とても現実的ではないし、心理描写も深くない。
“文学的”に価値が低いことに、私だって同意する。

しかし“歴史的”には、どんなフランス文学よりも“価値”があると信じる。

セスナ

2005年03月04日 | 交通機関
セスナ社は軽飛行機の代名詞になるまでに
ポピュラーな小型飛行機を生産している。
特にセスナ172スカイホークは、最も売れ、世界中で飛んでいる。

セスナ社はクライド・セスナという人が創設した。

クライドは1911年に自作の飛行機を飛ばしたパイロットでもある。
曲技飛行に影響されて自ら単葉機を作って、地方巡回飛行をしたらしい。
1927年に会社を創設した。
クライドはファミリー向け飛行機にこだわったらしい。
だが、たちまち大恐慌に見舞われ、倒産寸前で一時解散する。
後に甥のドゥエイン・ウォレスが会社を再建する。

複座の120型単発機(85馬力)は2000機販売し、ヒットする。
140型機はエンジン出力を90馬力に増やして約5,000機売れた。
150型機は77年までの20年間で約2万4,000機も売れる。

4人乗り軽飛行機として、1948年に170型機(145馬力)の生産を開始した。
これも8年間で5,000機余りが製造される。
172型スカイホークは160馬力にエンジン性能を上げたものだ。
78年末までに3万機以上が生産された。

セスナ社は、人々に軽飛行機の楽しさと、簡便さをメディアを活用して、宣伝する。
飛行機の操縦は車を運転するのと、ほとんど変わらないとアピールしたのだ。

さらにパイロットスクールを開いて、比較的簡単に操縦技術を学べるようにした。

戦後、日本に輸入された軽飛行機は圧倒的にセスナ機が多かった。
このため、他のメーカーの軽飛行機まで“セスナ機”と呼ぶこともある。

“本家”セスナ機は、胴体の上部に主翼がある。
他社の軽飛行機の大部分は胴体の下部に主翼があるので、区別しやすい。

私自身は乗ったことがないので、よくわからないが、
主翼の位置によって、景色の見やすさが違うのではないか?
航空写真を撮るには、下側に翼がない方が良い気がする。

順調に売上を伸ばしたセスナ機だが、
1980年代は事故や欠陥のために訴訟問題が発生する。
とうとう、ついに生産中止になってしまった。
製造が再開されるまで、10年かかった。

現在は、ビジネスジェットがセスナ社の主力商品になっているらしい。

それでも確かな技術と優れたコンセプトのために、技術面で古くても、
セスナの軽飛行機は幾多の障害を乗り越え、今でも売れ続ける。

ロバ

2005年03月02日 | 交通機関
家畜としてのロバは日本ではなじみが薄い。
動物園では、野生の野ロバが中心だ。

ホームページを検索したら、
奈良のロバ君清瀬ろば倶楽部ロバの部屋 などがヒットした。
日本は極端にロバの少ない国なのだろう。

だが、中東、ヨーロッパ、中国に至るまでの広い地域で、
歴史を通じて、陸上輸送の多くを担ってきたのが、ロバ君である。

性質はいたって、おとなしく、女子供でも扱える。
小さい学童が数頭のロバを連れて行くことだってできる。
わずかの干し草、少量の水で、耐えることができる。
体重の割には重い荷物を運ぶ。
悪路を歩くことができるので、山岳地帯で重宝された。

面白いのは野生のロバは決して人間になつかない。
野ロバを飼いならすことは不可能と考えられる。

ロバは馬鹿という、とんでもない誤解がある。
知能的には馬より賢いと考えられている。
一度通った道順を忘れない。
荷車に乗った乗り手は居眠りをしても、ロバが目的地に運んでくれる。
小学校に通う児童は荷車の中で宿題をしている間に、ロバが学校まで引っ張ってくれた。
これほど安全な乗り物があるだろうか?

ロバは頑固という誤解もある。
気に入らないことがあると、全く動かなくなるからだ。
背中の荷物がずれているとか、歩くのに何らかの問題があると、動こうとしなくなる。
頑固といえば頑固である。
しかし、ちゃんと理由があっての頑固さなのだ。
理由を理解して、問題を除いてやると、再び従順になる。
安全装置の感度が極めて鋭敏なので、それだけ安全性が高いのではないか?

古くから、飼育されており、聖書には頻繁に登場する。
馬は軍事用だが、ロバは平和の象徴とされていた。
イスラエルの王は即位時にロバに乗るとされる。
ソロモンもロバに乗った。
これに倣い、キリストもロバに乗ってエルサレムに入城したことで有名である。
中東地域では、どんな貧乏な家庭でも、ロバだけは所有できたと思われる。

実際には、古代ペルシャのように、軍事物資輸送用として、ロバ部隊が存在することがあった。
中国では近年まで重要な役割を果たし(今でも地方では重要だ)、
毛沢東に率いられた長征もロバがいたから成功したのだ。
しかし、のんびりした歩き方、温和な性格は平和そのものと言えるだろう。

大型の馬に比べると、積載量は高くないし、スピードも遅い。
食用や毛皮としての利用は、あまり聞かない。
乳は栄養があると言われ、ロバの乳を入れて入浴すると美容に良いとされるが、
実際に利用することは、あまりなかった。
運搬用としてのみの価値で飼われたのだろう。
しかし、経済的で、頑丈で、安全で、しかも可愛い。

近所の入場料無料の小さな動物園にロバが2頭ほどいる。
柵越しに背中をなでろと言わんばかりに近寄ってくる。
耳が長くて、つぶらな瞳で、本当に可愛い。
家畜のロバは人間が大好きだ。

残念ながら、日本では定着しなかった。
本当に残念だ。