セントラル豊橋FCジュニアユース 

セントラル豊橋FCジュニアユースの情報です

二年生の食育セミナーに寄せて その1

2017-01-21 16:36:46 | 日記
小林祐希、磐田時代に実感した食の大切さ

朝食を摂り始め、今ではけがとも無縁に
負傷続きで1試合の出場にとどまった13年シーズン



13年シーズン、小林祐希は期待されながらも負傷続きで、1試合の出場にとどまった。

 2013年6月、ジュビロ磐田の監督に就いた関塚隆との面接で、小林祐希はこう言われたのだという。

「俺以外のコーチングスタッフ、メディカルスタッフ、チームメート、サポーターを認めさせて、『小林祐希が必要だ』という声が上がったら、俺は使う。それまで、俺はお前を使う気はない」

 ちょうどこの時期、小林はメスト・エジルのプレーを見て、パス・アンド・ゴーの動きを欠かさなくなり、味方を生かすことで自分も生きる動きのインスピレーションを得る。練習試合でゴールやアシストをして調子が良かった。チームは残留争いをしており、フレッシュな戦力を必要としていた。

 関塚監督は「祐希、来週いくか。お前はすごくプレーがよくなってきている。周りもお前を認め始めている」と小林に告げた。血気盛んな21歳のMFのテンションは上がった。しかし、無情にも練習中に小林は左ハムストリングの肉離れを起こしてしまう。その日を今でも小林は「2013年10月3日」と鮮明に覚えている。

「祐希、早く治せ」。関塚監督は小林の復帰に期待した。だが、2週間後に練習復帰すると、また同じ箇所を痛めてしまった。負の連鎖は続く。3週間後に練習に復帰すると、今度は右ハムストリングを痛めた。1週間後にも同箇所を負傷し、小林祐希の13年シーズンは終わる。この年、小林のJ1出場はわずか1試合にとどまった。
根本的に自分自身を変えようと決意

 小林は「クラブのメディカルに問題がある」と疑っていた。しかし、「14年になった時に、これはもう本当にやばい。本当はジュビロからレンタル移籍しようと思っていた。(東京)ヴェルディに帰ろうかなとか、思ったけれど、それは甘っちょろい。それが、何かを変えようという動機になりました」と、根本的に自分自身を変えようとする意思もまた強かった。

 14年2月、鹿児島キャンプを訪れていた磐田のサポーター、鈴木稔唯さんに小林はこう尋ねた。「どこか浜松で朝ごはんをしっかり食べることのできる食堂はありませんか?」と。

「3食、しっかり食べようと思ったんです。自分は骨、関節、腱はけがをしないのに、筋肉だけそんなに切れるのはおかしいと思って、『これは食事だろう』と。俺は浜松に住んでいて、鈴木さんが浜松なのも知っていたので、知っているかもしれないと思って食堂を聞いてみたんです」

大寒波なのに

2017-01-15 09:16:44 | 日記
1月14日は全国的に大寒波。
なのに私たちは、滋賀県、静岡県の皆さまに胸を貸していただけました。
各カテゴリーで公式戦が中止されるこの日。富士山まで顔を出してくれました!
FC.Fuji、エスピロッサの皆さん、そのお友達の皆さん、有り難うございました。

豊橋解散時は大雪で、もう少し遅くなっていたら、危ういところでした(笑)

広島からのメッセージ

2017-01-09 15:36:04 | 日記
偉大な選手でも、ベンチの控えの選手に敬意を払うべきだ。

フットボールしか知らなかったら、道に迷う。

ビセンテ・デル・ボスケ(元レアルマドリー、スペイン代表監督)

オープニングの映像に、何とOG孝穂が登場!どアップで全国の指導者の方々の目に!ただ敗退直後のシーンだったのが…。

全国選手権情報2016年度その4

2017-01-09 15:20:17 | 日記
ちょっと遅れてしまいましたが、1月4日の全日本女子高校サッカー選手権大会でOG孝穂の出場する常盤木学園ですが、まさかのアディッショナルタイムに失点。3:4で敗退。全国ベスト8で終了。チーフとして全員をまとめピッチ内もピッチ外も積極的に声をかけてまとめる姿は、まさにセントラル魂そのもの。

お疲れ様、孝穂! 次のステージでも頑張れ👍

全国選手権情報2016年度その3

2017-01-04 12:36:15 | 日記
OB幹太の所属する聖和学園高校は3回戦に進出!
昨日はチャンピオンシップを制覇した青森山田高校と対戦。
昨年の同大会と同じ対戦。
日本一の技術集団でベンチ入りにこぎつけた幹太。
試合結果は0:5の完敗…

この悔しさを力に大学でも頑張れ!
よくやった、幹太!その足跡は大きい!