中学生のタッチを必死に真似し始めた小学生も、今では余裕が感じられる。中学生にチャレンジする小学生。2年生にチャレンジしない1年生。同じ学年の中での仲良し練習に、自分の力不足はなかなか感じるのは難しい。せっかくの火曜日に、何を求めて参加するのか。惰性か、言い訳か、人まねか、暇つぶしに来るくらいならば、学習だ。初めて取り組む小学生が、みるみるうちに上達するのは足らない力を自覚しているから。何となく適当にやって、できた気になっている1年生が一番伸びない。これでは3年生に通用しないと自覚ある2年生のひたむきさには、ほど遠い。まあ人にもよるが…
自分の足らないところ、未熟なタッチ。逆にできるようになったこと、洗練させたいタッチ。自分を分析して練習に向かうところ。火曜日はそういうところ。他人の後について練習しているうちは、他人は越せない。そういう子に限って、準備も片づけもグランド整備も他人の後についているだけ。目まぐるしく変わるサッカーの試合状況。秒単位で変化する状況を判断する力は、他人に頼っていては自分の力は発揮できない。日々の私生活や習慣の中で、主体的に判断する習慣。失敗から学ぶ修正力・対応力。自信はこういう積み重ねから生まれるものだと思う。
静学vs清商の120分間の死闘中、脚がつって倒れる清商選手を、静学FWが手当てする姿。みんなはどうかんじただろうか。負けられない闘いの中でも、相手を真にリスペクトできる心も普段から仲間を大切に思う習慣、環境に感謝する心構えから湧き出るもの。そして曲がったことを排除し、正面から真剣に指導する指導者の深い愛情と心意気の表れだと確信する。
自信とは雪のように、しんしんと降り積もるもの。