Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

共同通信記者ブログのライブドア騒動

2004年08月02日 11時05分38秒 | Weblog
8月2日の「週刊!木村剛」と時事通信の湯川鶴章氏のネットは新聞を殺すのかが、ともに署名で書く記者の「ニュース日記」の休止騒動を取り上げている。

この問題については、上記二つと次のブログがすぐれた論評を掲げている。
大西 宏のマーケティング・エッセンス
カトラー:katolerのマーケティング言論
あざらしサラダ

【騒動の概要】

1.騒動の震源地の署名で書く記者の「ニュース日記」は、共同通信の編集委員室が開設しているチャンネルKの中にあるコンテンツで、01年の暮れからスタート。小池新編集長と伊藤圭一記者が執筆している。
04年3月18日からは、同じ原稿をブログでも公開しており、共同のサーバにブログ機能がないためか、ライブドアの無料サービスを利用している。

2.問題の発端は、6月26日に小池新氏が執筆した記事。
ライブドアのブログに公開されている、ライブドア堀江貴文CEOのブログ社長日記が、同氏のややバブルがかった生活ぶりを書き連ねていることを指摘し、以下の批判を加えた。
もちろん、ご商売のことも書いておられるが、はっきり言って、これこそ「スノッブ」以外の何ものでもないと僕には思える。要するに「成功した青年実業家とは、こういうふうにしているものなんだよ」というやつだ。たしかに、livedoorはBlogで成功しているようだし、僕もこうした新しいメディアが広がってほしいとは思う。が、そのこととこのことは全く別だ。いかに商売がうまくいっているといっても、この程度の内容を載せて、結果的に若い人たちをだまくらかすのはちょっとどうかと思う。さらに言えば、社長の日記をトップページにシルエット入りで紹介しているというのは、一体どういう神経だろうか。
ちょっと言いすぎたかもしれないが、こういうのが鼻持ちならないというやつだ。読んでいる人たちにはぜひ言いたい。こんなのにだまくらかされていてはいけない!


3.小池新氏は翌27日にも、トラックバックに答える形で、次のようにコメントした。
web上の文章もまた、書いた人間を表す。「文章は人」だからだ。長い(ただ長いだけだが)記者経験から、僕にはそれが分かる。だから、この「社長日記」の文章を読めば、この堀江というlivedoorの社長さんの人間が読める。人間は、どんなに背伸びをしても、正体を隠そうとしたとしても、しょせん、その人間以上の文章は書けないのだ。
また、会社の戦略であろうが、書いたものレベルが低いことの言い訳にはならない。以上をトータルして、僕はこの「社長日記」の内容は「スノッブ」そのものだし、鼻持ちならないと思う。それはたぶん、この社長さんの人間自体がそうだからだ。


3.これに対し堀江氏は、29日の早朝、27日付けの自分のブログでさらりとコメントした。
そうそう、このblogへのコメントで「署名で書く記者の云々」というblogで私の日記のことが書かれているらしく見に行ってみる。なんか鼻持ちならない人間らしい>自分。こんなこと言われたのはじめてかも。感動。もっと感動したのはスノッブだといわれたこと。
また、翌28日には、
署名で書く記者の云々は私が紹介したおかげで結構話題を振りまいているようだ。blogの良いところは本音がフィルタをかけずに気軽に書けるところだね。本音ばかりだとギスギスしがちなんだけど、情報化の世の中、隠し事は外っ面だけ良くしていても、すぐにばれてしまう。外っ面がよければよいほど、裏の顔がばれたときのダメージは大きい。すべてをさらけ出せとは言わないけど、パブリックな人ほど、いろんなことを最初っからさらけ出していることは一種の保険になる。隠せば隠すほど泥沼にはまっていく。

4.6月29日になり、署名で書く記者の「ニュース日記」は集中豪雨的なコメントとトラックバックの嵐に見舞われる。
このためか、6月29日の記事を最後に、このサイトは更新停止に追い込まれた。

5.更新停止後も書きこみやトラックバックを制限していないため、次々と新しいコメント・トラックバックがつけられている。
8月4日正午現在の状況は以下の通り。
□6月25日分 コメント   4 トラックバック  0  平常時?
■6月26日分 コメント 145 トラックバック 30  最初の記事
■6月27日分 コメント 135 トラックバック 27  2番目の記事
□6月28日分 コメント  30 トラックバック  1  他の話題
■6月29日分 コメント 376 トラックバック  8  他の話題 この日で記事掲載終了
記事の掲載された26と27、最終記事の29日に異常な書きこみがなされていることはあきらかだ。


【騒動の原因と背景】

この騒動に関するぼくの感想は、残念ながら、共同通信の小池編集長が一人相撲の末勇み足をし、桟敷席から座布団が乱れ飛んだという印象だ。
小池氏は、編集委員になってもうすぐ5年。論説委員兼務になって3年のベテラン。
ご本人によると、それまでの経歴は社会部の記者生活約17年。デスク3年のほか、警視庁3年、農水省・通産省(いずれも当時)2年、その他は遊軍(クラブ担当以外で、基本的には本社に常駐している記者)で、警視庁も「がさつ」な捜査1課3課担当。社会部の中で専門性があるとされる裁判所や文部省、厚生省(いずれも当時)、防衛庁などの経験がない。とのこと。

◆記事のクオリティ
今回の記事は、客観的な説明と説得力に欠けているといわざるを得ない。
「文章は人だからだ。長い記者経験から、僕にはそれが分かる。」というのが唯一の立証というのは、ジャーナリストとしていかがなものか。
その上で、「日記の内容はスノッブそのものだし、鼻持ちならないと思う。それはたぶん、この社長さんの人間自体がそうだからだ」とまで断じてしまっていいものなのだろうか。単なる誹謗中傷とどこが違うのだろう。

◆理由なき沈黙
29日を最後に、小池氏は沈黙の殻にこもる。なぜなのだ。
社会的な批判を受けた人や企業に、記者会見を迫るのはジャーナリストの常なる習性であり、批判を受けた以上記者会見に応じるのがその人や企業の責務ではないのか。
沈黙の理由はわからないが、報道機関としての自殺行為とは思わないのだろうか。
この不可思議な沈黙が、コメントの書き込みに拍車をかけている。
そこで理解しがたいのが、コメントの書きこみやトラックバック受信をストップせずに継続していること。

◆公私の弁別
そもそもこのサイトは共同通信としての公式なサイトなのか、小池氏と伊藤氏の個人的なサイトなのか。
チャンネルKのコンテンツである以上、企業としての情報発信であり、「署名で書く記者のニュース日記」と銘打つ以上、個人の思いを書き連ねたものだ、すなわち、共同通信としては、企業の枠組みの中で、どこまで個人のオピニオンを前面に出しうるかを検証するための実験サイトと読み取れる。
共同としての実験的トライアルだったのなら、それだけ個人の意見の出し方について、通常以上の慎重な配慮が必要だったはずだ。これでは、妬み嫉みといわれても反論できないだろう。
「社長日記」は多くの人に読まれ、ライブドアの株価にも影響を与えるブログだ。堀江氏は、会社からの公式発言とは一線を画し、堀江氏の個人的な日記の体裁をとるためにも、スノッブと評された個人生活の身辺雑事を書き連ねているのだ。このことに小池氏はなぜ気がつかないのだろう。

◆大企業、特に大マスコミへの反感
ネットコミュニティは概して大企業に冷淡である。基本的にネガティブであり、時としてアンチに転じることがある。
また、既存マスコミに注がれる視線には冷たい光が宿っている。
マスコミに対する視線は、ネットにとどまらず、一般社会でも変化してきている。
朝日新聞の論説主幹から代表取締役専務を歴任した中馬清福氏が退任後著した「新聞は生き残れるか」(岩波新書:03年)をひもといてみよう。
“新聞批判に質的な変化が起こり、重苦しいものになった、と気づいたのは九〇年代の後半、それも終わりのころだった。<中略>同じ仲間だと思っていた読者が「報道の暴力は許さない」といって、はっきりと背を向けだした。広がる一方の報道被害に原因があったことは明らかである。<中略>読者はわりあいに早くから人権問題に敏感になっていた。しかし、新聞が的確に反応したとはいえなかった。私自身、新聞は弱い市民に代わって権力と向きあってきたと信じていたし、読者もそれゆえに支持してくれていると思っていた。そこにあったのは昔ながらの〈権力〉対〈新聞(背後に市民)〉の構図だった。しかし、人権意識の高まりにつれて分かったのは、読者は「新聞イコール市民」などとは全然考えていない、ということだった。次第に〈新聞〉対〈市民〉という構図があらわになり、市民が権力といっしょになって新聞を糾弾する〈権力(背後に市民)〉対〈新聞〉という空気さえ出てきた。新聞は双方から敵視されるようになったのである”(58-59ページ)
「署名で書く記者のニュース日記」へのコメントに読み取れるのは、高い立場から啓蒙的な言辞を垂れるマスコミに対する市民的反感そのものではないだろうか。

◆身内意識の中の甘え
共同通信は、通信社という性格上、「天声人語」のようなコラムを持たない。小池氏は、ウェブやブログという場で、彼自身の「天声人語」を書きたかったのではないか。
しかし、チャンネルK中にあるコンテンツも、ブログ版も、一部の読者が読んでいるだけだったようだ。そして、その読者との間ではコメントのやり取りが存在していた。少数読者とのファミリアな空間であったことから、身内意識的な甘えが生じ、筆が滑ったのではないかと、ぼくは勝手に想像している。
一方、堀江氏のブログは多くの読者を持っている。特に株を持っている人たちの中には信者といっていい人も含まれている。
たまたま、この時期、堀江氏はいくつかの理由で注目されていた。
6月25日には、ショッピングモールサイト「livedoor デパート」のサービスを開始している。
さらに、7月3日付けで日本グローバル証券株式会社の商号を「ライブドア証券株式会社」に変更し、証券業務に名実ともに進出。
もうひとつ、6月末日にライブドア株は1株を10株に分割。
堀江氏のブログが注目されていただけでなく、YAHOO掲示板のライブドア板は、株価上昇期待で、近来にない盛り上がりを見せていたのだ。
堀江氏は自らのブログで「署名で書く記者の云々は私が紹介したおかげで結構話題を振りまいているようだ。」と書いている。
自分で反論しなくとも、さらりと事実を紹介するだけで、ネット内で急速に情報が増殖することが、堀江氏には読めていたのではないだろうか。


【増殖のメカニズム】

それでは、ほとんど読む人もいない、共同の記事が、いかにして騒動に拡大したか、その増殖のメカニズムを推理してみよう。
堀江氏が共同の記事の存在を知ったのは、社長日記へ読者が書きこんだコメントではなかったか。

2004年06月28日 03:48 
読んでいる人たちにはぜひ言いたい。
こんなのにだまくらかされていてはいけない!
・・と共同通信編集委員室の編集長さんが言っておりました
http://chk.livedoor.biz/


堀江氏は翌日これに返事を返す。
2004年06月29日 00:00
共同通信編集委員室の編集長さんのblog面白かったです。ははは。
後でblogでトラックバックしてみますわ。


そして、2004年06月29日 01:10に、27日付の日記に前掲のかきこみを行う。

「社長日記」がアップロードされて1時間少し経って、
YAHOOのライブドア板に最初の書きこみが現れる。
共同通信
2004/ 6/29 2:30
メッセージ: 250952 / 278399
投稿者: pj_site
共同通信編集委員室の編集長が「社長日記」に異議アリ!
http://chk.livedoor.biz/


これを契機に、29日以降YAHOO掲示板は共同通信ブログ問題で盛り上がりを見せた。
更にその翌30日、超弩級のニュースがさらに掲示板を盛り上げる。
近鉄バッファローズ買収問題の浮上である。
共同通信は、6月30日1時4分「ライブドアが買収の意向 プロ野球、近鉄球団を」の見出しで、このニュースをネットに流した。
ライブドアが突然注目を浴びたとき、これと足並みを揃えるかのように共同通信記者ブログのライブドア騒動も予期せぬ注目を浴びてしまったのである。
大西宏氏の「マーケティング・エッセンス」によると、アクセスの急増とコメントの殺到で、このblogは、いきなりLivedoorの総合ランキング20に登場するようになりましたが、この事件があるまえは、気の毒なくらいアクセスも少なく、私を含めた数人がコメントやトラックバックを送っているにすぎませんでした。とのこと。
その結果開設以来4ヶ月なのにアクセスカウンターは8000そこそこだった「署名で書く記者のニュース日記」は29日から30日にかけ荒れに荒れまくって2日間でアクセスカウンターが20000件ほども回ってしまったと「なんでも評点」ブログは書いている。


【残る問題】

この騒動からはさまざまな教訓が得られるだろう。
事実、方々のブログでこの問題が、多様な側面から論じられている。
ここでは3つの論点を提示しよう。

まず、この騒動をどう収束させるか。
小池新氏は、ジャーナリストとしての矜持にかけて、釈明なり謝罪なりの見解を表明すべきである。

次に、既存ジャーナリズムとブログとの関係をどう考えるかの問題がある。
ぼくは、通信社本体がブログを運営するより、ジャーナリスト個人が(仮に組織に所属していようとも)個人の見識のみに立脚し、ブログを運営すべきだと思っている。
この問題に付いては、時事通信の湯川鶴章氏がネットは新聞を殺すのかで、重厚な議論を展開しているので、ここでの議論の深まりを期待したい。

最後に、このケースはブログにまつわる騒動としては最初の大型事件であると思う。ブログにおけるリスクは今後さらに語られてよい。
たまたま、署名で書く記者の「ニュース日記」に次のような一節があった。
ネットの危険と背中合わせに生きていく。それが、この時代に生きあわせた人間の宿命だ。個人がネットを利用して人を傷つけるのは許されることではないが、そうさせてしまう教育や社会、政治にも問題がある。改善されなければならないのは、まずそちらのはずだ。
これを書いた小池氏が皮肉にもリスクの当事者になったわけだが、書きこみやトラックバックをコントロールする、技術的な側面と、古くて新しい「ネチケット」の問題が改めて論じられる必要があるのではないだろうか。