Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

嵐のときこそ、へさきを風に向けよ。

2005年01月15日 02時07分49秒 | クライシス
今日の「週刊!木村剛」のエントリーの末尾に、「トラックバック選択的削除宣言」と読み取れる表現があった。

なお、これまで「週刊!木村剛」は、あらゆるトラックバックは削除しない方針を採っておりましたが、残念ながら、世の中には基本的なマナーすら弁えずに、「検事の視点」でしかコメントできない方々がいらっしゃるということも確認できました。色々と考えましたが、今後は、歪んだ「検事の視点」からコミュニティを荒らしにこられる方々のトラックバックについては原則として削除する方針で臨んでいきたいと思っております。

ぼくの書いた「検事の視点」は、そういう意味じゃないんだけれど、まあ、それはひとまず置いておこう。

問題は、ここでの「トラックバック選択的削除宣言」が、木村さんにとって「損」か「得」かということだ。

日本振興銀行の社長に就任されて、木村さんの立場はこれまでと様変わりした。
これまでは、木村批判に対しては木村さんが立ち向かえばよかったが、これからは木村批判が日本振興銀行のビジネス上のリスクに直結しかねない。
落合氏、切込隊長と続いたアンチ木村の動きは、今後も折に触れ頭をもたげるだろう。
「トラックバック選択的削除宣言」は、一見リスク遮断のためのファイヤーウォールの役割を果たすかに見える。
しかし、どうだろうか。

アンチ木村剛を意図するブロガーが、悪意のトラックバックを送り、それを皮切りに誹謗中傷キャンペーンを展開するケースを考えてみよう。
木村さんがトラックバックを削除した後で、同時多発ゲリラ的に祭りを仕掛けたとすると、木村さんはブログという有効な反論の手段を封じられることにならないだろうか。

自ら削除したトラックバックに対する反論を、自らのブログで展開したら、口さがない善意の第三者ブロガーは、
「トラックバック選択的削除宣言」を、
「トラックバック恣意的削除宣言」として受け止めるだろうと思う。
一旦その認識が広がった途端、木村さんの反論にいかに説得力があろうと、中身に耳を貸さない批判の怒涛が襲い掛かる懸念がある。
結論として、いかに悪意に満ちたトラックバックであろうと、それをそのまま置いておくことが、反論の権利を留保することにつながるはずだ。
「トラックバック選択的削除宣言」は木村さんにとって「損」だとぼくは思う。

日本振興銀行を軌道にのせるため、この半年ぐらいは勝負の時期だろう。
悪意の誹謗中傷も、無責任な揣摩憶測も、嵐となって襲いかかるかもしれない。
嵐の中で、風に横腹を見せてはいけない。風にへさきを向けてこそ嵐を乗り切ることができるのだ。






1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
どうでしょうか? (at)
2005-01-16 23:54:47
むしろ、日本振興銀行を軌道にのせるため、Blogでの反論を断念して今後は無視を決め込むと言う事なのではないでしょうか?
返信する