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Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

出ばなをくじかれる

2015年11月12日 | Photography
名機ソニーα6000を手放し、10月のはじめからモノクロフィルムで撮りはじめている。
午前中にH中学校の撮影がおわったので、午後から写し済みのフィルムを出しにプロカラーラボへいく。フィルム現像は1年半ぶりか。
ところが、ラボの窓口でフィルムを出したら「フィルム現像はもうやってません」といわれておどろく。
あれま、どうやらわたしがデジタルであそんでいる間に、現像部門は終了したようだ。



プロカラーの人がクリエイトラボならまだ現像できるというので、帰りに寄ることにして、そのまえにブルームギャラリーへいく。
きのうから「距離:写真と対象とわたし」というグループ展が開催されていて、ちょっとおもしろそうなのでチェックしに。
7人の作家さんはみなさんそれぞれ個性的な写真を撮っている。なかでも成田貴亨さんはモノクロ写真を展示しているが、プリントの焼きがとても美しい。きっとベテランなのだと思う。
ディレクターのKさんに聞くと、成田さんはフィルムもプリントも自分で現像し焼いているそうだ。ああ、やっぱりね。フィルムで撮るということは、さいごまで自分でやらないとダメなんだな。

帰りにクリエイトラボへいくつもりだったが保留して、もうすこし考えることにする。
ラボに出せばモノクロフィルム(35ミリ)1本につき617円、5日かかるそうだ。(じつはクリエイトも外注している)
自分で現像すればもっと安くできるのだけど、薬品を溶いたり温度管理するのに手間がかかる。写真学生のころは一日に10本くらい平気で現像していたんだけどなあ。またあれをするのはかなりエネルギーが必要だわ。



せっかくフィルムで制作を再開したというのに、いきなり出ばなをくじかれた感じである。

ギフトファイナル

2015年11月08日 | Photography


今年4月からつくってきたギフトシリーズが30号に達し、予定どおりこれで打ち止めにした。まだまだつづけてもいいのだけど、つぎにやりたいことがあるので、一応キリをつけるという感じ。
そもそもこのギフトは写真編集の練習としてはじめたもので、1冊22ページというすくない構成で写真を見せていく作業はなかなかスリリングな経験であった。

22ページといってもそれを埋めるために使われる写真素材はけっして22枚で足りるわけではない。すくなくともその何十倍ものカットの中から選んで並べてみて、また削除してあたらしいものを入れる。そうした作業のくりかえしでようやく1冊にまとまるのに一日でできるときもあれば、1週間以上かかることもあった。
おなじようなイメージをくりかえし見せたり、見開き2ページで大きく見せたり、あるいはまったくちがうイメージを挿入して流れをかえたり、わざとブラした写真でイメージをかく乱させたり、といった視覚効果をいろいろ試してみることができたのが収穫である。



それからこの間、自分の撮った写真をじっくり見なおすことで、わたしがなにを撮りたいのかがよく見えてきたことも収穫だ。いまさらだけど。
表面的には「都会のスナップ」と「田舎の風景」の二系統あるのだが、じっくり見ていると両者には共通した視点というかテーマがあった。それをここで文字にするのはまだ早いだろう(そもそもギフトを見ていない人にはなんの話かわからないと思います)。
つぎにやりたいことのなかで煮詰めていきたい。

ギフトシリーズをご覧になりたい方は、茶菓子を持って拙宅まで来ていただけたらハーブティーでおもてなしいたします(笑)

かもめ食堂のある町へ

2015年07月27日 | Photography
19世紀のはじめにカメラが発明されて以来、それまで人の手によって行なわれていた仕事を、カメラが代わってするようになった。すなわち、肖像をはじめ風景や建造物などもカメラを通して正確かつ精密に、しかも素早く描写できるようになったのである。
さらに冒険家・探検家とよばれる人たちもカメラを携えて旅をし、異郷の地を写真に収めて帰り、大きな成果をあげるようになる。
フランスのマキシム・デュ・カンがエジプトなどを冒険して撮影し、世界ではじめての紀行写真集が出版された。1852年のことである。

このようにカメラは旅行先ではじめて見る風景や民俗・文化を記録して、それをまだ見ぬ人々に紹介するために使われてきた。
180年近くたったいま、ダゲレオタイプやカロタイプのカメラがデジタルカメラになったけれど、人々はやはり旅の写真を撮りつづけている。そしてそれを家族や友だちに見せたり、SNSで共有しているわけで、カメラが生まれたころと同じことをいまもわたしたちはやっている。



さて、今年の夏は日本から直線距離でもっとも近いヨーロッパ、フィンランドへ行く。関西空港からヘルシンキまで約10時間の距離だ。
フィンランドへ行くことに決めた理由はとても単純で、たまたま時間つぶしに入った本屋で手にした雑誌にフィンランドの特集が載っていて、それを見てビビッときたのである。
森と湖の国といわれるフィンランドにはとりたてて有名な景勝地はないが、自然こそが一番の財産だと考えてみんなが生活しているというのだ。一般的な日本人の価値観とはまったくちがう人間の住むところに強く魅かれるのは、わたしだけではないと思う。



首都ヘルシンキはフィンランド湾を臨む港町だが、その町を舞台に和食のレストランを営むという話で、10年ほどまえに話題になった「かもめ食堂」という映画がある。
遅ればせながら、今回の旅のためにはじめてその映画を観た。これがじつにステキな作品で、自分のやりたいことだけを毎日淡々とやっている主人公サチエの生き方にとても共感した。サチエの日本でのいきさつはわからないが、食堂を構えたその場所がヘルシンキだというのがなにか腑に落ちる感じで、その映像のなかに自分も立ってみたいという気持ちがむくむくと湧いてきた。
じっさいにロケに使われた食堂は「カハヴィラ・スオミ」という現存するカフェで、投宿するホテルから近いのでぜひ行ってみようと思う。

デュ・カンのように世界中がはじめて見る風景というのはないかもしれないが、すくなくともわたしにとっては初見であるから、きっとすばらしい光景が待っているにちがいない。その感動をdp2クワトロで余すところなく撮ってきたいと思っている。

作品をつくりつづける理由

2015年07月16日 | Photography
きのうの写真学校の授業で、写真家の浅田政志さんはこういった。

「作品をつくって、写真集を出したり、写真展をすると、その人にしか味わえないある種の快感がある」
わざわざ遠いところから見にきてくれたり、時には自分の写真を見て涙をながしてくれる人もいる。そういう人との出会いが作品をつくりつづける気持ちを高め、原動力になるのだという。
素直でとてもわかりやすいお話だと思う。

作品づくりをする人間は、つくった作品を見たり聞いてもらった相手の反応がとても気になるものだ。
「この写真、いいね」といわれたら、もうそれだけでこれまでの苦労は報われる。作品が売れるとか、儲かるということはもっともっとあとの話で、まずは評価されたいのだ。
これはいわゆる「芸術」作品にかぎらず、すべてのモノづくりに当てはまることだろう。料理人も自分の料理を「おいしい」といってほしいし、美容師だって「この髪型かっこいい」といわれたい。町工場のおやじだって「あんたとこのネジが一番」っていわれたら嬉しいに決まってる。

詰まるところ、表現するということは、こういうことなのだと思う。
自分が一番好きなことをして、だれかに評価される。これは生きる目標にもつながるね。
じっさい、作家さんってみんなバイタリティがあふれていて、生き生きとしている人が多い気がする。
きのうの内倉真一郎さんなんて、本当にすごかったなあ。



ただし自分の表現したいテーマがはっきりしていないと、制作のための制作になってしまって、結局なんのためにやってるのかわからなくなってしまう。
相手の反応も大事だけれど、一番たいせつなのは自分のこころの声だ。叫ばずにはいられない「なにか」があって、はじめて表現になるということ。
ここが作家か、ただのカメラマンかの分かれ目なのです。あ~

日常のなかの奇跡

2015年07月01日 | Photography
今年も半分がおわった。きょうから後半戦である。



3月まではグループ展(写真茶話会RR展)の準備などで多忙をきわめた。
会期中に出品者とその作品を撮影し、後日1冊のフォトブックにしてみなさんに贈ったらずいぶん喜んでいただけた。
それから、バイク好きの仲間たちとツーリングに行き、そのときの写真もブックにしたら、またまた喜んでもらえた。
写真はそのときのたのしい気持ちや思い出を写しこむことができるので、きれいにまとめてプレゼントすれば、いい記念になりますね。

そんな経験から、日ごろわたしが仕事以外で撮っている写真をフォトブックにして、自分自身に贈るというアイデアが浮かんだ。名付けて「ギフトシリーズ」。
プレゼントではなくて、ギフトにしたのは、天からの贈りもの、つまり写真の神さまからの贈りものという意味をこめている。
自分が撮った写真ではあるが、その被写体とその瞬間を出現させたのはわたしではなく、写真の神さまなのである。わたしはただシャッターを押しただけ、撮らせていただいただけなのです。

そういう気持ちで撮った写真を見なおしてみたら、自分の日常で起きている小さなできごとも、なにかすべて用意されて与えられたものなのかなと感じるようになった。
その些細な事件(あえて事件といいます。奇跡と言いかえてもいい)を象徴するような美しい写真をならべていくと、フォトブックはかんたんにできあがった。



このフォトブックはネットで画像をアップロードし、編集していくものだ。編集といっても凝ったレイアウトはできなくて、1ページに1画像だけ。タテかヨコの選択はできる。ブックの大きさはA4判、ページ数は22ページなので表紙も入れて23カット、見開きで1枚を大きく見せる場合はその分カット数は減る。1冊なんと540円(税込)。送料はメール便で送れる冊数(たぶん7冊くらい)まで93円です。

4月からの3ヶ月でギフトシリーズは10冊に達した。きょうもまた写真の神さまはわたしに奇跡を見せてくれるだろう。このペースでいくと今年中に30号までいってしまうわ。