
きのうから妻の実家へ帰省している。今朝は8時から妻と義妹と三人で栗林へいって下草を刈る。夏のあいだに伸び放題だった下草を刈っておかないと、もうすぐ栗が落ちてくるのでその収穫ができないのだ。
まずカマの刃を研ぐ。包丁とちがって、柄が90度にまがってついているので研ぎにくい。どうしても刃がつかない部分は、砥石を手にもって刃に擦りつけて研いだ。これはちょっと研究の余地あり。
妻は草刈り機、義妹とわたしはカマをもって出発。栗の木のまわりはカマで刈り、それ以外は草刈り機でいっきに刈っていく。
左手で草をもちあげ根元をカマでザックザックと切り取っていく。ちょっと作業しただけなのに額から汗がしたたり落ちる。背中はすでにびしょびしょだ。
みんな黙々と草刈りをしている。


ところで、わたしはあと数年で60歳になる。60歳といえば、ふつうの会社勤めの人なら退職の歳だ。フリーのカメラマンに退職はないけど、そんな年齢がもう目のまえに迫っている。
草刈りをしながら、数年後の自分のすがたを想像してみる。
そのとき、わたしはどんな生活をしているだろうか? いつまでいまの仕事をつづけているだろうか?
たとえば職業としての写真の仕事は廃業して、ここで自給自足の生活は可能か? 野菜ばっかり食べていられないので、肉を買うために何かで現金収入も必要だろうな。
作品づくりに必要な金はどうする? 展覧会をするならまとまった金も必要だし。
自給自足しながら写真制作をつづける、そんな夢のような生活ができるのか? 疑問符ばかりが頭のなかでぐるぐると回る。
でもわりと近い将来に、決断しなければならないことが、たくさん出てくることは確かである、第三の人生のために。