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第5回『〈政治〉の危機とアーレント」を読む会・レジメ

2018-01-24 | 『〈政治〉の危機とアーレント』を読む

第5回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会の4時間前に、ようやくレジュメを切れました。
まず、長い!多い!
これ3つの節がそれぞ一つの1章として成立しますよ!
しかも、おそらく本書で最も哲学的な思考を試される個所なので、丁寧に読み込まなければならないところですね。
が、しか~し、著者を招く本番まで時間もないので、今回は強引に第1節は報告者による「要約」を読むだけにして、おそらくアクチュアリティの高い第2節の読解を中心にしたいと思います。
第3節は次回・最終回に先送りすることにします。
おそらく著者のオリジナリティは第1節と第3節にあると思われるのですが、やむを得ません( ̄д ̄)
というわけで、レジメ自体が長くなってしまいました。以下ご参照ください。


第5章『人間の条件』に至る思索

1.『全体主義の起源』が生まれる経過―「哲学と社会学」
【要約】
経済的豊かさが頂点を極めた社会にあっても、なぜわれわれは精神的な息苦しさから解放されないのか。本書は一貫してこの問いを根本に置いている。マルクス主義は資本主義の矛盾を資本家と労働者の「生産関係」における搾取の矛盾に光を当て、その矛盾の克服を史的唯物論で展開した。しかし、科学的客観的とされた歴史の認識も、それを認識する主体(労働者)自身がその歴史状況に捉われずに認識することはできない。マンハイムは、もしその認識は可能だというのであれば、それは現実から遊離したイデオロギーかユートピアに過ぎず、その点で支配者のイデオロギーを批判するマルクス主義もまた、その批判から免れないことになる。
では、この両者の拘束から精神が自由になることはないのだろうか。それについてマンハイムは、現実から逃避する「故郷喪失」において精神は存在するという。これに対してアーレントは、精神は現実に拘束されるという点でマンハイムに賛成しつつも、そこから逃避するのではなく、しかもイデオロギーとユートピアにも陥らずに「社会的経済的利害」に対して、自分はどのような方針・態度をとるかという精神活動の中でこそ、「現実」が構成されるとみる。精神の生が世界に位置つけられるとはこの意味においてのことである。

(1)「どうしてこのような全体主義が生まれたのか?」―アーレントにとっての最大の問題
⇒友人や信頼していた人々の転向現象、ナチスへの自発的協力・迎合の波
⇒どのような精神の在り方が全体主義と親和的になるのか?
(2)「哲学と社会学」(1930年)―カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』
① 当時のマルクス主義の主流
 ・資本主義では、生産手段をもたないプロレタリアート(労働者)は自分の労働力を商品として売らざるを得ず、その犠牲の過程で資本主義を支える存在となる
 ・同時に資本主義を支える存在であるからこそ、資本主義を変える存在であるともいえる
 ・それにふさわしい「真実の意識」としての階級意識を形成することが重要だ!
 ② マルクス主義の議論は科学主義イデオロギーに支配されていた
・抑圧される労働者の立場は資本主義の問題を客観的科学的に分析できる
・資本主義の危機を克服するのは歴史の必然である
 ・その客観的真理をどのように捉えられるか、労働者の主体的な運動をどう位置づけるか
 ・歴史的制約をもった労働者がいかに必然的で真理を担う存在かが議論された
 ③ マルクス主義に対するマンハイムの批判と問い
 ・科学的社会主義といえども、その認識主体(労働者)は歴史的制約から自由になれない
 ・イデオロギーは支配集団が自分の利害のゆえに自分に不都合なものに目をつぶる虚偽意識ととらえたが、同時に支配される集団は変革のための夢や希望のために現実をとらえそこなるユートピアに陥る
 ・「人間の思想は、党派や時代に関係なく、全てイデオロギー的であり、それを免れない」
 ・この存在に拘束された状態をどう抜けることができるのか?
(3)アーレントのマンハイム批判―「哲学と社会学」
 ① マンハイムの矛盾
⇒人間の思考は社会的文化的な制約から自由になれないものとするが、(イデオロギー的かユートピア的)、他方で精神は「周囲の世界とは適合しない」時に生まれるもの
⇒精神は現実から逃避する営みとして消極的に存在するだけになってしまう。現実に向かうときにはイデオロギーかユートピアとして登場するにすぎなくなってしまう。
② アーレントにとっての「精神」
・精神は現実に拘束され、日常の現実から離れて存在するわけではない。精神が現実を超越するあり方は、ユートピア的にならなくても世界に「NO」という積極的な道がある
・社会全体に経済的利益が浸透していき、生活とは所詮、経済的生活の問題であるかのような意識が一般化して、経済的な富の蓄積が豊かさそのものであるとされ、生きる現実から精神が事実上排除されていくことへの抗議ある。
・思想は、経済的社会的構造地盤とする生の具体的な秩序を不可欠の発生の土壌とする

2.『全体主義の起源』の文化的起源の考察
a.「商売」になった「政治」と議会制度
近代社会では経済的利害に関わる社会の仕組みが現実と見なされる
⇒主題は経済的運営と富の無限増大であり、人間はそのための手段に過ぎない
⇒市場から排除された「経済的には余分で社会的には根扱ぎにされた人々」は全体主義という装置によって抹殺すればよいという発想がくり返し生まれてくる
⇒自分の経験この個別性多様性を語り合う人間の精神は余計なものである
b.「国民国家の没落と人権の終焉」
(1)「余計もの」の形成…大量の難民発生
⇒人権のアポリア…誰もが生まれながらにもつ人権が国家から追放されれば無価値になる事実
⇒タテマエとしての人権と生産システムにおいては「無用」とされる大衆の矛盾
(2)全体主義運動を担う「大衆」
利害社会の中で公的な問題に関心をもたず、自分たちの利害を何らかの形で代表する組織をもちえないときに「大衆」はいつでも存在する。
(3)議会制民主主義を支える幻想
①「一国の住民はすべての公的問題に積極的に監視をもつ市民である」という幻想
②「支持政党があって、その政党に代表されている」という幻想
⇒議会多数派に「民衆の多数が代表されていない」と大衆が感じるとき民主政の危機に陥る
⇒現代の「無党派層」という存在
(4)現代の「利益追求競争社会」のリアル
・はじめから公的・政治的問題に無関心・敵を抱くのが当たり前・容赦ない競争原理が市民としての義務や責任は耐えがたい重荷を感じさせる
(5)アーレントの「大衆」分析の特徴
 ①大衆の成立は教育の平等化・平均化によるのではなく、近代の階級利害制度の崩壊にある
 ②大衆は競争原意の中で著しく孤立したがゆえに自己中心的になっていった
 ⇒自己喪失の現象こそが大衆の成立において重要である
 ⇒近代社会に孕む全体主義の要素が、いかにして人間の条件を危うくしたのかという『人間の条件』の研究へ向かわせた
(6)全体主義における「根こぎ」「無用化」の分析―ソ連の全体主義運動分析の重要性
スターリン主義とマルクス主義との思想的対決
 ⇒マルクスが全体主義に結びついたのではなく、西欧政治思想自体に全体主義の要素がある
c.Loneliness is not solitude-「イデオロギーとテロ」及び「見捨てられた孤立」
(1)なぜユダヤ人絶滅が可能になったのか?
 ①絶滅は計画的大量生産的な人口政策の一環として行われた
 ⇒主観的には罪を感じないやり方で数約万の殺戮を組織した…ナチス側に殺人の意識がない
 ②合法的統治と専制政治の区別を無意味化した
 ⇒専制は法を無視するが、是体主義運動は「歴史の法則」・「自然法」に依拠する
  実定法の「法」が社会の安定を維持するためのものであるのに対し、全体主義運動では歴史/自然の法則性の実現が重視され、人間社会はその法則実現のための素材となる。
※ダーウィン主義、マルクスの史的唯物論の活用
 ⇒この根底には人間の自由=活動の偶然性、不可予言性そのものが邪魔になる
(2)全体主義とは…イデオロギーの支配と組織的なテロによって特色づけられる民衆自身の積極的関与による運動。秘密警察、強制収容所の存在。
①テロ…法則を実現する運動に邪魔なものを除去する
  ※劣等人種、生きるに値しない人間は歴史・自然の法則の必然性のために除去する
 ②イデオロギー…テロに支えられた法則の実現対応する観念形態
 ⇒似非科学を装う
 ⇒歴史に結びつけて事件の進行が法則に従って進んでいるかのように説明する
※ 弁証法はその典型例
 ③イデオロギーの3つの特徴
  ・全体を説明するものとして生成し運動するもの
  ・イデオロギー的思考は一切の経験から独立し、五感によって知覚される現実からも自由になる
  ・現実から生み出されない演繹的論理および首尾一貫性、論理的強制力の支配
   ⇒個々人の信念や思考は犠牲にされる
④人間の「始める」自由にはいかなる論理、演繹も力をもたない。流れに抵抗し、まったく新しいことを始められる能力を持つ
(3)3つの孤独と精神のあり方―isolation/loneliness/solitude
①政治的孤立Isolation…共同のための活動が破壊されたときに生じる孤独。しかし経験・制作思考する私的領域は残される
②労働する動物の見捨てられた孤独Loneliness…プライヴァシーを奪われた根無し草としての全体主義の人間性。深刻なのはこれが現代の大衆の日常経験になったこと。
③自分自身といっしょにいることができる単独solitude…自己内対話=思考の条件であり、自分の仲間たちとの世界との関係があらわされており、世界を失うことはない。
⇒大衆の深刻さ…②が日常経験となり、政治的なつながりも一人になることもできない状況
⇒全体主義が生み出される思想的起源
(4)『人間の条件』における「政治」の復権へ

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