カフェロゴ Café de Logos

カフェロゴは文系、理系を問わず、言葉で語れるものなら何でも気楽にお喋りできる言論カフェ活動です。

第1回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会(全6回くらい)

2017-09-26 | 『〈政治〉の危機とアーレント』を読む


既に告知しました佐藤和夫著『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会の第1回開催日時が決まりました。
参加申込をいただいた方々だけのクロージングな会となっていますが、途中参加も可能ですので、ご関心のある方は以下よりお申し込み下さい。

【開催日時】2017年10月25日(水) 20:00~21:30
【課題図書】佐藤和夫著『〈政治〉の危機とアーレント』(大月書店)
【参加資格】アーレントなんて知らない!けれど気になっている人
【参加方法】要参加申込 
 ※ブログメッセージかFacebookページよりお申し込みください。なお、スカイプでの参加を基本にしますので、各自で設定しておいて下さい。日程調整などはFacebookで行いますので、できればFacebookをご活用いただけるとありがたいです。
【内容】レジュメ報告&討議
 今回は、課題図書の「はじめに」と「第1章 時代の転換とアーレント」を渡部がレジュメ報告します。それに関して自由に感想や疑問、考えを述べあいながら進めます。なお、事前に 各自でご購入の上、可能な限り読んでおいて下さい。「読んでも意味がわからん!」ということばかりだと思います。でも、そこを皆で大 事にしながら、ねばり強くアーレント思想を読み込みましょう!
【カフェマスター】渡部 純
    


【記録】「死を看取ること」を語るカフェ

2017-09-25 | 生老病死系


今回、島貫真さんの震災の中で「死を看取る」経験談をテクストにしたカフェロゴには、12名の方々にお集まりいただきました。
中には、今回初の試みであるスカイプで遠隔地から参加された方や専門職の方もいらっしゃいました。
島貫さんの貴重な体験談にいつも以上の深い語り合いがなされたこともあり、今回は参加者に承諾を得た上で、その場で交わされた対話を可能な限り再録させていただきました。
なお、プライバシーに配慮して部分的に加工しています。(文責:渡部純)


《カフェマスター・島貫真(以下、M:)による騙り》

父が亡くなって6年半にもなりますが、どなたにも話す必要はないだろうと思いつつ、人は皆お迎えが来るし、それくらい生きればどうという事はないだろうと思いながら、自分の中ではどう受け止めるかを亡くなってから考え出したところがあって、その時は夢中でいたのですが、終わってみてどうかという二つの側面から簡単にお話してみたいと思います。
特別重い病気のわけでもなく、ふつうに淡々と亡くなっていった親父の話をするのも、本人でもないし、病気がどうだったか客観的に語れるものでもないし、脇にいただけだし。
たまに泊り込んだりもしていましたが、たかだかが一月弱ちょっとだったし。

そんな話す価値もないかなとためらいもあったんですけれど、それでもお話してみようかなと思ったのは、一つは震災の中で生命をどう扱うかという局面がなかったわけではなくて、その時には病気は治らないからそんなもんじゃないかとずっと過ごしていたわけですけれども、病院がなくなっちゃうかもしれない、閉鎖されるかもしれない、その中で「お帰り頂くかもしれないんですけれど」といわれると、じゃあそれをずっと自分の家で引き受けてもあとは苦しくなるんですけれどと思ったりして。
病院では在宅訪問はできませんといわれると、えー、そのまま放置は困るなというのがちょっとあって。
それでも面倒見ていただくことになって、軟着陸させていただく結果に終わるんですけれども。
そのことは自分の中ではなるべく考えないようにしていた側面があって。

つまり、なんて言うんでしょうか。
もっと頑張らせればもう少しは生命はなんとなく生き永らえたことはあったかもしれないという思いもあり。
だからといって、家に戻れたわけでもなさそうなわけで、そんな中で自分は不作為の作為をしたみたいなことも、ちょっと感じないわけでもない。うんと感じるわけではないんですけれども。
病院の人も言いにくそうに、やっぱり治療しなきゃいけない人も(他に)いて、うちの親父はそこから戻りにくいという考えは合意がなされていたので、3月16日には立ち去り型の不在が看護師さんのなかにも増えてきていた時期だったし。
ご飯を食べさせる量も減ってきていて。
石油はまだあって、暖房や電気はついていましたが、なかなか厳しい状況で。どうすんだと。
気胸だったもんでポンプで空気を入れなければいけない状況で。しかも水も出ている。
痰の吸引もあるので、家では難しいんですけれど。
そういうところでお迎えが来ました。

そういうことで、寿命だよなと家族も自分の中でも納得させていたのですが、考えてみても、寿命といっても、いつ亡くなるかわからないし、それを自分たちだけでコンロールもできないし、お医者さんの言われたことで、あぁそうなんだなと思っていく。
そこで、もっとそのとき大きな震災の状況があり、いつ物資が来るかわからない状況もあり、その中でどういう風に向き合ったらいいのかわからないまま終わっていったという意味では、病室の中で看取っているという事と、何かわからないものと向き合っているという意味では、いつ死ぬのかというところで、大きな状況と小さな状況がシンクロしていたという事が、後から段々わかってきました。

昨年、沖縄の琉球新報の方の話を伺ったときに、やっぱしその状況をとらえていかなければいけない時に、一人ひとりの生活だけじゃないんだよと。
それは政治的な話ですから、あまり直接関係はないのですが、でもやっぱりもう一度自分の父親の死を見つめた方がいいかなと思いました。
あとは個人的な感想です。
だんだん断片化していく。
病気は肺気胸といって空気の抜けるものなので、それそのものは意識とは関係ないのですが、断片か間欠か。
もしくはモルヒネ投与とか、つまりあまり痛くないようにして下さいとか、延命しませんみたいな話の中であったのか、3週間くらいいましたから、やっぱり動いていないと認知力が下がってきたのか、体力がなくなってきたのか、それは全然わからないけれど、断片化し完結化して、目が覚めると「おしっこー」というのと、「おかあさーん、いないの」という、その二つがくり返されて、排せつと愛着というんですかね。それが最後の言葉でしたね。

10日くらい震災からあったんですけれど、もう震災が起こったことは、あまりよくわからないまま、おしっこ行かなければというと、「大丈夫だよ、導尿しているから」というとまた寝る。
それで起きると、「なんだ、お前か。お母さんはいないのか」という。
そういうくり返しがありました。
そんな中で、ふと、ふと、我に還るときがあって、父親が「お前も本当はいい奴だったんだな」とか。
いや、これを聞けて俺はちょっとなんか幸せだったなみたいなところがありまして。
いや、世話になっているからしょうがなくていったのかもしれないけれど、それは僕にとっては大きな言葉でした。
それからもう一つ。
「最後にお前に言っておきたいことが・・・カハァッ!」みたいな感じで、目が覚めると「おしっこー…」がくりかえされて、あれは何だったんだろうと。
まぁ、おそらく十中八九、「母親をよろしく頼む」だったんじゃないだろうかとは思いますけれど。
そんなやり取りがあって断片的で、間欠的で、もはや一貫性は喪失したみたいだけれど、一生懸命、なんかこう、その時に対応しようとすることはなくなっていなくて、それはボケというものではないだろうと。
意識はあるけれど連続性はない。
断片化しているけれど、そのときは三秒まともみたいな。
なんかそういう感じに思って、年寄りはだんだんわけわかんなくなっていくんだなという認識は、ものすごく強く改まった感じがありました。

最後。なぜあらためて語るのかというところです。
こんなというとなんですけれども、共有できる話でもないのかなぁと思っていたのですけれど。
そんな中で半年後に飼っていた犬が亡くなったんです。
僕が朝ごはん食べているときにハァハァいっていたものが、ちょっと目を離した一分くらい後に、ふと見たら、はく製のようになっていて。
つまり、「顔面」に、要するに「モノ」になっていたんですよ。
それまでは表情があったのに。
でも、その瞬間を見ていないですよ。
瞬間を見るというのはなかなか難しいというか。
見ていてもヒューとなるだけでわからないのかもしれないのですが。
その「顔面」と「顔」、「表情」のあるものがなくなるという。
それとその父親が寝ていても、ポックリしていそうになったり、そういう表情があったり、そこに「おしっこ―」という言葉があり。
それがつがってるところと、ミルフィーユのようになりながら、行ったり来たりしている極限が「顔」と「顔面」。
これは鷲田清一の「顔の現象学」から引用させてもらっているんですが、そこに生きるということと、それの究極の魂の失われがあるのかなと思ったり。
でも、主観と客観のあいだで脇に立っている人間は、でもなんか、それについて色々感じることもあり、考えるところもありつつ、どうしたらいいんだろうなと思いつつ、記憶の中で出直しているんですが、それは単なる記憶補正、幻想補正なのか。
でも、それであらためて出会い直していると意味をもたせていいのか。
その辺のことを自分の中でよくわからないんですけれども、せっかく話すなら意味を持たせられればいいなと思ってお話させていただきました。

《以下、参加者同士の対話編》
◎Mさんの短歌の中に、お父さんを看取っているというイメージが脳裏にしみついた作品があったんですけれど、その短歌を教えてもらえませんか。

M:『お前には伝えることが』と言いかけて 眠りに入る 父を起こさず

◎何を伝えようとしたのか?

M:まぁ、たぶん母親を頼むだという事でしょうね。俺のことはどうでもいいはずだし。本人もお迎えが来ないなぁと、その前の年から軽い冗談を言う人だったので。たぶん妻のことだとは思いますが。

◎お父さんは死を自覚されていたのですか?

M:それがわからない。おうちに帰りたいって言っているから、僕は、自覚はないという方に見ていました。当時は。自分でも、これもうちょっと低空飛行しそうだなみたいな感じは、90まで生きている人って意外と頑健なんですよね。医者が言ってましたもん。90まで生きるってすごいねっていうんだけれどだから、凄いから生きているんだよって。なかなか止まらないんです。空気は抜けているし、水はたまるし、肺はぺっしょっとしていて、水も溜まっていて、肺影も真っ白なんだけれど、今すぐどうこうっていう話ではなかったですね。お医者さんの話では。だから、本人は帰りたい。「帰りたい」が三番目の言葉でした。おトイレ、お母さん、帰りたいのヘビーローテーションでした。最後の一週間くらいは。

◎これは特別なケースではなくて、ものすごいよくあるケースなんですよ。年配の人で自然気胸っていうのは肺の先の組織がもろくなって、そこが破れちゃうと風船みたいなところが破けてがしぼんじゃうんですよ。年配の方でその穴がふさがらないというのはよくある話で手術はお勧めできませんね。

◎今回のMさんのお父さんのケースだと延命は難しいと思いますが、もし延命措置ができたとしたら延命を望みましたか。

M:91歳で手術はどうかなという話でしたから、素人ながらにもそれはないなと思いました。けれど、見ていると呼吸とか脈拍は、けっこう安定しているんですよ。これがけっこう微妙なところで、それで家にもって帰れるんなら家にもっていきたいんだけれど、この状況ではもっていってちゃんとしたクオリティは維持できないと思いますという話を16日に丁寧な説明がありました。接着剤みたいなのを空気と一緒に入れるんだけれど、それで穴をふさぐことがうまくいかない。そうなると手の施しようがないという事になり、そのまま見ている状態でした。病院にいるのもいいけれど、病院もベッドがギリギリなってきているんでという感じだったので。そうでなければもうしばらく延命しようかという話になったかと思いますが、そうでなければもう一回知り合いや会いたい人を、こちらが忖度して呼ぶかという事はあったかもしれません。もし手術できるというのであれば、別ですけれど。延命をするかしないかを問われたら、そういう状況になったら、延命措置をやってくださいというのかなぁ。その時は本人の意志かなぁ。でも、親父ももういいよみたいなことを言っていたので、最初に入院した時からほどほどにと先生に言っていましたね。3回くらいそのやり取りは病院がともちました。

◎私は、どういうわけか人の最期の場面に立ち会うことが、とても多くてですね、祖母も今回私が最終的に看取ったんですが、癌が広がっていまして、ただ本人が亡くなる2週間前まで気づかなかったんですね。痴ほうもあったので病院の先生も不思議がっていたんですが、おそらく脳の痛みを感じる部分が損傷していたかなんかで、たまたま痛みを感じなかったんじゃないかなという事でした。最後の二週間というのは寝たきりで、入院したのは3日間だけだったんですね。私たちも本人があまり痛みを感じることないのであれば、自宅で看取りましょうという事で、家族で見ていたんです。なので、延命するかどうかという選択肢も私たちにはなくて、死の直前までゼリーを食べられる幸せな最後だったねといっているんですが、もし選択ができるんだったら延命していたのかなというのが凄く疑問なんですね。家族の思いと本人の思いも違うんじゃないのかなと思うんです。

◎うちもそうでしたね。父親が亡くなったときに、母親は延命したかったみたいで、臓器移植を考えたりしていたんですね。ちょっと、個人的にはそれは勘弁と思っていましたが。ただ問題は、弟の結婚式がその先にあって、そこまでどうすれば延命させられるかという問題が生じましたね。じゃあ、余命を本人に伝えるかどうかとなったときに、それを知らせたら、延命どころか寿命を縮めるというので、その選択はしませんでしたけれど、そこが島貫さんのお話と関係するのは、僕の場合は「お前に最後に言っておきたいことがある」という言葉を聞くことができなかったんですよね。結局、余命を知らせていないから、そういう場面にはならないわけですよ。そのあいだに亡くなってしまいました。

M:「最後に」っていうのは「今日」ではないんだよね。たぶん本人はね。「明日」も生きていると思っている、という感じがしないわけではなくて。だから、最後の最後に言うつもりではないんだよね。「最後の方」なんだよね。

◎それを口にした時の恐怖っていうのはあるんじゃないかな。「お前に最後に言っておきたい」といったときは完全に自覚しちゃっているのかもしれないし、そのときの恐怖っていうのはあるんじゃないのかな。

M:本気で思っていたらそうかもしれないけれどね。でも、うちの親父に限って言えば、何となく怖いから、あらかじめ言っちゃっておくタイプの人だったんだよね。「俺はもうダメだ」って300回目くらいの「最後」なんだよね。だから覚悟の上での一回こっきりの「最後」というわけではなくって、怯えている人だったかもしれない。準備はしていましたけれど。

◎でも、そこはわからないよね。

M:そう、わかんない、わかんない。一人称じゃないからさ。脇で見ているだけだからさ。いえばよかったかどうかはわからないよね。

◎告知するって難しいんですよ。結局、告知することによってどういう効果があるかは、人によって様々なんですよね。昔は一律告知しなかったんです。告知するとどうなるかわからないというのが一般的な考え方だったんだけれど、今はだいたい告知はします。少なくとも家族には全部言います。というのは、それを踏まえて、あと残り少ないからどうしようか考えてもらうおうというのが基本的な考え方です。告知されて有効に使う人と、しぼんじゃう人とがいるので、やっぱりその人のキャラクターを考えます。まず、最初に身うちの人にどういう人かを聴きます。言った方がいいのか、言わなかった方がいいのか、やっぱり考えて選びます。だから、一律みんな一緒ではないですね。

◎そりゃそうですよね。知り合いでもステージ4だといわれて手術して、5年生存率20%だといわれたのが、5年経ってもまだ明るくふるまって生きています。

◎5年生存率20%というのは、2割の患者さんは生き残るという事ですから、実は単純に確率の問題でしかなくて、5年後に生きているかどうかを正確に表しているわけではないんです。

◎あと、延命するかしないかの話なんですけれど、母は病状が急変して半日で亡くなっているんです。そのときせん妄状態になっていて、意識を取り戻すと「苦しいから死にたい」といったり、意識を失ったりの繰り返しだったんですけれど。その時、実は父は別の病院に入院していて、翌朝にならないとつれてこれなかったんですよ。そうなると、死に目にも会えないという事になっちゃうので、朝くらいまで何とかなりませんかという話になったんですね。それで、人工呼吸器をしてもらって、心臓マッサージしてもらって。でも、やめたら心臓が止まっちゃう。でも当人は苦しいから、意識を取り戻すと苦しいから死なせてくれという。また意識が落ちちゃう。それを半日くらいくり返していました。医者はもうダメかもというところで、人工呼吸し、心臓マッサージし、でもそれをやめたら止まるというところで。実際、もういいですっていうことになるんですけれど。もうダメだってわかっているんだけれども。よくわからないですよね。とりあえず生きているという状態を保って。もうやめますっていうんだけれど、人工呼吸器で肺は動いているんですよ。でも心臓は動いていないんですよ。

◎Mさんは看取ったという感じはしているんですか。

M:いや、とても、とても。「看取る」っていうと、もっと大変な道筋を辿って誰にも何もわからないような道行をいったものを「看取る」というイメージをもっていたので、それと比べると家族でローテーション組んで回していたから、家族のシステムとしてはありだったと思いますが、5人で回せたから、システムとしての看取りは動き始めていたけれど、自分一人で責任を負った感じはしない。だから、一人ひとり落ち込まずにやれたという事はありました。

◎当人の意識というのはどうなんでしょう。親戚のケースは自宅療養で在宅酸素をしていたんですけれど、最終的には呼吸困難で亡くなったんですが、意識はずっと最後まであったらしいんです。そのときに、酸素テントの中で患者本人が本当に苦しがっているから、あまりに苦しそうな姿を見て、家族がそのまま酸素を止めようかと考えたことがあるという話を聞いたことがあります。でも、止められなかったわけですけれど。

◎それは、ご家族のお気持ちとしてはよくわかるんだけれども、一人で決めようとすると昨今問題になっている、安楽死なのか殺人なのかという問題になっちゃうんです。絶対に一人では決めないというのは、医療関係者でも家族でも、それは徹底しています。ひとりで決めて一人でやろうとすると、それは家族であろうと医療関係者であろうと、やっぱり後々問題になります。法律上の問題にならなくても、ありますよね。絶対に、絶対に一人で決めないというのが鉄則ですね。実際にそれで、家族の気持ちを忖度して医者がそれをやって有罪になったケースがあります。

◎看取りって何なんだろう。寄り添うというイメージがあったんですけれど。それだけじゃないものもあるんじゃないかなと。

◎寄り添うことは医者にはできないんですよ。専門職って、色々具体的に動かしたり説明はしたりしますけれど、医師がやることは仕事であって寄り添う事ではないんですよね。医師は患者からは距離があるんですよ。それが的確にできるのが医者の仕事としていい仕事だと思うんですけれど、寄り添うことは家族とかおつれあいとか、親しい人にしかできないと寄り添うことはできないんですよ。

◎そこから問題になるのは、そのような存在がいない人にとっては、深刻なことがあるということですね。孤独死の問題なんかがそう。

◎東野圭吾の「人魚の眠る家」という小説があるんですけれど、娘の脳死を受け入れられない母親が、臓器移植などをしたりして生き人形として生きているという体で続けるんですけれど、そのうち弟や妹が「本当は死んでいるんじゃないか」と疑うようになったり、外部から指摘されたりしてヒステリックになったりするんですが、最終的には娘の死を受け入れて娘の臓器を臓器移植に提供するという事になるんですけれど、寄り添うというのも、寄り添う側の人間がその死を受け入れなければ難しいのかなと思うんです。自分が家族に寄り添って看病した時には、この人は死ぬんだという受け入れができて看護できたんですけれど。だからこそ、最後お手伝いできたらいいなと思ったんですけれど、その死を受けれられないときには難しいよね。

◎みなさんは、先日NHKで放送された医師であり僧侶の方ががんで亡くなるドキュメンタリー(「ありのままの最期 末期がんの“看り医師” 死までの450日」・2017年9月18日放送)をご覧になりましたか?それを死まで撮り続けているんですよ。それで主治医が奥さんなんですよ。あの奥さんは難しいですよね。

◎でもね、あれはボク見てね、ああそうだなと思ったのは、ディレクターさんが「こういう人だから、死ぬときはこの人流の理想の死を演出するんじゃないか」と取材を始めるんだけれど、「最終的にそんなことはないよね」と終るじゃないですか。僕はそれで非常に納得したんですよ。医者が一般的に科学的にこうですよと説明するけれど、それと家族が腑に落ちるというのは全く別問題で、科学的に提示されてもそれはそうですねと思うかどうかは、その人次第なんですよ。だから、患者会みたいなことをやって、先生がそこに必ず出て行って、患者さんたちとお話し合いをしていて、最後にはご本人が患者としてぐったりしている場面がありましたが、あれを見ていて思ったのは、しゃべったり、宗教的に死とはこういうもんだと語っても、あれは無駄なんだなと思いました。結局、個々の問題でしかないように思えてきたんです。あの奥さんも、最後にお坊さんの恰好をしてご主人をお見送りしているときに大泣きしているんですけれど、あれは医師としてみているんではなくて、つれあいとしてみているわけですよ。だから、そうなると医師としてああだこうだ喋ったり、宗教家としてああだこうだと喋ったりすることは、結局のところ意味がないと思ったんです。具体的科学的に説明できても、そこから先どう解釈するのか、飲みこむのかは個々の問題であって立ち入れるものではないと思います。

◎そうなると「寄り添う」とはどういうことになるんでしょうか。あの番組を見ていて、本人の苦しみが共有できないということはわかったんだけれど、じゃあ看取るとはどういうことなのかな。本当に意味がないことなのかな。たとえば、自分が父親を看取ったときには、あまりに苦しそうな姿に、早く苦しみから解放されるようにと祈りながら手を握っていたのですが、あの時は出産の逆バージョンといいますか。出産のときは、男はあの苦痛はわからないのですよね。でも、寄り添いながら手を握りしめるっていうのはどう意味があるのかな。

◎出産ですか。立ち合いましたよ。子どもたちも立ち会いましたよ。

◎だけれど別に手を握ってくれても…あ、さすってくれていたか。さすってくれたのは楽でしたけれど、別に精神的に安心するということはないですね。だから関係ないですね。そういうのはないですね。痛いのは自分で受け入れるしかないですよね

◎あれはなかなか微妙ですよ。介在してくれた事をありがたく思う人と、余計なことだという人に分かれるんですよ。所詮、女の世界だからお前らにはわからないでしょと、立ち入ってほしくない人も世の中にいるんですよ。逆に一緒に立ち会ってほしいという人もいて、一概にどちらがいいとは言えないんですよね。

M:この後、妻が癌のサバイバーになるんですよ。そのときに診察室に呼ばれたときに、自分の身体が熱くなってきて、ザワザワしてきて、本人も顔が上気してきて。やっぱり、親父の時と妻の時は全然違って、身体がフワフワして、躁状態じゃないけれど、足取りがしっかりしないというか。頭と身体がつながっていないというか。あの状態で看取りとかはしっかりできないというか。今度は考えていたから、うまく寄り添わなきゃな、とは思うんですけれど、やっと50にして彼女と一緒にやっていこうと腹が決まった時期に、その出来事は衝撃的でした。
 
◎やはり自分も妻が大病を患ったときに、同じフワフワ状態になりました。そもそも、その状態に自分が耐えられるのかどうか。その延長線上に看取りがあるのだとすれば、自分の苦痛とともにパートナーを看取ることなんてことができるのだろうか。

M:そのときに、自分の苦しみのことだけ考えているのもなんだかなと思うじゃないですか。二度目はうまくやらないとって。今はあまりしなくなりましたが、診断結果を見たときのシミュレーションを何度もしていますよ。

◎兄弟のパートナーが亡くなったときに、彼が精神的に立ち直れなくて。結婚前から癌だとわかっていて結婚していたんです。だから、親なんて最初からわかっていたんだからもう少ししっかりすればいいのにというんだけれど、わかっていてもそんなことは言えないでしょというんですけれどね。いくらわかっていても受け入れられませんしね。

◎たしかに、けっきょく寄り添っても役に立たないというか、本人の苦痛に届かないかもしれないなって。けれど、他方ではそれを看取る家族の苦痛が交わることはないなんて言っちゃっていいのか。そこを考えたいな。

◎闘病されている方には本当に失礼なんですけれど、死ぬなら急死したいなと思いました。看取られることが、こんな風に思われるんだと思うと。わかってもらえるわけないし。看取られたくはないないなとおもっちゃって。いま、障害者に関わっているんですけれど、わかろうとしても、自分がそれを絶対的に分かってあげられないし、そこに溝があるんです。寄り添うというのがキーワードとしてはあるんですけれど、自分が健康体だからこの仕事ができるんだなと思うんですよね。絶対に病気になっても、わかってもらえないんだなぁと思うとみとられるって経験もないですけれど、同じ立場の人とは違うのかなって。看取られるのって、経験もないけれど、大変だな。いやだな。だから、どうやったらすぐに死ねるかな。

会場:笑い

◎けっきょく、よく世の中の高齢者が、ピンピンコロリで逝きたいんだっていうけれど、ピンピンコロリで逝かないから、じゃあどうしようっていうのが世の中の悩み事なんですよ。

◎私の母親の父はピンピンコロリで逝ったんですよ。前日までピンピンしていて、自分のことは自分でできて、誰の世話にもなっていなくて、ある日寝たままま起きてこなくて、そこから数日間寝たきりのまま意識を取り戻さずに終わりですよ。チャンと家族はいて一緒に番ご飯を食べたりしていたんですよ。

◎いいなって思いますね。ある意味孤独にお亡くなりになられたんですね。

◎それは宝くじ当たるようなものなんですよ。たまたまそういうラッキーな人がいるだけで、たいていみんな病気を引きずるわけですよ。たいがい病気って、なんかパパっと治療してパパっと治る病気って実はほとんどないんです。

◎本当に病気をしたことのない人間の甘ったれた言い分なんですけれど…

M:いや、若いんですよ。もう、僕なんかは病気がお友達だから、これがどんどん友達が増えていくんですよね。本当にね、もういらないっていうぐらいね…増えちゃうんですよ。

◎だから、わかっていないんだというところだけわかっていればいいんだと思う。「私、わかっていないんだよ」というところから始まって、私わかっていないから敬意を表するとした方が、近いんじゃないかな。病気をしている人と病気をしている人をサポートしている人への敬意。医療従事者に関してはそれができれば御の字だと思うんです。

M:それに加えていいですか。共感はできないんですよ。だって、こっちが死ぬわけじゃないから。それはやっぱり孤独に逝くんですよ。うちのお母親なんか親父のことを「死ねばごみ」なんてひどいことを言うんですけれど、本当に「ごみ」だと思っているわけではないんですよ。表現なんですよ。共感じゃないんですよ。要するに、相手のことなんかわからないんですよ。介護や医療従事者の方と少し次元が違うのかもしれないけれど、近くにいたってわからないところがあるっていうか、わかったつもりになるなよって。わからないでいてもらっていいんだけれど、「ここにいるよ」と。相手に「あっちいけ」と一回石投げられて病院の外に出ても「また来たぜ」みたいな感じかなっていう風には思いたいな。父親と妻と犬の死を間近に感じて、わかんないけれどいるぞ、そして表情を見ているぞって。だから、死んだらもうそれは終わり。あとは記憶の側に転移していく。そして、記憶になったときは言葉が大事になるんですよ。犬だったら動画や写真でいいんですけれど、人間は言葉をもっていますから、どんな罵声でも言葉を聞いておくというというのは、すごく大事かなと。一度目は身体が死んで二度目は記憶を失われた時に死ぬとしたら、二度目は生かしておくぞという意味で。それはわからないままでも二人称のままそこにいるぞという事かな。どうですかね?きれいごと過ぎますかね?そうじゃないと救いようがないかなと思うんですよね。

◎親戚が孤独死しまして。だから、誰にも看取られずに死んでしまうというのはなんだか…

◎僕は広い意味で看取りをとらえていて、その場にいないと、死の瞬間にいないと看取りができないというわけじゃないと思っていて。それは誰でも可能なわけではないですよね。先ほど、Mさんから記憶の死が二度目の死とありましたが、ご親戚も孤独死したとおっしゃいましたが、その方がどういう人だったか、生きてきた姿を見ている人たちはそれを物語るわけじゃないですか。それが為されるのであれば、広い意味での看取りともいえるのかな。そこまで看取りといっていいのかどうかはわかれるけれど。身元が分からなければ無縁仏となって、役所の方で埋葬してもらうわけですよね。

◎私の友人の父親が失踪した後に、どこに住んでいるかもう何十年もわからなかったんですけれど、県外で亡くなって役所からその友人に連絡が来て、引き取ってくださいといわれたんですって。でも、自分としては小学校以来顔を見ていなかった父親だったんだけれども、興味もあって顔を見にいったんですって。最終的には市役所の方で埋葬してもらったみたいなんですけれど、友人にその時どう感じたのって聞いたら、「何も感じなかった」といわれたんですよ。「ああ、こういうところにいたのか」と思ったくらいだったという言葉を聞いたときに、えーそういうものかって私は…

◎記憶の前提になる時間がなかったわけだよね。

◎うん、一緒にいたときの記憶があまりいいものじゃなかったというのもあるんでしょうけれど。

◎私の祖父母は二人とも亡くなっているんですけれど、事情があって顔を合わせたこともなかったんです。その二人の死に顔を見たときに、正直なんとも思わなかったのに、愛犬が死んだときは本当に悲しさが凄まじくて。
急に具合も悪くなって、看取ることもできなかったことが心残りで。Mさんの報告を見ている限りは、すごく家族で協力し合って、少しのあいだだけでも傍にいれたというのは看取りだなって思ったんですよ。

M:あ、でも、母親は父親が亡くなったときには一切泣かなかったのに、半年後犬が亡くなったときに大号泣ですよ。あまりの落差にポカンとしてしまいましたが。あれ、なんなんでしょうね。

◎あー、でもなんかわかりますよ。愛着の度合いが違うんですよ。先ほど親御さんとおつれあいで違うとおっしゃったじゃないですか。親御さんというのは年も取っていて、順番もそうだし、一番納得できるんですよ。でもおつれあいはざわざわしますよね。で、たぶんペットというのは、お子さんに近いんですよ。愛着の抱き方が親御さんやおつれあいと違っていて、距離の取り方がお子さんに近いんだと思うんです。

◎動物病院でペットが亡くなったときに、犬猫のためじゃなくて飼い主さんたちの心のケアをするところに重点を置いていますね。納得していただけるかなぁと。

◎もう一つの論点としてMさんのご経験は、「震災の中での父の死」という主題がありますよね。最後にそこを語りませんか。

M:真面目に親父が死んだときにどうだったかなんて形にしたのはこれが初めてです。
そんな人をつかまえて話しするものでもないし。
母親とも思い出話はするけれど、あのときどうだったなんて、そんなに詳しくしゃべらないし。
でも、なんでこんな話をしてもいいかなと思ったのは、大きな震災の中でどうしたらわからない。
で、言葉をもてない。
で、人の死の看取りってこうだよねって言われると、いや、俺そんなじゃないしっていう感じと、震災っていうけれど避難したわけでもないし、何か強制的なことがあったわけでもないし、被ばくなんかしたわけでもないし。
俺なんて、みたいな感じ。
そして言葉にならないんだけれど、でも、言葉にならないんだけれど、言葉にならなないから何かそれを忘れられちゃうかっていうと、そうでもない。
言葉にしにくいんだけれども、状況の中で受け入れていくしかない。
父親がだんだん何かできなくなっていく、人間的な一貫性を失っていって向こう側に逝くのをただ見ているしかできない、これを自分の中でどうつかまえるのか。
死と向き合うってどういうことなのか。
手に負えないような部分があり。
それで、震災後も何かしゃべろうとすると、いや自分だけの体験を喋ってもしょうがないよなとか、人が「こういう時はこうなんですよ」といわれると、うーん、でも、そうなんだろうか、何か自分と同じような気もするけれど、違うような気がする。
つまり、すごく大事なことなのに、大事なことだからこそどうやって喋ったらいいのか、誰に喋っていいのか、よくわからないところがあって、そのままにしていたんですけれど、エチカ福島って原発事故以後のことをみんなで喋ろうみたいなことをやっていたら、沖縄の人もきちんと言葉にすることも何十年もかかったといわれて、福島に人はまだ言葉を十分に持てないんじゃないか。
十分に言葉を発するというか、状況を把握しきっているんだろうか。それをつかまえられているんだろうか。
どういう風につかまえればいいのか。
そこに立っているんだけれど、周りの状況も含めて起こった出来事を自分でどういう風に受け止めていけばいいのか。終わったから記憶も忘れて、なかったことっていうか、今生きられればいいやというのは、ちょうど、いつ死んでもいいけれど今じゃなくてねというのと同じで。
日常はそうやって進んでいくんだけれど。
「いつ死んでもいいや」って母親は言うんだけれど、でも、それは「今日」じゃないんですよ。
しかし、「今日じゃない」という日常と、「今日だ」っていう大変な時と向き合ったときに、たとえば具体的に言うと、車が三段重ねになって無茶苦茶な状況になっていることと、犬が死んだ瞬間の顔と、つまり意味やオブラートに包まれたものが取っ払われたモノ、定義できないモノ化した社会的な約束とか、自分でこういうものだと思っていた日常のリズムが完全に奪われてしまう事と向き合うことだし、死に向き合うってことは。
そう考えると、震災の時にたまたま身近な人の死が重なっただけなんですけれど、でも何か言葉をもつ。もたなくても日常を暮らしていけるんですけれど、でもそれでいいのかという思いが自分の中でシンクロしたんですね。
それは共有できるものかどうかもわからないんですけれど、両方考えていかなければならない。大きなものと小さなものと、人間が営んできた日常と非日常、自分たちが作っている生とそれがバッと終わる死と。
自分の中ではこういう大きな震災と小さな死とがつながってしまっている。そういう感じがあります。

◎Mさんのお話を聞いていくと、もしかしたら「震災がなければ、もうちょっと延命できたのでは」という思いもあったのかなと引っかかているんです。なぜかというと、もう一方で、「震災があってもこれは自然の死だからしょうがなかったんだ」と受け入れる思いとパラレルに引き裂かれているような気がするのですが

M:鋭いですね。ま、震災があったから少し進めたかもしれないけれど、しょうがなかったんだと、確かめようもないんだけれど、やっぱりもし何にもなくて、小康状態になっていた時に、さてどうなったのか。そのときに、程度問題かもしれないけれど、なるべく長く生きるようにして下さい、と思ったのか。自分の中で難しくなったかもしれないですね。大きな出来事があったからこれは仕方がないんだと、小さなことだと、もしかすると思ったのかもしれないと、今言われてドキッとしました。

◎これが人災であったら、寿命縮めやがってという思いも生まれたんじゃないでしょうか。

◎強制避難区域の方がそう言っていましたね。避難所を転々していく中でご家族があっけなくなくなったときに悔しいって。人災がなければ、長く生きられたのに。

M:難しいですね。病院が閉鎖されることに対する違和感は、病院の人には向きにくいですよね。だって、僕らだって避難するかしないかというときに、医療者だって家族をもっていて決断は一人ひとりあるわけだから。物資だって全然こない状況だったから、それはしょうがない。自分の親父もこの病院でもうすぐお向かいが来ることはまぁ間違いない。何日か違うだけとなったら仕方がないけれど、それが平和な時に人災事故が起きたときに逃げられないとなったら、どう思うかわからないですよね。

◎浜通りでは自主避難した看護師さんたちがかなり責められた話があるんですよね。

M:それはあるかもしれませんね。でも、それは言いたくなという感じはありますよね。自分は子どもたちを逃がしておいて、それは言いたくないな。難しいですけれどね、残ってやっていた人が仕事がつらくなってきた人たちの立場は患者の立場と違うかもしれないから。何となくわかるような気もするし。人為によって左右されるっていうのは大きいですよね。

◎病院の物資資材不足によって、病院側から退院を確認されているという点ですが、大災害が起きたときに患者さんを選別するトリアージが為されます。災害時には残り玉いくつで何人やれるかという事は、特に災害時にはあるという事は心のどこかに置いておいた方がいいと思います。おそらく混乱は起きると思いますが、これから現実に起きる可能性が高いと思います。でも、それを頭でわかっていても、いま納得してちょうだいといっても、納得してくれないですよね。きっとそれで亡くなったらモヤモヤするでしょうけれどね。

M:その時の場合にはしょうがないんだろうなと思った。病院が閉鎖されたら家に置こうが病院に置こうがそれまでという思いがありますが、それでも病院に返したのは、延命してほしいという事ではなく、苦しまないようにという話だけした記憶はあります。こっちも色を成す種の話ではなく、それはそうだよなという思いもありつつも。

◎死を看取るっていうのは難しいなと思いました。死に立ち会うっていう感じですよね。私は立ち会うっていう事じゃなくて寄り添ってあげたいなという事を感じました。看取ることはできなくても。

「死を看取ること」を語るカフェ

2017-09-18 | 生老病死系


【日 時】2017年9月23日(土) 16:00 - 18:00
【会 場】サイトウ洋食店福島市栄町9-5 栄町 清水ビル2階
【テーマ】「死を看取ること」
【参加費】 飲料代300円 ※参加申込は不要です
【カフェマスター】 島貫真 & 荒川信一


『ひと、死に出あう』(朝日新聞社)という本を読むと、人が死に直面するのは本当に多様であることを思い知ります。
しかし、どんなに死の危機に直面しようとも、人間は自分の死だけは経験して語ることができません(臨死体験はありえるでしょうが)。
その意味で、人は常に誰かの死を手がかりに死に思いを巡らすものでしょう。
とりわけ、身近な存在の死に直面したとき、その衝撃とともに精神は動揺しながら死の意味を考えてしまうものです。

今回は、3.11の東日本大震災・原発事故のさなかに肉親の死に直面した島貫真さんの経験談をテキストに、参加者それぞれが経験したり、考え込んだ「死を看取ること」の意味を語り合いたいと思います。
それから、もうお一方。
最近、ご家族を亡くされたばかりの荒川信一さんにも、その時の想いを語っていただきます。
今回はエクリチュール(書き言葉)やアート作品ではなく、まさに当事者の「騙り/かたり」というテキストを材料に対話と思考を試みます。

延命措置が崩壊し、為すすべがない状況下において人は身近な人の死にどのように向き合うのか。
あるいは、予告なしに直面させられる他者の死に、人はどう向き合えるのか。
なぜ、「看取り」が必要なのか。あるいは、そうではないのか。
お彼岸の時期に、みんなでその意味を考えてみましょう。
もちろん、まだ「死を看取る」経験をしたことがない人でも参加資格はあります。
申し込みは不要です。どなたでもご自由にご参加ください。

佐藤和夫『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会

2017-09-11 | 『〈政治〉の危機とアーレント』を読む
     

【企画の趣旨】
アーレント研究者にして哲学者の佐藤和夫が、ご自身の研究の集大成の一つとして『〈政治〉の危機とアーレント』(大月書店)を出版されました。
「アーレント」といわれても耳慣れない方もいらっしゃると思いますが、一言でいえば全体主義と闘ったユダヤ人政治哲学者です。
全体主義的な様相が日本社会のみならず、全世界にも蔓延しつつあるという危機感があるからでしょうか。
2012年には映画『ハンナ・アーレント』 が人気を博し、またNHK「100分de名著」で彼女の主著である『全体主義の起源』が取り上げられるほど、アーレントは今日、もっともアクチュアリティのある思想家の一人として注目されています。
そのアーレントの主著『人間の条件』の読解を中心に、現代の政治的危機の文脈に即して論じたのが本書です。



カフェマスターの一人島貫真さんは、ご自身のブログに本書の感想を書いています(「直ちに読もう!佐藤和夫『〈政治〉の危機とアーレント』」)が、その絶賛からも本書がただの難解な哲学書とは一味違う内容になっている様子がうかがえます。
著者本人によれば、アーレントの主著「人間の条件」を単なる政治哲学の理論書として読むのではなく、現代世界における〈政治〉の危機を解き明かした書として読み解きながら、難解とされる同書を少しでも多くの人に読んでみたいと思えるように書いたそうです。

そして、このたびカフェロゴでは、『〈政治〉の危機とアーレント』に関心をもった数名が、著者である佐藤和夫氏を招いて討議する会を企画しました。
しかし、いきなり本書を相手に一人で読み解くのもなかなか難しいところがあります。
そこで、参加希望者を募り、数回に分けての勉強会を以下の方法で企画いたします。

【勉強会の進め方と参加の条件】
① 勉強会への参加は申し込みを必要とします
 参加希望者はカフェロゴのFacebookページかこのブログのメッセージ(左欄)へご氏名と連絡先(メール等)および参加の意志を表明してください。とりあえず、第一回勉強会の参加申し込みは9月23日までにお願いします。その時点で第1回勉強会の日時を調整します。

② 開催日時・場所は参加希望者同士で調整し、その都度決めます
 勉強会は10月頃から開始する予定ですが、参加者希望者同士で都合をできるだけ調整して、開催日時・場所はその都度決めたいと思います。

③ 勉強会はスカイプを基本に行います
 開催場所はできるだけ参加負担を少なくするため、スカイプでの勉強会をメインにしたいと思います。もちろん、福島市内で同じ時間・場所に集まれる人はその限りではありませんし、終了後の飲み会の有無も自由です。

④ 勉強会は一月1回程度とし、全6回の開催を予定します
 一回の勉強会では一章ずつ扱います。同書は六章構成なので勉強会は全6回の開催を目安とします。いちおう毎回担当者を決め、各章の簡単な紹介をしながら議論しましょう。一回当たりの時間は90分を目安にします。もちろん、毎回参加しなくてもOKです。

⑤ 著者を招く本番の討議会は2月19日~3月10日の間の開催を予定します
 著者を招く際の旅費等は、今後参加希望者同士で相談しましょう

⑥ 以上はゆるい規定なので、会の進め方は実態に応じて柔軟に対応していこうと思います

⑦ 参加条件は『〈政治〉の危機とアーレント』をご購入いただき、お読みいただくことです。
 定価3,094円のところを、著者割引きで2,500円でお渡しできます。購入希望者はFacebookページかブログメッセージへご連絡ください。ただし、渡部からの直接手渡しになりますのでご注意ください。

【カフェマスター】 渡部 純
とりあえず、一回くらいはのぞいてみたいという方も遠慮なくお申し込みください。
いっしょにアーレントを読んで現代の政治的危機を考えましょう!

スカイプでの参加方法を実験的に導入します!

2017-09-09 | カフェロゴって何?―活動の趣旨


カフェロゴにご参加いただいている皆様、関心をお持ちになっていただいている皆様、日頃よりこの活動(実験)をご愛好いただきありがとうございます。
おかげさまで、なんだかんだとユニークな活動を続けて5か月が経とうとしています。
その間、遠距離であったり、あるいは多忙のために参加したくてもできないという悩ましいご意見をいくつかいただいて参りました。
そこで、このたびスカイプでの参加方法を実験的にやってみようということになりました。
いわばテレビ電話会議のような形で対話に参加していただこうという試みです。

スカイプのダウンロードはこちらへ⇒https://www.skype.com/ja/



どの程度うまくいくかはわかりませんが、将来的には入院中や介護状態にありながらも対話活動に参加したいという方のご希望にも添えるものにしたいという思いもあります。

とりあえず、次回の「死を看取ること」を語るカフェからスカイプ参加の導入を試みてみますので、ご希望の方はカフェロゴのFacebookページか、このブログへメッセージをお送りください。

実験、実験、実験


仕事帰りに一杯ひっかけながら文学をグダグダと語る会―太宰治「駆込み訴え」・雑感

2017-09-02 | 文学系
 

「ほんとうに、その人は、生まれてこなかったほうが、よかった」

あらためて読むと、凄い言葉だ。
これは、かのイエス・キリストが「最後の晩餐」で暗にユダに差し向けた言葉だ。
しっかりと、福音書(新約聖書)のマタイ伝とルカ伝にも書かれている。
それにしても、これが「赦し」を説いた神の子イエスの言葉だとは、とても思えない。
本当にイエスはそんなことを言ったのだろうか。
マタイやルカがユダを憎むばかりに、そう書いてしまっただけではないか。
いやいや、イエスだって人間だ。
無限の「赦し」なんて為しえないんじゃない?
いやいや、神にしかなしえない「赦し」を人間でもできるといったのがイエスじゃないか。
この言葉を神の子の言葉とするか、人間の言葉とするか。
いずれにせよ、この言葉がユダの裏切りを引き起こし、そしてイエスは歴史的な宗教者としてその名を歴史に残した。

今回の課題図書・「駆込み訴え」で太宰治が描いたのは、人間イエスを愛したユダの愛憎であり、嫉妬であり、ボーイズラブだ。
人間の、いや男の嫉妬の浅ましさは、かくも屈折した怨念に至るのか。

私は今まであの人を、どんなにこっそり庇かばってあげたか。誰も、ご存じ無いのです。あの人ご自身だって、それに気がついていないのだ。いや、あの人は知っているのだ。ちゃんと知っています。知っているからこそ、尚更あの人は私を意地悪く軽蔑けいべつするのだ。あの人は傲慢ごうまんだ。

「あの人」(イエス)の奇跡は、すべて「私」(ユダ)が仕込んでやったものだ。
「二匹の魚と五切れのパン」を「五千人」分に増やしたという奇跡。
クリスチャン系の学校に通ったことのある参加者によれば、この場面はわずかなパンと魚を少しずつ分け合ったと教えられるそうだ。
でも、五千人というのが大げさな数字だとしても、二匹の魚と五切れのパンをどうやって分けるのか。
これって、商才に長けたユダが裏で買い集めたんじゃない?
じゃあ、水をぶどう酒に変えたっていう奇跡も、手品よろしくユダが仕込んだもの?
湖上を歩いた奇跡も、ユダが水面下に潜って必死に支えていたんじゃないの?
そんな風に想像すると、けっこう笑える。

でも、そんなユダの愛の献身をイエスは知っていながら、いや知っているからこそ「私」を意地悪く軽蔑した、とユダは受け取った。
愛の歪んだ憎しみへの反転。
ストーカーって、こんな感じなんだろうね。
どんな理不尽な修行も受け入れられる師弟愛って、この愛情に近いものもあるよね。
でも、この「私」は、「あの人」と同い年であることにこだわっているよね。
師弟関係だけれど同い年って微妙なんだろうなぁ。
でも、そもそも「私」は宗教的な尊師としての「あの人」に興味ないよね。
宗教上の教えも信じていない。
ただただ、「美しい」存在としての「あの人」を愛しているのであって、「私」は別に神も天国も信じていない。
「人間イエス」を愛しているだけであって「神の子イエス」なんて信じてもいなければ、興味もない。
そもそも、イエスが「神の子」だなんて、実際は後付け話だったんだじゃないの。

クリスチャンがいたら「不敬」とも受け取られかねない「危ない」議論は、酒の力も借りてますます過激に続いていく。
いやいや、ちょっとまてよ。
この小説読んでいるとイエスの人間性が、かなり人間臭くていやらしいものに思えてくるけれど、これって、あくまで「太宰」が描いた「イエス」像であり「ユダ」像だからね。
あやうく太宰の文章力に引っ張られがちになるけれど、そこんとこを忘れないように。

この小説、というか一人語りには段落がない。
最初にそのことを指摘する声もあったけれど、実は二つだけ段落分けがあることを見つけた参加者がいた。
最初の訴えの掛け声である段落。
そこから、「あの人」への怨嗟を一気呵成に弁じる段落。
そして、もはや「あの人」が刑に処せられることが避けられないと悟った後の段落。
たしかに、大きな感情の起伏と変転は、この小説の魅力の一つだ。
なかでも、一度だけ「私」の頑な心が解きほぐされる場面がある。

あの人が、春の海辺をぶらぶら歩きながら、ふと、私の名を呼び、「おまえにも、お世話になるね。おまえの寂しさは、わかっている。けれども、そんなにいつも不機嫌な顔をしていては、いけない。寂しいときに、寂しそうな面容おももちをするのは、それは偽善者のすることなのだ。寂しさを人にわかって貰おうとして、ことさらに顔色を変えて見せているだけなのだ。まことに神を信じているならば、おまえは、寂しい時でも素知らぬ振りして顔を綺麗に洗い、頭に膏あぶらを塗り、微笑ほほえんでいなさるがよい。わからないかね。寂しさを、人にわかって貰わなくても、どこか眼に見えないところにいるお前の誠の父だけが、わかっていて下さったなら、それでよいではないか。そうではないかね。寂しさは、誰にだって在るのだよ」そうおっしゃってくれて、私はそれを聞いてなぜだか声出して泣きたくなり、いいえ、私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。私はあなたを愛しています。


「私、あなたのために頑張っていますよ」と口に出さずとも、それを評価されない「寂しさ」をしぐさや表情に出して「わかってよ!」と訴えることは、「偽善者」のすることなんだ。
心の裡や動機を見せるなよ。
右手のすることを左手に教えちゃだめよ。
でも、そんな説法より「私」は、「私」をわかってくれた「あなた」(イエス)の承認の方に喜びを感じてしまう。

これって、神以上にイエスに対するユダの信仰なんじゃない。
そんな話にもなった。
信仰と愛のあいだに境界はあるのだろうか。
どうなんだろうね。
信仰は盲目の愛なのだろうか。
でも、少なくとも「私」は「あなた」への「無償の愛」を訴えながらも、「あなた」の「承認」という見返りを求めちゃっているよね。
それは姿かたちのない無限の神(ヤハウェ)への信仰や愛とはやっぱり違う、人間への信仰や愛なんじゃないかな。
姿かたちある人間を信仰してしまうことは、やっぱり無償ではなくある種の「見返り」を求めざるを得ない関係構造になってしまう。
本人がそれを求めていなくても、である。
見返りを求めない愛の純粋贈与は、実在をみえる形では証明できない「神」であるがゆえに可能になるんじゃないかな。
でも、この小説において「私」はそんなの関係ない。。
神じゃなくて、「あなた」を愛しているのだ(おや、いつの間にか「あの人」が「あなた」に変わっている)。
だから、そんなの放っておいて、お母さんのマリアと一緒に三人で暮らそうなんて言う。
でも、「あなた」は妻を娶ってもいいともいう。
「私」は「あなた」と夫婦になりたいわけではないらしい。
でも、彼を独占したい。なんだろうこの関係性。

マグダラのマリアへの嫉妬にも狂った。
エルサレムの宮殿での暴挙・狂気にうんざりさせれて、もはや「あなた」が殺されざるを得ない最後の運命を悟った。
愛する「あなた」が他人に殺されるくらいなら、「売られる」くらいなら、「私」が「売ろう」。
理解されなくても、それが「私」の「純粋な愛」の証明である、と「私」は悟る。
それでも、「あなた」の寂しそうな姿に、「私」はその歪んだ愛の表現である「裏切り」の考えを一瞬、悔い改めた。
しかし、しかし、残酷にも、その「私」の一瞬の改心、一瞬の悔い改めは「あなた」に伝わらなかった…

あの人も少し笑いながら、「ペテロよ、足だけ洗えば、もうそれで、おまえの全身は潔きよいのだ、ああ、おまえだけでなく、ヤコブも、ヨハネも、みんな汚れの無い、潔いからだになったのだ。けれども」と言いかけてすっと腰を伸ばし、瞬時、苦痛に耐えかねるような、とても悲しい眼つきをなされ、すぐにその眼をぎゅっと固くつぶり、つぶったままで言いました。「みんなが潔ければいいのだが」はッと思った。やられた! 私のことを言っているのだ。私があの人を売ろうとたくらんでいた寸刻以前までの暗い気持を見抜いていたのだ。けれども、その時は、ちがっていたのだ。断然、私は、ちがっていたのだ! 私は潔くなっていたのだ。私の心は変っていたのだ。ああ、あの人はそれを知らない。それを知らない。ちがう! ちがいます、と喉まで出かかった絶叫を、私の弱い卑屈な心が、唾つばを呑みこむように、呑みくだしてしまった。言えない。何も言えない。あの人からそう言われてみれば、私はやはり潔くなっていないのかも知れないと気弱く肯定する僻ひがんだ気持が頭をもたげ、とみるみるその卑屈の反省が、醜く、黒くふくれあがり、私の五臓六腑ろっぷを駈けめぐって、逆にむらむら憤怒ふんぬの念が炎を挙げて噴出したのだ。ええっ、だめだ。私は、だめだ。あの人に心の底から、きらわれている。売ろう。売ろう。あの人を、殺そう。そうして私も共に死ぬのだ、と前からの決意に再び眼覚め、私はいまは完全に、復讐ふくしゅうの鬼になりました。

イエスよ、汝が神の子であるならば、ユダのそのくらいの心理を読み取れよ…
そんな思いにもかられた。
もっとも、それが太宰の思惑にまんまとはめられたことの証左でもあるのだけれど。
結果として、神も天国も信じていない、ただただ人間としてのイエスを愛したユダの裏切りは、歴史に「神の子」としてのイエスを実現してしまう。
意図しなかったこの歴史の結末を、ユダは「いや、違う、違うんだよ!そういうことをしたかったわけじゃないんだ!」と、あの世で神に「駆込み訴え」していたかもしれない。
おっと、危ない、危ない。
これも太宰によってはめられた解釈なのだ。


相変わらず、この会の最後は、酒の力によっていつの間にか小説の話題からフェイドアウトしていった。
それでも、マスターであるふるほんやかずのぶ氏のチョイスはさすがだ、と思われるほど、みんな饒舌に語った。
ふるほんや氏は、この「駆込み訴え」を演じた小林エレキ氏の一人芝居の見事さを語ったことも印象的だった。
そのスーツ姿で演じたという一人芝居は、「はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。」という最後のセリフを言いながら名刺を差し出すという場面で幕を閉じたという。
想像するだに、さぞ圧巻の演技だったのだろう。
それを見てみたい!そんな思いにもかられた。
聖書に関してあまり知らないという参加者は、ずっと女性の話だと思いながら読み進めていたところ、この最後のセリフによってはじめて「ユダ」の話だったことに気づかされたという。
素敵な読みの過程だったと思う。
そんな余計な知識や先入観を持たずに読みすすめるというのは、どんな読書体験だったのだろう。
ファシリテーターがいないからこそ自由に語れるという感想を漏らした参加者もいた。
酒の力がそれを可能にするのだろうか。
でも、やっぱり、酒の力は記憶を留めておかない。
もっと、たくさん面白い話題になっていたはずだ。少なくともその印象は饗宴の強烈な楽しさとして残っている。
各自、覚えている人は断片だけでもコメントに残してくれないだろうか。(文・渡部 純)