第13回エチカ福島は、佐藤弥右衛門 (会津電力社長)× 山内明美(宮城教育大学)という夢のコラボレーションを会津盆地を見渡す「雄国大学」にて実現した。
テーマは「〈電力〉から考えるもう一つの生き方」。
地理的に集うのが難しい場所であるにもかかわらず、15名もの参加者に恵まれた。
弥右衛門さんが〈3.11〉を契機に始めた会津電力は、雄国発電所から300世帯の電力を供給している。
眼下に広がる太陽光パネルのその下にはワイン醸造用の葡萄畑も育ち始めている。
その実践の背景にどんな思想が備わっているのか。
以下は渡部の解釈をメモ書きしたものです。
まずは弥右衛門さんのお話。
会津盆地に流れ込む雪解け水は地面を3m掘れば湧いて出るほどに豊かだという。
その水をもとに米、麦、大豆が育ち、他所から何ももってこなくても十分なのが会津盆地。
むしろ余剰さえある。
それをもとに酒、味噌、醤油が醸造された。
地物を利用すれば十分すぎるほど間に合っていた。
しかし唯一欠けていたものが電力だった。
原発事故で考え方を変えざるを得ないことに直面する。
なぜ原発に依存してきたのか。
気づけば、会津の水源は只見川も猪苗代湖の水も尾瀬も東電に奪われていた。
猪苗代湖の水が山手線を回したといわれた時期もあった。
東京は水も人も奪っていく。
「カネがあれば」ではなく、「自分たちの資源を取り返せば」という思考へ切り替えれば10割自治は可能になる。
しかし、福島県は「自分たちでやるのだ」という意見をもって動かなかったことがいかに情けなかったことか。
国がやってくれるといつまでも自分たちで動こうとしない。
大事なことは決定すること。それが政治。
もはや国はどうでもいい。会津が独立し、会津が国連へ加盟しよう!
戦争に負けた日本がアメリカに米や麦、大豆、木材を買わされ、自給率が3割台に落ち込んでいる。
「循環」という発想がない。
なぜJAに再生化や循環といった百姓の発想が出てこないのか。
金融機関は原発事故後預金額が増加しているが、そのカネはどこへ行った?
「誰のために」という発想はあるのか?
もはや、誰かが革命を起こさなければいけないのじゃないか。
会津の独立、革命への機運。
珈琲を飲みながら穏やかに語るその姿とは裏腹に、独立、革命といった言葉の端々に弥右衛門さんの情熱が迸る。
その熱を山内さんの話が加速させる。
「3人いれば独立国家ができる」という井上ひさしの言葉を皮切りに、福島県の水源簒奪の歴史が説かれた。
地域自治に必要な3要素、すなわちそれは食料・エネルギー・自治力。
しかし、それらはいずれも地域から衰退していった。
山内さんが卒業された小学校は、かつて地元産の材料と地域住民の力で建設された。
豊かな物質のみならず人々の共同性、しかしそれらはわずか100年で失われた。
福島県も例外ではない。
明治国家初の国営事業だった安積疎水は士族授産の国内移民として開始されたがそこには水源の豊富な福島県へ眼をつけた明治政府の野心が備わる。
阿賀野川、只見川の有望な電力開発の背景には、1930年のルーズベルトのニューディール政策の一環であるTVAの思想がある。
TVA思想とは何か。
自民党の公共事業政策は雇用と経済を盛り上げるものとして土木事業が展開沙され、血流のようにカネが流される。
ダム建設の意義は地元へは水害対策と説明される一方、国にとっては経済政策であった。
しかし、土砂がたまってもそれをどうするかは放置されている。
使い捨ての公共事業ダム。
当のTVAは1990年代にそれが原因で洪水が起きるも、被害当事者たちの自己責任に帰せられる始末。
これが日本でも起きないといえるか?
田子倉ダムの土砂が限界に達し、ダムを解体した後のことをどこまで想像できているだろうか?
1953年の家電元年から「核の平和利用」は一続きだ。
とめどもない電力生活への欲望は今まで開発されなかった辺境の地を開拓する。
1952年には福島県が東電の水利権取り消しを求める行政訴訟が起こすも、敗訴。
2011年以後、日本は国土強靭化政策を宣言。
日本は今でもニューディール政策を継続している。
台風19号の被害の際には「八ッ場ダムは成功した」という発言さえ出る始末。
この公共事業推進は止まらない。
三陸の防潮堤建設に対して地元住民が建設反対するにもかかわらず、まったく行政は意見を聞き入れない。
カネの計算に基づく行政プログラムは、もはや人間の意見をくみ取ることを不可能にするまでに「発達」した。
大熊町の視察に行った。
2700台のダンプが汚染廃棄物を運び込む。
30年間の貯蔵といっているが、けっきょくこのまま最終処分場にされるのでは…
この無力感。あきらめ。
私たちは1953年以来のエネルギー全体主義によって何を奪われたのか?
地域自治の衰退。
どんなに声を上げても通じない国の行政。
東北はもっと怒らないといけない。
福島の皆さんはこのままでいいのか?!
土地を奪われ、自治力も奪われ、これでいいのですか!?
弥右衛門さんの「独立、「革命」。
山内さんが声を震わせた「これでいいのか、福島人!」という呼びかけ。
私たちはいつまでも〈考え続ける〉だけでは、これに十分応えたということはできなくなってきたのではないか。
懇親会で明治・大正期の「革命歌」をCDで持参して下さった阿部さんは、この結末を予期していたかのようだった。
なにより、今回の雄国大学での開催は阿部さんに多大なご尽力を得て実現したものです。
阿部さんには感謝してもしきれません。
懇親会ではさらに革命への機運が酩酊とともに高まりつつ夜が更けていったのでした。
弥右衛門さん、山内さんほんとうに貴重なお話、ありがとうございました<(_ _)>(文:渡部 純)