カフェロゴ Café de Logos

カフェロゴは文系、理系を問わず、言葉で語れるものなら何でも気楽にお喋りできる言論カフェ活動です。

【第12回エチカ福島の開催】公害事件と世代間伝達―水俣事件を第二世代はどのように考えてきたのか

2019-07-29 | 〈3.11〉系
  
       高倉兄妹
 
     (不知火海に沈む夕日・2017年3月・渡部撮影)
 ※カフェロゴのマスターたちが共同代表を務めるエチカ福島のご案内です。
【テーマ】公害事件と世代間伝達―水俣事件を第二世代はどのように考えてきたのか
【ゲスト】高倉草児さん・高倉鼓子さん(ガイアみなまた
【日 時】8月17日(土)13:30~17:00    
【会 場】 福島市民サポートセンター3階・多目的ホール
【申 込】 特に申し込みは必要ありません。
【参加費】資料代100円(学生無料)
【主 催】エチカ福島
【開催趣旨】

過酷な公害事件を子ども世代はどのように見、考えたのだろうか。それに対して、大人たちはどのような姿を見せてきたのだろうか。
原発事故という未曽有の公害事件を経験した私たちにとって、このような問いを避けてとおることはできません。
しかし、その問いに対する答えを見出すことはまだまだこれから先のことでしょう。
2020年の東京オリンピックとともに、さまざまな場面で子どもを出汁に「復興」物語を喧伝する大きな力もはたらくなか、あの出来事の教訓を次世代に伝えることは日増しに複雑化しています。
そこにおいて世代間の伝達はいかにして可能なのか。

このような問題意識から、第12回となるエチカ福島では、水俣市よりガイアみなまたの高倉草児さんと鼓子さん兄妹をお招きして、講話と参加者とのダイアローグを開催します。
ガイアみなまたは、70年代半ばから水俣病問題をきっかけとして水俣に定住し、被害者の社会運動を支援しつつ、水俣病患者運動の中で知り合うことができた被害者家族とともに、 農薬を減らした甘夏栽培(生産者グループ きばる)を始めた団体です。
草児さんと鼓子さんは、その家族のなかに生まれた第二世代です。
   
   (ガイアみなまたのミカン畑・2017年3月・渡部撮影)

実は、渡部は3年前にガイアみなまたで援農をさせてもらいながら、10日間ほど水俣に滞在する機会を得ました。
その際に、高倉さん一家をはじめとするガイアみなまたの皆さんには、多くの方々に出会わせていただきながら、水俣病事件をめぐるさまざまなお話を聞かせていただきました。
そのなかでもとりわけ興味を引いたのが、草児さんと鼓子さんのお話でした。
お二人は水俣病事件をめぐる社会運動家であった親もとで育ちながら、その運動や思想について教えられることはほとんどなく、高校卒業まで水俣病事件に関心もほとんどなかったというのです。
その二人は進学・就職とともに県外へ出た後に、いま水俣へ戻ってご両親の仕事を受け継いでいます。
それは、近代水俣という土地に生まれ育った彼らの、人生の「転回」というべきものだったのではないか。いったい、そこにどのような思考のプロセスがあったのか。お二人のお話を伺いながら、私は世代間の伝達というものにたいへん興味を抱かされたものです。

もちろん、このお二人の経験がすべての公害事件地域の第二世代に生じたものではないでしょう。
しかしながら、先行世代というものは、次世代への継承の重要性を訴えつつも、得てして自分たちの枠からはみ出していく可能性には気づけないものです。
しかし、その先行世代の期待と第二世代の受け止め方のズレから生じる化学反応は、世代間伝達における希望の可能性でもあるでしょう。
そのヒントを水俣事件の第二世代ともいうべきお二人をお招きしながら、「3.11」以後の福島における問題としてみなさんと一緒に考える機会とさせていただきます。(文:渡部 純)

【緊急企画】第2回政治的に口の悪い人限定の飲み会

2019-07-21 | 開催予定
     

【テーマ】 政治的に口の悪い人限定の飲み会
【開催日時】 7月26日(金)18:30~        
【開催場所】 焼き鳥達ちゃん
【申し込み】 要申込 ※先着10名程度  
満員御礼<(_ _)>募集を締め切らせていただきます
【参加費】  飲み代を割り勘
【マスター】 わたなべじゅん
【開催趣旨】

参院選2019が終わりました。
アタマにきてます。
投票率も含め、あまりの結果に血管が切れそうです。
そんなアナタのために、第二回目となる「政治的に口の悪い人限定飲み会」を急遽開催したいと思います。
この絶望感と公憤を飲みながら毒を吐きましょう。
ルールは「良いこと」を言ったら即退場。
政治的中立性、公明正大なんて不必要。
この参院選の結果に罵詈雑言を飛ばす、あえて「偏向」した居酒屋談義です。
ふだん、職場や家庭で政治的な話などできない不満を、ネット世界ではなくリアルな人間同士の面と面とでぶつけあいましょう。
ただし、参加者が3名以上集まった時点で開催しますので、参加を希望される方は早めに申し込みください。


映画『愁いの王―宮澤賢治―』を観る/語る会―マスターの書簡

2019-07-17 | 映画系


※フォーラム福島の阿部泰宏さんが毎日新聞のコラムで『愁いの王』について書いて下さってます。

(※今回は映画上映を企画したマスター深瀬の吉田監督への謝辞と感想と感想をもってまとめとさせていただきます。)

吉田監督
福島の深瀬です。一昨日『愁いの王』上映会を無事に終えました。超満員でした。福島でも、当日券を求めて来られて結局観ることができない方が何十人もいらっしゃったそうです。映画の後の言論カフェは、めずらしく僕の妻も参加したのですが、活発に行われました。これは悪い意味ではないのですが、兵庫から来てくれた東北農民オケの仲間は、理解することの難しい、特に宗教家としての賢治を少しでも理解するためにこの映画を観に来たが、ますますわからなくなった。これからまた勉強しようと思ったと言っておりました。観に来てくれた古い友人は翌日に次のようなメールをくれました。
昨日の映画は 不思議に心に残りました
私は 賢治の人生で あれだけ賢治を突き動かした日蓮宗の精神…というものが ほとんど分かっていないのです
家は日蓮宗で おじいちゃんは 毎朝小さな仏壇に向かって静かに御経をあげていました 私の記憶の中のおじいちゃんは もの静かで優しく いまでも日向のようなあたたかさを感じさせる品のよいひとでした
おじいちゃんとあまり話をした記憶はないのですが (私はおばあちゃんとばかり話していたので…)おじいちゃんがなくなった時の悲しさは 生まれて初めて感じた深い悲しみでした
私と違って記憶の良い兄が おじいちゃん
と仲良しだったので 今度おじいちゃんの話を聞いてみようと思います
日蓮宗は 先祖代々ではなくおじいちゃんが信じていたものだったのでしょうか
この宇宙とまっすぐにつながる真理が日蓮のたどり着いた世界だったのでしょうか
賢治は そう思ったのでしょうか
父の政次郎さんは 信仰と現世の折り合いをつけていて 賢治の目からは 真宗そのものが 欺瞞と感じられたのでしょうか
地震 津波 冷害 凶作…家族を救うために身売りする娘さんの絶望…そうした現実世界を 日蓮の教えを胸に 変えなければと 生涯をかけたのが賢治だった
自分の守られた生活を捨て 健康を顧みず 命のかぎり 自分のできることをしようとしたのが賢治だったのか と思います
生き物の命をいただいて生きる その申し訳なさ有難さ
自分だけ守られた生活のなかで安穏と 他のひとの苦しみを 見てみぬふりはできない
やはり 賢治は 釈迦のようなキリストのような人だったのではないかしら
賢治が国柱会を離れたのは 『なんとか学会』のように組織に安住し組織が自己目的化ていることを知ったからではないかなぁ
一晩寝たら あの映画が素晴らしかったことが分かりました
あの中で 何度もでてくる十字架は 何のエピソードから出てきたんだったかしら 分かったら教えてね
賢治の童話また読んでみます。
(引用終わり)
映画の中にイエスが現れる場面が二度あります。また、波打ちぎわに十字架が立てられ、突然死した若い女性の墓もまた十字架です。ロシア正教会のものとも思われる十字架も出てきます。そもそもこの映画全編に流れるのはバッハはプロテスタントです。しかしバッハはロ短調ミサというカトリック音楽も書いていますね。
テクストは作者の手から離れた瞬間に、それを受け取る側の読みは任される。テクストは読みに開かれている。
文学テクストであろうと映像テクストであろうと。その意味で、監督が全て素人の出演者に対して決して演技をしないこと、感情を込めないことを原則とし、カメラもあえて固定カメラのみで技法を全く使われなかったことには意味があると思います。素人を使ったことも、素人に対して演技はするなと要求したのも正解だったと思います。固定カメラも個人的にはよかったです。あれで上手なプロの俳優が情感たっぷりに演技したり、カメラがチョコチョコ動いたりしたら、むしろ平板な、つまり様々な解釈に対して閉じられた作品になったかも知れません。
例えば一枚の絵のように、絵はすぐには何も語りませんが、ゆっくりそれも自分だけに語り始めるように、この映画は僕の心の中で語り始めています。深瀬

映画『愁いの王―宮澤賢治―』を観る/語る会

2019-07-11 | 映画系

【テーマ】  映画『愁いの王―宮澤賢治―』を語る会
【開催日時】7月13日(土)上映12:45~16:30終了予定 /語る会:17:00〜19:00
【開催場所】フォーラム福島で上映後、近所の飲食店にて開催します。
予算は1,500円(食事・ソフトドリンク)、アルコール3,500円程度です。
参加希望の方はは必ずメッセージでお申し込みください。席数に限りがあります。

満席御礼<(_ _)>申し込みを締め切らせていただきますm(__)m
【申し込み】語る会に参加される方はメッセージでお申し込みください。
【参加費】映画鑑賞料は各自でお願いします。飲料費・会場費の詳細は後ほどアップします。
  ※前売り券はフォーラム福島にてご購入下さい.
前売り券の販売開始は5月20日からです。
  ※映画前売券:大人2000円/学生1000円(当日は大人2500円/学生1500円)
  ※招待券不可、前売限定150枚完売し次第、当日発券はなしになります。

   完売御礼<(_ _)>
【カフェマスター】深瀬幸一
【開催趣旨】

今年の2月に東北農民管弦楽団の練習に参加するために花巻を訪れた。
前日、宮沢賢治記念館を訪れた際にフライヤーを見て初めてこの映画のことを知った。
間もなく盛岡でたった一回の上映がされるという。
あいにくその日は予定があり行くことができない。
その時からこの映画のことが気になって仕方がなくなってしまった。

 宮沢賢治の法華経への傾倒に焦点を当てているという。
賢治は多面的な存在だ。詩人、小説家、教師、農民、宗教家、そして生身の人間として。
詩や小説が難解なせいもあって、神話性をまとっている人物でもある。
詩や小説が難解なのは彼の法華経信仰と無関係ではない。
吉田監督は、彼の難解な詩や小説を理解するために法華経を勉強したそうである。
この映画は全篇モノクロームで撮られ、BGMは全てバッハである。
ことに多く選曲されているバッハのコラールは、このキリスト教作曲家の信仰告白に等しい。
吉田監督は法華経そのものについて語りたいのではなく、法華経が賢治の心にどう根付き、それが彼の人生をどう変えたのかを描きたいのではないか。

バッハの傑作『マタイ受難曲』は、罪なきイエスキリストを十字架にかけた人間の罪を苛烈に描いている。
罪とはその時の当事者だけのものではなく私たち人間の罪である。
賢治の小説や詩を読むと彼は常に自らの罪(業)を見つめ向き合っていた人物だと思う。
私にはバッハの描いた人間の罪と賢治が見つめた罪(業)が重なり合うように思われる。
東北農民管弦楽団は、農業に携わりかつ宮沢賢治の「農民芸術論要綱」に共感する人々によって構成されている。
農業に携わる人々にとって自然とは恵みでも脅威でもある。
自然を治めることの不可能性を誰よりもよく知っているのは農民である。
人間とは、自然に対しても自らの罪(業)に対しても、ひたすら許しを乞い祈るより仕方がない存在である。
音楽とは祈りである。
音楽は農民にこそふさわしい活動である。

震災原発事故から8年以上が経った。
震災は人間がいかに弱い存在であるかを改めて教えてくれた。
私たちは、私たちの罪(業)を忘れるべきではないのと同様にこのことを忘れるべきではない。
この映画を福島の心ある人々と見たい。
そして宮沢賢治について、人間の罪(業)について、自然について、震災原事故以降の私たちの生き方について話し合う機会が持てればと願っている。(深瀬)

【ストーリー】映画HPより
1896年(明治29)の陸羽大地震の4日前に岩手県の花巻で生まれた賢治は、町でも有名な裕福な家庭で育ち何不自由なく過ごした。また、家が真宗で信仰の厚い家庭で育ったのだが、実家の家業の質屋には反発を覚えていた。
すぐに家業を継がせたい祖父の反対を押し切り、全国各地から秀才の集まる盛岡高等農林学校に進学した。その頃、法華経と出会い衝撃を受け、生涯信仰する様になるが、家が真宗だったため父親と対立する様になり、家業を継ぎたくない賢治は卒業後、家出して上京する。
そこで、在野の宗教団体・国柱会で修行し布教活動をするのだが、最も信頼し自分を理解してくれる最愛の妹トシが病に倒れたとの電報を受け取り、花巻に戻る。そして、家業を継がせる事を諦めた父の後押しもあって花巻農学校の教師になる。そこでの教師生活の4年4ヶ月は賢治にとっても生徒達にとっても至福の時だった。しかし、教師になって一年余り、最愛の妹・トシが亡くなる。賢治は妹亡き後、暫くの間、筆を手に取る事ができなかった。
トシが亡くなった翌々年に詩集『春と修羅』童話集『注文の多い料理店』を自費出版する。それらはまったく売れなかったが、生前に出版されたのはこの2冊だけであった。
教師を辞めた賢治は自給自足の農民生活を送るが、農民のために奔走し無理がたたって倒れてしまう。一度は回復するのだが、すぐに再び病に伏し、37年の生涯を閉じる。その年1933年(昭和8)3月3日に三陸大地震が起き、岩手は大被害を被る。
没後、弟の清六が賢治の遺言である法華経を筒に納めて岩手県内の32ヶ所の経埋ムベキ山に埋経する。
2052年に賢治の遺言の法華経が、ある山から見つかる。その経筒には
〝此ノ経 尚 世間ニマシマサバ 人コノ筒ヲトルコトナク 再ビ コノ地中ニ安置セラレタシ〟と書いてあった。
見つけた男はその経を持って、混沌とするこの世界に下山するのであった。
 1896年(明治29)の陸羽大地震の4日前に岩手県の花巻で生まれた賢治は、町でも有名な裕福な家庭で育ち何不自由なく過ごした。また、家が真宗で信仰の厚い家庭で育ったのだが、実家の家業の質屋には反発を覚えていた。
 すぐに家業を継がせたい祖父の反対を押し切り、全国各地から秀才の集まる盛岡高等農林学校に進学した。その頃、法華経と出会い衝撃を受け、生涯信仰する様になるが、家が真宗だったため父親と対立する様になり、家業を継ぎたくない賢治は卒業後、家出して上京する。
 そこで、在野の宗教団体・国柱会で修行し布教活動をするのだが、最も信頼し自分を理解してくれる最愛の妹トシが病に倒れたとの電報を受け取り、花巻に戻る。そして、家業を継がせる事を諦めた父の後押しもあって花巻農学校の教師になる。そこでの教師生活の4年4ヶ月は賢治にとっても生徒達にとっても至福の時だった。しかし、教師になって一年余り、最愛の妹・トシが亡くなる。賢治は妹亡き後、暫くの間、筆を手に取る事ができなかった。
トシが亡くなった翌々年に詩集『春と修羅』童話集『注文の多い料理店』を自費出版する。それらはまったく売れなかったが、生前に出版されたのはこの2冊だけであった。
 教師を辞めた賢治は自給自足の農民生活を送るが、農民のために奔走し無理がたたって倒れてしまう。一度は回復するのだが、すぐに再び病に伏し、37年の生涯を閉じる。その年1933年(昭和8)3月3日に三陸大地震が起き、岩手は大被害を被る。
 没後、弟の清六が賢治の遺言である法華経を筒に納めて岩手県内の32ヶ所の経埋ムベキ山に埋経する。
 2052年に賢治の遺言の法華経が、ある山から見つかる。その経筒には
 〝此ノ経 尚 世間ニマシマサバ 人コノ筒ヲトルコトナク 再ビ コノ地中ニ安置セラレタシ〟と書いてあった。
見つけた男はその経を持って、混沌とするこの世界に下山するのであった。
 

夏目漱石『夢十夜』を読むBBQ

2019-07-02 | 開催予定


【テーマ】  夏目漱石『夢十夜』を読むBBQ
【開催日時】 7月5日(土)午後    
【開催場所】 いわき市内個人宅
【申し込み】 参加希望される方は必ずメッセージでお申し込みください。
【参加費】  飲食物各自で持参+会場費
【BBQマスター】宮川家
【開催趣旨】
 突然ですが、夏目漱石の『夢十夜』を読みながら幻想的なBBQを楽しみます。
青空文庫でも読めます
なぜ、『夢十夜』なのか?
提案者からその理由は聞いていませんが、古代から未来へ駆けあがる漱石の「夢」をあーでもない、こーでもないと語りながら、あなたの「こんな夢を見た」話に花が咲かせましょう。
というか、完全に読書は後付けでBBQ窯をつくった宮川家でお肉をはむ方がメインです。
暑気払いをかねて漱石とBBQを堪能しましょう。