カフェロゴ Café de Logos

カフェロゴは文系、理系を問わず、言葉で語れるものなら何でも気楽にお喋りできる言論カフェ活動です。

『マタイ受難曲』を聴く/語る会・まとめ

2019-05-05 | 音楽系


深瀬さんが生き生きと躍動するのは音楽を語らせたときだ。
それが今回も暑苦しく爆発した。
芸術は爆発だとばかりに、話が長くなる。
その場を仕切るはずのマスターにしてこれだから、どこまでこの独演会が続くのか参加者の間に次第に不安が募る。
開始30分を過ぎてもCDを流すそぶりもないことに業を煮やした島貫さんが、横から「〇〇分経過~」と警告を入れる。
ようやく開始45分を過ぎて、バッハ『マタイ受難』の音楽がかけられる。
深瀬が口ずさむので、本編の合唱が聴きにくい。
でも、深瀬さんがノリノリであることは伝わってくる。
饒舌な解説も加わる。
音楽にチンプンカンプンの僕もなんだか気持ちがのせられていく。

今回の鑑賞曲はメンゲルベルク(1871~1951年)指揮によるアムステルダムコンセルトボウ管弦楽団、1939年4月2日(復活祭の日曜日)のライブ録音。
メンゲルベルクは本格的にナチスに協力した音楽家として、戦後、音楽活動を禁じられた札付きの戦犯だ。
この演奏の直後ともいえる9月1日にはナチスがポーランドに侵攻している。
いったい、このとき何を思い彼は演奏指揮をしていたのか、鑑賞者は何を思い聴き入っていたのか。

深瀬さんの該博な音楽知識の解説は、ルターの宗教改革から入り、ドイツ語訳聖書の発行、英仏市民革命の歴史と、デカルト、スピノザ、ヒューム、カント、ヘーゲルなどの哲学者、さらにレンブラントやモーツァルト、ベートヴェンなどの芸術家の思想や音楽性との関連を比較しながら、音楽の近代化とバッハの同時代の意味についての講釈、いや解説が語られた。
そもそもドイツ語で「職人」を意味していたArteが、「芸術」を意味するようになったのは、音楽が職人技や宮廷から解放(?)されて、誰でも聴けるようになる大衆化したこととパラレルである。
そんな近代化の夜明け前を生きたバッハの音楽、そして『マタイ受難曲』。


そもそも、深瀬さんがこの曲の鑑賞会を開催した背景には、「原発事故と罪」という問題に起因する。
今回鑑賞したのは、「最後の晩餐」で、キリストが弟子たちを前に「お前たちのうちの一人が私を裏切ろうとしてる」と語り、動揺した弟子たちが「それは私ですか?」と口々に訊く場面。
その場面をうたう美しいコラールのリフレインはどこか劇的で、混乱的でもあり浄化的でもある。
もちろん、ユダが「私ですか?」と聞いた時イエスは「お前の言うとおりだ」と応える。
しかし、深瀬さんは、そもそも自分にやましさがなければ「私ですか?」と誰も尋ねないだろうと解釈する。
実際、福音書では弟子は皆裏切ってしまう。
イエスの思わせぶりな一言が、予言の自己成就を果たしてしまうわけだが、深瀬さんはそこに誰も犯してしまっている原罪を読み取る。
つまり、その疚しさに誰もが気づいていたわけで、ユダはある意味でただ直接的な裏切りを実行したものとして断罪されただけである。
「この中で罪を犯していなものだけが石でぶて」とはイエスの言葉であるが、昨今の日本社会におけるバッシング現象のひどさにこの言葉を思い出さずにはいられないという発言が出された。
自分だけの正義の危うさ、正義の暴力の危うさ。
「私ですか?」という声と〈私です〉という心の声はイエスの弟子たちだけではなく「私たち」のものである、と深瀬さんは語る。
翻って、原発事故のとき、深瀬さんはこの言葉に打ちのめされたという。
あの事故を東電や国の責任だけに押し付けることは、どこかユダの「銀貨30枚」による直接的な裏切りに罪を押しつけるようなもので、私たちのなかにある罪を不問にする偽善性がないだろうかというわけである。

第1回のエチカ福島において深瀬さんは、『マタイ受難曲』を引きながらこの問題を、ヤスパースの「形而上的罪」に重ね合わせて論じた。
そして、アーレントの責任論にもまた、ヤスパース的な形而上的罪の圏域にあるのではないかという刺激的な主張をしていた。

僕の解釈は異なる。
第一に原発事故の罪あるいは責任は人為的な問題であり、「政治的」ないしは「刑事的」罪(責任)の範疇で考えなければならない。
なぜなら、その区別を明確にせず「形而上的な罪」ないしは「原罪」とするならば、それは「一億総懺悔」となり無責任体制の肯定につながるからだ。
ヤスパースの「形而上的な罪」の定義は、端的に言えば自分が犯したわけでも為したわけでもないにもかかわらず生じる罪である。
原発事故において、それは少なくともそれ以前に生まれて政治的決定権のなかったものに対しては認められるものであって、既に政治的責任があった我々の世代は口にすべきではないと思っている。
そして、決定的なことは、深瀬さんがアーレントに「形而上的罪」との連関を見出す「自分と仲違いせずに生きていけるか」という「思考」については、自分自身との調和を重視する以上、これは明らかにヤスパースにおける「道徳上の罪」の問題である。

そうだとすれば、深瀬さんが『マタイの受難』に見出した上述の解釈は現在や形而上的罪ではなく、道徳的ないしは倫理的罪の問題だったのではないか。
つまり、〈私ですか?〉という問いは世代を超えた「私たち」を含めた全人類的な問いなのではなく、私が〈私〉の罪性を自分で問うことなのではないか。それは引いては政治的判断を開放する、というのがアーレントの論である以上、原発問題において自分自身に不調和であることは政治的な判断への通路を開くという可能性を提示するものとして解釈する方がよいのではないだろうか。

とはいえ、この種の間違いを僕自身犯していたことがある。
僕が初めてバッハの『マタイ受難』を購入し、聴いたのは、2003年のイラク戦争開戦日だった。
世界各国で不義の戦争と、数多くの反戦運動が巻き起こっていたのに対し、日本政府は小泉純一郎首相(当時)がアメリカの戦争を肯定し、日本社会でも反戦歌はせいぜいスマップの『世界に一つだけの花』だけだ(あれのどこが反戦歌なのか、その解釈の意味がいまだにわからないのだが)なんて嘆かれていたその時期、なすすべのない無力感のはけ口にしたのが、意味も分からずに購入した『マタイ受難曲』だったのだ。
無力感のはけ口というだけに、そこに安っぽい自分の罪性のカタルシスを求めた自分が、今となってはおぞましい。

メンゲルベルクの『マタイ受難曲』に戻ろう。
音楽など無知な僕でさえも、高名な指揮者が『マタイ受難曲』の意味を理解できなかったとは思えない。
そうでなければ、あのような心震える音楽を指揮できるものではないはずだ。
すると、にわかに疑問が起こる。
「受難」の意味を知りつつ、彼はなぜナチスに協力できたのだろうか、と。
ユダヤ人虐殺が始まったその時期、彼は何を思ってこの曲を指揮できたのか。
これは、カント倫理学の根本である定言命法の命題を裁判法廷で諳んじたアイヒマンと同じ悪の構造ではないのか。
アイヒマンは、ユダヤ人を憎んでいたわけではなく、むしろ同情していたとさえいう。
しかし、それは国家公務員として「汝殺すべし」という法の定言命法に従わざるを得なかったのだと論じたのだ。
これが甚だカント倫理学の誤解に基づくものだったことは理解できるとしても、ではメンゲルベルクにおいてその倫理的構造はどうなっていたのか。
全体主義がプロパガンダに芸術を利用した次元とは別に、音楽が政治的罪の安全装置を解除する問題性がどこかにあるのかもしれない。

いずれにせよ、深瀬さんに提起してもらえなければ、こうした問題性を考える機会はなかった。
異動によって余裕ができたせいか、深瀬さんの知的躍動が日増しに多動になて来ていることがとてもうれしい今日この頃である。
「令和」という時代に特別な思いを寄せるものではないが、令和初日にこうした会が開催できたことはたいへん恵まれたことだった。
世間の浮かれぶりがメンゲルベルクを聴いていた聴衆とどこまで重なるのかと想像せずにはいられない。
それでも、こんな問題を語らえる仲間と飲むお酒がおいしいことには、平成も令和も関係ないのだ。(文:渡部純)


バッハ『マタイの受難』を聴く/読む会

2019-04-09 | 音楽系
   
【テーマ】 バッハ『マタイの受難』を聴く/読む会
【開催日時】 5月1日(水・祝)16:00~18:00    
【開催場所】 福島市内個人宅
【申し込み】 参加希望される方は必ずメッセージでお申し込みください
       ※満席になりましたので申込受付を締め切らせていただきます。
【参加費】  飲み物代(各自)+会場費
【カフェマスター】深瀬幸一
【開催趣旨】

今回は前奏曲と最後の晩餐の場面を読みかつ聴きます。
前奏曲はオケと合唱が2セット、その上に少年合唱が加わる大規模で複雑な曲です。
スコアも用意します。スコアを見ながら聴くと構造がよく見えます。
罪がキイワードです。
多分お忘れでしょうが、最初のエチカ福島で僕はこの曲を引用しました。
戦争犯罪で戦後は音楽活動を一切禁じられ亡くなったメンゲルベルクの演奏、しかも彼が1939年アムステルダムで行なったライブ録音でした。
僕はそれにヤスパースの『戦争の罪を問う』を併せて引用して、自分の想いを述べたのでした。
誰も褒めなかったけど、いい発表だったと思う。(深瀬)

チャイコフスキー de カフェ雑感

2017-07-16 | 音楽系
ここ福島市は連日の猛暑。
この日もご多分に漏れず、太陽に照射された街はげんなりする暑さ。
そんな日に橘高校のオーケストラの定期演奏会プレ発表を拝聴してのカフェが開かれた。
カフェマスターは、いやマエストロはオケを率いる深瀬さん。
相変わらずタオルを手放せない暑苦しい指揮ぶりは、猛暑を倍増させるかのようだ。
それに比して、チャイコフスキー交響曲一番を演奏する橘高校の置けの演奏はさわやかの一言。
まるで指揮者の暑苦しさを演奏者が冷却させるかのような心地よさに思わず目を閉じながら聴き入る。
楽章の合間合間にマエストロの解説が入る。
楽章の主題、ロシア民謡ともいうべきコサックのリズムとヨーロッパ調のフーガの混成。
さらには、ロシアの農奴解放からクリミア、ウクライナ地方の歴史的に複雑な背景と一民族一国家、民族自決などの歴史背景。
演奏に重ね合わせた解説は、チャイコフスキーが国民音楽派と呼ばれる所以を素人にもわかりやすく理解させてくれるものだった。

さて、一時間にわたる演奏鑑賞の後、ブック&カフェコトウへ移動したメンバーでチャイコトーク。
というか、みんな演奏やチャイコの曲は聞いていて心地がいいということは共通しても、さて、それでチャイコの何について語るべきか、その言葉が見当たりません。
マエストロは引き続き部活動の練習指導のため不在。
しかし、この専門家不在の素人の音楽談義はけっこうおもしろかった。
コサックのリズムには「おっ」と身体が反応するものの、いわゆるクラシック音楽は身体を揺さぶられることはあまりない。
身体のリズムともいうべき音楽が民謡のような土俗性であるのに対し、「洗練」されたクラシック音楽は身体から引き離して対象化されたかのようなものじゃないか。
まさに「鑑賞」とは「観照」のようなものであるのに対し、身体を揺さぶる音楽とは一線を画すものじゃないだろうか。
ただし、それを単純にプリミティブな音楽というべきではないだろう。

もちろん、チャイコの交響曲1番には劇的な場面もあり、思わず魂や感情が引っ張り込まれることもあった。
こういうのに引っ張り込まれるのって、ナショナリズムの醸成と関係あるの?
後にマエストロに聞いたところによると、そこまで明確があるとは思えない、けれど微妙という答え。
18世紀とは異なり、19世紀に入るとクラシックも大衆化されていき、かなりの市民がチャイコの音楽にふれたのじゃないだろうか。
すると、音楽の扇動性もまたなにがしかの意味をもつともいえる。

あれ?そういえば日本の国民音楽ってなんだろう?
都々逸?それは民謡的なものでしょう。
「海ゆかば」なんかがそうじゃないかな。
いまどき軍艦マーチが流れるパチンコ屋なんてないだろうけれど、軍楽なんかは国民的になんとなく口ずさんでしまうものがあるよね。
美空ひばりは?
演歌こそは国民音楽ともいえるけれど、その大衆性や土俗性はやはりクラシックとは一線を画す。
しかも演歌は朝鮮半島由来だということは知っておいた方がいいと思う。
マエストロは古賀政男じゃないかなという。
ならば、わが(?)古関裕而などもそうじゃないかな。
「栄冠は君に輝く」や「六甲おろし」は国民的音楽というにふさわしいだろう。
けれど彼もまた戦時中には戦意高揚を図る軍歌を作曲していたということもまた事実だ。
その意味で言えば、いわゆるクラシックとは異なる系譜として日本の国民音楽の両義性は読み解いていけそうだ。

それにしても、さっきの演奏、思い出せる?
素人の悪い癖なのか、貧乏性のせいなのか、音楽教養のなさに対するコンプレックスなのか、こうした問いを抱いてしまう。
そんなものは必要ないでしょ。
音楽演奏はそもそも一回性にこそ本質がある。
その時々の成功失敗も含めて、瞬間立ち現れる音楽性こそが、演奏会たるゆえんだというのだ。
なんども思い出せるのは演奏家など訓練するものが為しうるものだ。
ところが、複製技術が進化したこの時代において、この一回性、つまりベンヤミン流に言えば「今、ここ」性、アウラは失われてしまっている。
CDで何度も聞き返せるし、音楽だけを目的にするならば、これで十分のはず。
では、なぜ「演奏会に足を運ぶのか。
それは、この「今、ここ」性の魅力なのじゃないか。
いわゆる美術館アートや文学のように、物質化されたもの以上に、音楽はさっとかすめ去っていく一瞬性が強い。
しかも、初めて聞く曲を想い起こそうとしても、素人にそれは困難だ。
加えて、クラシックは複雑で長い。
それでも、どこをどうと言葉で説明できないけれど、「あの時の変調」が印象にあるという程度の記憶はあるだろう。
口ずさむことができれば上出来だ。
それでも、あのときの一瞬の陶酔は忘れられない。それがアウラというものじゃないだろうか。
複製芸術時代においてなおそれは意味をもちうるとすれば、それはなんだろうか。

それにしても素人がアートに触れるときにはいつも付きまとう疑問がある。
それは、知識やある種の作法をもってしなければアートは楽しめないのか、というものだ。
美術館に配置される現代アートはその典型だろう。
デュシャンみたいに「これはアート?」なんて挑発的に美術鑑賞の作法や鑑賞の枠組みを解体する問題提起でさえ、いまや通俗性を帯びている。
音楽ではジョン・ケージの「沈黙」が有名だろう。
趣味作法の枠組解体への挑発に慣れたわたしたちは、すでにこうした問いを投げかけることにさえ慣れている。
じゃあ、文化的枠組(学習)なしの趣味は可能かという問いにもつながっていく。
これがブルデューの問いであることはいうまでもない。

こうして、チャイコフスキーど素人談義は、チャイコそれ自体を語ることは難しかったようだが、音楽やアートその物を問い直す地点にさかのぼる議論を可能にした。
もしかすると、チャイコの特性を際立たせるためには、比較の対象としてそれとは異質な何かを演奏してもらえた方がいいのかもしれない。
とはいえ、定演直前の貴重な時間を割いて、素敵な演奏を聴かせていただいた橘高校オーケストラの皆さんには無限の感謝を申し上げます。
貴重な機会、ありがとうございました。

【終了しました】チャイコフスキーdeカフェ

2017-06-26 | 音楽系
開始時間が15:00~に変更となりました!ご注意ください。


【開催日時】2017年7月15日(15:00開始~【変更しました】
【集合場所】福島県立橘高校 14:55【変更しました】に正面玄関付近へご集合ください
【参加条件】どなたでも参加自由ですが、準備の都合上、メッセージかFacebookページに「参加予定」を表明して下さい。
【カフェマスター】深瀬幸一
【演奏曲目】『交響曲第一番』


演奏終了後に場所を変えて音楽について語り合うカフェを開きます。
7月19日17時半福島市音楽堂にて、橘高校の弦楽部のコンサートがあります。曲目は、ボロディンの『韃靼人の踊り』とチャイコフスキーの『交響曲第1番』その他です。
私はこのオケに関わって9年になり、9曲の交響曲を演奏しました。選曲には全く関与しませんでしたが、なぜか9曲のうちチャイコフスキー4曲、ドボルザーク2曲、シベリウス2曲と、国民楽『交響曲派に属する作品を多くやって来ました。
国民楽派は非常に両義的ですが、簡単に言えば田舎賛歌なわけです。チャイコフスキーも今やってる1番とか少し前にやった2番なんかは、民謡をそのまんま交響曲に引用しています。
ヨーロッパで「音楽」が一般大衆に解放されるのは19世紀だといわれますが、一方で人々の間に愛唱された民謡などは「音楽」とはみなされなかった。
国民楽派の作曲家たちはそれに光を当てたとも言えますが、人々の生活に密着したその歌が、鋭い力となって作曲家たちを突き動かしたとも言えます。
ドボルザークの8番などは実に泥臭い歌に満ちています。シベリウスは国民楽派に分類できないかも知れませんが、フィンランドの自然や歴史に対する熱く深い共感が披瀝されています。私は1番と2番をやりましたが曲が終わる時には感動に震えました。
「映画でカフェ」があるなら「コンサートでカフェ」があってもいいじゃないですか。

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