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國分功一郎×互盛央『いつもそばに本があった』を読む会・まとめ

2019-06-23 | 哲学系

(カフェマスター島貫さんによる手書きのレジュメ)

どこからまとめを書こうかと迷ったけれど、書き手の特権としてまず僕の感想から書き始めてみよう。
國分さんも互さんと僕は完全に同世代、というかほとんど同い年。
72年生まれの互さんと74年生まれの國分さんとの間の73年に僕は生まれた。
ということは、この本に書かれた時代背景の感触はほとんど共感できた(つもりだ)。
お二人の問題関心も読んだ本も決して重なりはしないが、言葉にするのは難しいけれど、ざらっとした彼らの問いの根底にあるものは肌感覚としてわかる(と思っている)。
國分さんは柄谷との出会いから話を始めるけれど、カントに熱中していた柄谷の姿は当時の僕にとってもまぶしかった(その感じがわかる)。
正直に言えば、僕にとってカントは柄谷から教えてもらったものだと思っている。幸か不幸か。
カントとマルクスがその時期の柄谷にとって重要な意味をもっていたことは、著作はもちろんだけれどNAMという社会運動に向かい、そして瓦解するところまでよく覚えている。
そして、NAMにむかったところで急激に柄谷に冷めて読まなくなったことも。
それはそれとして、柄谷に向かったのは、それこそ「すべては幻想だ」という時代的雰囲気や言説にいったん共鳴しつつも、それが思考停止であることに不満を抱いていたことと関係する気がする。
「国家なんて所詮共同幻想じゃない」というフレーズをわけもわからず口にしていた自分が、今となっては赤面するけれど、それはいわゆる「新しい歴史教科書をつくる会」の登場とパラレルだった気がする。
歴史学ゼミの同級生相手に歴史なんて物語だ、なんて嘯いて議論していたのは、どこか冷戦体制崩壊前の枠組みに対するニヒリスティックな気分がそうさせていたのだと思う。
けれど、その気分が僕を柄谷に向かわせたのはむしろ「他者」という問題だった。
「他者なんて理解しえない存在だ」という言説も同様に思考停止を言い表す言説だ。
それはその通りだけれど、そこで終わることにもまたモヤモヤは残る。
そこで出会った『探求Ⅰ・Ⅱ』に刮目させられた。教員採用試験を終えた磐越西線の列車のなかでのことだった。
そこから柄谷にはまった。
この会でも話題になったけれど『日本近代文学の起源』なんて、もう興奮して読んだ。
それで「幻想を幻想と名指して満足していた」うさん臭さが払しょくされたわけではないけれど、こうして本を書いていいのだ、読んでいいのだ、思考をはたらかせていいのだ、ということを教えてもらったのが柄谷だったのだ。
本書で紹介される本と(拙い)僕の読書遍歴はそれほど重ならない、にもかかわらずこの本を読んでいると思わずうなずきながら「そうそう」と一気に読めてしまうのは、同世代の特権なのかもしれない。



けれど、島貫さん世代にとっての柄谷はそれ以上のインパクトがあったらしい。
島貫さんとは父と子ほどの年齢の差があるけれど、彼が大学入学して受けた洗礼は、まさに主体や神の死をつきつけられて先輩にいじめられて、じゃ新興宗教かということにしか出口を見出せない輩がいた時代。
東京ではすでに終わったとされた浅田や柄谷や中上なんて知的ブームに憧憬をもちながら、それでも「じゃ、なんでそんなの読んでたのかといわれれば、世界を知りたかった、解釈したかった。なんでって言われれば、やっぱりはやりだったからなぁ」と島貫さんは言う。
世代は異なれど、その主体や神、あるいはマルクス主義にもとづく「大きな物語」が瓦解したあとの、それでもなお「世界を知りたい」という渇望に取りつかれる感覚はよくわかる。
僕の学生時代において、最も衝撃的だったのは「オウム真理教事件」だった。
クソッタレな受験勉強から解放されて、やっと本当の勉強ができるという解放感とは裏腹に、バブル崩壊と同時に入学した大学には、その浮かれ気分の残余しかなかった。生きる意味や世界とは何かを知りたいと語ると寄ってくるのは新興宗教信者の先輩ばかりだった。
まじめに世界を語ろうとする学生の居場所なんて、これっぽちもなかった。
だからオウムへ行った若者の気分はよく理解できるのだ。もしかしたら自分もそっちに行っていたかもしれない。そんなクソな時代だった。
それを救ってくれたのは、学生時代に世の中のことや社会のことを語ろうという場を立ち上げた先輩たちの存在だ。
恥ずかしい話だけれど、その出会い以前の読書なんて恥ずかしくて言えないものばかりだった。
それが読むことへ向かわせたのは、彼らとの議論があったればこそだった。
西部邁や橋爪大三郎、竹田青嗣、サルトルを勧めてくれた先輩は、「思想ってなんだよ」と思っていた初学者にとってよい読書案内人だった。
よかったのは、その先輩と真逆の思想をもつ先輩がいたことだ。
その先輩にはハーバーマスやメルッチとか、左派の民主主義理論を教えてもらった。
(実は、この先輩は後年、教育社会学研究者として高崎経済大学に就職し、國分さんと同僚になる。「おれ、國分さんとけっこう仲いいぞ」なんて、話を指導教官の退官祝いのときに語ってくれたものだ。)
いずれにせよ、この大学3年次に得た、いまでいう「公共性」の経験は僕の人生にとって大きな方向性を固めるものだった。
なにより、その後大学院でアーレントへ向かわせたのはこの公共性経験に他ならない。


(カフェ&文具のお店「ペンとノート」での初開催)

一方、ソシュールや言語から入った互さんの紹介する本はなおさら僕の読書経験とほとんど重ならない、けれど、互さんの言葉はものすごく響く。
「テクストを読むこと、本を読むこととは、「どう生きるか?」を問うことであり、それを問うための適切な問いを発見し、立てることである」なんて、まさに「ザッツライト!」と深くうなずいた。
僕にとってそれは小説もその対象に入る。
この会ではなぜ本を読むかということについて、おもしろい意見が色々出された。
そのなかで印象深かったのは、歴史を専門とする参加者からの発言だった。
彼は、基本的に知識を得るための本を読むけれど、震災の後に、これじゃ駄目だなと思っていたとき、『世界史との対話』という本に衝撃を受け、「こんな本を書けるんだ」と思うと同時に、その人に会いに行かずにはいられなかったという経験を語ってくれた。
彼によれば、本が知識を得るための物じゃなくて、作者に会いに行く対象になった経験なのだという。
これにもうなずける。
その点で言えば、20代の僕にとって最も衝撃を与えてもらった高橋哲哉先生の『記憶のエチカ』なんて、完全にそう。
朝日カルチャーセンターに何度も足を運び、東大の学会にまで行き、むさぼるように著者の本を読みまくっていたものだった。
それが高じて結局は弟子入りしてしまったのだが。

会では「なぜ若者は本を読まなくなったのか?」という問いが投げかけられたけれど、「本を読めば知識を得られる」とかシンプルに読書は楽しいという程度では、若者に限らず誰も読書に向かおうとはしないのではないか。
それこそその著者に合わずにはいられなくなるとか、ある意味で「転回」を迫られるような経験があったればこそ読書に迎えるという、歴史専門の彼の言葉はなかなか含蓄がある。
では、読書好きは皆そんな経験をしているのだろうか。
アメリカで育ったという別の参加者は「サルトルなんかは悶々としている高校生時代には刺激があっていいなと思ったけど、最近いいなと思ったのは石牟礼の『苦海浄土』。ことばの流れやリズムが心地いい。あれは水俣事件のドキュメントではなく、まさに詩だと思う」と語ってくれた。
その文体の独特のリズムで読むことの快楽もまた読書の楽しみの一つであることは疑いない。
けれど、そのリズムってそれぞれに違うのかな。
僕は『苦海浄土』は名著だし、自分にとって大切な一冊であることは間違いないけれど、実はあの水俣ことばに躓きながらなかなか読み進めるのが難しかったという覚えがある。
東北人だからか?という疑問も上がったけれど、詩的なリズムやテンポっておもしろい。

本を読まない妹と何が違ったのか、という観点から読書経験を語ってくれた参加者もいた(その妹さんもこの会に参加しているのだが)。
幼稚園に通っていた、あるときピアノの横に童話がある本棚はあって、それを片っ端から読み始めたとき、「おもしろい、おもしろい、おもしろい」という経験が最初の読書体験でそれ以来、一度その本にはまるとその人のことを知りたくなり、どんどん広がりを持って読み進めていくようになったという。

本を繋げて読んでいくという点では、別の参加者が「ブックマップ」から本を読み進めていくということを教えてくれた。
たとえば、「松岡正剛が進める365冊」の星がついている本を片っ端から読んでいくと、つながりのあるほんと本との関係性が見えておもしろいのだというのだ。
たしかにこの方法はおもしろそうだ。思いつきの読書しかしない僕にとっては挑戦してみてもいいと一瞬思う。
けれど、たぶん、やっぱりこの方法は自分にはできないなと思い直す。
彼のように全方向的に読書に関心をもてる卓抜した力には、残念ながら僕にはない。系統性は魅力的だけれど、やっぱり「これは!」と手に取る魅力がその本にないと触手が動かなのだ。

今回の会は「理系」の方に肩身の狭い思いをさせたかもしれない。
後半は人文系「オタク」に近い参加者の小説話に花が咲いた。
僕の知らない昨夏の名前もバンバン出てきた。
やっぱり、小説系の話はなかなかついていけない。
そのなかでも共通項になるのは、やっぱり村上春樹。
好き嫌いが分かれるという話題が出されつつ、「嫌い」という人たちの多くが「結局何が言いたいわけ?」ということに収斂されるらしい。
村上春樹の小説にそんなこと求めるなよ、と参加者の多くは言う。
読んでいる間に、疾走感とともに楽しむのが村上春樹。これはとてもよくわかる。
そんななか、なんで本を読むのという問いが蒸し返される。
と、「おお、ここにあったか!」という経験を語ってくれた。
これを聴きながら、いろいろ考え込んでしまった。
というのも、「ここにあったか!」という経験の前提には、何かを探しているという思いというか問いがないと成り立たない。
いや、そう明確にその問いがあるわけでもない気がする。
ふと、「ここにあったか!」という出会いと同時に自分が探していた「問い」が見つかるというのが実際なのではないか。
すると、いったい触手が動く本とは何だろうか。
そもそも読んでもいないのに探してるものがあるかどうかすらわからない。
いったい本を読むとは何だ。
これが、この本(『いつもそばには本があった。』)の「あとがき」で國分さんが書いている「メノン」のパラドクスなのだろう。

この本は実に多くの「読む」ことの意味を教えてもらえる。
70代の参加者は「僕らが気にしていたいつもそばに置く本は、これ以前までの本だった。仕事にかまけて読む間もなくなったとき、横目で気にしていた書籍ばかりが本書には並んでいる。そんななか、41頁の「この享楽に耽る~」を読んだときに、一番大事なものがすっぽり抜け落ちているということに気づいた。そして、ふと思ったらその先を読み進められなくなった。島貫さんの解説にあったように、まだ気づいてさえいないような部分を辿れるんだなぁと読んだものでした」。
その一方で、「正直、この本に出てくる本は読んだことがない。そういう本があるというのはわかっているけれど、いったい誰が読むんだろうと思っていた。逆に上の世代はこれを読むのが普通という文化はあったのか?」という問いも出された。
さらには、「この本に出てくる本を一ミリも読んだこともない。嫌いとかではなく、別の世界の人たちという印象がある」という感想も出された。
そうなのだ。
この本は人文系知識人のスノッブな感じを前面に出した嫌味な感じも否めないのだ。
市井の人にとってはもっと村上春樹とか宮部みゆきとか東野圭吾とか、そのあたりから書かないのかよという感想をもってしまうのだ。
ま、それを言っちゃあおしめぇなのだが、それでも同時代人と一緒に何か読んだものを共有できる感が失われているのが、僕らの世代だとすれば、その微かな糸のようなものをつないだ本なのではないだろうか。
期せずして、世代を超えて集った12名による読書論が成立したのも、この本があったればこそ成立したのだから。

最後に一つだけ気になったことを書きそえておく。
二人が触れない領域はどのように位置づけられてきたのだろうという疑問だ。
たとえば、本書にはジェンダーやフェミニズムの話は一つも出てこない。
関心がないわけではないと思うが、これはけっこう奇異に感じた。
自分たちの物語に位置づけられない「本」、「いつもそばになかった本」の話を聞いてみたいなと思った。
(文:渡部 純)



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