さて、続きであります。吉原駅近くの六地蔵を見た後に旧東海道を歩きながら吉原本町のほうへ向かって行くと、現在は県道格下げになった旧国道1号線だと思ってたらいつのまにか国道139号線になっていた道路の(←かえってややこしい書き方w)、ちょうど現在の国道1号線、つまり高架になっている沼津バイパスと立体交差する富士市依田橋町あたり、和田川の東側の旧東海道のところに満開のソメイヨシノがあり、しかもそこからは富士山が見えていたので思わずiPhoneでもデジカメでも写真を撮ってしまいました。それが上の写真とこの下2枚の写真。
こちらはiPhone4にて。やはりiPhoneでズームすると画質が粗いです。
そしてこちらが一番上の写真より富士山と強調したもの。ベアードさんのタップルームで外人さん数人に訊いたところ、同じような一番上のより富士山が大きいほうがいいんだそうだ。外人さんも富士山は好きなんだよねー。
これぞニッポン!・・という構図ですね。時節柄『ガンバレ日本!』、とか書きたくなります。もし被災地の方がこの写真を見てくれて少しでも和んでくれることがあれば嬉しいなぁ。
そして、また少し歩いていくと・・
・・「左富士神社」なるものがありました。ここではしっかりお参りしましたが、祠の裏が少し広場のようになっており、そのまた裏に和田川が流れていてそちらへと回ってみましたら・・!・・
・・なんということでしょう!(←劇的ビフォーアフター風にお読みくださいw)
富士山を望む桜並木があるではありませんか!
思わず何枚も撮ってしまいました。
しかも!この青い鳥はなんだ!?
これは!?
そうです!カワセミです!
こんな街中にもいるんですねぇ~!ちょっと写真も緊張で手ぶれしちゃいました。
撮ろうとしたときに一旦逃げてしまったのだけれど、しばらくしたら戻ってきたのでこれはここに定住しているようですね。知っている人少ないんじゃないかな?
さぁまた進むと左富士の位置を示す標識(?)と説明看板がありました。
あ、この看板にはまだ“安藤”広重と書かれています。現在では“歌川”広重と書かれるようになっていますね。細かいことはググってください m(__)m あら看板も昭和61年作成でしたか。それでは無理もないです。
そうこうするうちに吉原本町へ着きました。平日の昼下がり、清水の商店街と同じようにシャッターだらけの閉まったお店がとても多いです。
最近の吉原といえば考案されたB級グルメの「つけナポリタン」が徐々に盛り上がりつつあるそうで、せっかく来たのでそれを食べて帰ることにしました。扱っているお店の前には統一されたのぼりが立っているのですぐにわかります。
夜は洋風居酒屋になりそうな喫茶店風のお店に入ることにしました。
まだランチの時間だったので、これにドリンク(アルコール類じゃないよw)がついて千円ちょうど。漬けるスープのほうのそこにチーズが熔けて沈んでいてよく混ぜながら食べます。おこげと共にとても美味しかったです。吉原のつけナポリタンはお店ごとにいろいろ異なるそうなので(清水の「もつカレー」のようなもの)、機会あれば他のお店もハシゴしたいです。ハシゴ用の「ミニメニュー&回数券」があればいろんな味も楽しめるし商店街も回遊できて面白いんじゃないかなぁ?
帰りは岳南鉄道に乗りました。切符はマニアが喜ぶ硬券です。
列車が来ました・・といっても1両なので“列”にはなってませんw
わずか5分ほどで元の吉原駅に戻ってきました。元井の頭線のこの車両、他の車両の運転台をぶった切って後ろへくっつける改造をして前後両方に運転台があり、1両で運行できるようにしてあります。
岳南鉄道には他に2両編成のもあります。
電気機関車もおさえておきました^^
そうそう、ちゃんと富士山を入れておかないとね。この車両、1両あたりの長さがたしか18mで、他の地方鉄道でもあちこちで活躍しているそうです。上毛電鉄もそうだったかな?なので富士山を入れておかないと岳南鉄道だとわからなくなります(わからなくなるというのはウソw)
そうして休日のんびり富士山を撮りながらのウォーキングは終了しました。富士山見ておいしいもの食べて、精神衛生上とってもよかった気がします。左富士の桜はめっけもんでした!