藤村Dが大泉洋をけなして呼ぶとき・・じゃなくて、静岡気象台長の饒村曜さん(にょうむら よう・・と読みます、お名前は)の静岡新聞夕刊のコラム『窓辺』に寄せた文章が毎回とても面白い。
過去の気象に関する資料から静岡に関係するものを掘り出して紹介してくれるが、よくもまぁ探してきたな!と読んで“へぇ~!”と驚くことばかり。
静岡新聞のコラムだからと静岡新聞のサイトを見たが、朝刊のコラムはあったが「窓辺」はなかった。
なので、例として1つ、全文を打ち込んだので是非ごらんになってほしい。
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『窓辺』 饒村 曜
東京航空輸送の近代的天女
昭和4年(1929年)11月、パイロット養成をしていた日本飛行学校は、サイドビジネスとして東京航空輸送を作り、東京と下田間(後に清水まで延長)に定期航路を開設します。静岡県は、東京航空輸送の経営を助けるためか、翌年から上空から海面付近を群れをなしているマグロなどの位置を漁船に知らせる魚群探査事業を委託しています。
その東京航空輸送は、昭和6年4月1日から日本初の女性乗務員を乗せてのサービスを行っています。世界初のボーイング航空輸送から11ヵ月後のことです。6人乗り(乗員を除くと乗客3人)の水上飛行機にエアーガールという名前で乗務させ、私たちが乗るほど安全というPR効果もあったと言われています。
よく搭乗したという菊池寛は「エアーガールは近代的天女である」と表現していますが、清水にある三保の松原の天女伝説を意識してのことかもしれません。サービス開始直前の3月29日の試乗で愛嬢とともに乗った小泉又次郎逓信大臣は、「この芳江はプロペラの音を大変気にするが、私はプロペラの音があって飛行機に乗った気がする」と語っています。この愛嬢がのちに鮫島純也(防衛庁長官などを歴任)を婿にとり、小泉純一郎元総理大臣を産んでいます。
東京航空輸送による天女は、一年程で中止になりますが、乗客に少しでも快適な空の旅を届けようという試みが始まったのは静岡県ということになります。
東京航空輸送の魚群探査事業は、記録的なマグロの豊漁をもたらし、それを使った「ツナ缶」が静岡県の重要な輸出品となっています。一方、東京航空輸送に委託するまで魚群探査事業を企画・推進してきた根岸錦蔵は、しばらくして職を辞し、以後、中央気象台(現・気象庁)の依頼で国際極年観測、皆既日食観測、流氷観測と、飛行機を使った画期的な観測を次々に行っています。 (静岡地方気象台長)
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日本初のスチュワーデスは東京-清水間を飛んでいたこと、三保にあるあの小さな飛行場にこんな歴史があったこと、それに菊池寛がよく乗っていたこと、試乗で乗ったのが後に小泉純一郎の母だということ、この飛行機の事業が現在マグロ水揚げ量日本一である清水港に礎になったことがわかりやすくくわしく楽しく書かれています。すごいなぁ~。
バックナンバーを読みたいのだが図書館へ行って新聞をチェックしないとダメなのかなぁ~?新聞社で出版してくれないかなぁ・・。
過去の気象に関する資料から静岡に関係するものを掘り出して紹介してくれるが、よくもまぁ探してきたな!と読んで“へぇ~!”と驚くことばかり。
静岡新聞のコラムだからと静岡新聞のサイトを見たが、朝刊のコラムはあったが「窓辺」はなかった。
なので、例として1つ、全文を打ち込んだので是非ごらんになってほしい。
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『窓辺』 饒村 曜
東京航空輸送の近代的天女
昭和4年(1929年)11月、パイロット養成をしていた日本飛行学校は、サイドビジネスとして東京航空輸送を作り、東京と下田間(後に清水まで延長)に定期航路を開設します。静岡県は、東京航空輸送の経営を助けるためか、翌年から上空から海面付近を群れをなしているマグロなどの位置を漁船に知らせる魚群探査事業を委託しています。
その東京航空輸送は、昭和6年4月1日から日本初の女性乗務員を乗せてのサービスを行っています。世界初のボーイング航空輸送から11ヵ月後のことです。6人乗り(乗員を除くと乗客3人)の水上飛行機にエアーガールという名前で乗務させ、私たちが乗るほど安全というPR効果もあったと言われています。
よく搭乗したという菊池寛は「エアーガールは近代的天女である」と表現していますが、清水にある三保の松原の天女伝説を意識してのことかもしれません。サービス開始直前の3月29日の試乗で愛嬢とともに乗った小泉又次郎逓信大臣は、「この芳江はプロペラの音を大変気にするが、私はプロペラの音があって飛行機に乗った気がする」と語っています。この愛嬢がのちに鮫島純也(防衛庁長官などを歴任)を婿にとり、小泉純一郎元総理大臣を産んでいます。
東京航空輸送による天女は、一年程で中止になりますが、乗客に少しでも快適な空の旅を届けようという試みが始まったのは静岡県ということになります。
東京航空輸送の魚群探査事業は、記録的なマグロの豊漁をもたらし、それを使った「ツナ缶」が静岡県の重要な輸出品となっています。一方、東京航空輸送に委託するまで魚群探査事業を企画・推進してきた根岸錦蔵は、しばらくして職を辞し、以後、中央気象台(現・気象庁)の依頼で国際極年観測、皆既日食観測、流氷観測と、飛行機を使った画期的な観測を次々に行っています。 (静岡地方気象台長)
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日本初のスチュワーデスは東京-清水間を飛んでいたこと、三保にあるあの小さな飛行場にこんな歴史があったこと、それに菊池寛がよく乗っていたこと、試乗で乗ったのが後に小泉純一郎の母だということ、この飛行機の事業が現在マグロ水揚げ量日本一である清水港に礎になったことがわかりやすくくわしく楽しく書かれています。すごいなぁ~。
バックナンバーを読みたいのだが図書館へ行って新聞をチェックしないとダメなのかなぁ~?新聞社で出版してくれないかなぁ・・。