最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●脳の科学

2010-05-03 13:07:07 | 日記
【暗くて悲惨な話】

●「有料老人ホーム問題」→「国家経済問題」

+++++++++++++++++

この浜松市にも、有料老人ホームと
呼ばれるホームが、あちこちにできた。
入居時の入居費が、300万円前後。
月々の費用、20万円弱。
が、これでも安いほう。
都会地域では、入居費が、2000~
3000万円。
月々の費用、30~40万円とか。

ある雑誌が、有料老人ホームを特集
していた。
その中で、いくつかのモデルケースが
紹介されていた。

夫婦で、ともに元教師(公務員)のばあい、
年金が、合計で月70万円(35万x2)。
預貯金が、2億円。
ほかに土地が2か所など。
現在、年齢はともに74歳、とか。

この夫婦のばあい、有料老人ホームと
自宅の間を行き来しながら、それぞれの
生活を楽しんでいるという。

これからは、そういう「形」がふえてくるという。
つまり、ある程度元気なうちに、有料老人
ホームに入居する。
自宅と老人ホームの間を行き来しながら、
やがて常時介護が必要になるようになったら、
そのまま老人ホームで最期を迎える。

しかしそれにしても、老後も楽ではない。
お金がかかる。
有料老人ホームにしても、ピンからキリまである。
サービスの内容も、金額に応じて、もちろん、
ちがう。

+++++++++++++++++

●簡単な数学

 「お金があれば、老後も何とかなる」と考えている人は多い。
(もちろんお金がなければ、老後は、悲惨なものになるが・・・。)

 しかしものごとは、常識で考えてみよう。
簡単な数学である。

 この先、15年を待たずして、日本人のうち3人に1人は、高齢者になる。
言い換えると、1人の高齢者を支えるために、2人の働き手しかいないことに
なる。
(たった2人だぞ!)
その元教師(公務員)のばあい、夫婦2人で月70万円の年金を受け取っている。
たいへん恵まれた人たちだが、2人の働き手で、月70万円の支援するのは、不可能。
つまりその分だけ、そうした恩恵からはずされた人は、悲惨な老後を送ることに
なる。

たとえばこの私にしても、あるのは国民年金だけ。
夫婦2人で、計13万円弱。
その13万円弱で、どうやって老後を暮らすのか?
安いと言われる、この浜松市での有料老人ホームにさえ、入居することはできない。
そこに見えてくるのは、ぞっとするほど、悲惨な老後!

(これに対して、元公務員の人たちは、こう反論する。
「私たちは、納めた積立金を返してもらっているだけ」と。
しかしこれはウソ。
積立金そのものが、国の補助で補てんされている。
またこういう私の意見に対して、どうか怒らないでほしい。
こうした問題は、あなたの子ども、さらに孫の問題として考えてほしい。
仮に今のあなたはよくても、子どもの代、孫の代にはどうなるか。
そういう視点で考えてほしい。)

●息子や娘たち

 で、頼みの綱は、息子や娘たちということになる。
しかし息子や娘たちにしても、自分たちの生活で、精一杯。
経済的な余裕など、どこにもない。
内閣府の調査によっても、日本人の若者の大半(60~70%)は、「経済的に
余裕があれば、(老後の)親のめんどうをみる」と答えている。
つまり、息子や娘たちは、アテにならない。

・・・だんだんと暗い話になってきた。
書いているだけで、イヤ~ナ気分になってくる。
このエッセーを読んでいる、あなただってそうだろう。
しかしそこにある現実から、目をそらしてはいけない。
「何とかなる」などと考えていたら、それこそたいへんなことになる。

 そこで私たちに残された選択肢は、つぎの2つ。
(実際には、1つ。)

 それまでにじゅうぶんな貯金をしておくか、あるいは最後の最後まで働くか。
最後の最後まで働いて、ポックリと死ぬ。
どうやら私たちに残された道は、後者しかないようだ。
今の今でさえ、特別擁護老人ホームに入居するのは、たいへんむずかしい。
1年待ち、2年待ち・・・。
順番で言うなら、100番待ち、200番待ち・・・。
ほとんど寝たきり状態の老人ですら、入居がむずかしい。

●経済破綻

 このエッセーでは、「老後問題」を書くつもりだった。
最初は、そういうつもりだった。
しかしここでテーマを変える。
つまりこのままでは、日本経済は、確実に破綻する。
また破綻に向かって、すでにまっしぐらに進んでいる。
さらに言えば、一度破綻しないことには、この問題は解決しない。

 数日前、ギリシャの国家経済が破綻(デフォルト)した。
そのあおりを受けて、EU全体の経済がぐらついている。
が、国家の負債比率をみるかぎり、日本のほうがギリシャより、状況は、はるかに悪い。
日本がかろうじて国家破綻しないですんでいるのは、日本にはまだ産業力があるから。
それに日本は、外国には借金をしていない。
国債の持ち率にしても、外人の持ち率は、5%前後と言われている。
つまり日本は身内の借金で、何とかまかなっている。
加えて日本には、国有財産が、1000兆円近くある(・・・と言われている。
しかし実際には、それほどないのではないかと、最近疑いをもつ人がふえている。
たとえば国有林にしても、財産価値は、ほとんどない。)

 そこでアメリカは、日本の大黒柱である自動車産業に目をつけ、TOYOTAを
ねらいうちにしてきた?
・・・という話まで書き出すと、収拾がつかなくなるので、話を戻す。

 要するに、老人問題ひとつみても、日本経済の破綻は、確実に時間の問題。
1人ひとりの公務員の人に責任があるわけではない。
また私も、それぞれの公務員の人に、責任を求めているのではない。
ないが、国家税収(約40兆円)のうちの95%以上(38兆円)を、公務員の
人権費にあてている国は、そうはない。
実際には、ない!

日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。
今の今もそうで、日本が民主主義国家と思っているのは、どこかのバカだけ。
その結果が「今」ということになる。
そしてさらに悪いことに、この「現実」は、一度、国家経済を破綻させないかぎり、
変らない。
つまりそこまで日本の国家財政は、悪化している!

 ギリシャでは、連日公務員たちによるストライキがつづいている。
給料が40%前後にまで減らされたとか。
が、40%前後なら、まだよいほう。
一般大衆は、収入がさらに減って、青息吐息。
日本もやがて、そうなる。
つまりそのツケは、組織も力もない、私たち一般民衆がかぶることになる。

●薄氷の上でダンス

 現在、世界中の国々が、我も我もと、札を印刷して、市中にどんどんとばらまいている。
08年のリーマンショック以来、この日本でも、ジャブジャブにばらまいている。
が、一向に円安に向かわない。
向かわないということは、それ以上に、世界中が札をばらまいているということ。

 韓国経済も中国経済も、現在、バブル状態。
土地の値段にしても、この数年だけで、7~8倍前後に高騰している。

(7~8倍という数字がどういうものかは、あなた自身が今住んでいる家の土地で考えて
みればわかるはず。
現在、私が住んでいる家の土地の売買価格は、坪30万円前後。
それが240万円になるに等しい。
あの日本のバブル経済のときですら、100万円が最高額だった。)

本来ならそれぞれの国の中央銀行が金利を引き上げ、札を印刷する輪転機を
止めなければならない。
が、それもできない。
止めた国から順に、奈落の底へと落ちていく。

 その1番手が、ギリシャ。
つづいてポルトガルとアイスランド。
スウェーデンもあぶない。
中国にしてもいつまでもつか、わからない。
中国がこければ、もちろん日本もこける。
世界中が今、薄い氷の上で、狂ったように踊りまくっている。

●ハイパーインフレ

 金(ゴールド)が暴騰しつづけている。
原油も、このところ上昇傾向にある。
アルミ、銅などの先物価格も、この数か月で、最高値を示しつつある。
簡単に言えば、ジャブジャブになったお金(マネー)が、現物に回り始めている。
「回る」というより、「逃避」と書くべきか。

 ただひとつはっきりしていることは、そのあと世界中を、ハイパーインフレが
襲ってくるということ。
やがてこの日本でも、ラーメン一杯が、2万円、3万円となる。
あるいはそうでもならないかぎり、今の「ジャブジャブ状態」は、解消されない。
が、これは予想でも予言でもない。
現実に今、そうなりつつある。

●結論
 
 「老後問題」を書いているうちに、いつの間にか「経済問題」になってしまった。
言うなれば、老後問題イコール、経済問題。
経済問題のひとつが、老後問題ということになる。
つまりあくまでも、老後問題は経済問題の一部分。

 冒頭にあげた、ある雑誌に載っていたモデルケース。
それを読んでいたとき、私は別の心で、「?」と思った。
その理由のひとつが、ここに書いた経済問題ということになる。

 けっしてそうなればよいと願っているのではない。
しかしこの日本でも、やがてすぐ公務員たちが、ストライキをするようになる。
給料を40%に減らされ、年金を半額にされた元公務員たちが・・・。
が、それ以上に、社会のどん底に叩き落とされるのが、私たち一般大衆ということに
なる。
そのことは今のギリシャの現状を見ればわかる。
ギリシャの現状は、そのまま日本の近未来図と考えてよい。

 では、どうするか。

 ここでも結論は、ただひとつ。
最後の最後まで懸命に働いて、そのときがきたら、ポックリと死ぬ。
ひとつだけ条件があるとするなら、「健康」。
何とか健康だけは、維持する。
最後の最後まで、維持する。
今の私たちに残された道は、もう、それしかない。

●補記

 ついでに一言。

 「最後の最後まで仕事をする」といっても、老人のばあい、そこに(生きがい)の
問題がからんでくる。
ほとんどの老人は、サラリーマン生活のむなしさを、いやというほど、知っている。
だから「仕事をする」といっても、退職前のようなサラリーマン生活では、満足できない。
できないばかりか、そこに絶望感すら覚える。
「もう、コリゴリ」と。

 そこで「働く」ということを、「生きがい」、さらに「収入」とどう結びつけていくか。
「収入」といっても、多大な期待をしているわけではない。
足りない分は、貯金で補う。
その程度の収入でよい。

私もこの年齢になってはじめてわかったことがある。
それは「遊んで暮らすこと」が、けっして理想の老後生活ではないということ。
またそんなことを繰りかえしていても、むなしいだけ。
「毎日、遊べ」と言われても、遊べるものではない。
若いときは、みなでよくこう言いあった。
「老後は、孫の世話と庭いじり。悠々自適の年金生活」と。
しかしそんな生活に、どんな意味があるというのか。
またそれが老人の魂の救済に、どれほど役に立つというのか。
はっきり言えば、バカげている。

 そこで再び、生きがい論。

 我ら老人組みは、風に舞うようなささやかな希望であればよい。
それさえあれば、そこに夢を託し、クモの糸のような細い糸で、それを目的へと
つなげることができる。
ぜいたくは言わないし、言えない。
「ささやかな希望」でよい。
我ら老人組みは、それにしがみついて生きる。

・・・とまあ、本当に暗い話になってしまった。
イヤーナ話になってしまった。
私もここまで暗い話を書くつもりは、なかった。
しかしここで重要なことは、ここを原点として、自分たちの未来を前向きに
考えるということ。
「今」が結論ということでもないし、ここで人生が終わるわけでもない。
私たちにはそれぞれ、やるべきことがある。
それをさがしながら、ともかくも前に向かって進む。 
とりあえず、その第一は、「健康」ということになる。
今日もこれから4キロ近くを、ランニングするつもり。
「つもり」ではなく、「する」。
午後は、浜松の凧揚げ祭りを、凧揚げ会場まで歩いて見に行く。
このつづきは、それが終わってから、また書きたい。

 5月3日月曜日、早朝。
みなさん、おはようございます。
ただ今の時刻は、午前6時50分。
ともかくも、今日も始まった。
がんばりましょう。
がんばるしかないのです!


Hiroshi Hayashi++++++May.2010++++++はやし浩司

●脳と健康(私の推論)

++++++++++++++++++

うつ病の最大の敵は、「こだわり」。
うつ病イコール、こだわり。
こだわりイコール、うつ病。
うつ病とこだわりは、紙でいえば
表と裏の関係。
両者は、いつも同時進行の形で始まり、
そして同時進行の形で終わる。
言い換えると、ひとつのことにこだわり
始めたら、要注意。
それがうつ病の始まり。

・・・と、私は勝手に解釈している。
が、大筋では、それほどまちがっていない
と思う。
書店で、「サイエンス」の最新号を読んだとき、
それを確信した。

+++++++++++++++++++

●エネルギー

 脳細胞は、ものすごい量のエネルギーを消耗している。
脳とコンピュータを直接比較することはできないが、コンピュータが消費する
電力を思い浮かべればよい。
一説によると、人体の消費するエネルギーの3分の1とか、あるいは80%とか、
その程度を消費している。

が、昨日、面白い論文を読んだ。
「サイエンス」(最新号)に載っていた論文だが、人間の脳というのは、常時、
ものすごい量のエネルギーを消費しているという。
何かを考えているときも、反対に何も考えず、リラックスしているときも、
同じように消費しているという。
むしろ何かを懸命に考えているときのほうが、その部分の脳は活発に活動するが、
全体としてみると、かえってエネルギーの消費量が少なくなる、とも。

 従来は、使用される脳細胞をみて、脳の働きをみたが、最近は、消費する
エネルギーの量をみながら、脳の働きをみるそうだ。
(以上、立ち読みで得た知識なので、内容は不正確。)

●こだわり

 サイエンスという雑誌で得た知識を、「こだわり」に当てはめて考えてみる。
つまり人が何かのことに、強いこだわりをもったとする。
するとそのこだわりをもった部分については、脳は活発にエネルギーを消費する。
そればかりを懸命に考えるために、そうなる。

 しかし全体としてみると、ほかの部分が、休止状態になるため、エネルギーの
消費は低下する(?)。
「リラックスしているときのほうが、エネルギーの消費量が多くなる」というのは、
そういう意味と考えられる。
が、このことは、実生活に当てはめてみると、納得できる。

●こだわりとボケ症状

 私の実兄は、晩年、ものごとに対するこだわりが、たいへん強くなった。
たとえば見知らぬ人が、私の家の前に無断駐車をしたりする。
すると、実兄はその車が気になってしかたなかったらしい。
車のことでブツブツ言いながら、車のことばかり気にした。
ときにそのまま、精神状態がおかしくなったりした。

 同時に、実兄のボケ症状は、進んだ。
うつ病とボケ。
専門家でも、その区別がむずかしいという。
つまり、うつ病からボケ症状を併発する人もいれば、反対に、ボケ症状から、うつ病を
併発する人もいる。
どちらが先で、どちらが後か。
あるいはどちらが本病で、どちらが表病か。
専門家でも、その区別がむずかしいという。

 つまりものごとに対するこだわりが強ければ強いほど、一方でうつ病を引き起こし、
他方で、脳全体の働きを鈍らせる。
うつ病とボケ症状は、いわばペアの関係にあるということになる。
(注:ボケ症状イコール、認知症ではない。)

●私の推論

 ずいぶんと乱暴な推論なので、このあたりは適当に読んでもらえばよい。
しかしこう考えると、「こだわり」「うつ病」「ボケ症状」の関係が、スッキリと
頭の中で整理できる。
それにサイエンスに載っていた記事を重ね合わせてみる。
全体がひとつの論理で、さらにうまく説明ができる。
もう一度、復習すると、こうなる。

 脳全体は、常時、大量のエネルギーを消費している。
リラックスしているときも、そうでないときも、だ。
が、ひとつのことにこだわると、その部分でのエネルギーの消費は増大するが、
脳のほかの部分でのエネルギーの消費量は、低下する。
その一例として、「こだわり」がある。
こだわりが強ければ強いほど、脳のその部分でのエネルギーの消費は増大する。
が、脳のほかの部分でのエネルギーの消費量は低下する。
それがボケ症状につながる。
「こだわり」と「ボケ症状」との関係は、こうしてうまく説明できる。

●研究バカ(失礼!)

 似たような体験は、日常的によくする。
たとえば「研究バカ」(失礼!)と呼ばれる人たちがいる。
その分野では、特異にすぐれた業績を残すが、ほかの部分では、まるで常識ハズレ、
というような人のことをいう。
子どもの世界にも、ときどき、このタイプの子どもがいる。
印象に残っているのに、S君(当時、高校生)という子どもがいた。

 私が予備校でアルバイト講師していたときのことだった。
私はS君に出会った。
成績だけはメチャメチャよかった。
難解な数学の問題を、スラスラと解いた。
が、どこからどう見ても、おかしい。
どうおかしかったかということは、ここには書けない。
しかしおかしい。
まともではない。

そのS君が、ある日、こう言った。
「先生、この世の中のことは、すべて数学で説明できる」と。
私は彼に意見に首をかしげたが、S君は真顔だった。

●ボケ防止

 つまりS君は、「勉強」という脳の中でも一部の分野では、特異な能力を見せた。
が、それ以外の分野では、むしろ眠ったような状態になっていた。
おそらく「醤油」と「ソース」の使い分けも知らなかったのでは?
またそう考えると、当時のS君が、よりよく理解できる。
「刺身に、ソースをかけて食べる」と言ったこともある。

 が、この推論は、そのまま我ら老人族にも、重要な意味をもつ。
結論を先に言えば、こだわりは、ボケの始まり、ということ。
うつ病は、ボケの初期症状と言い換えてもよい。
つまりある特定のことだけに、悶々と悩んだりするのは、脳の健康のためによくない。
むしろ脳の健康のためには、脳をリラックスさせ、四方八方、あらゆることに
興味をもつようにする。
そのための努力を怠らない。

・・・そう言えば、亡母が入居していた特別擁護老人ホームに、こんな女性がいた。
朝起きてから、夜眠るまで、「飯(めし)はまだかア!」と叫んでいた女性である。
年齢は90歳を過ぎていたと思う。
若いころの美しさをそのまま残したような女性で、それだけによけいに気になった。
その女性のばあい、「食べ物」に対して、異常なこだわりをもっていた。
つまりその分だけ、脳のほかの部分が、空白になっていた。

●リラックスさせる

 最近の脳科学の進歩には、目を見張るものがある。
ポジティブMRIができてから、さらに進歩した。
今では、脳の働きを、リアルタイムで観察することができる。
サイエンスの中の、その記事の中にも、それが書いてあった。
つまりその人の思考程度、内容に応じて、脳のどの部分がどのように機能するか、
それをまるでレーダーに映して見るかのように、わかる。
「リラックスしているときも、脳は活発に活動している」ということも、それで
わかるようになったらしい。
(以前は、脳波の動きによって、それが推察されてはいたが・・・。)

 このことは、ひとつの教訓を私たちに与えている。
つまり、リラックスすることは、脳の健康を維持するためには、大切なこと、と。
音楽を聴いたり、旅をしたり、あるいはぼんやりと窓の外をながめたりするだけでもよい。
それによって、(こだわり)を弱くし、脳のほかの部分を活発化させることができる。

私の印象では、とくに「笑う」ということがよいのではと考える。
子どもでも、大声で笑う子どもほど、心がまっすぐ伸びる。
思考も柔軟になり、常識的になる。
反対にボケ症状が進んでくると、人は笑うことさえ忘れてしまう。
もちろんユーモアは通じない。

 以上、推論に推論を重ねて、持論を展開してみた。
仮にまちがっているとしても、ダメもと。
害はない。
脳の健康のために、ここに書いたことが、何らかの役に立てば、うれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 脳の健康 エネルギー こだわり うつ病 鬱病 ボケ ボケ症状 こだわりとボケ症状 うつ病とこだわり 認知症)


Hiroshi Hayashi++++++May.2010++++++はやし浩司

●アクティブ・ラーニング(1)

2010-05-03 11:18:24 | 日記
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2010年 5月 3日
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3月2日  第1168号になりました!

★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page003.html

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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【Active Learning & 考える教育(Positive Educat
ion】

●春休み

 春休みになって、ひとつ心がけていることがある。
「遊ぶ」こと。
思い立ったら、即、実行!

 ……ということで、昨日は、掛川にある「つま恋・リゾートセンター」で一泊した。
が、寝苦しかった。
夜中に何度も、目が覚めた。
このままだと、今日の昼までもたない。
家に帰ったら、そのまま昼寝。

●近況

 ……おととい、「ファミリス」(静岡県教育委員会発行雑誌)の原稿を書かせてもらった。
子育て相談に関する原稿。
そのあと、TK先生から、Active Learningについての資料がないか、
問い合わせのメールが入った。
Active Learning(アクティブ・ラーニング)。
はじめて聞く言葉だが、意味は、すぐわかった。
要するに「実体験を伴った教育」をいう。

YOUTUBEにひとつ、こんなパロディが載っていた。
子どもに「火」を教える。
そのとき子どもは、マッチを使い、何かを爆発させる。
子どもは火傷(やけど)を負う。
子どもは火(fire)の意味を知る。
「これがActive Learning」と。

 もちろんパロディである。
もちろん実際に、こんな教え方をしてはいけない。
が、これからの教育のひとつの方向性を示している。
具体的に、実体験をさせながら、ものごとを教えていく。
わかりやすく言えば、子どもを教室に閉じこめておくのではなく、教室から
子どもを外の世界へ連れ出し、そこでものを教えていく。

●考える教育

 ついでに、「考える教育」について。

 子どもによって、何か新しい問題を出したとき、大きく2つに分かれる。
ひとつは、自分の学習経験に照らし合わせて、「まだ習ってない」「できない」と逃げて
しまう子ども。
もうひとつは、「やってやる」「やらせて」と、食いついてくる子ども。
この(食いつき)を、私はそのまま「食いつき」と呼んでいる。

 「食いつき」のある子どもは、すばらしい。
「食いつきのない」子どもは、教えていても、つまらない。
学習態度が、万事、受動的。
つまりpassive(パッシブ)。
言われたことはやるが、そこまで。
発展性がない。
どこか自分勝手。
私は、そういう子どもを、「満腹児」と呼んでいる。
何もかも満たされているため、ガッツ(=野生味)がない。

 そこで重要なことは、いかにすれば、その「食いつきのある子ども」に
することができるかということ。
以前、「満腹児」について書いた原稿をさがしてみた。

++++++++++++++++

2006年の原稿より。

++++++++++++++++

●満腹児

 「こうであってほしい」と思う描く自分。しかしそこには、現実の自分がいる。この両
者のギャップが大きいとき、そこから「渇望感」が生まれる。

 この「渇望感」のでわかりやすいのが、性欲。フロイトも、リビドーという言葉を使っ
て、それを説明している。「性欲こそが、生きるためのすべてのエネルギーの根源である」
と。

 性欲が、ムラムラと起きてきたとき、そこに性のはけ口としての、相手がいれば、その
時点で、性欲は解消される。しかし相手がいないとき、相手をもとめられそうにないとき、
渇望感は、さらに強くなる。

 渇望感は、性欲だけには、かぎらない。しかしこの渇望感が、姿を変えて、外の世界に
向っては、「欲」となって現れる。

 名誉欲、金銭欲、支配欲、独占欲などなど。

 そういう意味で、「欲」があるからこそ、人は自分らしさを保つことができるのかもしれ
ない。食欲にたとえていうなら、空腹感という渇望感を満たす、食物のようなもの。欲が
あるから、人は生きられる。

 しかしこの渇望感を、悪と考えてはいけない。渇望感は、性欲にかぎらず、その人を動
かす原動力となる。子どもの世界にも、「満腹児」(この名称は、私がつけた)と呼ばれる
子どもがいる。

 あらゆる面で満たされているため、渇望感がない。そのため、いつも満足げで、おっと
しりしている。欲がないというというだけではなく、生活力もない。ハキもない。

 子どもをじょうずに伸ばすためには、子どものどこかに、この渇望感を用意するとよい。
実際、伸びる子どもというのは、あらゆる方向に触覚がのびていて、好奇心が旺盛である。

(はやし浩司 渇望感 欲 欲望 欲望 満腹児 Active Learning 食いつき 子ども
の積極性 考える子ども 独立して考える) 

+++++++++++++++

●この日本では……

 この日本では、子どもを批判的に評価する方法は、一般化している。
つまり後ろ向き。
たとえばやる気を示さない子どもについては、「燃え尽き症候群」「荷下ろし症候群」
「無気力児」などなど。
そういったいわゆる診断名らしきものをつけたあと、教育を考える。

 一方欧米では、ものの考え方が前向き。
言うなれば(できる子ども)を、さらに伸ばすには、どうしたらよいかという観点で
教育を組み立てる。
つまり「勉強ができない子どもがいてもよいではないか。
そういった子どもは、別の方面で、別の才能を伸ばせばよい。
それよりも、できる子どもを、さらに伸ばしてやろう」と。
そういう発想が強い。

 一方、この日本では、伝統的に、「落ちこぼれ」を嫌う。
たとえば子どもがズルをして、学校を休んだとする。
すると学校(幼稚園)の先生は、「後(おく)れる」という言葉を平気で使う。
後れる?
つまり一定のワクの中に、子どもを押し込もうとする。
(もちろん、出る釘も叩くが……。)

 で、こうしたちがいが、大きく現われているのが、Active Learning
ということになる。
「能動指導」とでも訳すのか。

 私もTK先生に教えてもらったばかりだから、中身はよくわからない。
これからしばらく、この問題について考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 アクティブ教育 能動教育 能動指導 active learning active
education)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司
 
●IAP教育

+++++++++++++++++++++++++++

できない子どもを問題視してはいけない。
できる子どもは、さらにできるようにすればよい。
できない子どもについては、何かよい面を見つけ、それを伸
ばせばよい。
それがこれからの教育ということになる。

+++++++++++++++++++++++++++

 日本では、何かにつけて、(できない子ども)を問題視する。
しかしその一方で、(できる子ども)を伸ばすシステムもない。
むしろ「出る釘は叩く」式の教育が、平気でなされている。
これには日本人特有の、「型ワク意識」が、影響している。
明治以来の「もの言わぬ従順な民づくり」の亡霊と言ってもよい。

 一方、欧米では、できる子どもは、さらにできるようにする。
できない子どもについては、その子どもの才能を見つけ、それを伸ばすように
している。
私の想像ではない。

 メルボルンの郊外に、ジーロン・グラマー・スクールがある。
小学1年生から高校3年生までの一貫教育を施している。
(実際には、幼稚部も含まれている。)
あのチャールズ皇太子も1年間学んだことがある。
その学校では、子どもの能力と、方向性に応じて、自由にカリキュラムを
組んでいる。
自由にだぞ!
たとえば水泳の才能のある子どもは、毎日水泳の授業が受けられる。
木工が好きな子どもは、毎日木工の授業が受けられる。
何も、主要5教科(日本)だけが、教育ではない!
人間が学ばなければならない、知識と経験ではない!

 どうしてこの日本では、そういう教育を目指さないのか。
つまりそれが日本と欧米の、教育の基本的な姿勢のちがいということになる。

●自分で考える子ども
 
 TK先生は、かねてから、「Independent Thinker」という言葉をよく使う。
「自分で考える子ども」という意味である。
「これからは知識の時代ではない。
知識など、インターネットを使えば、その場で手に入る」と。

 そこでTK先生は、自身が東京R大の理学部長をしていたとき、独自の
入試方法を実施した。
それが今に見る、AO入試の原型となった。
で、今度はさらにそれを一歩進め、「Active Learning」という言葉を私に
教えてくれた。
意味はよくわからないが、直訳すれば、「行動的な学習」ということになる。
「教室の中だけではなく、外の世界に飛び出し、そこで能動的にものを
教え、学ぶ」ということか。
これから先、いろいろな情報が入ってくることと思う。

 で、「Active」があれば、当然、「Positive」もあるということになる。
つまり「積極的な学習」。
何でも前向きに、「やる!」「やりたい!」と、積極的に食いついてくる子どもを
育てる。

 で、これら3つを並べると、「Independent」「Active」「Positive」となり、
それらの3つの頭文字を取ると、「IAP」となる。
つまり「IAP教育」!

 「IPA教育」は、これからの日本の教育の(柱)とすべき理念ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 IAP教育 Independent Thinker Active Learning Positive
Learning Active Education Positive Student)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●掛川へ

++++++++++++++++++++++

今、掛川へ向っている。
電車の中。
今日は、YAMAHAリゾート・センター、「つま恋」で一泊するつもり。
軽く運動をし、温泉につかる。
そう、今日から春休み。

で、今日のお供は、TOSHIBAのダイナブック(MX33)。
純白のパソコン。
それにワイフと長男。

++++++++++++++++++++++

●日本破綻

 相向かいの席の男が、週刊誌を読んでいる。
「週刊現代」。
その表紙に、「日本破綻……2012」と並んで、「人生は60歳から」とある。
それを見て、「ありえるなあ」「何言ってるんだ」と思う。

 日本破綻については、たいへん(ありえる)。
へたをすれば、2012年度ではない。
2011年度の国家予算すら、あやうい。
組めなくなる。
しかし日本破綻は、日本だけの問題にとどまらない。
世界を巻き込む。
日本破綻イコール、世界破綻と考えてよい。
正確には、「日本発、世界破綻」。

もっともそれ以前に、世界にばらまいた(円)が、日本へ逆流し始める。
そうなったとたん、ハイパーインフレが、日本を襲う。
が、これはきわめて短期間のうちに起こる。
たとえば逆流が土曜日に始まったとする。
その2日後の月曜日には、日本の経済は破綻する。
リーマンショック、ドバイショックのときもそうだった。
「あぶないぞ」とうわさが出ている段階では、まだだいじょうぶ。
「まだ、だいじょうぶかな?」と思っているときが、あぶない。

「逆流」という言葉で思い出したが、私はときどき逆流性食道炎になる。
今朝、知り合いの漢方医(薬剤師)に、たまたま電話でそれについて相談したところ。
「水気(すいき)逆上だから、半夏(ハンゲ)……半夏写心湯かな?」と。
漢方医の彼は、そう言った。
半夏厚朴湯(ハンゲコウボウトウ)なら、毎晩、眠る前にのんでいる。
これはもともとは、胃腸薬。
女性の精神安定剤としても、効く。
量を多くして、しばらく半夏厚朴湯をのんでみることにした。

 つまり、言うなれば、日本経済が、逆流性食道炎状態になる。
あまりよいたとえではないかもしれないが、そういった状態になる。
が、ほんとうに心配なのは、中国経済。
バブル経済はバブル経済だが、そのバブル経済が狂乱じみてきた。
つい先週末も公定歩合(貸し出し金利)をあげたが、まさに焼け石に水。
猛烈な勢いで、元が、市中に流れ込んでいる。
ドドーッ、ドドーッ、と。
近く、何か恐ろしいことが起きるような気がする。

●人生は60歳から
 
 「人生は60歳から……」という言い方には、大きな違和感を覚える。
お世辞?
励まし?
慰め?

何も「60歳」という数字にこだわる必要はない。
あえて「60歳」にする必要もない。
「30歳」でもよい。
「40歳」でもよい。
「60歳」としたところに、意図的なイヤミを感ずる。
裏を返して言うと、つまり裏から解釈すると、「人生は60歳で終わる」となる。

また記事の内容など、読まなくても、おおよその推察がつく。
いろいろな人の老後の設計図を示しながら、60歳を過ぎても、こうして
がんばっている人もいるという内容。

 しかし実際には、私の年齢の人は、だれも「人生は60歳から……」とは思っていない。
この年齢になると、自分を支えるだけで、精一杯。
私も「人生は60歳から」と思いたいが、それ以上に強いパワーで、
容赦なく、押し戻されてしまう。

 ただこういうことは言える。
「人生の結論は、60歳で出る。
あとはその結論を、どう生かして生きるか」と。
その結論が、60歳以後の人生の内容を決める。

●論理

 論理学を使って、もう一度、「人生は60歳から……」を考えてみよう。
つぎのような問題がある。
あなたは、どう考えるだろうか。

【問】

 ここに4枚のカードがある。
表には、(△)か(□)が描いてある。
表が(△)のときは、裏には赤の(●)が、かならず描いてある。
このことが正しいことを証明するために、あなたはつぎの4枚のカードのうち、
どれをめくってみるか。

1枚目……(△) 
2枚目……(□) 
3枚目……赤の(●) 
4枚目……青の(●)

 単純に考えれば、1枚目と3枚目をめくればよいということになる。
1枚目をめくってみて、赤の(●)。
3枚目をめくってみて、(△)。

 しかしこれでは先の命題を、正しいと証明したことにはならない。
1枚目をめくったとき、裏に赤の(●)があれば、命題の条件に合致する。
3枚目の赤の(●)をめくってみたときも、そうだ。
表に(△)があれば、命題の条件に合致する。
が、これでは十分ではない。
だからといって、「(△)のカードの裏は、赤の(●)」ということが、証明された
わけではない。
つまり先の命題が、正しいことを証明したことにはならない。

 この命題が正しいと証明するためには、この命題はまちがっていない
ことを明らかにしなければならない。
が、その前に書いておかねばならない。
3枚目は、めくっても意味はない。 
仮に3枚目をめくったとき、表に(△)が描いてなくても、(つまり(□)で
あったとしても)、この命題の証明には、影響を与えない。

 では、どれをめくればよいのか。

 1枚目をめくって、赤の(●)が出てくることは、命題の証明には必要。
しかし十分ではない。
そこでこの命題はまちがっていないことを証明しなければならない。
それを決定するのは、4枚目のカードということになる。
4枚目は青の(●)。
もしこのカードをめくってみて、(△)が出てこなければ、この命題はまちがって
いることになる。
そこで4枚目をめくってみる。
表に(△)が出てくる。
この段階ではじめて、命題は、まちがっていないということになる。

 これが「論理」である。

●言葉の遊び

 話を戻す。
「人生は60歳から」というのは、一応正しいと仮定しよう。
「一応正しい」というのは、一応必要な条件を満たしているということ。
しかしこの命題が正しいというためには、「ほかの年齢からは人生は始まらない」という
ことを証明しなければならない。

「人生は、30歳からではない」
「人生は、40歳からではない」
「人生は、50歳からではない」と。
 それを証明しなければ、十分とは言えない。

 しかし人生は何も、60歳だけから始まるわけではない。
さらに言えば、「人生は70歳から」と言っても、何もおかしくない。
「人生は80歳から」と言っても、何もおかしくない。

 つまり「人生は60歳から」というのは、論理学的には、きわめて非論理的な
言い方ということになる。
わかりやすく言えば、ただの言葉の遊び。
人目を引くための、ただのキャッチフレーズ。

●掛川駅

 あっという間に、電車は掛川駅に着いた。
私のばあい、こうしてパソコンのキーボードを叩いていると、あっという間に時間が
過ぎていく。
電車に乗っているときは、とくにそうだ。
そういう意味では、退屈しのぎには、よい。

 そうそう、あえて言われなくても、60歳台の人たちは、みながんばっている。
「人生はこれからだ」と、自分をだましながら、がんばっている。
が、実際には、どうにもならない。
あっちを見ても、壁。
こっちを見ても、壁。
壁、壁、壁……。
それだけではない。

電話番号を聞いても、「覚えておられるだろうか?」という不安が、頭の中を、
ふと横切る。
「本当は人生は、終わっている」と、だれもが心のどこかで、感じている。
が、それを認めるのは、敗北。
だから、「まだまだ……」と。

 最後に、私はこう思った。
「あの原稿を書いた人は、本当に60歳なのだろうか」と。
本当に60歳なら、ラッキーな人だと思う。
私も、もうすぐ63歳になるが、とてもおこがましくて、そういう言葉は出てこない。
私がラッキーであるとするなら、よけいに、そうでない人たちに申し訳なくて、
そういう言葉は出てこない。
それはたまたま健康な人が、病気の人たちを前に、「健康は大切ですよ」と言うに
似ている。
励まされているというよりは、先にも書いたように、どこかイヤミに感ずる。

 もうひとつの「日本破綻……2012」というほうの記事は読んでみたい。
が、「人生は60歳から」という記事のほうは、読みたくない。
読む前から内容がわかる。
そんなことを考えながら、そそくさと電車を下りた。

(2)

2010-05-03 11:18:00 | 日記

++++++++++++++++

●つま恋

 敷地面積、55万坪!
約170万平方メートル。
総合健康スポーツ施設。
環境は最高。
ちょうど桜が満開のころで、感激!

 YAMAHA製品というと、高級ブランドイメージが強い。
それもあってか、施設内は、全体になにもかも、豪華+高額。
私たちは古いほうのホテル(サウス・ウィング)に泊まった。
それでも料金は、1人1泊、1万2000円(夕食なし、朝食のみ)。
部屋は都市のビジネスホテルの、約2倍ほど。
高いね!

 しかし本来なら、公共団体が開発、運営してもおかしくない施設。
それを一企業が、ここまで成し遂げたというところが、すごい!
さすがYAMAHA!

 ただし温泉(つま恋温泉・森林之湯)は、星が2つの、★★。
料金を考えると、星は1つの、★。
脱衣用のロッカーは、数がたいへん多い割に、化粧室は、たったの4席しかない。
脱衣用のロッカーは、200~250個。
化粧室は、6畳間くらいの部屋に、4席だけ。
たまたま春休みの日曜日ということで、入浴客で、中はごったがえしていた。
子どもが10~15人前後、走り回っていた。
ゆっくり、静かに……というわけにはいかなかった。

 食事は、中央棟(SMC)のレストランで。
スパゲッティ、カレーライスが、1800円前後。
おいしかった!

 ……今、ワイフと長男は、DVDを観ている。
私は背中を向けて、エッセーを書いている。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2010++++++はやし浩司

●27キロ、走破!

++++++++++++++++++

昨夜遅く、自宅から山荘までを、
自転車で走ってみた。
片道、27キロ。
寒かった。
手が痛いほど、空気が冷たかった。
夜10時ごろ出発して、着いたのは、午前
1時半。

3時間半もかかったことになる。
その間、いろいろなドラマがあったが、
忘れた。
よく覚えているのは、コンビニのありがたさが、
改めてよくわかったということ。
「セブンiさん、ありがとう!」

+++++++++++++++++++

●静かな朝

 起きて、雨戸をみな、開けた。
とたん緑の山々と、水色の空がどっと視界に入ってきた。
手前のほうでは、枯れ木がやさしく揺れている。
冬の景色だが、どこか春めいてきた。

 ところでなぜ、昨夜、自転車で走ったか?
それにはいろいろな理由がある。
その第一。
家族のことをあれこれと考えていたら、
そのうち収拾がつかなくなった。
ほかのテーマなら、文章にして、モヤモヤを
はき出すということもできる。
しかし「家族」では、それができない。

●自責型人間

 ときどき自分がいやになるときがある。
このところめったに、他者という(個人)に対しては、(怒り)を
覚えることはない。
家族であれ、近隣の人たちであれ、あるいは親類の人たちであれ、
(怒り)を覚えることはない。
(怒り)を覚えても、どういうわけか、それがすぐ自分にはね返って
きてしまう。

 私は典型的な自責型人間。
外見的には、他責型人間に見えるかもしれないが、自責型。
何があっても、自分を責めてしまう。
そういう(怒り)が、自分に向かった。
それが頂点に達した。
だから自転車で家を飛び出した。

●徘徊

 言うなればボケ老人の徘徊(はいかい)のようなもの。
反対に、徘徊するボケ老人の気持ちが、私にはよくわかる。
体を動かしていれば、身のまわりのわずらわしいことを、
すべて忘れられる。
遠ざかれば遠ざかるほど、自分を忘れられる。
が、それだけではない。

 昨夜の私がそうだったが、孤独感すらどこかへ消える。
おかしな現象に思う人がいるかもしれない。
孤独な世界に自ら飛び込みながら、孤独感が消える?

 そこに(孤独)があるなら、思い切って、飛び込んでみる。
「こわい、こわい」と言って逃げ回っている間は、孤独の
ほうが、どんどんと追いかけてくる。
だから飛び込んでいく。
こちらから飛び込んでいく。
それは、子どもの喧嘩と同じ。

●暴力団の男

 私は子どものころから、気が小さいくせに、喧嘩ばやかった。
悶々と悩むことが苦手だった。
だからそこに相手がいるなら、その場で解決する。
パンパンと喧嘩して、それですます。
それが私のやり方だった。

 浜松へ来たころも、こんなことがあった。

 たまたま知り合った男が、アパートを探していた。
で、私の知り合いの人が、アパートを経営していので、
たがいに紹介してやった。
で、男は、その人のアパートに住むようになった。
が、数か月もすると、アパートの経営者から苦情が入るようになった。
「部屋代を払ってくれない」
「おかしな人たちが、出入りしている」と。

 で、私は即座に、アパートを借りた男に電話を入れた。
知り合ったときとは、声の調子がまったく変わっていた。
「貴様、命が惜しくなければ、○○町のxxという喫茶店へ来い。
部屋代は、そこで払ってやる」と。

 私は即刻、そこへ出かけた。
喫茶店へ入ると、一番奥のソファに、その男がいた。
両脇を、別の2人の男が囲んでいた。
見るからに暴力団の組員とわかる様子だった。

 私は自分の体が震えていることを隠しながら、ツカツカとその男の
前まで行った。
そして「部屋代を払って、今月中にアパートを出てくれ」と言った。
とたんその人の顔は、和らいだ。

 「お前って、度胸、あるな。気に入った」と。

●途中で

 以後、この私の行動パターンは、変わっていない。
昨夜も家を出るとき、「だいじょうぶかな?」と思った。
思ったが、そのときは、すでにペダルをこぎ始めていた。
最後の3分の1は、山の上り坂。
気温も、さらに下がる。
ここ数日、強力な寒気団が太平洋岸までおりてきて、最低気温は、
3~4度。
昨夜も、その程度だった。
山荘へ着いてストーブにスイッチを入れると、部屋の中で、3度を
示していた。

 が、私は来てしまった。
かかった時間は、先にも書いたように、3時間半!
途中で、何度か歩いて自転車を引いたが、そのつど、左足がこむら返しを
起こした。
痛かった。
床に入ったときも、こむら返しを起こした。
痛かった。

●今朝

 で、今朝は気分は悪くない。
何かをやり遂げたような充実感がある。
孤独感はそのままだが、どこかでその孤独感を楽しんでいる。
そんな自分が、別のところにいる。
時刻は現在、午前11時ちょうど。
もうすぐワイフも車で、ここへ来るはず。
ポットの湯もわいた。
これからカップヌードルを作って、食べる。
それと庭に除草剤をまく。
春草があちこちで、背丈をかなり伸ばしている。

●1+1=0 

 話を戻す。

 孤独といえば、みな、孤独。
孤独でない人はいない。
その孤独を見つめるのがこわいから、自分をごまかして生きている。
家族や、友だちや、仕事の輪に入って、自分をごまかして生きている。
しかし孤独は、ちゃんとそこにいる。
しっかりとそこに、いる。

 が、ここで不思議な足し算が成り立つ。
たとえばここに孤独な2人がいたとする。
その2人が寄り添えば、1+1=2になるはず。
が、こと孤独について言えば、1+1=0になる。
1+1+1も、0。
1+1+1+1も、0。

 が、それには条件がある。
たがいに無私無欲でなければならないということ。
たがいに相手を思い、たがいの孤独感を共鳴しあうこと。

●体重

 ・・・という話はここまでにして、ひとつだけがっかりしたこと。
このところ体重オーバーの日々がつづいている。
で、起きてすぐ、体重計に乗ってみた。
が、ぜんぜん、減っていなかった!
27キロもがんばったのだから、1~2キロは減っていると期待していた。
が、前日と同じ。

 これはどういう理由によるものなのか。
かなりのエネルギー(カロリー)を消耗したのだから、その分、体重が
減っていてもおかしくない。
が、同じ?

 ただおかしいなと思ったのは、昨夜、あれほど寒いのに、途中で、2度も
尿意をもよおしたということ。
それと山荘に着いてから、のどが渇いたので、お茶を数杯飲んだということ。
汗の替わりに、小便になった。
これはわかる。
その分だけ、お茶を飲んだ。
スポーツ医学については、まったく門外漢。
いちど、それについて調べてみたい。

 たった今、ワイフが来たので、この話はここまで。
あとは楽しむ。
せっかくの春休み。

●サガンの「悲しみよ、こんにちは」

 数日前、ワイフがDVDを借りてきた。
サガン原作の、「悲しみよ、こんにちは」というタイトルだった。
サガンの名前も、小説の名前もよく知っている。
が、本を読んだことはない。
映画化されていることも、知らなかった。
それについて、ワイフが、横に座って、内容を説明してくれた。

 その一部に、こんな話があった。

 何かのことで、母親と息子が絶交する。
以来、母親と息子は、何10年もたがいに会わない。
が、母親が臨終のときを迎える。
見るに見かねて、母親の近くにいた人が、息子を呼び寄せる。
息子は連絡を受けて、やってくる。
しかし母親は、息子に、会わない。
会わないまま、死んでいく。
(以上、ワイフの話なので、不正確。)

 それについてワイフは、「どうして会わなかったのかしら」と。
で、私はこう言った。
「ぼくだって、会わないよ」と。

ワ「どうして?」
私「母親のほうは、毎日のように自分と闘って生きてきた。
息子への恋慕を否定しながらね・・・。
いくら最後でも、会えば、そういう自分を否定することになる」
ワ「息子の方だって、さみしい思いをしたはずよ」
私「ちがうよ。息子は、母親を恨んだだけだよ。
しかし母親のほうは、そのつどはげしく自分を責めた。
(怒り)の向きがちがう。
愛する人どうしが離反したときは、その向きは、母親と息子とでは、ちがう。
母親は自分を責める。
息子は母親を責める。
だから会わなかった・・・」

ワ「映画『エデンの東』とは、逆ね」
私「あのときは、息子は父親から離反していない。
父親もそれをよく知っていた。
だから父親は、息子を許すことができた」
ワ「サガンのほうは、どうだったの?」
私「ぼくは小説は読んでないけど、母親の気持ちがよくわかるよ。
母親は、息子を恨んだり、息子を怒っているのではない。
そういう息子にした、自分に対して怒っている。
それは絶望感との闘いと言ってもいい。
最後の最後で、『お母さん!』『息子よ!』と抱き合うわけにはいかない。
日本映画なら、そういう終わり方をするだろうけどね・・・」と。

 『許して忘れる』は、子育ての基本。
相手が他者なら、許すことができる。
しかし相手が自分では、許すことができない。
サガンは、最後の最後まで、自分を許すことができなかった。
私はワイフの話を聞いて、そう解釈した。

●3月30日

 たった今、庭に除草剤をまいてきた。
焚き火をしようかと思ったが、風が強いのでやめた。
今年は30年に1度という寒い春という。
たしかに寒い。
風も強い。
(風が強いのは、毎年のことだが・・・。
このあたりでは、「遠州の空っ風」という。)

 こういう寒い日は、体の動きも鈍くなる。
何かをしたいという意欲も半減する。
「このまま山荘で午後を過ごそうか」という怠けた心もある。
「どうしよう?」と思ったところで、おしまい。

 やはりこういうときは、行動を開始するのが、いちばん!
悶々としていると、うつ状態になってしまう。
では、みなさん、今朝はここまで。
3月30日は、いつもとちがって始まった。

(補記)

フランソワーズ・サガン
『悲しみよこんにちは』
ウィキペディア百科事典より、転載。

『……ヒロインのセシルと鰥夫(やもめ)である父のレエモンはコート・ダジュールの別
荘で夏を過ごしていた。セシルは近くの別荘に滞在している大学生のシリルと恋仲になる。
そんな彼らの別荘に亡き母の友人のアンヌがやってくる。アンヌは聡明で美しく、セシル
もアンヌを慕う。だが、アンヌと父が再婚する気配を見せ始めると、アンヌは母親然とし
てセシルに勉強のことやシリルのことについて厳しく接し始める。セシルは今までの父と
の気楽な生活が変わってしまったり、父をアンヌに取られるのではないかという懸念に駆
られ、アンヌに対して反感の気持ちを抱くようになる。やがて、セシルは父とアンヌの再
婚を阻止する計画を思いつき、シリルと父の愛人だったエルザを巻き込んで実行に移すが
…』(以上、ウィキペディア百科事典より)


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