最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●森鴎外

2010-05-27 08:12:47 | 日記
●森鴎外

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思いつくまま、森鴎外について……。

私の記憶にまちがいがなければ、
森鴎外は、60歳の年に、亡くなっている。
東京で亡くなったが、遺骨は、東京と
津和野の両地に葬られている。
津和野の森鴎外の生家には、一度、観光客として、
行ったことがある。

代表作というわけでもないが、やや長編の小説に
『雁(がん)』がある。
その中に、「お玉」という女性が出てくる。
私の祖母の名前と同じだったから、よく覚えている。
ただ「雁」の中の「お玉」は、美しくて可憐な
女性だった。
一方、私の祖母は、勝ち気で、気性の荒い女性だった。
こんなことはどうでもよいが、「60歳」という
年齢が、どうも心にひかかる。
当時としては、長命のほうだったのかもしれない。
しかし自分がもうすぐ63歳になることを考えると、
「若くして死んだんだなあ」と思ってしまう。

で、『雁』は、森鴎外が東大の医学生だったころのことを
書いた小説である。
小説の中には、そのあたりの地名がたくさん出てくる。
私が若いころには、森鴎外が散歩したのと同じコース
を歩くのが、ひとつの流行になっていた。
私も一度、その近くで幼稚園を経営している男性と、
いっしょにそのあたりを歩いたことがある。
10年ほど、前のことである。
小説の中に出てきたソバ屋かどうかは知らないが、
その男性は、不忍池の近くにあるソバ屋へ連れて
行ってくれた。

小路に入ったところにあるソバ屋で、おいしかった。
「ノリをかけたのが、ざるソバ。
ノリのかかっていないのが、かけソバ……」と、
その男性が話してくれたのを、覚えている。
ひょっとしたらその男性は、森鴎外の『雁』を
よく知っていて、そのソバ屋へ連れて行って
くれたのかもしれない。
上野方面から歩いて、大通りを右へ曲がり、
10件目くらいの、左側にあるソバ屋だった。
そのあたりでは、その店を知らない人はいない
という。

それからもう10年ほどになる。
「もう一度、行ってみたい」と思いつつ、もう10年!
上野のほうへ行く機会が、ほとんどない……。

そうだ、グーグル・マップで調べてみよう!
……ということで、今、調べてみた。

……私の記憶にまちがいがなければ、そのとき
行った店は、『そば屋・蓮玉庵(れんぎょくあん)』という
店だった。
不忍池の沿った不忍通りから一本、南側に
並行して走る小路である。
その小路に、そのソバ屋はある。
(今ではそんなことまで、ネットを使えばわかる!)

……今度は、グーグルの検索を使って調べてみる。
で、やはりそうだった。
だれかのHPに、こう紹介されていた。

「……お花見シーズン到来と言うことで、
上野の花見の後に上野の蕎麦の名店、
蓮玉庵(れんぎょくあん)に行ってきました。
森鴎外の「雁」の文中に登場する蓮玉庵は、
創業安政六年(1860年)の老舗蕎麦屋……」
(こくばんBLOG・リボン・ハッカ・キッズ)と。

やはりそうだった!
その男性は、森鴎外ゆかりのそば屋として、その
店に連れて行ってくれた!
そう言えば、その男性がそんなような話を
してくれたのを、記憶のどこかに残っている。

……とまあ、話がどんどんと脱線してしまったが、
今にして思うと、森鴎外が食べたそばと、10年ほど
前に私が食べたそばが、同じものだったような
気がする。
10年前も、100年前も、同じ。
それよりも、60歳と62歳。
森鴎外が『雁』を書き終えたころの60歳と、
現在の私の62歳。
そちらのほうが気になる。
つまり私は森鴎外が死んだあと、プラス2年目を
生きている!

そうそう津和野の森鴎外の生家だが、小さな質素な
家だった。
近くに観光バスが止まり、歩いて数分のところだった
ように記憶している。
父親も医者で、当時としては立派な屋敷だったのかも
しれない。
今、そんな記憶が、あちこちから集まってきて、
頭の中で、ひとつの形をつくる。

……そう言えば、森鴎外の『雁』は、私の家にもある。
朝食が終わったら、読み直してみよう。
62歳の森鴎外になったつもりで……。
今なら、森鴎外の当時の気持ちが、より深く理解できる
かもしれない。

みなさん、おはようございます。
5月27日、朝。

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Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司

●独り暮らし

2010-05-27 07:01:48 | 日記
●独り暮らし

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現在、独り暮らしの老人の方(年齢は81歳)
から、メールが届いた(5月25日)。

一部をそのまま紹介させてもらう。
ここに書いてあることは、明日の「私」のこと。
暗い話で、申し訳ないが、この問題だけは、
だれも避けて通ることはできない。

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【兵庫県にお住まいのMH氏より、はやし浩司へ】

わたくしは一人で住んでいます。一日中一言もしゃべらない日もあります。
しゃべる相手がいないからです。 
着実に歳をとって行きます。 
この先どうなるものか、何時何が起こるのか、いくら考えても分かるはずはないのですが、確実に何時か、お迎えが来るはずですが、どうなるものか、生きる苦しみが増して行くでしょうが、なるようにしかならない、それだけです。 
死んだら、ちょうど10年前に亡くなった妻にあちらで会えるような、ほのかな明るい期待も致します。
いい人でした。 
一人暮らしは歳と共に辛くなります。 
ただ介護の人たちがよくしてくれるので、どうにか「生きておれる」のです。 
一日一日、毎日が感謝です。 
先日も書きましたが、幸せな人生でした。 
沢山の人のお世話になりながらご恩返しもしなかったのが唯一の悔いになっています。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●MH氏

 MH氏とのつきあいは、もう40年以上になる。
当時MH氏は、ある国で、領事館の領事をしていた。
何かと便宜を図ってもらった。
そのMH氏も、今年81歳。
息子氏と娘氏がいるが、現在は東京と京都に、離れて住んでいる。
数年前、ころんで腰を痛めてからは、マンションの中で、車椅子生活をしている。
最近は、ほとんど寝たままとのこと。

●老後のわびしさ

 老後のわびしさは、この一文に集約されている。
読めば読むほど、考えさせられる。
「明日は我が身」というような、生やさしいものではない。
またそういう言葉でごまかせるような、一文でもない。
が、「これが人生」と言い切るのは、あまりにもわびしい。
じんとした切なさが、私の心を塞ぐ。

●老後の孤独

 若い人たちからみれば、老人はみな、愚かで、バカに見えるかもしれない。
死ぬのが当然だから、死ぬことに対して、恐怖心もないだろうと思うかもしれない。
気力が衰える分だけ、孤独にも鈍感になると思うかもしれない。
が、これは誤解。
まったくの誤解。
老人だって、1人の人間である。
今の(あなた)と、どこもちがわない。
ちがわないことは、この文を読めばわかる。

 私たちだって、さみしい。
孤独。
死ぬのは、こわい。

●感謝

 老後の生き方には、大きく分けて2つある。
ひとつは、バカに徹し、何もかも忘れて生きる。
もうひとつは、老後と戦って戦って、戦い抜いて生きる。
が、どちらにせよ、それにも限度がある。
バカになればなるほど、そのあと襲ってくるのは、虚しさ。
戦うといっても、体力や気力が衰弱すれば、おしまい。
戦いようが、ない。

 が、MH氏は、「感謝」という言葉を使っている。

●喜び

 昨日、たまたま長男に、こんな話をした。
「今のお前にはまだわからないかもしれないけど、ぼくの年齢になるとね、
歩けるということだけも、喜びなんだよ」と。
そこらにある(当たり前)のことが、実は(当たり前)でないことが、よくわかる。
「感謝」という言葉は、その延長線のずっと先にある。
だから私は歩く。
時間さえ許せば、車から降りて、歩く。
「楽をしたい」という思いは、あまりない。
そのかわり、「明日も、元気であればいい」と願う。
それができたとき、「感謝」という言葉が口から出てくる。
毎日が、その繰り返し。
私にはまだよくわからないが、生きるということはそういうことか。

●メール

 たった今、MH氏にメールを送った。
「起きていたら、電話で話をしましょう」と書いた。
それからすでに30分以上。
MH氏は、もう眠ったのかもしれない。
返事がない。
起きていれば、すぐ返事をくれる人である。
もう少し、待ってみよう。

(午前1:00まで待ってみたが、MH氏からは連絡なし。
おやすみなさい!)


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