最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●感情論

2010-05-21 08:37:05 | 日記
【感情論】(感情と感動、そして教育とは)

+++++++++++++++++++

人は悲しいから、泣くのか。
泣くから、悲しいのか。

「悲しいから、泣く」という説を、
中枢神経起源説という。
「泣くから、悲しい」という説を、
末梢神経起源説という。
(以上、齋藤勇著「心理学の基本が
すべてわかる本」より)。

ほかにも、
(1) ジェームス・ランゲの末梢神経説
(2) キャノン・バードの中枢神経説
(3) アーノルドの情緒評価説
(4) プルチックの心理進化説
(5) シャクターの認知―生理説
があるという(同書、P53)。

 どれも一長一短というか、納得できる部分もあれば、
そうでない部分もある。
人がもつ「感情」というのは、それぞれの
ばあいにおいて、複雑なメカニズムを通して
生まれるものらしい。

++++++++++++++++++++

●共鳴性

 私たちは、「心の暖かい人」というとき、どういう人を、心の暖かい人というのか。
また「心が暖かい」というのは、心のどういう状態をいうのか。
一方、「心の冷たい人」というとき、どういう人を、心の冷たい人というのか。
また「心が冷たい」
というのは、心のどういう状態をいうのか。

 EQ論(情緒指数=人格の完成論)では、他者との共鳴性の高い人を、人格の完成度の高い人という。
わかりやすく言えば、「心のポケット」が多い人を、共鳴性の高い人という。
その分だけ、他人の悲しみや苦しみを、よりよく理解できる。
相手の立場で、相手の気持ちになって、ものを考えることができる。
ただ、そういう人を、短絡的に、「心の暖かい人」と言ってよいかどうかはわからない。
共鳴性が高い人は、概して、「心の暖かい人」とみる。
しかし共鳴性が低いからといって、「心の冷たい人」ということにはならない。

 たとえば私は、実兄、実母の介護を経験してはじめて、介護の苦労というものがわかった。
それまでの私には、わからなかった。
「私」という人間は同じ人間なのに、介護の経験をする前と後とでは、介護をする人に対する共鳴性は、大きく変わった。
今だと、介護で苦労している人の気持ちがよく理解できる。
相手の立場で、ものを考えることができる。
心のポケットができたためと考えてよい。
が、つまりだからといって、私が「心の暖かい人間」になったとは、言えない。

 心が暖かい、冷たいという基本的な部分は、ポケットの有無によっては、変わらない。
ポケットの有無にかかわらず、それ以前に、その人の性質として備わっている。
それが共鳴性ということになる。

●脳のCPU(中央演算装置)

 一方、私の知人にこんな人(男性、65歳くらい)がいる。
他人の不幸が、何よりも楽しいらしい。
用もないのに他人の家の不幸をのぞいては、それを酒の肴(さかな)にして、楽しんでいる。
心の壊れた人だが、当人は、そうは思っていない。
おかしなことに、自分では、他人の面倒をよくみる、心の暖かい人物と思い込んでいる。
脳のCPU(中央演算装置)が狂っているから、自分を客観的に評価することができない。
自分を基準にして、自分を見る。

 心の冷たい人というには、そういう人をいう。
……と断言するのも、むずかしい(?)。
で、そこで登場するのが、「感情論」。

 私たちがもつ「感情」というのは、いったい、脳のどの部分で、どのようにして生まれるのか。
それがわかれば、心の暖かい人と、そうでない人を、大脳生理学的に分類することができる。
感情が豊かで、何かにつけ共鳴性の高い人を、「心の暖かい人」という。
たとえば映画『男はつらいよ』の中に出てくる、寅さん的な人を、想像すればよい。
感情が平坦で、共鳴性の乏しい人を、「心の冷たい人」という。
たとえばコミック『ゴルゴ13』に出てくる、ゴルゴ13的な人を、想像すればよい。

●泣くから悲しい

 冒頭に書いたことを、もう一度、考えてみる。

人は悲しいから、泣くのか。
泣くから、悲しいのか。

「悲しいから、泣く」という説を、中枢神経起源説という。
「泣くから、悲しい」という説を、末梢神経起源説という。
が、同書によれば、現在は、「このふたつの中間のような生理・認知二因説をとっている」「感情は生理的興奮と認知のふたつによって起こるという説」(同書、P54)ということらしい(シャクター)。

 「悲しいから、泣く」というのは、常識的な考え方ということになる。
が、「泣くから、悲しい」というのも、合理性がある。
同書は、こんな例をあげている。

 たとえば車を運転していて、突然道路に人が飛び出してきた。
運転していた人は、あわててブレーキを踏む。
すべてが終わったあと、「ああ、こわかった」と。

 つまり「こわかった」という感情は、このばあい、あとから出てきた感情と考える。
こわかったから、ブレーキを踏んだのではない。
ブレーキを踏んだから、こわかった(?)。

もう少し専門的にいうと、(脳があることがらに反応する)→(それが脳に向かう求心性神経を経て)→(脳の中枢神経)に伝わる。
その情報を得て、(脳の中枢神経)が、「これは悲しむべきことだ」と知り、「悲しみという感情を覚える」(同書)と。

●シャクターの認知―生理説

 シャクターの認知―生理説は、つぎのように説明する(同書P53)。

(刺激)→(身体的反応の高まり、状況検討)→(情緒判断)→(情緒)。

 つまり(刺激)があって、それを脳の中枢神経が判断し、それが情緒、つまり感情へとつながっていく、と。

 この説で重要なところは、(とくに心の暖かさという点で重要なことは)、「脳の中枢神経が判断する」という部分。
「判断する部分」の状態で、大きな(差)が生まれる。
ここが重要!
私にもこんな経験がある。

●映画『ベン・ハー』

 私はビデオを手に入れてからというもの、毎年のように、映画『ベン・ハー』を観た。
その映画を観ているとき、こんな奇妙な現象が現れた。
涙が出てくるシーンが決まっていたこと。
またそのシーンが近づいてくると、まだそのシーンになっていないのに、先に、涙が出てくるようになったこと。
ここ10年ほどは、あまり観ていないが、つい先月、BS放送で、久しぶりに『ベン・ハー』を観た。
そのときも、そうだった。
涙が出てくるシーンが近づいてくると、やはり先に目頭がジーンとしてきた。

 これはパバロフの条件反射によるものなのか。
それとも脳の中枢神経が、先に判断して、それを遠心性神経系を通じて、末梢神経に「涙を流せ」と命令しているためなのか。
どうであるにせよ、脳の中枢部にある判断力が、感情に大きな影響を与えているのは事実。
(判断力が強く働く)……それが強い感情となって、末梢神経に伝わる。
そこで「悲しい」「うれしい」という感情が生まれて、涙腺を刺激する。

●脳とが支配する感情

 この話を、つまり先に書いた、ブレーキを踏んだ話を、たまたま中学2年生の女子にしてみた。
聡明な子どもである。
その子どもはそれを聞いて、「へえ~、そうなんだ!」と驚いて見せた。
このばあいも、脳の中枢神経がまず、「おもしろい!」と判断したことになる。
それを遠心性神経が末梢神経に情報を伝え、(驚く)という感情につなげた。

 が、このばあい、もし中枢神経が「おもしろい!」と思わなかったら、どうなるか。
あるいはその子どもが、それが理解できるほど、聡明でなかったとしたら……?
その子どもは、(驚く)という感情を示さなかったことになる。

●なぜ人間なのか

 このことは、感情について、重要な教訓を示唆している。
つまり感情は、訓練によって、その幅を深みを増すことができるということ。
それはちょうど、学習することによって、知識や経験を深めることができるのに似ている。
が、そうでなければ、そうでない。
感情も、退化する(?)。

 どちらがよいかということになれば、当然、感情というのは、豊かであればあるほど、よい。
もしだれかが、「人間はなぜ人間なのか」と問えば、私は迷わず、「感情があるから」と答える。
たとえば人間が、映画『スタートレック』の中に出てくる、ミスター・スポックのようになってしまったら、人間の織りなす世界は、まさに昆虫の世界と同じ。
味気なく、つまらないものになる。
どちらがよいかということになれば、感情は豊かであればあるほどよい。
もしだれかが、「人間はなぜ生きるか」と問えば、私は迷わず、「感動があるから」と答える。

 感情のない人間、感動のない人生……。
それは即、人間性の否定、さらには命の否定と考えてよい。

●では、どうすればよいか

 「感情」というと、どこか得体の知れないものに考える人もいるかもしれない。
しかしそうではなく、脳の中枢神経が支配するものと考えると、先にも書いたように、「訓練」という言葉を、そのまま使うことができるようになる。

 感情は、訓練によって、その幅を深みを増すことができる!
あとはその方法をさがし、訓練すればよい。

 たとえば音楽を聴く。
たとえばすばらしい映画を観る。
旅行をする。
方法はいろいろある。
要するに日常の生活の中に、「感動」を呼び込む。
その感動が、中枢神経を刺激する。
私も、日常的に、こんなことを経験している。

 先日も、リチャード・ギア主演の『HACHI(忠犬ハチ公)』というDVDを観た。
よかった。
何度も涙をもらした。
そのあとのこと。
家で飼っているハナ(ポインター犬)が、それまでになく、いとおしく見えた。
庭に出て、何度もハナをさすってやった。

 あるいはYOUTUBEをサーフィンしながら、いろいろな音楽を聴く。
1~2時間も聴いていると、頭の中に、いろいろな音楽が浮かんでくるようになる。
テーブルの上の果物を見ても、浮かんでくる。
庭先の菜園を見ても、浮かんでくる。
ワイフと話していても、食事をしていても、浮かんでくる。
中枢神経が、音楽でいっぱいになる。

●感情

 ……ということで、子どもの世界では、「感動させる」ことが、いかに重要なことかがわかってくる。
たとえば教育を通して、「知識」を教えるのではない。
「知識をもつ喜び」を教える。
「学ぶ喜び」を分かち合う。
その感動が大切。
知識を覚えたかどうかということは、つぎのつぎ。
(だからといって、知識を否定しているのではない。誤解のないように!)

 つまり、少しおおげさな言い方に聞こえるかもしれないが、「教育」で大切なことは、「人間を育てる」こと。
その第一歩が、「感動を与える」ということになる。

感情論。
一読すると、無意味な論争に見えるかもしれないが、その奥は深い。
久々に、新しい知識を得て、私は、今、感動している。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 感情 感情論 感情と感動 感動の大切さ ジェームス・ランゲの末梢神経説 キャノン・バードの中枢神経説 アーノルドの情緒評価説 プルチックの心理進化説 シャクターの認知―生理説 感情はどこで生まれるか)


Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司

●BW教室(BW公開教室byはやし浩司)

2010-05-21 08:09:53 | 日記
●幼稚園児に言葉を教える(1~6)
●小学1年生の子どもたちと(7~11)

●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司

【5歳児&6歳児の指導】


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【もっと見てくださる方は、(はやし浩司のHP)→(BW公開教室)へどうぞ!】

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Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司

●立て、日本!(1)

2010-05-21 05:06:32 | 日記
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 5月 21日
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●今日から、レッスン(年少児+年中児クラス)BW教室byはやし浩司(浜松市)

テーマ「声を出そう!」
「あ」の音

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【URL版】

http://www.youtube.com/watch?v=grQpUYfQ200

http://www.youtube.com/watch?v=CNsWrzyPPr4

http://www.youtube.com/watch?v=-HsOWJpRCfY

http://www.youtube.com/watch?v=XCyijmXxdKU

http://www.youtube.com/watch?v=DS1W8zGuXt4


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●老後の資金

++++++++++++++++

年金機構のHPに
こんな記事が載っていた。
そのまま紹介させてもらう。
(HOKEN MALLのHPより)

++++++++++++++++

●老後資金の確保

【ポイント】
保険以外の資産状況や公的年金を検討し、月に10,000円から20,000円程度積み立てのつ
もりで老後資金を準備しましょう。

【必要な保険】
年金保険
養老保険

【ゆとりある老後を送るための生活費はいくら?】
平均的な老後生活費= 21万円
※世帯主60歳以上の日常生活の生活費 <総務省統計局 「平成20年家計調査年報」より

最低の日常生活費平均= 23.2万円
ゆとりある老後生活費= 38.3万円

※夫婦二人の場合 
<生命保険文化センター 「生活保障に関する調査」/平成19年 アンケートより>

公的年金の上乗せとして、月に10,000円から20,000円程度を年金保険や養老保険で準備
しましょう。

また、下記の条件を満たす個人年金保険は「個人年金保険料控除」として、所得税と住民
税の負担が軽減されます。退職まで10年以上ある方は、まだ現役で資金的に余裕のあるう
ちに老後資金を準備できますね。

年金受取人が契約者またはその配偶者のいずれかであること。
年金受取人は被保険者と同一人であること。

保険料払込期間が10年以上であること(一時払は対象外)。
年金の種類が確定年金や有期年金の場合、年金受取開始が60歳以降で、かつ年金受取期間
が10年以上であること。
 
+++++++++++以上、(HOKEN MALLのHPより)+++++++++++
 
●私のばあい

 私は現在、62歳と6か月。
60歳は、とっくの昔に過ぎている。
が、これによれば、最低の日常生活費として、平均、 23・2万円、必要とか。
23・2万円!

 が、まだ年金らしいものは、1円も手にしていない。
あと3、4年で、国民年金がもらえるそうだが、夫婦2人で、合わせて13万円前後。
今はまだ仕事をつづけているからなんとかなるが、仕事をやめたら、あとは財産を切り売
りして
生きていくしかない。

 もっともその一方で、先日経営破綻したJALのOBのように、月額40~50万円の
年金を手にしている人もいる。
企業や最終の役職によっては、もっと多い人もいる。

 しかしそれにしても、「最低」という言葉が恐ろしい。
最低以下だったら、どうなるのか。
どうすればよいのか。
まさか餓死?

 もうすぐこの日本に、ハイパーインフレの大波が押し寄せてくる。
そのうち13万円では、月々のガソリン代にもならない(?)。
38・3万円(ゆとりある老後生活費)でも、きびしい。

 この問題は、データだけを記録し、また別の機会に考えてみたい。
(考えたところで、どうにもならないが……。)

(付記)

仮に30万円(月)必要として、13万円を引くと、私のばあい、17万円の不足。
その分を貯蓄で補うとすると、平均寿命までの20年間で、4080万円!
(17x12x20=4080万円。)
4080万円の貯蓄が必要ということになる。


Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司

●立て、日本!(2)

2010-05-21 05:05:55 | 日記


●『たちあがれ日本』

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

自民党に離党届を提出した与謝野馨元財務相や無所属の平沼赳夫元経済産業相らが10日
に結成する新党の党名は 「たちあがれ日本」 となる事が7日、決まった。与謝野氏らは
5日から党名や基本政策の協議を進めてきた。新党関係者は 「党名はほぼ合意が出来た」
と語った。(読売新聞・4月7日・2010)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●Ambitious Japan(立て、日本!)

 『たちあがれ日本』という言葉を聞いて、10年ほど前に書いた原稿を、思い出した。
「Ambitious Japan」という言葉について書いた原稿である。
それをそのままここに紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 今、東海道新幹線(JR)の車両の横に、「Ambitious Japan」と書いて
ある。

 「Ambitious」と言えば、W・クラーク博士。明治10年、札幌農学校(現在
の北海道大学)を退任するときに、クラーク博士は、「Boys, be ambitio
us!」と言ったという。

 日本では、「少年よ、大志を抱け」と翻訳されている。

 その後、この翻訳は、正しくないという議論が、あちこちから起きた。実は、私も、そ
う思う。つまり、正しくないと思う。「ambitious」というと、「野心的な」とい
う意味。反対に、小さな世界で、こじんまりと生きている人のことを、「ambitiou
s」とは、言わない。

 そういう意味での、「ambitious」である。「大志」というと、どこか出世主義
のにおいが、プンプンとする。明治という時代は、そういう時代だったかもしれないが、
しかしアメリカ人のクラーク博士に、そういう意識があったかどうかは、疑問である。

 あえて訳すなら、「生徒たちよ、こじんまり生きないで、もっと元気を出せ」という意味
ではないのか。英語で、「ambitious」というと、どこか「他人を蹴落としてでも、
前に進め」というニュアンスを感ずる。どこか荒々しく、乱暴。

 たとえば会話でも、「He is an ambitious man.」と言ったとき
は、その彼をほめるというよりは、「彼はやり手」という意味で使う。

 私のpoorな英語力で、こういう解釈を加えるのは、危険なことかもしれないが、少
なくとも、「大志を抱け」という意味ではない。

 で、その新幹線。私は、「Ambitious Japan」という言葉が好きである。
この不況下。みんな、どこか元気をなくしている。自信をなくしている。

 しかしあの新幹線が、轟音とともに走りすぎるのを見るたびに、「日本も、まだまだがん
ばっているな」と思う。「捨てたものではないな」と思う。

先日も、オーストラリアの友人が、日本へ来て、新幹線が走っていることよりも、すでに
その新幹線が、35年以上も前から走っていることに、驚いていた。

 韓国の新幹線は、やっと今年になってから走った。中国は、これからである。が、日本
では、35年以上!

 「さあ、日本よ、元気だそう。まだ俺たちには、パワーがある」という意味での、「Am
bitious Japan」である。

 多分、JRのことだから、その道の英語の達人を、アドバイザーにしながら、この言葉
を考えたのだろう。けだし、正解である!

 で、一つだけ心配するのは、あの「Ambitious Japan」という英語を見
て、中には、「日本よ、大志を抱け」と翻訳する人も、いるのではないかということ。それ
については、ここで、「その訳は、まちがっている」ということを、改めて、確認しておき
たい。

 さあ、みんな、元気を出して、前に進もう! Let's be ambitious!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ひらがな?

 この原稿を書くとき、本当に「たちあがれ日本」でよいのか、不安に思った。
「立ち上がれ」あるいは、「立ちあがれ」ではないのか、と。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

「2010年4月7日に新党の名称を「たちあがれ日本」にすることが固まった。命名したの
は新党を後押しする石原慎太郎東京都知事。「すすめ日本」「がんばろう日本」「まもれ日本」
「新党ちから」「よあけ」「れいめい」または「れいめいの会」なども候補にあがったが、
平沼は「今の時代に合っているのは、ひらがながいいんじゃないか」と述べている。翌8
日には平沼が「代表」、与謝野が「共同代表」に就任することが合意された」(ウィキペデ
ィア百科事典より)と。

 やはり「たちあがれ日本」が正しいということになる。
しかし私なら、「立て日本」とする。
そのほうが短くて、わかりやすい。
「たちあがれ日本」とすると、党名を覚えるとき、まちがえやすい。
私もすぐには、思い出せなかった。
「たちあがろう日本」?
「たとう日本」?
いろいろ迷った。

●虚しさ

 が、「たちあがれ日本」という新党が生まれたとき、私はそこにある種の虚しさを覚えた。
「またか?」という思い。
それには2つの意味がある。
ひとつは、そのつどこうした調子のよい言葉(失礼!)が生まれる。
しかしいつも空振り。
先に載せた「Ambitious Japan」にしても、そうだ。
もう10年近くも前に書いた原稿である。

 もうひとつは、民主党。
民主党が私たち(浮動票層)に与えた失望感には、相当なものがある。
国民の80%以上が、「やめろ・コール」を出しているのに、小沢幹事長は、いまだにその
立場にしがみついている。
その見苦しさ。
その醜悪さ。
浮動票層は、民主党や小沢幹事長を選んだのではない。
反麻生勢力が、たまたま民主党に向かっただけ。

 たしかに浮動票層は、今、行き場をなくし、右往左往している。
が、小沢幹事長はそれをそれ見越してか、「民主党しかない」と、勝手なことを言っている。
まるで国民の気持ちがわかっていない。
またそういう人物が、国政の頂点にいることを、とても残念に思う。

●立て、日本!

 党名はともかくも、今の日本には、この言葉しかない。
ただし私なら、先にも書いたように、こう言う。
「立て、日本!」。
「たちあがろう日本」では、どこか弱々しい。
「Let's be ambitous」よりは、「Be ambitious」のほうが、よい。
だから、「立て、日本!」。
英語に訳すなら、「Ambitious Japan」となる。

 自民党もだめ。
民主党もだめ。
だったら、私たち浮動票層はどこへ向かえばよいのか……という意味で、「たちあがろう日
本」に、おおいに期待したい。
期待したいが、どうも道筋がはっきりと見えてこない。
悪く見れば、自民党残党の「生き残り政党」ということになる。
となると、おいそれと支持できない。
民主党に一度、裏切られているから、そこはどうしても慎重になってしまう。
「はい、では、たちあがろう日本にします」というわけいには、いかない。

 もう少し様子をみよう。

 ただすでに結果が出始めている。
各地でなされる首長選挙では、民主党の連敗がつづいている。
当然のことである。


Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司

●老人性無気力症候群

++++++++++++++++++

気力が弱くなると、何をするにも、
おっくうになる。
何か冒険をする前に、
不便であることを、がまんしてしまう。
新しいことを学ぼうとする前に、
自分の知っている古いやり方に、戻ってしまう。
無難な道を選んでしまう。
そのため自分の住む世界を小さくしてしまう。

だれかれのことではない。
私自身のことである。
加齢とともに、気力が徐々に弱く
なっていく。
それが、自分でもよくわかる。
称して、「老人性無気力症候群」。
これは私がつけた名称。

++++++++++++++++++

●無難

 そこに新しい何かがあっても、わざと顔をそむけて、通り過ぎてしまう。
たとえば「方法」。
新しい方法に手を出すよりも先に、自分が慣れ親しんだ方法を優先する。
「より便利になるかもしれない」。
そんな淡い期待をもつことはあるが、あえてそれを心の中で避けてしまう。
近くに、こんな人がいる。

 今では、あらゆるものを、ネットで買うことができる。
大型店で買うよりも、2~3割は安い。
その上、翌日配達。
代引きで商品を受け取るので、安心。

 そのことを教えてやっても、その人は、「店で買うほうがいい」と。
返す刀で、「ネットはめんどうだから」とか、「直接、商品を見て、
自分で確かめてから買いたい」などと言う。
あるいはインターネットそのもを、毛嫌いする。
「あそこの嫁さんは、インターネットばかりしていて……」と。
「つまり、悪い嫁」と。

●私自身も

 かく言う私も、若い人たちから見ると、その人とそれほど変わらない。
それが自分でも、よくわかる。
立場は逆でも、また中身はちがっても、その人と同じようなことをしている。
ときに若い人たちがしていることを、「つまらない」とか、「バカくさい」とか
言って、はねのけてしまう。

 たまたま昨日も、中学生の女の子は、私の服装を見て、「ダサイ」と言った。
そこで私が「どんな服装が似合うか、絵に描いてよ」と言った。
その女の子は、しばらくすると、一枚の絵を見せてくれた。
それを見て、思わず、私は笑ってしまった。

「服は緑。ズボンは、足下までふくらんだ、とび職風。色は茶色……」。
が、それではいけない。
私は、「来週は、このかっこうで来るから、笑うなよ」と言った。
その女の子は、「笑わない」と約束した。

 つまり若い人たちを笑ってはいけない。
それを繰り返していると、自分が住む世界が、どんどんと小さくなってしまう。
小さくなるだけではない。
冒頭に書いたように、へたをすれば、老人性無気力症候群に陥ってしまう。
が、こうなると、「進歩」など、もう望むべくもない。

●自己診断

 そこで自分なりに、自己診断テストを考えてみた。
これは「老人性無気力症候群」の初期症状を知るためのテストということになる。

( )若いときの知り覚えた歌や、音楽を聴くことが多い。
( )「冒険」よりも、「無難」を選ぶことのほうが、多い。
( )融通がきかず、ときに無理をしてでも、伝統的なやり方を押し通す。
( )若い人たちのしていることに、興味がない。
( )過去をなつかしむことが多くなった。

 ひとつの目安として、携帯電話やインターネットがある。
たぶんに手前味噌的ではあるが、60歳で、インターネットをしているかどうかを
みるとよい。
インターネットをするにも、段階的な進歩がある。
まずキーボードが叩き方を覚えなければならない。
メールの送受信ができなければならない。
ネットでものを売買できるようになるのは、そのつぎの段階ということになる。
怠けた心では、インターネットはできるようにはならない。

 つまり60歳を過ぎて、インターネットを楽しんでいる人は、それだけでも
進歩的な人と判断してよい。

●ワイフの生き方

 この老人性無気力症候群の恐ろしいところは、それだけではない。
一度、そこへ陥ると、あとは悪循環となって、どんどんと深みに
はまってしまう。
そうでなくても、体力の低下とともに、気力が弱くなる。
そこにある壁を乗り越える力が弱くなる。
そこで「闘う」という姿勢が、どうしても必要ということになる。
「待ち」の姿勢では、いけない。
「闘う」。
闘いながら、壁をそのつど、乗り越える。
けっして安楽な道を選んではいけない。

 が、これはたいへんなこと。
私も、今、その老人性無気力症候群と闘っている。
もともと私は鬱(うつ)気質だから、鬱症状のひとつとして、無気力になりやすい。
だからそうでない人よりも、2倍とか、3倍の努力をしなければならない。
たとえばそこに何か新しいことがあれば、あえて、それに向かって進んでいく。
何でもやってみなければ、わからない。
そういうふうに、自分を奮い立たせる。

 その点、私のワイフは、ありがたい。
見た目には、静かでおとなしい女性。
しかし内に秘めたエネルギーには、ものすごいものがある。
精神が安定している分だけ、行動力もある。
私を、ぐんぐんと別の世界へ引き込んでくれる。

 で、最初はしぶしぶながら、私はついていく。
が、そのあと、いつもこう言う。
「してよかった」「来てよかった」と。

●では、どうするか

 いくつかコツがある。
これは私自身の努力目標ということになる。

(1) 過去を回顧しない。
(2) 新しいことは、何でもやってみる。
(3) 若い人たちの世界を、いつものぞく。
(4) 不平不満、愚痴(ぐち)は言わない。
(5) いつも大きな話題について考える。

 老齢期を迎えたからといって、何も生活をコンパクトにする必要はない。
明日は今日の結果として、かならずやってくる。
健康にせよ、気力にせよ、今日がんばれば、明日もだいじょうぶ。
あとはそれを繰り返す。

●子どもの世界でも・・・

 ついでながら、子どもの世界でも似たようなことがある。
たとえば何かむずかしい問題を出したとする。
そのとき、「やりたい!」と言って、食いついてくる子どももいれば、
そうでない子どももいる。
問題を見る前に、逃げてしまう。
「どうせできないから・・・」と。

 が「やりたい!」と言って食いついてくる子どもにしても、能力を
はるかに超えた問題だと、やはり逃げてしまう。
一度、こんなことをしてみたことがある。

 その子ども(小4男児)は、かなり鼻っぱしの強い子どもだった。
生意気な子どもだった。
「どんな漢字でも書ける」と言った。
そこで私は漢字検定試験1級(小6レベル)のテスト問題をもってきて、
その子どもにさせてみた。

 数学とちがって、漢字のばあい、(書ける・書けない)がはっきりしている。
いくら考えても、習い覚えたことのない漢字は書けない。
5分もすると、プライドが傷つけられたと感じたのか、ふてくされてしまった。
テスト用紙を払いのけてしまった。

 で、つぎの漢字点綴試験3級(小4レベル)のテスト問題をやらせようと
した。
が、その子どもは、それに対して、拒否反応を示した。
同じようにテスト用紙を、手で払いのけてしまった。

●教訓

 このことからもわかるように、「気力」というのは、じょうずに
引き出さなければならない。
これには、子どもも、(自分)もない。
やり方をまちがえると、気力そのものを失ってしまう。
「段階的に追っていくもの」と書くほうが、正確。
いきなり「ゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」は、無理。
やっても挫折感が大きいと、そこで頓挫(とんざ)してしまう。

まず自分のできる範囲で、それに挑戦してみる。
それができたら、徐々に、段階を経て、レベルアップしていく。
「身の丈にあった世界」で、自分を生かす。
あとはこれを繰り返す。

 老人性無気力症候群・・・こわいぞ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 老人性無気力 無気力症候群 老人の気力)

●立て、日本!(3)

2010-05-21 05:05:15 | 日記


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●一個人の自己宣伝について

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 つい先日、私はある「人名辞典」サイトに、
自己紹介記事を書いた。
軽い気持ちで、そうした。
それについて、「はやし浩司は、一個人に過ぎない」
「自己宣伝にすぎない」ということで、そのまま
削除されてしまった。
少なからず、カチンときた。

若いころ、クリジットカードを申し込んだとき、
拒否されたことがある。
「審査の結果・・・なんとかなんとか」と。
久しぶりに、そのとき感じたような不快感を覚えた。

 で、審査をしたという人の、ペンネームが
載っていた。
そこでその人物を検索しながら、素性を調べてみた。
が、その人自身も、名もない個人。
「教育関係の仕事をしている」などと書いてあった。

 が、どうしてそんな程度の人物に、「私」が
評価されなければならないのか。

自己主張を「利益」につなげれば、
それは自己宣伝。
それはわかる。
しかし私の場合は、少し違う。
「違う」というのではない。
「少し違う」。
「少し」というのは、利益を求めない
心が、まったくないわけではないということ。
お金は嫌いではないし、何らかの形で
収入につながれば、それはそれでうれしい。
しかしこの世の中で、収入を考えないで、
何かをしている人など、いるのか。
さらに言えば、仮にそれが自己宣伝で
あったところで、それがどうして
悪いことなのか。

たとえば会社の広告。
あれなどは、自己宣伝そのもの。
「組織」と「個人」はちがうと思う人も
いるかもしれない。
ならば聞くが、どうして組織だと問題がなく、
個人だと問題があるのか。

さらに言えば、作家や画家など、個人で
プレーしている人は、どうなのか。
俳優でもよい。
「個人」も「商品」と同じで、まず「売りに出す」。
その売りに出すという段階で、どうしても
宣伝をしなければならない。
それが自己宣伝。

が、こんなことがある。

++++++++++++++++++

●マンション建設反対運動

 10年近く前、近所に、10階建てのマンションが建設される
ことになった。
とたん、近隣の人たちの間から、猛烈な反対運動が起きた。
もっともこうした反対運動は、珍しくない。
が、そのマンションのばあいは、少し、ちがった。
建設予定地周辺の民家に、つぎつぎと新しい看板が並んだ。
「地獄の3丁目」とか、「のぞき見、反対」とか。
「ここは元墓地」とか、「マンション住民にも責任を取ってもらいます」
というのもあった。
中には、ほとんど隙間なく、まるで塀のように、看板を並べている家もあった。
過激といえば、過激。
ふつうの反対運動とは、かなり内容が違っていた。

●パラドックス

 が、それからほぼ10年。
マンションは建設され、販売も始まった。
すでに何割かの部屋には、新しい住民が住んでいる。
が、立て看板は、そのまま。
そこはまさにパラドックスの世界。

「看板を立てるな」という、看板を立てる。
「張り紙をするな」という、張り紙をする。
それと同じ。
「美観をそこねるマンション建設、反対」という看板を無数に立てて、
美観を損ねている(?)。

が、それが悪いと言うのではない。
それぞれの住民には、それぞれの思いというものがある。
私たちの知らない、(いきさつ)もあるだろう。
どこかで話し合いが、こじれてしまった。
その可能性もある。
それに建設会社は、大手。
反対する人は、個人。
最初から力関係がちがう。
反対する人たちは、それぞれの思いの中で、自分の意思を外に向かって示す。
個人が、大手を相手に向かって、闘っている。

 が、今、どうして反対運動なのか?
マンションは、先にも書いたように、すでに完成している。
しかも当初予想されたような、日照問題も、電波障害も起きていない。
マンション業者は、きちんと法律にのっとって、マンションを建設した。

●匿名

 そこで私は、「反対反対の反対運動」というのを考えた。
「見苦しい看板を、撤去しましょう」というチラシを配ってあることを
考えた。
考えただけで、もちろん実行していない。
理由がある。

 仮に私が、「見苦しい立て看板を、撤去しましょう」というチラシを配って
歩いたとする。
しかし「見苦しい」と思うのは、ひょっと私だけかもしれない。
周辺の人たちは、それ以上に(怒り)を覚えているのかもしれない。

それに私は、こうしたチラシを書くにしても、匿名では書きたくない。
しっかりと「はやし浩司」という実名をつけて書きたい。
匿名で、何かを書くというのは、私のやり方ではない。
そういうやり方は、卑怯者のすること。
陰に隠れて、コソコソ書くことなら、だれにだってできる。

●無私無欲

 が、私のばあいは、実名を使う。
こうしてささいなエッセーを書くときも、実名を使う。
実名を使って、「私」を前に出す。
それを「自己宣伝」とは?

また書く以上、できるだけ多くの人に読んでもらいたい。
そのために、HPを開き、BLOGを書く。
もちろん実名入りで、書く。
書く以上、すべての責任は、私が負う。
が、どうしてそれが「自己宣伝」なのか?
自己宣伝と判断されるのか?

 さらに言えば、私はこうしてものを書くのが、自分の墓づくりと
位置づけている。
「墓イコール、本」と考えたこともある。
しかし金儲けのために文章を書くのは、10年ほど前にやめた。
それまでの私は、稼ぐために、文章を書いた。
ものを書くことイコール、金儲けと考えていた。
(その逆でもよいが・・・。)
ちょうど不景気になりかけていたころで、出版社と印税のことでもめた
こともある。
それで嫌気がさした。
出版の世界から遠ざかった。

 で、今は、フリーもフリー、まったくフリー(無料)で、文章を
書いている。
こうして書いている文章にしても、「どこかで金儲けにつながるかも
しれない」という思いは、微塵(みじん)もない。
もとから「無」の状態。
(金儲けにつながるような文章でもないが……。) 

 それ以上に、私は私の中から、つぎつぎと湧いてくる(思い)を、
文章にしておきたい。
だれのためでもない。
自分のためである。
またそうでないと、よい文章は書けない。

●よい文章

 「よい文章」という言葉を書いたので、一言。

 よい文章というのは、あとで読み返したとき、「これは私だ」と思える
ような文章をいう。
私の、心の足跡がしっかりと残っているような文章をいう。
そういう意味で、ありのままの自分を書く。
飾ったり、偽ったりしない。
そういう文章は、あとで読み返してみても、後味が悪い。
読みやすく、内容がしっかりしていれば、なおよい。
しかしそれは、他人の判断すること。
私は第一義的には、私のために書く。
私にとって、よい文章かどうかというのは、あくまでも内容。
文のじょうず、へたではない。

 またよい文章というのは、たとえ内容を忘れてしまっていても、
目を通した瞬間、自分の文章とわかる。
その文章と共鳴する、「私」が、そこに残っている。
文章と「私」が共鳴する。
だから自分の文章とわかる。

●読者

 そんなわけで、今の私にとって最大の励みは、読者ということになる。
読者がふえるというのは、本当にうれしい。
昨年(2009年)の5月、HPとBLOGへのアクセス数が、
累計だが、月間30万件を超えた。

 それぞれのHPでは、アクセス数がカウントされる。
その累計が、「30万件」という数字である。
もちろん1人で、何回もアクセスしてくれる人も多い。
だから30万件イコール、30万人ということではない。
しかしその一方で、ハイパーリンクといって、トップページを介さないで
アクセスしてくる人もいる。
(アクセス数がカウントされるのは、それぞれのHPのトップページ
だけ。)
だから実際には、もっと多いかもしれない。

 近くまた累計してみようと考えているが、昨年より減っているという
ことはない。
ちなみに、ヤフーで、「はやし浩司」を検索してみると、昨年は、12万件程度
だったが、最近(2010年4月)になって、20万件を超えた。
毎月その数は、数1000件ずつ、ふえている。

 つまりこれが私の「地位?」ということになる。
私の「立場?」ということになる。

●一個人の自己宣伝

 言うまでもなく世の中には、私のような個人のほうが多い。
99・99%が、そうだ。
ただ誤解していけないのは、有名人イコール、人格者ではないということ。
金持ちイコール、成功者ではないということ。
もちろん「個人」と言われる人の中には、あやしげな人も多い。
が、そういう人たちとともに、まじめに生きている「個人」までもが、
いっしょくたに、闇へと葬られてしまう。
つまりこういう形で、個人が、封殺されてしまう。
しかも悲劇的なのは、同じ個人が、同類の個人を封殺する。
言うなれば、個人の共食い。

 その一方で、組織で肩書きや地位のある人を、ヨイショする。
テレビなどのマスコミで騒ぐ人を、ヨイショする。
その悲しさ。
その心の薄さ。
日本という、どうしようもないほど小さな国で、互いに足を引っ張り
あっている。
「一個人の自己宣伝」という言葉には、そういうニュアンスが隠されている。
そういう形で、つまり自分はジャッジになったつもりで、その個人を
見下す。

 「どうぞ、ご勝手に!」と言って、この問題は、おしまい。
改めて自分の力のなさを思い知らされた形になったが、まだまだ時間はある。
平均寿命まで、あと16年。
まだ何かできる。
まだがんばれる。
そこに何があるかわからないが、私は私で、前に進むだけ。

『我らが目的は成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことである』(スティーブンソン)。
改めて、この言葉を、自分の胸に刻む。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 自己宣伝 自己主張 無私無欲 文章を書く)


Hiroshi Hayashi++++++April.2010++++++はやし浩司

●「戦争」という悪魔

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戦争は、悪魔をつくる。
想像もつかないような悪魔をつくる。
今、「私はだいじょうぶ」と言っている
あなただって、戦争にばれば、わからない。
私だって、わからない。
自信がない。

先日、ある記録を読んでいたら、こんなことを
告白した女性がいた。
あの戦時下のサラエボで起きた事件である。

あるときクロアチア軍が、そこへやってきた。
そして女性ばかりを、何十名も捕虜にした。
クロアチア軍は、若い女性については、繰り返し
性的暴行を繰り返した。
年配の女性については、膣の中に銃口をつっこみ、
つぎつぎと射殺していった。

どんな光景だったか。
想像するだけで、背筋が冷たくなる。

が、そんなことをしたクロアチア軍の兵士にしても、
戦争前は、ごくふつうの兵士だったにちがいない。
そして今も、もし生きているなら、何食わぬ顔して、
平然と日々の生活を過ごしているにちがいない。

戦争の、本当の恐ろしさは、ここにある。

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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