●「心」
人間には知恵がある。
それを司るのが、大脳皮質部であるとしても、知恵だけでは人間は人間たりえない。
コンピューターにたとえるまでもない。
「心」があってはじめて、人間は人間たりえる。
それを「人間性」という。
たとえば喜怒哀楽の判断は、大脳皮質部でもできる。
しかしその信号を受けて、「心」として反応するのは、辺縁系という組織ということになる。
その組織が、さまざまな「心的反応」を示す。
つまり「心」も、脳の機能の一部ということになる。
言うまでもなく、その人の人間性は、その「心」で決まる。
最近では、心の原点は、脳内の化学物質、つまり脳内ホルモンであるという説が、
半ば常識化している。
その鍵を握るのが、扁桃核ということになる。
●終わりに……
いろいろと話が脱線したが、「心」も、脳の機能のひとつということになる。
その鍵を握るのが、脳の中心部にある辺縁系ということになる。
この部分には、ほかに、やる気を司る帯状回とか、記憶を司る海馬などと呼ばれる
組織もある。
私たちが学生のころは、このあたりを「原始脳」と呼び、「すでに機能を失った脳」として
学んだ。
が、それがとんでもない誤解であったことは、ここに書いたことからでも、わかる。
「心」……この不可思議にして、得体がつかめない「内的現象」は、いつの時代にも
人間を悩ませる。
できれば心の傷など、なければないほうがよいに決まっている。
しかし時として、その傷が、人間のさまざまなドラマを生み出す。
1億人、人がいれば、1億種類のドラマを生み出す。
「おもしろい」と言えば語弊があるが、それが人間社会の豊かさということになる。
(ほかの動物たちと比べてみると、それがよくわかる。
北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメ。
それぞれ個性的な動きをしていても、スズメはスズメ。
その範囲を超えることはない。)
つまり「心の傷」を、「悪いもの」と決めてかかるのではなく、「それが人間」と考える。
あとは、それと仲よくつきあう。
自分の傷ならなおさら、他人の傷であっても、仲よくつきあう。
扁桃核に焦点をあて、「心」と「心の傷」について、考えてみた。
(2010-4-2)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 扁桃核 扁桃体 心の正体 心のメカニズム 心はどこに 人間性と
心 心と人間性)
●補記
「心」も脳の機能的活動のひとつということになる。
そういう意味では、けっして霊的(スピリチュアル)な存在ではない。
またそう考えてはいけない。
すこし話が突飛もない方向に進むが、以前、特養に母を見舞ったときのこと。
私とワイフは、こんな会話をしたことがある。
「この人たちもみな、やがてすぐ、あの世へ行くことになる。
しかしどの段階で、あの世へ行くのだろうか」と。
「どの段階」というのは、20代のころの段階をいうのか、30代のころの
段階をいうのか、と。
もし死ぬ直前の状態のままあの世へ行くとしたら、死んだ人たちは、ほとんど思考能力を
失ったままあの世へ行くことになる。
特養の中には、一日中、「飯(めし)はまだか!」と、怒鳴り散らしている女性もいた。
そんな状態のままあの世へ行くというのも、おかしな話ではないか。
で、ワイフが言うには、「いちばんよい段階のときに、行くんじゃない?」と。
つまり一番美しく、輝いていた(段階)で、あの世へ行く、と。
またそう考えないと、矛盾が生じてくる。
たとえば死ぬとき、眠るようにして死ぬ人もいる。
しかしほとんどは、長く病気を患い、苦しんで死ぬ。
交通事故にしても、そうだ。
そんな状態のまま、あの世へ行ったら、あの世は、そういう人たちばかりになる。
となると、あの世というところは、病院のようなところかということになってしまう。
特別養護老人ホームのようなところを想像してもよい。
ここに「あの世」と書いたが、「天国」でもよい。
そこで人間は、肉体と霊(心)を分けた。
そうすれば、この矛盾を解消できる。
が、「心も脳の機能的活動のひとつ」ということになると、心的現象としての「霊」
の存在も、否定されることになる。
昔は、「心は心臓にある」と考えられていたが、今では「脳にある」と考える。
が、その脳にも「ない」ということになる。
「ある」とか、「ない」とか、考えるほうが、おかしい。
「ない」のである。
たとえば恋愛感情にしても、今ではホルモン説で説明される。
以前、「恋の寿命」※という原稿を書いたことがある。
性欲、食欲については、脳の視床下部が司っている。
そうしたものが、こん然一体となって、人間の「心」をつくりあげている。
が、誤解しないでほしい。
だからといって、「人間の心はつまらない」と書いているのではない。
またそういうふうに思ってもらっては困る。
私が書きたいのは、その逆。
「だから、おもしろい」である。
というのも、「心」の奥は深い。
かぎりなく深い。
ひとつの例をあげて、それを説明してみたい。
たとえば夫婦の間の性行為がある。
女性のばあいはどうなのか、本当のところはよくわからない。
しかし男性のばあい、射S前と、射S後では、「女性の体」に対する感覚は、180度
変化する。
(「S」にしたのは、BLOGによっては、禁止語になっているから。「精」のことである。)
それが瞬間に、おもしろいほど、変化する。
射S後は、そこにあるのは、ただの肉塊。
射S前には、あれほどまでに狂おしく見えた肉体でも、そう見える。
が、ここからが人間のすばらしいところ。
ワイフの肉体ですら、ただの「肉塊」になるが、そのとたん、そこに(いとおしさ)を
覚える。
しわもふえ、肌には、つやもない。
弾力性もないばかりか、シミが出ている。
が、そこに(いとおしさ)を覚える。
もし人間の心が機能だけで動くとしたら、こうした(いとおしさ)を説明することは
できない。
いつだったか、「人間の脳のニューロンの数は、DNAの数より多い」ということを
書いた。
つまり人間がもつ創造性は、DNAの限界を超えて、無限性と多様性を秘めている。
心もまた同じ。
つまり人間の脳の機能を、すべて科学で説明することはできない。
それが「奥が深い」という意味になる。
もっとわかりやすく言えば、脳の機能は、1+1=2であっても、それがときには、
1+1=∞になったりする。
私は、それが「おもしろい」と言う。
蛇足だが、私は心の否定論者ではないことをわかってもらいため、この補記部分を書いた。
Hiroshi Hayashi+++++++April.2010++++++はやし浩司
(参考)【心の原点(心のメカニズム)】(2009年5月24日作)
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脳の活動は、「ニューロン」と呼ばれる
神経細胞が司っている。
それは常識だが、しかしでは、その
神経細胞が、「心」を司っているかというと、
そうではない。
最近では、心の原点は、脳内の化学物質、
つまり脳内ホルモンであるという説が、
半ば常識化している。
私たちの心は、常に、この脳内ホルモンに
よって、影響を受け、コントロールされて
いる。
その例としてわかりやすいのが、
フェニルエチルアミンというホルモン
ということになる。
そのフェニルエチルアミンについて書いた
原稿がつぎのものである。
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●恋愛の寿命
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心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。
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その人のことを思うと、心がときめく。すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。恋をすると、人は、そうなる。
こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というわけである。
その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くない。短い。
ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態、つまり平常の状態
が保たれる。体が、その物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、
その効果が、なくなってしまう。
しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。脳内に残ったままの状態になる。こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。
つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。(これらの年数は、私自身の経験によるもの。)
その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。もちろん、ウキウキした気分も消える。
……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。
それが出産であり、育児ということになる。一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。それが結婚生活へとつながっていく。
が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4~5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。
そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。
ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。
男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。はじ
めての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の
恋のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる(?)。
まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。しか
も、はげしければはげしいほど、よい。二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回
を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。
が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。あるいはフェニルエチルア
ミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。
このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。
「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ~ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?
(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性 は
やし浩司 恋の寿命 恋の命 恋愛の命 脳内ホルモン フィードバック (はやし浩司
家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 恋のホルモン)
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話を戻す。
ここで「フィードバック」について、もう一度、説明してみたい。
脳というのは、それ自体がいつもカラの状態を保とうとする。
たとえば驚いたようなとき、脳は直接、副腎に作用して、アドレナリンを分泌させる。
ドキドキしたり、ハラハラしたりするのは、そのためである。
発汗を促すこともある。
が、同時に脳の中では別の反応が起こる。
視床下部にある脳下垂体が、それを感知して、副腎に対して、副腎皮質刺激ホルモン
を分泌するようにと、言うなれば、指令ホルモンを分泌する。
このホルモンによって、副腎が刺激を受け、副腎は、副腎皮質ホルモンを分泌する。
わかりやすく言えば、脳内に分泌されたアドレナリンを、副腎皮質ホルモンが
今度は中和しようとする。
こうして脳内はいつもカラの状態、つまり平常な状態を保とうとする。
それをフィードバック(作用)という。