最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●低劣な人たち

2010-05-15 07:48:47 | Weblog
●乗馬マシン

昨日、乗馬マシンが届いた。
ネットで購入した。
庭の見える窓際に置いた。

またがって座ると、まるで馬に乗っているかのような動きをする。
前後・左右の動きに合わせて、さらにひねりや回転運動まで加えてくれる。
手綱をつかみながら、その上でバランスを取る。
乗りながら、こんなことを考えた。

「パカパカ……」という音が出れば、もっとよい。
ついでに横に、銃を入れるホルダーでもあれば、もっとよい。
気分は最高。
まるでカウボーイ(クリント・イーストウッド)にでもなったような気分。

驚いたのは、15分もすると、ただ座っていただけなのに、
背中に汗がジワーッと出てきたこと。
腰、背中の運動になっているらしい。
ついでに腸の運動にも。

生徒の親の中にも、乗馬マシンをもっている人は多い。
そういう生徒に、「お父さんやお母さんは、使っている?」と聞いてみた。
ほとんどが「よく使っている」と答えた。

同じ健康器具でも、すぐあきてしまうものもあれば、習慣的に使うようになるものもある。
乗馬マシンは、習慣化しやすい健康器具ということになる。

これからは、ウォーキングマシンで、10~20分、運動したあと、つづいて
乗馬マシンで運動することにした。
今日でまだ2日目だが、仲よくなれそう。
またがって乗っているだけで、楽しい。
外をながめているだけで、楽しい。


●映画『グリーン・ゾーン』

 久々に迫力のある戦争映画を観た。
『グリーン・ゾーン』。
星は4つの、★★★★。
動きが激しいので、老人向けではない。
しかしボケ防止には、よい。

 今夜は、「1000円DAY」(毎月14日は、入場料が1000円)
ということで、結構、混んでいた。


●パキスタン

 映画の帰りに、友人が経営している、パキスタン料理の店に寄った。
「カラワン」という店。
星はもちろん、★★★★★。
 
 そのカラワン。
しばらく休業していた。
友人が、生まれ故郷のパキスタンに、しばらく帰省していたため。

 その友人が、こんな話をしてくれた。
「パキスタン人は、働かない」と。

私「働かないってエ?」
友「その日一日、食べていかれるだけのお金が手に入れば、それでいいと考える」
私「貯金は?」
友「パキスタン人は、しない。貯金するという考え方そのものがない」
私「家は、どうするの? 家を買うときは?」
友「家は、ある」
私「フ~~ン」と。

 パキスタン人は、会社勤めをしない。
組織に入って、働いて、給料をもらうという考え方そのものがない。
「みな、お金がなくなると、何とか働いて、それでおしまい」と。

私「驚いたか?」
友「驚くって? ぼくはパキスタンで生まれ育ったから、驚かないよ」
私「日本人は、どこかの組織に属していないと、落ち着かない」
友「日本人は、そうだね。パキスタン人には、理解できない」と。

 国がちがうと、基本的な意識そのものがちがう。
考え方そのものも、ちがう。
言うなれば、パキスタンでは、その日暮らしのフリーターが、主流。
それがふつう。

 日本人の意識は、けっして世界の標準でもないし、常識でもない。
むしろ異質。
江戸時代の昔からの、身分制度そのものが、亡霊のように、いまだにのさばっている。
店から出たとき、そんなことを考えた。


●低劣な人

 おととい、バスに乗った。
うしろに座った、2人の女性の会話が聞こえてきた。
年齢は、ともに65歳くらい。
例によって、例のごとく、低劣な話。
2人の女性を、AとBにしておく。

A「弟が母を介護しているんだけどね、介護士の人に聞いたら、月に1、2度しか
見舞いにこないんだってエ」
B「月に、1、2度? 少ないわねエ……」
A「でね、私、母のベッドのふとんをめくってみたら、ズボンがクルクルとまるめて、
ペッタンコになっていたの。
あの嫁さん、母のめんどうを、ぜんぜん、みていないみたい」と。

 話の内容からすると、Aという女性の母親は、現在、特別養護老人ホームに入居して
いるらしい。
その母親を、Aという女性の弟夫婦が引き取って、めんどうをみているらしい。
それについて、Aという女性が、Bという女性に、グチをこぼしていた。

 が、この話を聞いたとき、あまりの低劣さで、気分が悪くなった。
その第一。
「弟が、月に何回見舞いに来るか、それをスパイする姉など、いるのだろうか」と。
その「聞く」という行為そのものが、低劣。

その第二。
「老人ホームで、ふとんをめくって、その下を確かめるような人はいるのだろうか」と。
その「ふとんをめくって調べる」という行為そのものが、低劣。

 話の内容もさることながら、それから感ずる人間性そのものが、低劣。

 それに答えて、Bという女性が、「そうよねエ」「そうよねエ」と。
類は友を呼ぶということか。
Aという女性も低劣だが、Bという女性も低劣。
こうして人は、老後に向かって、低劣になっていく。
否応なしに、低劣になっていく。
みながみな、そうなるわけではないが、脳みそが萎縮し始めると、そうなる。


Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司

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