最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

●鈍感力(Less-sennsitiveness)

2007-12-04 04:05:02 | Weblog

●鈍感力(Less-sensitiveness)

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人も批判されつづけると、批判に対して
鈍感になる。

The more we are criticized, the more we become less sensitiveness.

この世界を生きぬくためには、その鈍感力も
必要。……ということで、渡辺淳一氏が書いた
「鈍感力」(集英社)というエッセー集が、
ベストセラーになった。

To live in such a complicated society, we often need to be more “less-sensitiveness” about things around us. A book “Less Sensitiveness” written by Junichiro Watanabe is one of the best sellers in Japan.

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 私も当初、自分が書いた記事について、批判されたり、批評されたりすると、かなり、それを気にした。頭に、カチンときた。しかしそれも一巡すると、「どうぞ、ご勝手に!」という心境になり、今では、まったくと言ってよいほど、気にしなくなった。

When I was to start writing in my blogs about me, I was very sensitive and nervous about what other people say and think about me. But soon afterwards I became to care about them less and less and now I really don’t care about them.

 たとえばヤフーの検索エンジンか何かを使って、「はやし浩司」を検索してみればよい。中には、私のことを、ボロクサに書いている人もいる。カルト教団に属する、どこかの頭のおかしい連中である。私は、もとから、そういう連中を相手にしていない。

Just refer to Yahoo’s Search Engine to look up about me, then you will know that some people are writing about me very badly. They belong to a Sect or Cult and I am sure that they are not “normal” in brain-system.

 また私は毎日、ありのままを書いている。本当のことは書かないこともあるが、しかしウソは書かない。そういう私をみなさんは、どう思うか。ちなみに、「はやし浩司」は実名である。「林浩司」と書く。「はやし・ひろし」と読む。たいへんありふれた名前で、この浜松市だけでも、「はやし・ひろし」という名前の人は、12~5人もいる。全国では、約200倍して、3000人前後ということになる。

I am writing about me as I am with my real name, Hiroshi Hayashi. My name is very common in japan and it’s estimated about 3000 people in Japan have the same names as mine. Therefore I write my name half in Hirakana and half in Chinese Characters.

 だから「はやし浩司」というペンネームにした。幼児を相手に、「はやし」といつも書いていたから、いつの間にか、「はやし浩司」となった。

Also I have been writing HAYASHI in hirakana when teaching very young kids. This is the reason why I use hirakana to write my name.

 そんなわけで、私はこうして自分を、いつもさらけ出している。当初は、勇気が必要だった。(さらけ出す)ということは、その分だけ、(敵をつくる)ことを意味する。だからほとんどの人は、BLOGを発行するにしても、ペンネームとか、ハンドルネームを使う。偽名を使う人もいれば、性別や年齢を隠す人もいる。

At the beginning, I needed some kind of courage to write about me as I am. To write about me as I am often means to make enemies around me, enemies who dislike me to write about them.

 しかしそこは鈍感力。

Then I needed “less-sensitiveness”.

 こういうことを長くつづけていると、だんだん、鈍感になってくる。まわりの人たちのことを気にしなくなってくる。陰でいろいろ言っている人はいるのだろうが、そういう人たちさえ、視界から消える。私は「現実逃避の一形態」と理解しているが、それもときとばあいによっては、必要なのかもしれない。

The more I write about me, the more I become “less-sensitiveness”. I have become less sensitive about people around me whatever they say and how they criticize about me. It may be a kind of “Escape from real world”, but sometimes we need it to live in this world.

 ただごく最近まで、親類のだれかは、気になった。中に、お節介焼きのバカがいて(失礼!)、私の書いた記事について、「これはあなたのことを書いたものだ」とか何とか、告げ口をして回っていた。告げ口をされた相手は、当然、それを不愉快に思ったり、時に、怒ったりした。

I care, however, until recently about those relatives and people whom I know well. Some of them read my articles and they let other people know what I am writing, saying, “Hiroshi is writing about you” or something like this. This may make other people uncomfortabale or sometimes may offend them.

 この世界には、「炎上」という言葉がある。その炎上を避けるため、他人の話を自分の話にしたり、他人の親類の話を、自分の親類の話に仕立てたりすることがある。いくつかの話を混ぜることもある。もちろん実名を使って、その人を批判するのは、相手が公人でないかぎり、タブー。そんなことは、常識。

It is a taboo to write about them with real names or criticize them with real names for their dignity. Then I write things, changing names and situations. This is a common sense which we should put into our mind when we write something. Otherwise it would cause some unexopected troubles, which I should avoid.

 しかしそれも一巡すると、どうでもよくなってしまった。やはり、「どうぞ、ご勝手に」となった。いちいち弁解するのも疲れる。……と同時に、そういう相手とは、縁を切る。

But still then the more we are criticized, the more we become “less-sensitiveness”.

 そう言えば、江戸時代の終わりに、「ええじゃないか」があったという。あれも、鈍感力のひとつだったかもしれない。

This article just has reminded me of the strange dancings which we did at the end of Edo period. I collect hereby the article I wrote about the strange dancing.

 その「ええじゃないか」について書いた原稿をさがしてみた。

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●ええじゃないか(Don’t care dancing)

 慶応八年(1867)というから、まさに幕末のころ。名古屋市周辺で、奇妙な踊りが流行した。

In 1867, toward the end of Edo Period of japan, there occurred a strange and funny danncings in Nagoya and places around Nagoya, called “E-jyanaika”, which literally means “we don’t care.”

きっかけは伊勢神宮の御札が天から降ってきたためと言われているが、もちろんそれは言い伝えに過ぎない。

Then beginning of the dancing started when shrine-papers came down from the sky but it was a kind of rumour.

人々は狂ったように踊りだした。「ええじゃないか、ええじゃないか」と。

People started dancing crazily, shouting, “E-janaika””E-jyanaika”.

言い伝えによると、女は男装、男は女装し、太鼓や三味線をならし、踊り狂ったという。群集が地主である庄屋や金持ちの商人の家へ土足で入り込む。で、なぜか押し込まれたほうは、酒や肴(さかな)を際限なく振る舞った。押し入った人々は金品をまき散らし、これくれてもええじゃないかともち去る。

People raushed into wealthy houses and took out money and food as they like and the wealthy people gave money and food as they wanted. Women wore men’s clothes and vice versa.

で、取られたほうは、それやってもええじゃないかとやってしまう。役人が止めようとしても、まったく聞き入れない。踊りくたびれると、だれの家でもかまわず寝てしまい、目が覚めると、またええじゃないかと踊りだす。このええじゃないかはウワサはウワサを呼び、東海道筋から東に江戸、横浜、静岡。西は京都、大阪、西宮にまで及んだ(マスダ組「歴史概論」)という。

This funny dancing spread from Nagoya to other places such as Tokyo(Edo) Yokohama,Shizuoka, Kyoto and Nisino-miya. They slept in other people’s houses as they like and when they woke up they started dancing again.

 この「ええじゃないか」について、「この大騒動をカモフラージュして、倒幕派は着々と江戸幕府打倒の動きを進めていた」(同「歴史概論」という説もあるが、私はそういう政治的背景は、当時の日本にはなかったと思う。

Some historian explains this dancing as a kind of anti-government movement but I don’t agree to this. In those days people were too obedient to think about the political regime.

結果として、倒幕運動に利用したという動きはあったかもしれないが、そうした高度な政治意識というのは、近年になって生まれたもの。江戸幕府があった東京で起きたとか、薩摩、長州の息がかかった京都で起きたというのなら話もわかる。しかしこのええじゃないかは、名古屋市周辺で起きているということを忘れてはならない。

This dancing worked partially as a movement in accordance with the movement of anti-government movement. But just think that this dancing occurred in Nagoya, not in Kyoto and Tokyo.

それはともかくも、その根底に、鬱積した民衆の不平や不満があったことは事実だ。しかし当時の日本は、いくら幕末とはいえ、それを訴える自由もなければ方法もなかった。300年も続いた封建体制の中で、民衆は骨のズイまで「魂」を抜かれていた。「自由」が何であるかさえわからない状態で、この運動は起きた。

People might have a lot of complainmets agaist the Government but they did not know how to solve the problem with no knowledge. As I write here they were so obedient that they have no idea but to dance crazily.

が、私はこの運動こそが、まさに現世逃避の象徴ではなかったかと思う。「この世はどうなってもええじゃないか。あの世があるではないか」と。それはまさに前世、来世論で組み立てられた日本の仏教の教えを、そのまま象徴していたともとれる。 

What I think about this funny as well as crazy dancing is that they started it to
Escape from the real world of living or desperately, thinking, “we don’t care about this world but we hane another one after we die.”

 このええじゃないかが、幕末の話でないことは、映画化もされ、また日本各地で、イベントとして再現されていることでもわかる。「これこそ日本人のやさしさ」と美化する動きさえある。しかし本当にそうか? そうあってよいのか? 「今」という現実を直視するのが苦手な日本人が、現実逃避の新たなる手段として利用しているとも考えられるのだが、皆さんはどう考えるだろうか。

This dancing was filmed as a movie and some people take this dancing as a symbol of the gentleness of the Japanese people, but I don’t think so. At least this is not a beautiful story we can praise. They just wanted to escape from the real world into a fantasy.

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ええじゃないか)

(付記)英語に翻訳するということは、ほんとうに、疲れますね!


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

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