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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10年 6月 2日号
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6月2日……1367号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━¬¬¬¬¬――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★心の壊れた人たち
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●心の壊れた人
++++++++++++++++++++
世の中には、心の壊れた人がいる。
他人の不幸を興味本位でのぞいて、
それを酒の肴(さかな)にして、楽しんで
いる人がいる。
さらに進んで、「他人の不幸話ほど、おもしろい
ものはない」と言ったバカさえいる。
A氏(65歳)は、私にこう言った。
「あいつ(A氏の従兄)が、パーキンソン病に
なったそうだ。
今度見に行ってやろう」と。
A氏とA氏の従兄は、仲が悪かった。
10年にわたって、いがみあったこともある。
そのためA氏の従兄がパーキンソン病に
なったことが、うれしくてしかたないと
いったふうだった。
が、A氏には、それがわからない。
つまり自分の心が、すでに壊れていることが
わからない。
不幸にして不幸な乳幼児期を過ごしている。
それが直接的な原因ではないにしても、
「見に行こう」はない。
まさに、悪魔。
悪魔の言葉。
で、何と、そのあとしばらくしてから、A氏は
こう言った。
何でも妹氏(6歳下)を連れて、見舞いに
行ってきた、と。
もちろん「見舞い」ではない。
「見物」である。
一見、同情するフリをしていたが、その言葉には、
心がこもっていない。
口先だけで、「かわいそう」という言葉を
繰り返していた。
++++++++++++++++++++
●他人の不幸をのぞく人
他人の不幸を、興味本位でのぞける人というのは、そうはいない。
いないが、少なくないことも事実。
が、のぞくのはその人の勝手としても、のぞかれる人は、たまらない。
そのとたん、苦しみや悲しみが倍加する。
(倍加程度では、すまない。)
友人のT氏(63歳)が、こんな話をしてくれた。
T氏が、兄や母の介護問題で苦しんでいたとき、同じようにして、のぞかれた
ことがあるという。
そういう人たちは、いかにも心配していますというフリをしながら、近づいて
くる。
が、その実、何も心配などしていない。
こんなことがあったという。
T氏の兄が胃潰瘍がこじれて入院したときのこと。
見舞いに行ったら、T氏の兄は家の商売のことを心配していたという。
そこでT氏は、またその翌日、再び、今度は、小遣いをもって、兄を見舞った。
で、その数日後のこと。
T氏の親類のB氏(従兄)から、電話があった。
皮肉たっぷりの言い方だったという。
いわく、「おまえの兄さん、入院したぞ。入院したぞ。知っているか?」と。
間延びした、どこかネチネチした言い方だった。
そこでT氏が、「知っています。おととい見舞ってきましたから」と。
その言葉に驚いて、B氏は、「えっ、……見舞っ……た?」と。
以後、T氏はB氏とは、関係を断ったという。
●自己認識
心の壊れた人には、奇妙な一貫性がある。
一事が万事。
万事が一事。
脳のCPU(中央演算装置)が壊れているため、自分の心が壊れていることに
気づくことはない。
ないばかりか、自己中心性が強いため、他人もまた自分と同じと考える。
あるいは自分を基準として、ものを考える。
他人を見る。
つまりどこまでも心のさみしい人ということになる。
●他人の不幸はのぞかない
生きていくことには、いくつかの大原則がある。
そのひとつ。
『他人の不幸はのぞかない』。
それとわかっていても、あるいが気がついていても、そっとしておいてやる。
もちろん相手から相談でもあれば、話は別。
そうでなければ、そっとしておいてやる。
見舞いにしても、一度、家人に相談してから行くのが、常識。
いきなり相手の家に押しかけて、「見舞いに来ました」はない。
来られたほうも、困る。
ばあいによっては、(多くのばあいそうなのだが……)、かえって不愉快。
が、そういう常識の備わっていない人が多いから、困る。
もしそれがわからなければ、自分のこととして考えてみればよい。
どこのだれが、自分の無様(ぶざま)な姿を、人前にさらけ出したいか?
いきなり来られたのでは、かえってそのままそれをさらけ出すことになる。
そういう見舞いが平気でできる人というのは、相手の気持ちが理解できない。
「見舞いに来てやったから、喜んでいるはず」という、きわめて自己中心的な
『ハズ論』だけで、自分の行為を正当化してしまう。
これが先に書いた、「一貫性」ということになる。
●さらに……!
さらにこんな話も聞いた。
その人、Kさん(75歳女性)は、1年近く、うつ病で家の中に閉じこもっていた。
家の中でもいちばん暗いところに、身を横たえていた。
そんな女性のところへ、ある日、親類の女性(70歳)が見舞いにやってきた。
Kさんは、最初、面会を拒否した。
「だれにも会いたくない」と言った。
が、見舞いに来た親類の女性は、強引に部屋の奥まで入っていき、Kさんの枕元に
ひざまづいたという。
そして何と、あろうことか、お経を読み始めた……!
その親類の女性というのは、どこかの宗教団体に属していた。
そこで覚えたお経を、Kさんの前で唱えたというのだ。
狂信性もここまでくると、怒れるより先に、笑えてくる。
(もちろんKさんの病気を笑っているのではない。
見舞いに来た親類の、その女性の頭(おつむ)のほうを笑う。)
無神経な人は、どこにでもいる。
そんなバカなことで鬱病が治るくらいなら、医者などいらない。
もっともその女性のばあいは、本気で(?)、Kさんのことを心配していたのかも
しれないが……。
●精進(しょうじん)
あなたの周りにも、ここに書いたような人がいるかもしれない。
しかしそういう人とは、できるだけ早く、離れたほうがよい。
長くつきあって、よいことは何もない。
ないばかりか、その人の毒気に染まってしまうことすら、ある。
一方、あなたはあなたで、もしそういう傾向があるなら、あとは「精進」あるのみ。
そういう自分と闘う。
闘って、そういう自分を自分の中から、追い出す。
方法は簡単。
いくつかの原則論を定め、それに従って生きる。
(1)ウソはつかない。
(2)約束は守る。
(3)人の悪口は言わない。
(4)グチは言わない。
(5)他人の不幸には干渉しない。
(6)他人の不幸は、自分のものと考える。
(7)他人の不幸を望まない。
(8)他人の不幸を笑わない。
そして何よりも大切なことは、(9)心の壊れた人とは、つきあわない。
●奇妙な一貫性
奇妙な一貫性について、補記する。
ここに書いたB氏(T氏の従兄)に、直接会ったことはない。
ないが、その周辺の人から、こんな話を聞いた。
B氏には2人の息子がいる。
そのうちの1人が、D症という、生まれながらの病気にかかっている。
現在は、35歳前後とか。
B氏は、その息子のことを、隠している。
ぜったいに表(外)には、出さないという。
最近、もう1人の息子が結婚式をあげたが、その結婚式にも列席させなかったという。
「インフルエンザで急に熱を出しまして……」と、結婚式の場では、そう言って、
弁解していたという。
これが私が言う「奇妙な一貫性」である。
(他人の不幸を笑う)→(自分の不幸も、他人に笑われると思う)、と。
つまり他人の不幸を笑った分だけ、今度は、その人自身が苦しむということ。
だから私はあえて(6)の「他人の不幸は、自分のものと考える」という原則を並べた。
それが日常的にできるようになると、その分だけ、心が広くなる。
その心で、自分の不幸まで、包み込むことができるようになる。
(付記)
先日、近くのショッピングセンターの食堂へ行ったら、家族で食事をしている
人たちを見かけた。
6~7人のグループだった。
祖父母、若い父母、それに2~3人の子ども。
その子どもの中の1人(6歳くらい)が、ここに書いたD症の子どもだった。
が、そのグループの人たちは、まったく平然と、楽しそうにみなで食事をしていた。
それを見た私の方まで、楽しくなるような雰囲気だった。
その子どもは、D症だったが、家族の暖かい愛情に包まれていた。
その温もりが、私のほうまで伝わってきた。
私の心まで暖かくした。
よい家族というのは、そういう家族をいう。
よい人たちというのは、そういう人たちをいう。
ここに書いた、「他人の不幸を笑う人」というのは、その(よい人)と、ちょうど反対の
位置にいる人と考えると、わかりやすい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 他人の不幸 他人の不幸を笑う人 他人の不幸論 不幸をのぞく人
よい人たち 愚かな人たち。はやし浩司 よい人 心の暖かい人 心の温もり)
Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司
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世の中には、心の壊れた人がいる。
他人の不幸を興味本位でのぞいて、
それを酒の肴(さかな)にして、楽しんで
いる人がいる。
さらに進んで、「他人の不幸話ほど、おもしろい
ものはない」と言ったバカさえいる。
A氏(65歳)は、私にこう言った。
「あいつ(A氏の従兄)が、パーキンソン病に
なったそうだ。
今度見に行ってやろう」と。
A氏とA氏の従兄は、仲が悪かった。
10年にわたって、いがみあったこともある。
そのためA氏の従兄がパーキンソン病に
なったことが、うれしくてしかたないと
いったふうだった。
が、A氏には、それがわからない。
つまり自分の心が、すでに壊れていることが
わからない。
不幸にして不幸な乳幼児期を過ごしている。
それが直接的な原因ではないにしても、
「見に行こう」はない。
まさに、悪魔。
悪魔の言葉。
で、何と、そのあとしばらくしてから、A氏は
こう言った。
何でも妹氏(6歳下)を連れて、見舞いに
行ってきた、と。
もちろん「見舞い」ではない。
「見物」である。
一見、同情するフリをしていたが、その言葉には、
心がこもっていない。
口先だけで、「かわいそう」という言葉を
繰り返していた。
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●他人の不幸をのぞく人
他人の不幸を、興味本位でのぞける人というのは、そうはいない。
いないが、少なくないことも事実。
が、のぞくのはその人の勝手としても、のぞかれる人は、たまらない。
そのとたん、苦しみや悲しみが倍加する。
(倍加程度では、すまない。)
友人のT氏(63歳)が、こんな話をしてくれた。
T氏が、兄や母の介護問題で苦しんでいたとき、同じようにして、のぞかれた
ことがあるという。
そういう人たちは、いかにも心配していますというフリをしながら、近づいて
くる。
が、その実、何も心配などしていない。
こんなことがあったという。
T氏の兄が胃潰瘍がこじれて入院したときのこと。
見舞いに行ったら、T氏の兄は家の商売のことを心配していたという。
そこでT氏は、またその翌日、再び、今度は、小遣いをもって、兄を見舞った。
で、その数日後のこと。
T氏の親類のB氏(従兄)から、電話があった。
皮肉たっぷりの言い方だったという。
いわく、「おまえの兄さん、入院したぞ。入院したぞ。知っているか?」と。
間延びした、どこかネチネチした言い方だった。
そこでT氏が、「知っています。おととい見舞ってきましたから」と。
その言葉に驚いて、B氏は、「えっ、……見舞っ……た?」と。
以後、T氏はB氏とは、関係を断ったという。
●自己認識
心の壊れた人には、奇妙な一貫性がある。
一事が万事。
万事が一事。
脳のCPU(中央演算装置)が壊れているため、自分の心が壊れていることに
気づくことはない。
ないばかりか、自己中心性が強いため、他人もまた自分と同じと考える。
あるいは自分を基準として、ものを考える。
他人を見る。
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見舞いにしても、一度、家人に相談してから行くのが、常識。
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来られたほうも、困る。
ばあいによっては、(多くのばあいそうなのだが……)、かえって不愉快。
が、そういう常識の備わっていない人が多いから、困る。
もしそれがわからなければ、自分のこととして考えてみればよい。
どこのだれが、自分の無様(ぶざま)な姿を、人前にさらけ出したいか?
いきなり来られたのでは、かえってそのままそれをさらけ出すことになる。
そういう見舞いが平気でできる人というのは、相手の気持ちが理解できない。
「見舞いに来てやったから、喜んでいるはず」という、きわめて自己中心的な
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これが先に書いた、「一貫性」ということになる。
●さらに……!
さらにこんな話も聞いた。
その人、Kさん(75歳女性)は、1年近く、うつ病で家の中に閉じこもっていた。
家の中でもいちばん暗いところに、身を横たえていた。
そんな女性のところへ、ある日、親類の女性(70歳)が見舞いにやってきた。
Kさんは、最初、面会を拒否した。
「だれにも会いたくない」と言った。
が、見舞いに来た親類の女性は、強引に部屋の奥まで入っていき、Kさんの枕元に
ひざまづいたという。
そして何と、あろうことか、お経を読み始めた……!
その親類の女性というのは、どこかの宗教団体に属していた。
そこで覚えたお経を、Kさんの前で唱えたというのだ。
狂信性もここまでくると、怒れるより先に、笑えてくる。
(もちろんKさんの病気を笑っているのではない。
見舞いに来た親類の、その女性の頭(おつむ)のほうを笑う。)
無神経な人は、どこにでもいる。
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もっともその女性のばあいは、本気で(?)、Kさんのことを心配していたのかも
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一方、あなたはあなたで、もしそういう傾向があるなら、あとは「精進」あるのみ。
そういう自分と闘う。
闘って、そういう自分を自分の中から、追い出す。
方法は簡単。
いくつかの原則論を定め、それに従って生きる。
(1)ウソはつかない。
(2)約束は守る。
(3)人の悪口は言わない。
(4)グチは言わない。
(5)他人の不幸には干渉しない。
(6)他人の不幸は、自分のものと考える。
(7)他人の不幸を望まない。
(8)他人の不幸を笑わない。
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奇妙な一貫性について、補記する。
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B氏には2人の息子がいる。
そのうちの1人が、D症という、生まれながらの病気にかかっている。
現在は、35歳前後とか。
B氏は、その息子のことを、隠している。
ぜったいに表(外)には、出さないという。
最近、もう1人の息子が結婚式をあげたが、その結婚式にも列席させなかったという。
「インフルエンザで急に熱を出しまして……」と、結婚式の場では、そう言って、
弁解していたという。
これが私が言う「奇妙な一貫性」である。
(他人の不幸を笑う)→(自分の不幸も、他人に笑われると思う)、と。
つまり他人の不幸を笑った分だけ、今度は、その人自身が苦しむということ。
だから私はあえて(6)の「他人の不幸は、自分のものと考える」という原則を並べた。
それが日常的にできるようになると、その分だけ、心が広くなる。
その心で、自分の不幸まで、包み込むことができるようになる。
(付記)
先日、近くのショッピングセンターの食堂へ行ったら、家族で食事をしている
人たちを見かけた。
6~7人のグループだった。
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その子どもの中の1人(6歳くらい)が、ここに書いたD症の子どもだった。
が、そのグループの人たちは、まったく平然と、楽しそうにみなで食事をしていた。
それを見た私の方まで、楽しくなるような雰囲気だった。
その子どもは、D症だったが、家族の暖かい愛情に包まれていた。
その温もりが、私のほうまで伝わってきた。
私の心まで暖かくした。
よい家族というのは、そういう家族をいう。
よい人たちというのは、そういう人たちをいう。
ここに書いた、「他人の不幸を笑う人」というのは、その(よい人)と、ちょうど反対の
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