最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

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●脱アメリカ追従外交の落とし穴(1)

2009-10-25 08:56:00 | Weblog
【東アジア共同体構想】(脱・アメリカ追従外交の危険な落とし穴)

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東アジア共同体構想は、見かけは
ともかくも、失敗する。
日本の外資が威力を失ったとき、
命運は尽きる。

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●アジアのリーダーとして

 今からちょうど40年前。
日本は、新幹線を走らせ、東京オリンピックを成功させ、かつ大阪万博を開き、まさに破竹の進撃をつづけていた。
高度成長期に突入していた。
そのころアジア各国の人たちは、日本を、畏敬の念と、脅威の念の、2つの入り混ざった目でながめていた。

「畏敬の念」というのは、「アジア人でも、やればできるのだ」という自信の先頭、それを、日本が切ったということ。
「脅威の念」というのは、当然のことながら、第二次世界大戦の後遺症をさす。
同時に日本の軍事的脅威論も、このころあちこちで論じられるようになった。

 が、もうひとつ、日本人が読めなかった心がある。
たとえば、アジアの人たちは、日本人が作る自動車を見て、「同じアジア人が作った」と喜んだ。
理由のひとつとして、日本以外のアジアの国の人たちは、長い間、欧米諸国の植民地であったことがあげられる。

当時の日本人がもつ欧米コンプレックスには、相当なものがあった。
欧米人と見ただけで、頭をさげた。
しかし他のアジア各国、とくに東南アジア各国の人たちがもつ、欧米コンプレックスには、独特のものがあった。
隷属意識、劣等意識、逆差別意識……そういったものが、渾然一体となって、彼らの欧米コンプレックスを作りあげていた。
彼らは、欧米に、彼らの植民地として隷属したという、暗い歴史がある。

私は、『世にも不思議な留学記』の中で、こんなことを書いたことがある。

 ある朝のこと、突然、私はアジア各国からの留学生たちに起こされた。
「何だ!」と思って起きてみると、いちばん仲がよかったタン君(マレーシアン中国人)が、こう言った。

 「ホロシ(私のこと。タンは、いつも私をそう呼んでいた)、来てみろ、すごい車がある」と。
 みなといっしょに道路へ出てみると、そこにマツダのサバンナという車が置いてあった。
ダッシュボードが、ボンネット側に湾曲している、それまでに見たことのないデザインの車だった。
タンは、こう言った。
「白人が、アジア人の作った車に乗っている!」と。

 当時の日本人は、そうしたアジアの人たちの心を読めなかった。
今も、今度は、逆の立場で読めないでいる。

話を先に進める前に、『世にも不思議な留学記』の1作を紹介する。
内容的に、話が脱線するが、許してほしい。
東南アジアで、日本がどういう立場にあるか、それをわかってもらえると思う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●人種差別

 大学のカフェで食事をしていると、私を取り囲むようにして、4、5人のオーストラリア人がすわった。そして手にしたスプーンの腹で、コツコツとテーブルをたたき始めた。

 「立ち去れ」という合図である。気まずい時間が流れた。私はすでに食事を始めていた。が、そのとき、身長が1メートル90センチはあろうかという大男が、私の横に座った。長い髪の毛で、顔中、ヒゲでおおっていた。その男が、スプーンをならしている学生たちに向かって、低い声でこう言った。「ワット・アー・ユー(お前たちは何だ)」と。

 その一言で、学生たちはスプーンをたたくのをやめた。やめて、その場を離れた。その大男というのが、デニス君だった。本名は、デニス・キシアという。今でも私の無二の親友だ。

●皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだ

 同じころK大学医学部の講師たち3人が、一週間の予定で、メルボルン大学へやってきた。そしてハウスのゲストルームに滞在した。豪快な人たちだ……と、最初はそう思った。しかし品位に欠けていた。スープ皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだり、ハウスの飯はまずいと言っては、どこで手に入れたのか魚の目刺しを買ってきて、それを部屋の中で焼いて食べたりしていた。

 その中の1人が、こう言った。「オーストラリアも、ギリシャ人やイタリア人なんか、移民させるもんじゃないよな。雰囲気が悪くなる」と。

 当時の日本人で、自分がアジア人だと思っている日本人は、ほとんどいなかった。世界の人は、半ば嘲笑的に日本人を、「黄色い白人」と呼んでいた。が、日本人は、それをむしろ光栄なこととしてとらえていた。

 しかしアジア人はアジア人。オーストラリアでは、第2級人種として差別されていた。結婚しても、相手がアジア人だったりすると、そのオーストラリア人も、第2級人種に格下げされた。その法律は、それから10年ほどしてから撤廃されたが、オーストラリアはまだ、白豪主義(ホワイト・ポリシー)にこだわっていた。

 つまりもしこの医師の話をイタリア系オーストラリア人が聞いたら、怒る前に吹き出してしまうだろう。そういう常識が、その医師たちには、まったくわかっていなかった。いや、医師だけではない。当時、アボリジニーと呼ばれている原住民を見ると、日本の若い女性たちはキャーキャーと声を出して騒いでいた。なぜ騒いでいたかは、ここには書けない。書けないが、日本人ならその理由がわかるはずだ。

 しかし念のために言っておこう。あのアボリジニーは、4~5波に分けて、アジア大陸から移住してきた民族である。そのうちの一波は、私たち日本人と同じルーツをもっている。つまり私たち日本人は、白人よりも、はるかにアボリジニーに近い。騒ぐほうがどうかしている。

●人種差別

 人種差別。それがどういうものであるか、それはされたものでないとわからない。「立ち去れ」という合図を受けたときの屈辱感は、今でも脳に焼きついている。それはそれだが、問題はその先だ。人種差別をされると、人は2つの考え方をするようになる。

 1つは、「だから自分の属する民族を大切にしなければならない」という考え方。もう1つは、「民族という名のもとに、人間を分類するのはおかしい」という考え方。

 どちらの考え方をもつにせよ、1つだけ正しいことがある。それは人種や民族の優位性などというものは、いくら論じても意味がないということ。大切なことは、互いに相手を認め、尊重しあうことだ。それがあってはじめて、日本を、そして世界を論ずることができる。

 が、そうした世界観は、当時の日本人にはまだ育っていなかった。同じアジア人でありながら、日本人は自らを欧米人と位置づけることによって、ほかのアジア人とは一線を引いていた(中日新聞で発表済み)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●黄色い白人

 今思い起こしても、当時の日本人は、目が、欧米のほうだけを向いていた。
子どもでも、「自分はアジア人」と自覚している子どもは、皆無だった。
私が、「ぼくたちはアジア人だよ」と教えても、みな、「ちがう」と答えた。
中に、「ぼくたちは、欧米人だ」と言う子どもさえいた。

 こうした意識は、現在の30代、40代の人たちが、今でも共通してもっている。
あるいは自分自身の子ども時代を振り返ってみて、「私はそうでなかった」と自信をもって言える人は、まずいない。

 つぎの原稿は、10年ほど前に書いたものである。
切り口が少し脱線するが、ここに書いたことは、今でもそのまま通用する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●教科書の検定制度って、本当に必要なの?

 オーストラリアにも、教科書の検定らしきものはある。しかしそれは民間団体によるもので、強制力はない。しかもその範囲は、暴力描写と性描写の2つの方面だけ。特に「歴史」については、検定してはならないことになっている(南豪州)。

 私は1967年、ユネスコの交換学生として、韓国に渡った。プサン港へ着いたときには、ブラスバンドで迎えられたが、歓迎されたのは、その日1日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされた。私たちを直接指導してくれたのが、金素雲氏であったこともある。

韓国を代表する歴史学者である。私はやがて、「日本の教科書はまちがってはいない。しかしすべてを教えていない」と実感した。たとえば金氏は、こんなことを話してくれた。「奈良は、韓国から見て、奈落の果てにある都市という意味で、奈良となった。昔は奈落と書いて、『ナラ』と発音した」と。今でも韓国語で「ナラ」と言えば、「国」を意味する。もし氏の言うことが正しいとするなら、日本の古都は、韓国人によって創建された都市ということになる。

 もちろんこれは一つの説に過ぎない。偶然の一致ということもある。しかし一歩、日本を出ると、この種の話はゴロゴロしている。事実、欧米では、「東洋学」と言えば、中国を意味し、その一部に韓国学があり、そのまた一部に日本学がある。そして全体として、東洋史として教えられている。

 話は変わるが、小学生たちにこんな調査をしてみた。「日本人は、アジア人か、それとも欧米人か」と聞いたときのこと。大半の子どもが、「中間」「アジア人に近い、欧米人」と答えた。中には「欧米人」と答えたのもいた。しかし「アジア人」と答えた子どもは1人もいなかった(約50名について調査)。先日もテレビの討論番組を見ていたら、こんなシーンがあった。

アフリカの留学生が、「君たちはアジア人だ」と言ったときのこと。1人の小学生が、「ぼくたちはアジア人ではない。日本人だ!」と。そこでそのアフリカ人が、「君たちの肌は黄色ではないか」とたたきかけると、その小学生はこう言った。「ぼくの肌は黄色ではない。肌色だ!」と。

 2001年の春も、日本の教科書について、アジア各国から非難の声があがった。韓国からは特使まで来た。いろいろいきさつはあるが、日本が日本史にこだわっている限り、日本が島国意識から抜け出ることはない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 話を「東アジア共同体構想」に戻す。

●東アジア共同体構想

 民主党政権になって、鳩山首相は、「東アジア共同体構想」というものを、ぶちあげた。
「脱・アメリカ追従外交」を一方で唱えながら、「アジア重視の外交」を主張した。

 私も30~40年前の私なら、鳩山首相のこの発想を支持しただろう。
またそのときなら、日本は、そのままアジアのリーダー(宰主)として、中国をも東アジア共同体構想の一員として、取り込むことができた。

 が、今ごろ、どうして、東アジア共同体構想なのか?
むしろ立場は、すでに逆転している。
逆転していないまでも、東南アジア各国の人たちは、「日本なしでもやっていける」と考え始めている。
つまり「東南アジア諸国連合(ASEAN)」に、頭をさげるべきほうは、むしろこの日本なのである。
 「どうか、日本も、ASEANに加入させてください」と。
それを大上段に構え、「ASEANプラス3」とは!

 「プラス3」というのは、日本、中国、韓国の3か国をいう。

 が、このプラス3は、中身にも問題がある。

(1) 韓国のもつ反日感情、あるいは日本へのライバル意識。
(2) 東南アジア各国の、反中国感情、もしくは反中国意識。

 この2つをさておいたまま、鳩山首相は、「ASEANプラス3」を唱えている。
さらに問題が起きた。
側近を、「脱・アメリカ追従外交論者」で固め、反米とまではいかないにしても、アメリカにそのような印象を与えるような行動を始めてしまった。

 毎日新聞は、つぎのように伝えている。

●アジア重視の外交政策?

+++++以下、毎日新聞+++++

 鳩山由紀夫首相は9、10両日、韓国、中国を相次いで訪問する。
9日午前にはソウルで韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領との首脳会談、10日は北京で中国の温家宝首相、李大統領との日中韓首脳会談に臨む。
首相就任後、国際会議出席以外では初めての外国訪問で、アジア外交重視の姿勢をアピールする。

 日韓首脳会談は、両首脳間の信頼関係の構築が主要な目的。北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議への早期復帰に向けた連携を確認する。
日韓連携を重視する姿勢を示すことで、「東アジア共同体構想」をはじめとするアジア外交を主導的に進めたい狙いもある。

(中略)

鳩山首相も「東アジア共同体構想」についての理解と協力を求める。3カ国会談後、両首相の個別会談もある。

+++++以上、毎日新聞+++++

さらに、鳩山首相は、岡田外務大臣をアジア各国に派遣した。
同じく毎日新聞は、つぎのように伝えている。

●受けたのは、外交的虚礼

+++++以下、毎日新聞+++++

岡田克也外相は13日、インドネシアを訪問し、ハッサン外相と会談した。
鳩山政権が推進する東アジア共同体構想について、「インドネシアは重要なパートナーだ」として協力を要請し、この問題で両国が協議していくことで一致した。

 東アジア共同体構想について岡田外相は「東南アジア諸国連合(ASEAN)の中で存在感を高めているインドネシアと協力しながら、具体化に努めたい」との考えを示した。
これに対しハッサン外相は「包括的でバランスの取れたものにすべきだ」と述べた。

その上で、ASEANプラス3(日中韓)や東アジア首脳会議などの枠組みを踏まえ、両国が統合に向けて協力し、協議を続けることで合意した。

+++++以上、毎日新聞+++++

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