最前線の育児論byはやし浩司(Biglobe-Blog)

最前線で活躍するお父さん、お母さんのためのBLOG
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●子育てエッセー

2009-07-16 17:23:46 | Weblog
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(447)

●保守的な人々

 「日本軍が満州を侵略し、満州兵の抵抗を受けた」というようなことを、原稿に書いたときのこと。その雑誌の編集者が電話をかけてきて、こう言った。「はやしさん、日本軍は満州なんか、侵略していませんよ」と。驚いて、「どうしてですか」と聞くと、その編集者はこう言った。「第一、当時、満州にはだれも住んでいなかった。無人の荒野だった。だから日本がそこへ入り、開拓してやったのです。だから、当然、満州兵などいなかった。あとになって中国は勝手に『満州は中国の領土だ』『日本軍と戦ったのは中国兵だ』と言い出しただけです」と。さらに私が驚いていると、こうも言った。

「中国にせよ、朝鮮にせよ、日本が進駐してやったおかげで、発展することができたのですよ。港もつくってやったし、道路や鉄道もつくってやった」「もし日本が進駐しなければ、ロシアやアメリカに侵略され、中国はもっと悲惨なめにあっていたはずです」と。

 もしこの論理が通るなら、どんな侵略戦争も正当化されてしまう。仮に明日、どこかの国が日本を侵略してきても、だれも文句が言えない。

 で、私がそう反論すると、その編集者はこう言った。「あなたはそれでも日本人か。日本がまちがっていたと言うのは勝手だが、それを言うということは、自ら、日本人であることを否定することと同じですよ」と。

 悲しいかな、こういう保守的な人は、実際にはいる。しかもその編集者と言うのは、年配の人ではない。あとで年齢を聞いたら、三五歳ということだった。あなたはこの編集者の意見をどう思うか。

 そうそうそれ以後、その雑誌社から執筆依頼が途絶えて、ちょうど二年になる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(448)

●肩書き社会、日本

 この日本、地位や肩書きが、モノを言う。いや、こう書くからといって、ひがんでいるのではない。それがこの日本では、常識。

 メルボルン大学にいたころのこと。日本の総理府から派遣された使節団が、大学へやってきた。総勢三〇人ほどの団体だったが、みな、おそろいのスーツを着て、胸にはマッチ箱大の国旗を縫い込んでいた。が、会うひとごとに、「私たちは内閣総理大臣に派遣された使節団だ」と、やたらとそればかりを強調していた。つまりそうことを口にすれば、歓迎されると思っていたらしい。

 が、オーストラリアでは、こうした権威主義は通用しない。よい例があのテレビドラマの『水戸黄門』である。今でもあの番組は、平均して二〇~二三%もの視聴率を稼いでいるという。が、その視聴率の高さこそが、日本の権威主義のあらわれと考えてよい。つまりその使節団のしたことは、まさに水戸黄門そのもの。葵の紋章を見せつけながら、「控えおろう」と叫んだのと同じ。あるいはどこがどう違うのか。

が、オーストラリア人にはそれが理解できない。ある日、ひとりの友人がこう聞いた。「ヒロシ、もし水戸黄門が悪いことをしたら、どうするのか。それでも日本人は頭をさげるのか」と。

 この権威主義は、とくにマスコミの世界に強い。相手の地位や肩書きに応じて、まるで別人のように電話のかけ方を変える人は多い。私がある雑誌社で、仕事を手伝っていたときのこと。相手が大学の教授であったりすると、「ハイハイ、かしこまりました。おおせのとおりいたします」と言ったあと、私のような地位も肩書きもないような人間には、「君イ~ネ~、そうは言ってもネ~」と。

しかもそういうことを、若い、それこそ地位や肩書きとは無縁の社員が、無意識のうちにそうしているから、おかしい。つまりその「無意識」なところが、日本人の特性そのものということになる。

 こうした権威主義は、恐らく日本だけにしか住んだことがない人にはわからないだろう。説明しても、理解できないだろう。そして無意識のうちにも、「家庭」という場で、その権威主義を振りまわす。「親に向かって何だ!」と。子どももその権威主義に納得すればよし。しかし納得しないとき、それは親子の間に大きなキレツを入れることになる。親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前で仮面をかぶる。つまりその仮面をかぶった分だけ、子どもの子は親から離れる。

ウソだと思うなら、あなたの周囲を見渡してみてほしい。あなたの叔父や叔母の中には、権威主義の人もいるだろう。そうでない人もいるだろう。しかし親が権威主義的であればあるほど、その親子関係はぎくしゃくしているはずである。

 ところで日本からの使節団は、オーストラリアでは嫌われていた。英語で話しかけられても、ただニヤニヤ笑っているだけ。そのくせ態度だけは大きく、みな、例外なくいばっていた。このことは「世にも不思議な留学記」※に書いた。それから三〇年あまり。日本も変わったが、基本的には、今もつづいている。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(449)

●夫に不満?

 先日、女房の友人(四八歳)が私の家に来て、こう言った。「うちのダンナなんか、冷蔵庫から牛乳を出して飲んでも、その牛乳をまた冷蔵庫にしまうことすらしないんだわサ。だから牛乳なんて、すぐ腐ってしまうんだわサ」と。

話を聞くと、そのダンナ様は結婚してこのかた、トイレ掃除はおろか、トイレットペーパーすら取り替えたことがないという。私が、「ペーパーがないときはどうするのですか?」と聞くと、「何でも『オーイ』で、すんでしまうわサ」と。

 国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「家事は全然しない」という夫が、まだ五〇%以上もいるという(二〇〇〇年)(※)。年代別の調査ではないのでわからないが、五〇歳以上の男性について言うなら、何か特別な事情のある人を除いて、そのほとんどが家事をしていないとみてよい。

この年代の男性は、いまだに「男は仕事、女は家事」という偏見を根強くもっている。男ばかりではない。私も子どものころ台所に立っただけで、よく母から、「男はこんなところへ来るもんじゃない」と叱られた。こうしたものの考え方は今でも残っていて、女性自らが、こうした偏見に手を貸している。「夫が家事をすることには反対」という女性が、二三%もいるという(同調査)。

 が、その偏見も今、急速に音をたてて崩れ始めている。私が九九年に浜松市内でした調査では、二〇代、三〇代の若い夫婦についてみれば、「家事をよく手伝う」「ときどき手伝う」という夫が、六五%にまでふえている。欧米並みになるのは、時間の問題と言ってもよい。

※……国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「掃除、洗濯、炊事の家事をまったくしない」と答えた夫は、いずれも五〇%以上であったという。
 部屋の掃除をまったくしない夫          ……五六・〇%
 洗濯をまったくしない夫             ……六一・二%
 炊事をまったくしない夫             ……五三・五%
 育児で子どもの食事の世話をまったくしない夫   ……三〇・二%
 育児で子どもを寝かしつけない夫(まったくしない)……三九・三%
 育児で子どものおむつがえをまったくしない夫   ……三四・〇% 
(全国の配偶者のいる女性約一四〇〇〇人について調査・九八年)
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(450)

●男女平等

 若いころ、いろいろな人の通訳として、全国を回った。その中でもとくに印象に残っているのが、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデン性教育協会の会長をしていた。そのベッテルグレン女史はこう言った。

「フリーセックスとは、自由にセックスをすることではない。フリーセックスとは、性にまつわる偏見や誤解、差別から、男女を解放することだ」「とくに女性であるからという理由だけで、不利益を受けてはならない」と。それからほぼ三〇年。日本もやっとベッテルグレン女史が言ったことを理解できる国になった。

 実は私も、先に述べたような環境で育ったため、生まれながらにして、「男は……、女は……」というものの考え方を日常的にしていた。高校を卒業するまで洗濯や料理など、したことがない。たとえば私が小学生のころは、男が女と一緒に遊ぶことすら考えられなかった。遊べば遊んだで、「女たらし」とバカにされた。

そのせいか私の記憶の中にも、女の子と遊んだ思い出がまったく、ない。が、その後、いろいろな経験を通して、私がまちがっていたことを思い知らされた。その中でも決定的に私を変えたのは、次のような事実を知ったときだ。

つまり人間は男も女も、母親の胎内では一度、皆、女だったという事実だ。このことは何人ものドクターに確かめたが、どのドクターも、「知らなかったのですか?」と笑った。正確には、「妊娠後三か月くらいまでは胎児は皆、女で、それ以後、Y遺伝子をもった胎児は、Y遺伝子の刺激を受けて、睾丸が形成され、女から分化する形で男になっていく。分化しなければ、胎児はそのまま成長し、女として生まれる」(浜松医科大学O氏)ということらしい。

このことを女房に話すと、女房は「あなたは単純ね」と笑ったが、以後、女性を見る目が、一八〇度変わった。「ああ、ぼくも昔は女だったのだ」と。と同時に、偏見も誤解も消えた。言いかえると、「男だから」「女だから」という考え方そのものが、まちがっている。「男らしく」「女らしく」という考え方も、まちがっている。ベッテルグレン女史は、それを言った。

 これに対して、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と答えた女性は、七六・七%いるが、その反面、「反対だ」と答えた女性も二三・三%もいる。男性側の意識改革だけではなく、女性側の意識改革も必要なようだ。ちなみに「結婚後、夫は外で働き、妻は主婦業に専念すべきだ」と答えた女性は、半数以上の五二・三%もいる(厚生省の国立問題研究所が発表した「第二回、全国家庭動向調査」・九八年)。こうした現状の中、夫に不満をもつ妻もふえている。

「家事、育児で夫に満足している」と答えた妻は、五一・七%しかいない。この数値は、前回一九九三年のときよりも、約一〇ポイントも低くなっている(九三年度は、六〇・六%)。「(夫の家事や育児を)もともと期待していない」と答えた妻も、五二・五%もいた。

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