【子どもの心、親知らず】
●「うちに帰って相談して決めます」
幼稚園でいうと、今、「入れて(=入園させて)もらえますか?」と聞いてくる親は、まずいない。
生徒、様々。
「入れる」という前提で、見学に来たりする。
で、幼稚園側も、そうした親や子にていねいに対処する。
今では給食を提供するのも、当たり前。
手のあいている教師に、マンツーマンでガイドさせることもある。
が、親の方はどうかというと、帰りがけに、こう言う。
「入園するかどうか、うちへ帰って相談してから決めます」と。
中には、「明日、もう一度、見学させてください」と言う親もいるという。
親にしてみれば、何げない一言かもしれないが、この一言が、グサリと園側の園長や教師の心を刺す。
ある教師(教師歴20年以上)は、こう言った。
「いくら慣れたとはいえ、この言葉だけには、慣れることができません」と。
●自動販売機
こうした傾向は、私の教室でもある。
あるいはもっと、ひどい(?)。
お金さえ払えば、だれでも入れると思っている。
立場が「塾」だから、それはしかたない。
以前は、「自動販売機」と揶揄(やゆ)された。
いちいちそんなことで傷ついていたら、この仕事はできない。
慣れたわけではないが、その瞬間、その親や子どものことは忘れる。
私のばあい、「縁があったら、またおいでください」というような言い方をして、別れる。
そう、この世界は、「縁」で始まり、「縁」で終わる。
小さな種かもしれないが、それを蒔いておけば、いつか芽が出る。
そう思って、別れる。
が、反対に、こういうこともある。
ときどき何かの問題をもった子どもがやってくる。
若いときは、そういう子どもでも引き受けた。
が、50歳を過ぎるころから、それができなくなった。
体力的な限界を覚えるようになった。
で、それとなく断ることもある。
が、その断り方がむずかしい。
いくらていねいな言い方をしても、たいていの親は、店で販売拒否にでもあったかのように激怒する。
「どうして、うちの子は入れてもらえないのですかア!」と。
一度だけだが昔、こう言われたこともある。
「お高くとまって、あなたは何様のつもりですか!」と。
●「メイリークリスモース」
親といっても、若い女性の世界。
若い女性がみな、そうだというのではない。
しかし中には、テレビのバラエティ番組からそのまま出てきたような若い女性もいる。
モンスターママというよりは、プチ・モンスターママ。
電話のかけ方どころか、話し方までおかしい(失礼!)。
「オタクウ(お宅は)、ヤウジウ(幼児)キャオウシツウ(教室)?」と。
口をほとんど閉じたまま、鼻から音を出して話す。
たとえば「メリークリスマス」を、「メイリークリスモース」というような言い方をする。
都会(東京)などで、接客業をしている女性に、そういう話し方をする人が多い。
この浜松市でも、ふえてきた。
そういう女性のばあい、私は電話の問い合わせの段階で、入会を断ることにしている。
一事が万事。
万事が一事。
母親がそういう話し方をしていて、どうして子どもにまともな国語力が育つというのか。
●ジー様
……とはいえ、私の仕事もいよいよ秒読み段階に入ってきた。
よく「あと何年、この仕事ができるだろうか」と考える。
若い母親たちからみると、私はとんでもないほど遠くにいるジー様に見えるはず。
私も若いとき、そう思っていた。
30代のころは、50歳の人でも、ひどくジー様に見えた。
そのジー様。
こと幼児教育の世界では、ジー様はお呼びではない。
子どもも小さいが、親も若い。
それがよくわかっているから、否応なしに、私は謙虚になる。
……ならざるをえない。
「来てもらえるだけも、ありがたい」と。
で、残り2年か、それとも3年か?
ワイフはいつもこう言っている。
「できるところまでしましょうよ」と。
●「あんなヤツ、早く死ねばいい」
……と書くと、私の愚痴で終わってしまう。
で、ここから先は、育児論。
こうしたケースで注意しなければならないのは、親たちは、子どもの心をどれだけ大切にしているかということ。
「うちの子は、まだ判断力がないから」という理由だけで、親側がすべてを決めてしまうケースが目立つ。
あるいは「うちの子のことは、私がいちばんよく知っている」と思い込んでいる親も多い。
幼稚園やおけいこ塾のみならず、学校や進路、進学についても、である。
教師というのは、当然のことながら、親と子どもの(間)に立つ。
だから双方の気持ちや考え方がよくわかる。
が、こんなケース。
親は、(母親であることが多いが)、「私は子ども思いのいい母親」と思い込んでいる。
子どもの生活のあらゆる場面に介入してきては、親が一方的にすべてを決めてしまう。
「今度からあの塾へ行きなさい」
「来週からは、A塾をやめ、B塾へ移りなさい」など。
で、そういう親に対して、子どもの側が、それなりに感謝しているかというと、それはない。
ある男児(小6)は、口癖のように、いつもこう言っていた。
「あんなヤツ、早く死ねばいい」と。
ふつうの言い方ではない。
顔を引きつらせ、体をこわばらせて、そう言った。
「あんなヤツ」というのは、彼の母親をいう。
が、こんなケースもある。
●成績は最下位
S君はそのとき中学1年生だった。
進学校にはいたが、成績はいつも最下位。
1学年2クラスしかない小さな中学校だった。
S君は、悪い意味で、目立った。
が、母親はプライドが高く、メンツを重んじた。
で、S君を、半ば強制的に転校させようとした。
隣の町に、全寮制の中高一貫校があった。
そこへ転校させようとした。
理由は、「今の学校は、うちの息子には合っていない」だった。
で、手続きがほぼ完了したところで、S君が反撃に出た。
「ぼくは転校しない!」と。
そのあと、私に母親から相談があった。
「どうしたらいいか?」と。
私はS君と一対一で、話した。
その中で、S君は、こう言った。
「今の学校のままでいい」と。
私「今の学校に入ったことを、後悔していないか?」
S「していない」
私「どうしてお母さんが、君を転校させようとしているか、君は知っているか」
S「知っている。ぼくが、バカだから……」
私「君は、バカではないよ」
S「でも、お母さんは、そう言っている」
私「学校はそれで、楽しいか」
S「楽しいよ。友だちもたくさんいる」
私「みんなに、いじめられないか」
S「いないよ。ぼくは人気者なんだ」
私「そうだろうな。君はユーモアのセンスもいいし……」と。
●悪玉親意識
結局、S君は中学3年生までその学校に籍を置き、そのあと市内の公立高校へと進学していった。
……というようなケースは、多い。
本当に多い。
親意識だけが、(親意識といっても、悪玉親意識だが)、やたらと強い。
子どもの気持ちを確かめることもなく、子どもの(すべて)を親が決めてしまう。
結果、親子の心は、バラバラ。
が、こうなると断絶は、時間の問題。
というより、すでに断絶状態。
それに気づかぬのは、親ばかり……といった状態になる。
では、どうしたらよいか?
簡単に言えば、そのつど子どもの気持ちを確かめる。
その一言に尽きる。
が、こうした関係は、簡単には是正されない。
それがその親の、子育てのリズムになっているから。
しかもそのリズムは、恐らく、子どもを妊娠したときから始まっている。
つまり根が深い。
悪玉親意識が強い。
権威主義者。
家父長意識も強い。
こうした子育て観が、しっかりとできあがってしまっているため、それを直すのは、簡単ではない。
簡単ではない……というより、ほぼ不可能。
親自身が行き着くところまで行き、それを「失敗だった!」と認めて、はじめてわかること。
が、方法がないわけではない。
たとえばこうした私のエッセーを読むのも、そのひとつ。
読んで、自分の姿を客観的に知る。
(そのために、私は今、こうしてそれを書いている。)
繰り返しになるが、私の長い経験から、これだけははっきりと言える。
「うちの子のことは、私という親がいちばんよく知っている」と思っている親ほど、失敗しやすい。
その実、自分の子どものことなど、まるで知らない。
ということで、幼稚園やおけいこ塾を選ぶときも、子どもの心を大切にする。
そういう習慣をそのころから、身につける。
その第一が、「謙虚さ」ということになる。
「この幼稚園へ(おけいこ塾へ)、入れていただけますか」と聞く親は、それだけ子どもに対しても謙虚ということになる。
その謙虚さを、忘れてはいけない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 謙虚 悪玉親意識 親風 子どもの心、親知らず 断絶の始まり)
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司
【小学1年生に、立体図(展開図)を教えてみる】
今週は、展開図に挑戦してみました。
(1)~(4)までありますが、(1)のみを紹介します。
もっと見てくださる方は、「はやし浩司のHP」より「BW公開教室、2011年6月」へおいでください。
お待ちしています。
(1)
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●ついでに、小学6年生にも、箱作りをさせてみました。
その様子も、あわせてご覧ください。
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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 見取り図 立体図 展開図 立体模型 箱作り)
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩
●「うちに帰って相談して決めます」
幼稚園でいうと、今、「入れて(=入園させて)もらえますか?」と聞いてくる親は、まずいない。
生徒、様々。
「入れる」という前提で、見学に来たりする。
で、幼稚園側も、そうした親や子にていねいに対処する。
今では給食を提供するのも、当たり前。
手のあいている教師に、マンツーマンでガイドさせることもある。
が、親の方はどうかというと、帰りがけに、こう言う。
「入園するかどうか、うちへ帰って相談してから決めます」と。
中には、「明日、もう一度、見学させてください」と言う親もいるという。
親にしてみれば、何げない一言かもしれないが、この一言が、グサリと園側の園長や教師の心を刺す。
ある教師(教師歴20年以上)は、こう言った。
「いくら慣れたとはいえ、この言葉だけには、慣れることができません」と。
●自動販売機
こうした傾向は、私の教室でもある。
あるいはもっと、ひどい(?)。
お金さえ払えば、だれでも入れると思っている。
立場が「塾」だから、それはしかたない。
以前は、「自動販売機」と揶揄(やゆ)された。
いちいちそんなことで傷ついていたら、この仕事はできない。
慣れたわけではないが、その瞬間、その親や子どものことは忘れる。
私のばあい、「縁があったら、またおいでください」というような言い方をして、別れる。
そう、この世界は、「縁」で始まり、「縁」で終わる。
小さな種かもしれないが、それを蒔いておけば、いつか芽が出る。
そう思って、別れる。
が、反対に、こういうこともある。
ときどき何かの問題をもった子どもがやってくる。
若いときは、そういう子どもでも引き受けた。
が、50歳を過ぎるころから、それができなくなった。
体力的な限界を覚えるようになった。
で、それとなく断ることもある。
が、その断り方がむずかしい。
いくらていねいな言い方をしても、たいていの親は、店で販売拒否にでもあったかのように激怒する。
「どうして、うちの子は入れてもらえないのですかア!」と。
一度だけだが昔、こう言われたこともある。
「お高くとまって、あなたは何様のつもりですか!」と。
●「メイリークリスモース」
親といっても、若い女性の世界。
若い女性がみな、そうだというのではない。
しかし中には、テレビのバラエティ番組からそのまま出てきたような若い女性もいる。
モンスターママというよりは、プチ・モンスターママ。
電話のかけ方どころか、話し方までおかしい(失礼!)。
「オタクウ(お宅は)、ヤウジウ(幼児)キャオウシツウ(教室)?」と。
口をほとんど閉じたまま、鼻から音を出して話す。
たとえば「メリークリスマス」を、「メイリークリスモース」というような言い方をする。
都会(東京)などで、接客業をしている女性に、そういう話し方をする人が多い。
この浜松市でも、ふえてきた。
そういう女性のばあい、私は電話の問い合わせの段階で、入会を断ることにしている。
一事が万事。
万事が一事。
母親がそういう話し方をしていて、どうして子どもにまともな国語力が育つというのか。
●ジー様
……とはいえ、私の仕事もいよいよ秒読み段階に入ってきた。
よく「あと何年、この仕事ができるだろうか」と考える。
若い母親たちからみると、私はとんでもないほど遠くにいるジー様に見えるはず。
私も若いとき、そう思っていた。
30代のころは、50歳の人でも、ひどくジー様に見えた。
そのジー様。
こと幼児教育の世界では、ジー様はお呼びではない。
子どもも小さいが、親も若い。
それがよくわかっているから、否応なしに、私は謙虚になる。
……ならざるをえない。
「来てもらえるだけも、ありがたい」と。
で、残り2年か、それとも3年か?
ワイフはいつもこう言っている。
「できるところまでしましょうよ」と。
●「あんなヤツ、早く死ねばいい」
……と書くと、私の愚痴で終わってしまう。
で、ここから先は、育児論。
こうしたケースで注意しなければならないのは、親たちは、子どもの心をどれだけ大切にしているかということ。
「うちの子は、まだ判断力がないから」という理由だけで、親側がすべてを決めてしまうケースが目立つ。
あるいは「うちの子のことは、私がいちばんよく知っている」と思い込んでいる親も多い。
幼稚園やおけいこ塾のみならず、学校や進路、進学についても、である。
教師というのは、当然のことながら、親と子どもの(間)に立つ。
だから双方の気持ちや考え方がよくわかる。
が、こんなケース。
親は、(母親であることが多いが)、「私は子ども思いのいい母親」と思い込んでいる。
子どもの生活のあらゆる場面に介入してきては、親が一方的にすべてを決めてしまう。
「今度からあの塾へ行きなさい」
「来週からは、A塾をやめ、B塾へ移りなさい」など。
で、そういう親に対して、子どもの側が、それなりに感謝しているかというと、それはない。
ある男児(小6)は、口癖のように、いつもこう言っていた。
「あんなヤツ、早く死ねばいい」と。
ふつうの言い方ではない。
顔を引きつらせ、体をこわばらせて、そう言った。
「あんなヤツ」というのは、彼の母親をいう。
が、こんなケースもある。
●成績は最下位
S君はそのとき中学1年生だった。
進学校にはいたが、成績はいつも最下位。
1学年2クラスしかない小さな中学校だった。
S君は、悪い意味で、目立った。
が、母親はプライドが高く、メンツを重んじた。
で、S君を、半ば強制的に転校させようとした。
隣の町に、全寮制の中高一貫校があった。
そこへ転校させようとした。
理由は、「今の学校は、うちの息子には合っていない」だった。
で、手続きがほぼ完了したところで、S君が反撃に出た。
「ぼくは転校しない!」と。
そのあと、私に母親から相談があった。
「どうしたらいいか?」と。
私はS君と一対一で、話した。
その中で、S君は、こう言った。
「今の学校のままでいい」と。
私「今の学校に入ったことを、後悔していないか?」
S「していない」
私「どうしてお母さんが、君を転校させようとしているか、君は知っているか」
S「知っている。ぼくが、バカだから……」
私「君は、バカではないよ」
S「でも、お母さんは、そう言っている」
私「学校はそれで、楽しいか」
S「楽しいよ。友だちもたくさんいる」
私「みんなに、いじめられないか」
S「いないよ。ぼくは人気者なんだ」
私「そうだろうな。君はユーモアのセンスもいいし……」と。
●悪玉親意識
結局、S君は中学3年生までその学校に籍を置き、そのあと市内の公立高校へと進学していった。
……というようなケースは、多い。
本当に多い。
親意識だけが、(親意識といっても、悪玉親意識だが)、やたらと強い。
子どもの気持ちを確かめることもなく、子どもの(すべて)を親が決めてしまう。
結果、親子の心は、バラバラ。
が、こうなると断絶は、時間の問題。
というより、すでに断絶状態。
それに気づかぬのは、親ばかり……といった状態になる。
では、どうしたらよいか?
簡単に言えば、そのつど子どもの気持ちを確かめる。
その一言に尽きる。
が、こうした関係は、簡単には是正されない。
それがその親の、子育てのリズムになっているから。
しかもそのリズムは、恐らく、子どもを妊娠したときから始まっている。
つまり根が深い。
悪玉親意識が強い。
権威主義者。
家父長意識も強い。
こうした子育て観が、しっかりとできあがってしまっているため、それを直すのは、簡単ではない。
簡単ではない……というより、ほぼ不可能。
親自身が行き着くところまで行き、それを「失敗だった!」と認めて、はじめてわかること。
が、方法がないわけではない。
たとえばこうした私のエッセーを読むのも、そのひとつ。
読んで、自分の姿を客観的に知る。
(そのために、私は今、こうしてそれを書いている。)
繰り返しになるが、私の長い経験から、これだけははっきりと言える。
「うちの子のことは、私という親がいちばんよく知っている」と思っている親ほど、失敗しやすい。
その実、自分の子どものことなど、まるで知らない。
ということで、幼稚園やおけいこ塾を選ぶときも、子どもの心を大切にする。
そういう習慣をそのころから、身につける。
その第一が、「謙虚さ」ということになる。
「この幼稚園へ(おけいこ塾へ)、入れていただけますか」と聞く親は、それだけ子どもに対しても謙虚ということになる。
その謙虚さを、忘れてはいけない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 謙虚 悪玉親意識 親風 子どもの心、親知らず 断絶の始まり)
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩司
【小学1年生に、立体図(展開図)を教えてみる】
今週は、展開図に挑戦してみました。
(1)~(4)までありますが、(1)のみを紹介します。
もっと見てくださる方は、「はやし浩司のHP」より「BW公開教室、2011年6月」へおいでください。
お待ちしています。
(1)
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●ついでに、小学6年生にも、箱作りをさせてみました。
その様子も、あわせてご覧ください。
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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 見取り図 立体図 展開図 立体模型 箱作り)
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2011++++++はやし浩司・林浩