こだわりは・・・周瑜さま・・・でしょうか。
それだけですな。
関係ない話をいかに周瑜さまにこじつけていくか、は、ワタシにとって人生の命題かと・・・(笑)
先日柴練の「英雄ここにあり」を立ち読んできたんですが(また・・・)
確か私、この本持ってたはずなんですよ。全巻揃えて本棚に置いていた。
・・・引越しの時に売り飛ばしましたけど。
たぶん、演義だし周瑜さまが残念な感じだったからかな・・・と思うんですけど。
なんて、人のことみたいに書くのは、
この小説の中身の記憶が全くない からなんです・・・。
まさか買っただけでよまなかったのか?
そんなはずはないんですけど・・・(笑)
ちなみに、ぱっと開いたページで今度は孫策が死んでました。 ワタシって・・・orz
演義だから当然ですけど、于吉に祟られて気が狂って暴れまくり・・・と悲惨な最期。
死にざまも無残だけど、そこに至るまでの孫策の狭量っぽさ に イラッ と来ます。
自分よりも道士をあがめる民衆を見て、アッタマにきて「ぶっ殺す!!」
母が「于吉さまを処刑するなんて」といさめても聞かず
おまけに獄につないだら牢番たちが于吉を丁重にもてなしていた・・・・・
で、キレて、于吉を引きずり出してその場でぶっ殺したら、祟られた。
なんか物凄い短絡的 なんですけど!! って、いつものことですけど。今さら言うのもどうかとは思うんですけどもぉ~。(やさぐれっ)
ほんと、呉は、こてんぱんだわ。 っていつもの(以下略)
呉がこてんぱんなのはわかりきってることなんですけど
問題は、ここら辺のやりとりも全く記憶になかったんです。呉なのに。
いよいよ「読んでなかったのか?」って感じなんですけど・・・
孫策、っていうキャラクター自体、演義しか知らなかった時点での私のなかには存在してなかった・・・ような。
「英雄ここにあり」では周瑜と孫策の少年時代については
「孫堅が家族を舒に移した時、近所の出来の良い少年を選んで息子の学友とした。それが周瑜だった」
と、サラっと終わらせてますが、このていどの描写では萌えようがなかったのか(笑)
全然記憶にないんですよね(笑)どゆこと?!
(大体、孫策と周瑜がつながってなかったし。孫策と周瑜がつながったのは「北方三国志」からです。私。)
いいかげんだなぁ・・・ ほんとに、ワタシってただの周瑜ファンだったんだわと。
おそらく周瑜さまのとこ以外、ほとんど興味なかったのだと思われます・・・。
そんなだから、柴練三国志も、読んでないというのではなく、印象に残ってない、ってことなんだと思います・・・って、時代小説の大家になんて暴言を!!
だってね、
今までにも何回も書いてますが、ワタシは蜀の判官びいきがどうしても許せないんですもん・・・。
…そんなヤツがいったいどうして三国志ファンになったんだ?スタンダードは演義だぜ?っていう話なんですけど(笑)そこは自分でも謎で・・・
やっぱ、美周郎、の一点?
といっても演義での周瑜さまは、愛し続けるにはかなり努力が(笑)
だから・・・記憶にないのは、結局おもしろくなかった のだと思う。
(ここでいう「おもしろくない」は、気に食わない、納得いかない、という意味の「おもしろくない」ですので。「つまらない」ではありません。)
そんなこと言ったら、定番はみんな「おもしろくない」になっちゃうんですけど私の場合 吉川も横光も人形劇も中国電視台のドラマも(おいおい…笑)
だってさ、神的天才軍師な孔明が祭り上げられて、周瑜はその足元でフガフガともがいてて・・・
おもしろいはずがないよね・・・・・ (笑)
よく我慢してたな、と思いますもん。
よくあんな周瑜さまばっか見てて、それでもファンでい続けられたな、と。
あれだけみじめな思いをされられて、どうやって好きでい続けられたのかと自分でも不思議に思う(笑)
可哀想な方に肩入れする天の邪鬼な性格の賜物(賜物?)でしょうか・・・(笑)
でも「絶世の美男子なのに残念な人」にされた周瑜を受け入れてたわけじゃないんですよ。
常に納得いかなかったし、どうしても許せなかった。
正史の周瑜さまのことなんてこれっぽちも知らなかったけど、なにか胡散臭さを感じていたのかも・・・
「気の毒な周瑜さん」として受け入れた上で好き、なのではなく、
・・・あの周瑜にはどうも納得いかない・・・ が、周瑜さまは好きだ、それは間違いない。って感じ。ややこしいけど(笑)
やがて正史を知る時が来るまで三国志(演義)を「それでもとりあえずは好き」でいられたのは
周瑜さまが導いてくれたのだとしか思えません・・・
やっぱりワタシ、前世は周瑜さまの楽士だったんじゃないかと。(←目が本気)
おひとつポチッとお願いします
それだけですな。
関係ない話をいかに周瑜さまにこじつけていくか、は、ワタシにとって人生の命題かと・・・(笑)
先日柴練の「英雄ここにあり」を立ち読んできたんですが(また・・・)
確か私、この本持ってたはずなんですよ。全巻揃えて本棚に置いていた。
・・・引越しの時に売り飛ばしましたけど。
たぶん、演義だし周瑜さまが残念な感じだったからかな・・・と思うんですけど。
なんて、人のことみたいに書くのは、
この小説の中身の記憶が全くない からなんです・・・。
まさか買っただけでよまなかったのか?
そんなはずはないんですけど・・・(笑)
ちなみに、ぱっと開いたページで今度は孫策が死んでました。 ワタシって・・・orz
演義だから当然ですけど、于吉に祟られて気が狂って暴れまくり・・・と悲惨な最期。
死にざまも無残だけど、そこに至るまでの孫策の狭量っぽさ に イラッ と来ます。
自分よりも道士をあがめる民衆を見て、アッタマにきて「ぶっ殺す!!」
母が「于吉さまを処刑するなんて」といさめても聞かず
おまけに獄につないだら牢番たちが于吉を丁重にもてなしていた・・・・・
で、キレて、于吉を引きずり出してその場でぶっ殺したら、祟られた。
なんか物凄い短絡的 なんですけど!! って、いつものことですけど。今さら言うのもどうかとは思うんですけどもぉ~。(やさぐれっ)
ほんと、呉は、こてんぱんだわ。 っていつもの(以下略)
呉がこてんぱんなのはわかりきってることなんですけど
問題は、ここら辺のやりとりも全く記憶になかったんです。呉なのに。
いよいよ「読んでなかったのか?」って感じなんですけど・・・
孫策、っていうキャラクター自体、演義しか知らなかった時点での私のなかには存在してなかった・・・ような。
「英雄ここにあり」では周瑜と孫策の少年時代については
「孫堅が家族を舒に移した時、近所の出来の良い少年を選んで息子の学友とした。それが周瑜だった」
と、サラっと終わらせてますが、このていどの描写では萌えようがなかったのか(笑)
全然記憶にないんですよね(笑)どゆこと?!
(大体、孫策と周瑜がつながってなかったし。孫策と周瑜がつながったのは「北方三国志」からです。私。)
いいかげんだなぁ・・・ ほんとに、ワタシってただの周瑜ファンだったんだわと。
おそらく周瑜さまのとこ以外、ほとんど興味なかったのだと思われます・・・。
そんなだから、柴練三国志も、読んでないというのではなく、印象に残ってない、ってことなんだと思います・・・って、時代小説の大家になんて暴言を!!
だってね、
今までにも何回も書いてますが、ワタシは蜀の判官びいきがどうしても許せないんですもん・・・。
…そんなヤツがいったいどうして三国志ファンになったんだ?スタンダードは演義だぜ?っていう話なんですけど(笑)そこは自分でも謎で・・・
やっぱ、美周郎、の一点?
といっても演義での周瑜さまは、愛し続けるにはかなり努力が(笑)
だから・・・記憶にないのは、結局おもしろくなかった のだと思う。
(ここでいう「おもしろくない」は、気に食わない、納得いかない、という意味の「おもしろくない」ですので。「つまらない」ではありません。)
そんなこと言ったら、定番はみんな「おもしろくない」になっちゃうんですけど私の場合 吉川も横光も人形劇も中国電視台のドラマも(おいおい…笑)
だってさ、神的天才軍師な孔明が祭り上げられて、周瑜はその足元でフガフガともがいてて・・・
おもしろいはずがないよね・・・・・ (笑)
よく我慢してたな、と思いますもん。
よくあんな周瑜さまばっか見てて、それでもファンでい続けられたな、と。
あれだけみじめな思いをされられて、どうやって好きでい続けられたのかと自分でも不思議に思う(笑)
可哀想な方に肩入れする天の邪鬼な性格の賜物(賜物?)でしょうか・・・(笑)
でも「絶世の美男子なのに残念な人」にされた周瑜を受け入れてたわけじゃないんですよ。
常に納得いかなかったし、どうしても許せなかった。
正史の周瑜さまのことなんてこれっぽちも知らなかったけど、なにか胡散臭さを感じていたのかも・・・
「気の毒な周瑜さん」として受け入れた上で好き、なのではなく、
・・・あの周瑜にはどうも納得いかない・・・ が、周瑜さまは好きだ、それは間違いない。って感じ。ややこしいけど(笑)
やがて正史を知る時が来るまで三国志(演義)を「それでもとりあえずは好き」でいられたのは
周瑜さまが導いてくれたのだとしか思えません・・・
やっぱりワタシ、前世は周瑜さまの楽士だったんじゃないかと。(←目が本気)
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(お礼のタイミングが、時期も場所も見事にズレてしまいましたが…)
特に関連はなかったのですね~、ちょっぴり残念! でも、孫の字におさる繋がりがあるのは、おかしかったです。
さて、今回のつゆだく様の周さまへの想いを読んで、まさにこれは「運命の恋」と呼べるのでは、と感じました。あるいはちょっとスピリチュアルがかった言い方をすれば「ソウルメイトに出会った」とも。
この情報過多の時代、いろいろな出来事にぶつかっていく中、ひとつの対象にずっと感心を持ち、見失うことなくつきあっていられるのは、根性もさることながら、運命か、何か因縁があるのではと思えてなりませんね。
つゆだく様が周さまを、正史に触れる前から好きになり、演義の周さまに違和感を感じたのは、鋭い女の勘ってヤツでしょうか?!
演義などで語られる周さま像に違和感を覚えるのは、どんなに言葉を連ねても、ねじ曲げても、誇張や捏造はわかる人にはわかっちゃうんだぞ、ということだと思います。
こだわりって、不思議ですね。そのために人は行動を起こし、失敗もする。でもそれがないと、人は面白味のない、希薄な人生をただ生きるだけになるんでしょうね。
つゆだく様の周さまへのこだわりのおかげで、このブログが存在し、わたしも楽しませていただいているんですよね。そのこだわり、大切に育てて下さい!
自分でも気持悪くなりますもん このしつこさに。
周瑜さまにストーキング状態ですよ(笑)
でも、たしかにしぶとく周瑜ファンでい続けてよかった~って思います。
このぶろぐも、はじめる前は「ネタが続くかなぁ・・・」なんて思ってたのがしんじられません(笑)
自分の予想以上にわたしってば、四六時中周瑜さまのことを考えてたようです・・・
これからも楽しいブログづくりを心がけていきたいと思ってます よろしくです
それと、皆さんからのコメントでネタが降りる時も多々あります(笑)
疑問や妄想も随時お待ちしております うふっ
孫策、おさるでしょ?名前におさるが入ってるなんて…、もう逃げられないぜ!孫策! (何が。笑)