ひとりぼっちの美術館(笑える美術館)

手作りアートやドイツ通信など載せてます。

エスリンゲン

2006年02月28日 | 日記
ドイツ通信No.28は 1999年製。
でも 今日の写真は 2006年製。
7年の歳月で 何処が変わった???

               butterrice

旧市街の入り口?に建つ塔 夏だけジェラート屋さん

 その塔に綱渡りする人?
 
 発泡酒ゼクト本社「ケスラー」

 旧市庁舎

 マルクト広場

 私の好きな景色

 私の八百屋さん
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ドイツ通信No.28

2006年02月27日 | ドイツ通信
 ドイツ通信No.28
1999年 8月 30日
 
 街には 「私には まだ夏よ」とばかり 胸もあらわなタンクトップの人も かといえば レザー・コート姿の人も。

毎日 気温が クルクル変わるので 何を着るか それが問題だ!
窓から 外を歩く人を 参考にしようにも こんなにバラエティーに富んでるとねぇ。
 今頃 日本では 残暑厳しき折・・・ですよね。
それでも 朝晩は “日暮し“など虫の声が聞こえ あんなにうるさかった蝉も もう居なくなった・・・・の頃?
こちらには 蝉はいません。
あのじっとり暑い日 ジィジィとうるさい・・・懐かしい!
また ゴキブリもいません。
これだけ 日本人が 引っ越して来ているのに 絶対 荷物と共に紛れ込んでいるはずなのに 冬の寒さが 厳しすぎるのでしょうか?
もう 今は夜8時半にほぼ真っ暗 これから日毎どんどん日没が 早まって あっと言う間に 3時半頃には 薄暗くなる。そして朝は9時前にならないと 明るくならない冬が来ます。
1日でも長く この明るい夏を 味わっていたいという人々の気持ちが 良く判ります。

  さて、このドイツ通信もNo.28に なりました。
遅ればせながら 私が住む 「`Esslingen」(エスリンゲン)という街について 書いてみようと思います。
もし お家に世界地図があって ドイツが大きく見れれば ドイツの左下の方に
「Stuttgart」という街が のっているはずです。
Stuttgartは ドイツでは 5本指に入る大都市です。
ベンツでお馴染みの ダイムラー社と スポーツ・カー・マニア憧れのポルシェ社があるので 失業率も 他の都市に比べて低く(それでも7%よ!) ベンツ様様というわけか
Stuttgart中央駅のテッペンには ベンツの丸いマークが 掲げられ 夜になると それが回転しながら ネオンがまたたくといった按配。クリスマスには さらに派手に。
いち企業のシンボルマークが 市の中央駅に掲げられるって 凄いことですよね。
その場所から 約12キロ右下(地図上で)行ったところが ここEsslingenです。

 正確には 「Esslingen am Necker」(ネッカ-河沿いのエスリンゲン)
いわば エスリンゲンは シュッツツガルトの 衛星都市みたいなもの。
シュツツガルトから S-バーンに乗ってエスリンゲンに来るまで その沿線には ズラーっとダイムラー社の工場 会社が建っています。
シュッツツガルトは 盆地の底に拡がる街ですが エスリンゲンも 同様に 葡萄畑の
斜面に 取り囲まれています。それもかなり急な。
そこに美しい幾何学様の葡萄畑が 拡がっています。
結構 急勾配で 命綱しないで 葡萄畑で 作業して 転がり落ちて亡くなる人が 毎年何人か居るそうです。
ドイツ語の先生の御実家も 畑の地主さま。
9月の収穫の頃には 普段の仕事ほっちらして  高い背をかがめて 一粒づつ丁寧に 腐った粒を 取り除いて収穫するのですって。嫌がってます。
そして 今年も そろそろ・・・・。
エスリンゲンのワイン  軽くフルーティーで 色も薄く ”ロゼ“のよう。
私は これでは酔えません。 もっと濃くて しつこくて 出来れば いやらしいのが・・・
ハッ!ワインの話で ござったかぁ。

 そのほかに この街のウリは なんと言っても “ALT  STADT” (古い街)。
“中世そのまま“が 残っています。
ヨーロッパで 戦禍を免れた街は どこでも同じように 旧市街と新市街が はっきり
違います。
まず道路。
我が家の周囲は 道幅狭く石畳です。道路の中央には 排水のための窪みがあり
良く出来ているなぁと思います。
石も無秩序に はめ込んでいるのではなく 美しい放射状模様。
雨に塗れた石畳の美しさ! 特に暗い夜など・・・・。
 ウチ(この場合は日本の)の近所の 芦屋市六麓荘という場所は 別荘地として開発された一角で 昔は 石畳が敷き詰められていたそう。
ライフラインも 地下に 埋めてあり 美しい景観だったそう。
でも ライフラインの修繕などの際 面倒だって ある時 一気に アスファルトに変えちゃったそう!
イカンよ、そんな事 許しちゃ!
ある時、エスリンゲンの 我が家の前の道路 石を剥がし 地下に埋められている排水官の取替え?工事があって 工事終了後 サッサとアスファルト流して そこはまるで バッチイ パッチワークになってしまいました。
あ~あ!エスリンゲンよ、お前もか!
しかし その2週間後 再び アスファルト剥がして もとの石畳に。
おお! エライ!エスリンゲン あんたはエライよ!
芦屋市 見習え!


  旧市街は 狭いので 車の進入禁止
そして旧市街の入り口には 門があり 今は夏の間だけ オープンするジェラート屋さんになっています。
 街を見降ろす高台には 城壁が 残っています。
そこから見るエスリンゲンは 教会を中心に 尖がり屋根が赤い 小さなアパートが 寄り添うように建っている こじんまりとした街です。
人口は 10万人
彼らの先祖は 中世の頃 ドイツが統一されていないころ 皇帝側について 死闘を繰り広げ 城壁の周囲の山の緑を 血の色に染め上げた・・・と言われています。
今でも 街で この人に あの中世のヨロイ カブトを着せたら ピッタリ!と思う人を見掛けます。
年に一回 11月頃 狭い通りを 中世の衣装をまとった男女が パレードしますが
周囲と 完全に溶け合って もうすぐ西暦2000年だということを 忘れてしまいます。
お姫さまのような人 ロビンフッドの人 小作人?の人・・・・・みんな それぞれ すっごく似合って (本当に 昔は あんな格好していたんだぁ~うぁ~!)と思い、すると 私達も 江戸の武家の奥方?主人は ちょんまげ結ったら「やっぱり あなたたちは
これが一番 お似合いよ!」って ギッタが言うかな?
自分の姿じゃなく 主人のその姿を 想像して ゾォ~!!!
ところが ギッタ曰く 「日本では みんな 着物着て 武士の姿なんでしょ?
貴方達も 帰った時は そうなんでしょ?」って!!!
 なんとか せないと いけませんぜ!
フジヤマ ゲイシャから一歩も 進歩しておりませんです。
「日本大好き!日本食大好き!文化もなにもかも・・・・大好き!」って 私を 喜ばせて でも なんだか 私は 警戒心が緩まなくて 「日本に行ったことは?日本食はなにを?」の質問に 「ネェ~!」(ナイン=ノー)。ガクッ!
「でも私の親友は この間 休暇で“香港”に 遊びに行ってきたわよ」
ボコッ!(私がへこんだ音)
最後に 「お話できて 楽しかったわ!“シェシェ!“」と言って さっそうと 去ったおばさまが おりました。
 また 話がそれちゃった!

 そうです。エスリンゲンでした。
ここには ドイツの発泡酒「SEKT(ゼクト)」の本社があります。
発泡酒の王様は なんと言っても フランスのシャンパンですが ゼクトもとても美味しいです。
スペインの「CAVA(カバ)」なんぞも シャンパンと どのへんが 違うんだい?って思うくらい。
このカバちゃん こちらのスーパーで 750mlのが7マルクで売っています。
安いでしょ。
日本では 3800円!!! だれだぁ?儲けてるのは。

 SEKT本社の 見学 試飲に行ったことがあります。
地下の製造所や 貯蔵庫は 殆ど暗闇で こうもりが飛び交って はた織機で織られたか?と思うような くもの巣が 張り付き それは もう 恐ろしい!
こういう場所で 働いているのは イスラムの被り物をした女性ばかり。
ただ見学で 通り過ぎるのが 辛い。
ああ!それなのに 試飲タイムが 始まった途端  私ったら ぐいぐい ぼこぼこ 次から次へおかわりが進む すすむ。
アテは プレッツェルという 南ドイツ独特のパン。
日本の 西宮にある ビール会社の試飲付き見学ツアーにも 入ったことあるけど コポッ!と1口飲んで もう終りだった。
大違い! ち~とは 見習え!

 「マルクト広場」には旧市庁舎があり ピンク色の美しい建物です。
1日何回か 仕掛け時計が 時を告げます。

 私が住むアパートは 基礎が1265年に 作られました。
でも 内部は 実にモダン。

 エスリンゲンは ロマンチック街道の「ローテンブルグ」に良く似ています。
でも エスリンゲンは 観光地化しない道を 選んだそうで 街の保存のためにも
外国人には アパートを 貸さない方針を 採ってきたそうです。
まして 日本人駐在員夫婦が住むのは 初めてだそうで 街角で出会いがしら
「これはなに?」という表情で 私達を 見つめる視線を 感じることがあります。
エスリンゲンを含む シュヴァーベン地方(南ドイツ)は 大変保守的 ケチ
(いえ、倹約家とも言うかな) 滅多に人を褒めない 食生活も頑固にドイツ風
言葉は なまりがきつく 北ドイツの人がからかう時に そのなまりを 真似るのだそうです。
私は ドイツ語の先生に 「日本の ~~~だべ のようですか?」と質問してみました。
「い~え! そんな生易しいもんじゃ ありません!」って。
一体どんなんでしょう?
私は 日々 立派なシュヴァービッシュになるべく 努力しているのでしょうか・・・

  スイスやオーストリアに近いこともあり 北ドイツと違って 建物は それ程高くなく パステルカラーに 塗られ 外壁に絵が描かれ のどかな雰囲気があります。
たぶん 何年 経っても変わらない暮らし 街並みが 存在することでしょう。
時間がゆっくり流れ 何か 特に買物に 血眼にならない生活があります。

 是非 皆様も 一度 訪れてください。
決して 夢のヨーロッパの暮らしというわけじゃないけれど 確かに 日本のそれと大きく違う生活が ここに あります。
 近いうちに ドイツ国内で 皆様と「グリュース・コット!」(こんにちは!南ドイツの方言)と あいさつ 出来るのを 楽しみにしています。

              butterrice   












 
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ファッシングパレード

2006年02月27日 | 日記


今年は2月19日でした。
怖い! 汚い!気持ち悪いお面を被った一団に混じって 可愛い鼓笛隊も。
”ロイヤルボックス席”の我が家から パチリ!
butterrice
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ネクタイ受難

2006年02月26日 | 日記
     ネクタイ受難

                2006年 2月24日

  24日(金) 銀行へ行きました。駐車違反の罰金払いに。
窓口で ひょいと見上げると あった!
ドイツ通信No.57で書いた ファッシングの時の ネクタイ受難の話覚えています?
23日(木)が まさしく その日だったのです。
ここドイツのLB-BANKでも 犠牲者が 3人いたのですねぇ。

         butterrice
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色留袖

2006年02月22日 | 美術館
 

   コラージュ

 春の”婚礼”シーズンですね。

 日頃「やはり 洋服ってこちらの人達の物なんだ!」って思い知らされてる私。

 結婚式には こんな色留袖を まとって行きたいなぁ。

                butterrice
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イースター飾り

2006年02月20日 | 日記
     

春の予感

              2006年 2月 20日

   3日前から 急に温かくなった。2℃の日 あったか~い!って思ったもの。
 以来 どんどん あがり続け 5℃になってる。
で、 空は? 変なの。いつも朝は 今日は 晴れてるって 思わせて たちまち やっぱ灰色に・・・・。
 でも 確実に 春に近づいてる。
天気なぞ 関係なく ショウウィンドウは イースターの世界。
カラフルなの リアル過ぎの 可愛いの おすましの 痩せたの 太ったの・・・さまざまなうさぎちゃんと タマゴのデコレーション達が 春を告げてる。
うさぎは 多産で タマゴと共に 繁栄のシンボルなんだって。
小子化国家には 復活祭だけじゃなく ‘通年’シンボルにせないかんかも。

 我が家の近くのイタリアン食材店のウィンドウ。中身はチョコ
ここのオヤジ 怪しい! 見かけは 小太りの 普通のイタリア人。
でも 絶対怪しい! いっつも 険しい顔つきで 携帯電話で 喋ってる。
客なんぞ 入ってるの 見たことない。 
実は マフィアの・・・  やっぱり 映画の観過ぎか・・。

                          butterrice
 
 
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ドイツ通信No.27

2006年02月20日 | ドイツ通信

    ドイツ通信No.27

           1999年 8月 11日

 今日は 8月11日 ドイツ人が 待ちに待った 皆既日食の日。
ああ!それなのに 朝から無情の雨。
9日の夜から 凄まじい雷雨で こうなる予感はあったものの・・・。
私は 友人と二人で 手分けして 日食用サングラスを 求めて 市内の薬局(で売ってるんですって!)を 廻ったけれど どこも 売り切れ。
日食ツアー 前夜祭の花火 友人は 会社も休んで待機。
余りの大騒ぎで 雷が嫉妬した?
でも 次回は 80年後 しかも ここエスリンゲンは最適の場所なんですって!
だから いやがうえにも盛り上がる。(仕掛け人は誰だ!)
私は 大真面目に お騒ぎするドイツ人を 楽しんで見ていました。

そして いよいよ その時が来た。 午後12時30分過ぎ。
にわかに真っ暗に。来た来た!さすがに気味悪い。空を見上げても 低く暗い雨空だけ。
闇のみ・・・・・やはり 次回80年後ですかぁ~。
こんな日は スウェーデン旅行で 溜まった疲れを癒し 溜まった洗濯物でもしようかな?そして ドイツ通信でも 書く事にしましょう。

 「僕は 見れないなぁ~!」と残念ポーズで 日帰り出張している主人 ナント 行き先は 帰ってきたばっかの スウェーデン!
8月6日 シュッツツガルト空港から 一路ストックホルムへ。2時間のフライトです。
夏休み中とあって 機内は子供連れ多数。
私達の後ろの席も 二人の幼稚園あるいは 小学校低学年組。
これが 悪ガキ。
大声で叫ぶ・・・・足で 私達の座席の背もたれを蹴りまくる・・・・・・・ 頭越しに 何か飛んできた??? と、ピーナッツ!!! うぅ~!!!むむ!
 余りのことに 後ろを じぃ~っと睨む。
父親が ヒソヒソ 一応 たしなめている様子。
そんなソフトな言い方じゃだめだべ!
 まるで 効果無し。やっぱりねぇ。
こんな悪ガキは こうすんだよ!ってガツンと 一発!・・・やっぱり 出来ないもんざんすねぇ。
もう一度観察すると 母親とおぼしき人は 他人の顔して 外ばかり 眺めています。
ひょっとして赤の他人? だって関係無い顔して 澄ましているんですもの。
が、やはり母親だったのです。
父親ひとりが 困りきっているのを見て 私は 主人の耳元に「あれは きっと先妻の子よ!」

 そうこうしている間に 真下には 湖?海? ああ!憧れのスウェーデンがぁ。
今から12年前 私は スウェーデン出身のハードロック・バンド「ヨーロッパ」の
「ファイナル カウント ダウン」に ひと聴き惚れ MTV観て ひとめ惚れ。
ただ聴くだけでは足りず 芦屋駅前の楽器店の門をたたき 「どうしても この曲を
弾きたい!」と 申し出ました。
音符もろくに読めない私の熱意に 押され 「じゃあ 頑張りましょう!」と19歳の先生。
でも “b“が5つも付いている 楽譜が出て来た時 先生 絶句。
ところが いつものようにへこたれない私。
“こうすれば 問題解決!!!“って 音符全部に カタカナで 送り仮名。
すっかり腰引けてる先生を 引っ張って とうとう エレクトーンで 弾けるように
なりましたのさ。
そして いつの日か 北欧を 訪れたいと 思っていたのです。
それが今 もうあと数分で その憧れの地に 着こうとしているのです。
しかし その時 私の口をついて出て来た曲は?
{森と~泉にぃ~囲まれてぇ~ 静かにぃ~眠ぅる~ ブルーブルーシャトウー}
なんで???
ああ!  全米第3位 私の中では 世界第1位の曲も 日本レコード大賞には
勝てませんでした。
確かに スウェーデンは 森と湖の国でした。
島が点在していて バルト海から絶えず風が吹いて とても 気持ちが良いのです。
水辺 わけても 海は良いなぁ・・・・。

   (こうしてドイツ通信書いている今 午後2時15分 どうしたことでしょう?
今頃になって ピッカピッカの晴天になってきましたが。 日食には 手遅れだぁ)

   遊覧船のクルーズから見た 森の中に点在する カラフルで可愛く素敵な家々
各家の前の船着場には ヨットやモーターボートが繋がれています。
遠くに見える街の建物 ホテルや 王宮 オペラハウスもなんて 素敵!
ほんの少しパリにも似て でも ほんの少し 東欧の香りがすると思います。
 ここで 生まれたのね、「ファイナル カウント ダウン」・・・・・。ジ~ン!

湖や 海から吹いて来る風も 今は 心地よいけど もうあと10日もすれば 冷たくなるそう。
本当に 短い夏。
スウェーデンの人口 900万人のうち 160万人が住むストックホルム
レストランでは そんなに暑いわけじゃなく 頼んでもないのに たっぷり氷をいれた水が出ます。
人々は 全員 英語を話すんですって!(うぁ~!)
シーフードが豊富で 美味しいって(うっわぁ~~~!!!)
極めつけ! ホテルの和朝食で 「生卵かけご飯」が食べられた!!!生タマゴですぞ!

 日本と比べて高いのは 税金と 人々の身長。
でも25%(食料品は16%)の税金が含まれていても 日本とは そう違わないかも。
日本からの旅行者は ヨーロッパを出る時 20%くらい 戻ってくるから ウントお得ですねぇ。いいなぁ~!羨ましい!

 街で見かける若者は 男も女も すべて スーパーモデルみたい。
本当に美しい。
衛兵の行進を見ました。濃紺とブルーの制服に シルバーのヘルメット・・・ヨダレが出ました。
これは娘にも 是非 見せなくちゃと写真をパチリ。
ミュージアム 劇場 素敵なお家・・・片っ端からパチパチ。
街のところどころに 小さな ちいさな 小屋が建っています。
これもとても 可愛いので パチリ。
電話ボックスではないみたい。
ひとつひとつデザインが 違います。
丁度 衛兵が ひとり 立っていられる位の広さ。
私は 中央駅近くの その可愛い小屋に近づいて 一体 この小屋は何なのだろう?と
中を 覗きました。
すると 顔だけは 見れる扉の向こうで おじさんが ギョッ!として 私を見つめ
次に 眼をそらしました。
なんだかいけない事したぁ?
主人に 「中にいるおじさんが 私のこと 睨んだ」と報告。
では!と主人が 偵察。
ナント! 男子トイレでした!
先ほどのおじさん さぞや 驚き 怯えたことでしょう。
訳の判らない言葉が聞こえて ついで 東洋のおばさんが 写真取ったかとおもうと
中を覗き込んだんですものね。失礼いたしました。
でもじゃあ あの可愛い小屋は全部 トイレ?
で、婦人用は 何処?

 とんだスウェーデン報告でした。でも 本当に美しい国。
美しい国には 美しい人が育つのですね。

 日本もテーマパークなんぞ作らず 大らかな自然を味わえる公園や 誰でもが 安く利用できる施設を あちこちに作って欲しい。
だって 日本て何するにも お金掛かり過ぎ。
又 日本へのグチが始まりそう・・・。

 4週間の夏休みを取るドイツ人に対し 主人は たったの2日。
夏休みパート2 パート3は 無いの?って迫ってみようと 思います。
でも 9日 午前0時に ストックホルムから帰り 今日11日は 又 ストックホルムに 日帰り出張。
明日は パリ 明後日は デユッセルドルフ・・・ああ!これじゃあ ご苦労様!としか言えないか。

               butterrice
  
















   
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ドイツ通信No.26

2006年02月16日 | ドイツ通信
       ドイツ通信No.26
 
           
                      1999年 7月29日

  日本から帰宅して 10日過ぎました。
こちらの天気は相変わらず気まぐれです。ベッドの上には 夏の肌布団 羽毛布団が 共存し クローゼットの中は 夏冬一緒くた。
“湿度は無い“みたいなものですが その代わり?虫達がワンサカいらっしゃる。
日本だと 相当不潔なところにしかいない ハエもぶんぶん。
イタリア製の お洒落な「ハエたたき」なんて売っていますが こんな物考案して売る暇があったら ハエの素を何とかせんかい!
でも 気持ちの良いテラスで お茶するドイツ人達は 自分のケーキや サンドイッチにハエがとまっても 一向気にしません。
「キャァ~!嫌!あっち行けぇ~!」って 両手せわしく ハエ追ってるのは 私だけ。
でも 期限切れの食品を食べ ハエのたかった食品を食べ ろくに洗ってない野菜サラダを食べ いつの日か 私も O-157にもビクともしない体になるのだ!
 35人の招待客を 我が家に迎え パーティーをした時のこと。
メニュー テーブル・セッティング ゲストの席決定 部屋の飾りつけ・・・・2週間前から 緊張し 1週間前からは 殆ど眠れず。
「パーティーをします うるさいかもしれません すみませんねぇ」とアパート内に根回し。
当日 同じアパートのドイツ人が お手伝いしてくれるって。
ありがたや~!
椅子も借してもらって。
普段 下がり眼の私が 眼吊り上げて クッキング始めると 彼女「これ、ウチで 洗ってきてあげるね」と大量の 生食用ほうれん草を持って行った。
あれだけの 泥つきほうれん草 洗うのは 大変!この狭いシンクじゃあ 一体何分掛かるやら・・・・って 憂鬱だったから 嬉しい~!助かるぅ~!
でも アッと言う間に ほうれん草手に 戻って来ちゃった。
はや~~~~~!!!
不審の芽を抱えたまま それでも 目の回る忙しさに それどころやない。
しかし ついに不審の“塊”に育ち ついに 「洗うの大変だったでしょ。この量 凄いもの」
「お風呂に水溜めて 洗ったから 簡単よ」
「えっ?え~~~~~~~!どひゃあ~~~!」
「OK!心配要らない。バスタブ洗ってから ほうれん草洗ったから」
あったりまえじゃ!
きっと 不安と非難が 私の顔に出ていたんだ。
彼女は「お風呂って 体洗うだけじゃなく 毛布とか 洗うのにも使うんだよ」
それくらい 判ってま!
でも 生で食べる葉っぱ 洗うかぁ???
 その日 パーティで 私だけ サラダのほうれん草 食べませんでした。(今でも内緒!)
まだまだ 鍛え方足りんわ、私。

しかし そんな私でも 今回日本に帰国した時は ぼやいてばかり。
こんな通りの角かどに コンビニがある国で なんで こんなに自動販売機が要るの?
なんで 道路に はみ出して商品置くかなぁ?
あの旗はなに?
冷房効きすぎ!
アナウンスしつこい!
デパートでは ゆっくり見たいのじゃ、イロイロ うるさく付いてくるな!
頼んでも無いのに ここまで 包装するな!10分後には 我が家でゴミとなるのだ。
それと物、多過ぎ!
一体 どこが 不景気なのさ。
あ~~~あ!
 これって 私が 年寄りになった証拠?
3ヶ月も経つと 変貌をとげる日本 それに対して きっと50年後も同じ佇まいであろうエスリンゲン。
私は どうやら パンドラの箱を 開けてしまったようです。
でも 変わってしまったのは 私の方かも。
日本のトイレット・ペーパーが 薄すぎて 柔らかすぎて ベチャっとして気持ち悪い。
ミネラル・ウォーターに ガスが入ってなくて スカみたい。
 まもなく 芦屋駅前通りを 歩きながら ハンバーガー食べだすかも・・・・。
あかん!
芦屋マダム 社会復帰危うし!

                butterrice



                     



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私のお気に入り

2006年02月16日 | 私のお気に入り
 
 私の家に遊びに来た友達が 彼女のご主人に 「お友達の家の 食器棚には赤い”羽”が生えてるのよ。でも 彼女は ”炎”だって言うの。車輪もくっ付いているのよ。でも 元は 全部 ゴミだったんだって!」って説明してあげた 私の可愛い棚ちゃんで~す! 

    butterrice
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ドイツ通信No.25

2006年02月14日 | ドイツ通信
         ドイツ通信No.25
                     1999年5月27日

  素晴らしいヨーロッパの初夏の真っ盛りです。
空の青さこそ やや煙った感じですが 陽射しは 明るく 緑豊かな木々は
風に揺らぎ 人々は テラスカフェで 長~い1日を 存分に味わっています。
もう今は9時を過ぎても 明るいのです。

 私は 相変わらず元気ですし 主人も パリにロンドンに・・・と神出鬼没です。
イースター・ホリデーには 車で オランダ ベルギー廻ってきました。
アムステルダムの街並み キューケンホーフのチューリップ畑 ブルージュの賑わい・・
それらについて たくさん 書くつもりでした。
でも 帰ってしばらくすると 私の気持ちは 沈んで とても書くには なれませんでした。
この地で 日本人だけ 私だけ 浮かれているのは とても許されないような気がして。
NATOの空爆です。
もし 私が日本に住んでいたら 事の成り行きを気にしつつも これほど 気持ちが
沈むことは 無かったでしょう。
NATO空爆以前の時 丁度クルド人の議長が ギリシャで 逮捕された時 あちこちでテロが ありましたね。
その折 聞いたのですが ヨーロッパにはいたるところに クルド人が 散らばって住んでいて それぞれ県人会のようなものを 作っていて 何かあると 各地で 抗議のテロ行為に出るというのです。
紛争の当事国から 遠いところだから 大丈夫!ということは無いのですって。
現にドイツ国内でも トルコ人 ギリシャ人 様々に絡んで 仲が悪いのを見たりします。
最近は パトロールする警官の数も増え 一見して 外国人と判る人の 身体検査をするのを見かけます。
先日も エスリンゲンの駅前通りで 3人の警官のうち 2人が周囲を警戒して
残る一人が ひとりの若者の身体検査をしていました。
明らかに ドイツ人のようなゲルマン民族ではない風貌のその若者は 壁に向かって手をついて 両足を拡げ しつこく 検査されていました。
その様子を見ている人たち・・・・。
反対側の道から (ワァ~映画みたい!)と 思わず立ち止まり 見とれて フッと気がつくと 間抜けな様子の私が ショウウィンドウに 映っていて (そうだ!私も外国人なんだ!)と、急にソワソワ 帰りました。
シュッツツガルトでも トルコ人経営の旅行会社が 焼き討ちされたので 警戒が厳しくなっているのですね。

そこへもって今回のNATO空爆。
戦後50年を経て ドイツは初めて戦闘行為に参加するとか。
攻撃されたユーゴは 昔 ナチによってベオグラードを占領された悪夢が
蘇り・・・・昔むかしの第一次世界大戦も バルカンから始まった。
ドイツの友人の中には いつ第3次世界大戦になるか 判らない。
もし戦争が 始まったら 家に帰れないかもしれない。
だから ドイツを離れるような旅行には 出かけないと言います。
(そんな~!じゃあ 私達はどうなるのさ)
もっとも テロを恐れて空港が閉鎖されたり 飛行機が飛ばなかったりして
旅行もままならないのですが。
お陰で 主人の出張も 番狂わせの連続です。
そして 私が 一番 胸が潰れるような痛みを感じたのは ドイツ在住の
アルバニア人の2世 3世が祖国(この場合はコソボ)のために立ち上がったという
話を聞いた時です。
もう既に何千人も 県人会がコソボに送り込んだというのです。
彼等は 20代半ばの若者達。
学生だったり 店員だったり ごく普通のドイツの若者として暮らしていました。
でも 今度のことで 自分の中を流れるアルバニア人の血を自覚して 応募して
コソバ解放戦線に 参加するべく 出かけて行くのです。
でも ろくな武器もなく 経験は 2週間の訓練のみ。ユーゴの軍隊の前には
なすすべもなく おそらく彼等は 二度と戻って来ないと言うのです。
 こうして 悲劇が拡大していくのです、憎しみも。
誰かが 書いていました「戦争は 人の心の中から 生まれる」まったくそのとおりです。
阪神大震災の時 ここはまるで地獄なのに 電車でわずか15分走っただけの所は
いつもとおりの 豊かな都市生活が 存在していた!
一体、なんなんだ!これは?って思ったことがありましたが それと似た でももっと重い気持ちです。
 
 また シュッツツガルトの日本企業が 工場を閉鎖して ドイツ人を何百人かクビにしました。
そのため 抗議のデモがあり 日本人の子供達は 学校を休んだり 日本人と見ると文句の言葉を 投げつけられるという事がありました。

 ここでは ヨーロッパでは 生きるか 死ぬかの戦いから 美しく 眩しすぎる建造物や芸術 計り知れない程の重みを持ち 私を圧倒する歴史・・・・。 
そしてこのさわやかな空気と風。
怒り・美・醜・汚れ・爽・・・・あらゆる要素が ないまぜになって 私を取り込んでいます。

  日本では そろそろ梅雨入りですね。お身体に気をつけて!

                  butterrice

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