2043年6月某日。出勤前の金曜日の朝。Sはいつものようにニュース番組を観ていた。
ベーコンエッグとトーストをコーヒーで流し込みながら、Sは画面を観るともなしに観ていた。
トップニュースのタイトルが目に飛び込む。
曰く「ロック歌手の矢島ジョージ容疑者(32)煙草取締法違反容疑で逮捕!」。
以前から噂の絶えなかった煙草吸引だが、昨夜都内で、矢島所有の不審車両を職務質問した警察官により、車内に煙草1箱を隠し持っていたのを発見された模様だ。
煙草ごときで歌手生命を絶たれるなんて馬鹿な奴だ。
2030年に欧米諸国に端を発した煙草の全面製造販売禁止と、それに伴う煙草取締法の制定の波は、3年の後には日本にも及んだ。
以来10年の月日が経ち、刑事罰を伴う煙草取締法は定着し、闇のルートはともかく、日本には煙草も喫煙者も存在しなくなった。
6時の終業のチャイムと同時に、Sは帰り支度ももどかしく事務所を出た。会社の前で拾ったタクシーに行き先を告げる。郊外の目的地の一戸建てには30分ほどで到着した。
主人に案内されて家の中に入ると、5、6人の先客は思い思いのアルコールのグラスを手に、年代物のレコードプレーヤーから流れる音楽に身を委ねていた。
流れている曲は五輪真弓の「煙草のけむり」。その後、ダウンタウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」、沢たまき「ベッドで煙草を吸わないで」、西岡恭蔵「プカプカ」・・・そう、煙草が歌詞の中に出てくる曲ばかりだ。
今夜はそんな曲を聴く同好の士の集まりだ。各自が持ち寄った、古色蒼然とした昭和の時代のレコード盤を秘かに聴いて楽しむ会だ。このような秘密の会は全国至る所で行われているようだ。残念ながら喫煙はご法度だ。喫煙しようにも堅気の人間に煙草は手に入らない。
煙草取締法の施行後、関連法案が通り、歌詞に煙草を含む曲や喫煙シーンのある映画は、発売、放送、上映、ダウンロード禁止となって久しい。もちろん違反は罰則の対象だ。
来年あたりからは喫煙シーンを描写した小説も販売禁止になるらしい。
漱石や芥川、太宰などの名作も煙草のために今後埋もれてしまうのだ。
嘆かわしい世の中になったものだ。
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