東北学院大学 震災の記録プロジェクト
金菱清(ゼミナール)編
『呼び覚まされる霊性の震災
3.11生と死のはざまで』★★★★
ちがった視点からみた震災
地元が被災地だけどでも都内在住という
当時のあの苦しくどうすることも出来なかった状況を思い出す。
蚊帳の外の人達
風化している現実
もどかしいなぁ
たまにアツイ気持ちがこみあげてくる。
わかるはずないって。
---
第一章 死者たちが通う街―タクシードライバーの幽霊現象
宮城県石巻・気仙沼
第二章 生ける死者の記憶を抱く―追悼/教訓を侵犯する慰霊碑
名取市閖上・震災慰霊碑
第三章 震災遺構の「当事者性」を越えて―20年間の県有化の意義
南三陸町・防災対策庁舎
第四章 埋め墓/詣り墓を架橋する―「両墓性」が導く墓守りたちの追慕
山元町坂元地区中浜
第五章 共感の反作用―被災者の社会的孤立と平等の死
塩竃市・石巻市南浜町
第六章 672ご遺体の掘り起こし―葬儀業者の感情管理と関係性
石巻市・葬儀「清月記」
第七章 津波のデッドラインに飛び込む―消防団の合理的選択
岩手県山田町・宮古市田老地区
第八章 原発避難区域で殺生し続ける―猟友会のマイナー・サブシステム
福島県浪江町
---
東日本大震災の甚大な被害に対する“悲しみ”と“驚き”から“絶望”が生まれる。そうした心の状態において、怪奇現象が起こる。そこでは“驚き”と“恐れ”から“畏敬”が生まれる。
“絶望”と“畏敬”の板ばさみ状態
彼らにはどこか虚しいそんな時に、愛着のある地元の人が幽霊(霊魂)という形で現れ、どこか尊い感情を抱いたのである。
幽霊現象の本質は「無念」なのである。
「心」というのは宿している肉体がなくなっても残り続けるものであると。
「畏敬の心」
「被災地では、『呼び返せない世界』に去って行った肉親や知人たちとの再会こそが待ち望まれていたのである。人々は夢のなかで懐かしい人に出会い、また、かすかな気配や、ときには幽霊という姿をもって現れた死せる人々の訪れを体験していた。津波による突然の別れは、死者とともに生きてあった人々の周囲に、取り返しのつかぬ悔恨を無数に産み落とした」
「生きていた記憶」
「人間というのは、きちんと理解してけりがついた問題については考えない。人間が考えるのは、常に片づかない問題についてだけです。われわれは大事なことをこそ、『片付かない問題』というカテゴリーに放り込むのです。そしてたえずそれを意識の前面に置くようにしてゆく。ちょうどやりかけの仕事をパソコンの『デスクトップ』のいちばん目立つところに置いておくようなものです」
「コールドスポット」
災害死は平常時の死よりも突発的で、病死などと違い「なぜ自分だけが生き残ってしまったのだろう」という大災害特有の罪悪感(いわゆるサバイバーズ・ギルト)を背負うことになる。
葬儀業における「感情管理」「深層演技と表層演技」という特別なスキル
「セルフ・ストローク」
「自分自身でプラスの感情を喚起し、感情を平静に保つ心の管理」を指す。
「最期の対面は常にわれわれ葬儀社の抱えるテーマです」
消防団と「義勇精神」
「決めない」という合理的選択
合理性とは、「無駄なく能率的に行われるような物事の性質。物事の道理にかなった性質」
マイナー・サブシステンス
---
封印していた写真