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📚読書備忘録📚
(自己評価★★★★★)+泣ける物語
たまに山ブログ
         

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2015-07-21 | 沢木耕太郎


沢木耕太郎
『バーボン・ストリート』★★★

この連休は富士 河口湖畔に連泊
夕方のお風呂タイム
ある意味貸切風呂の待ち状態の際本棚から見つけた。
まさかこんなところで沢木さん(笑)
読みたい気持ちムクムク。
夕食後のひととき読み耽る。

持参したのは椎名さんの旅行記 気楽読みしようと。
それは置いといてね。










---

春樹断ちしていたけど(翻訳は別ね)
本棚に『風の歌を聴け』があってお風呂で読んでしまった。
森からは虫の声 夏の寝静まった夜

僕と鼠 

指が4本しかない女の子

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2015-07-05 | 沢木耕太郎


沢木耕太郎
『246』★★★★

結構な厚さなのにあっと言う間に読んでしまった。



私の中での246は青山通り、表参道交差点
何年働いていたかな、、
最後の日 まだ遠くに東京タワーが見えた。
いつもぼーっと流れゆくクルマを眺めていた。
こんなに外車率が高いのはココぐらい?上京したばかりだった。



---



雪の手ざわり、死者の声


 かつてトルコの刑務所には、外国人受刑者の間に「ミッドナイト・エクスプレス」という隠語があった。「ミッドナイト・エクスプレスに乗る」といえば、脱獄することを意味していた。



夕暮れどき、西の窓を開けると、国道二四六号線とその上の首都高速道路の向こうに、赤く大きな太陽が沈んでいくのが見える。ビルとビルの狭い隙間に、どこかの連山が顔を覗かせている。高速道路上を、車たちが夕陽を浴びながら疾走していく。やがて、空気は薄紫に染まってくる。



「ちょうの日」



「待つ女」も哀切だが、「待つ男」というのも哀愁があってよいものだと知った。



アジアで女は買うな、



私は、私の心と相対して生きていく以外ない。



---



月の光、虚構の枷


正月には柳橋へ、花見には千鳥ヶ淵へ、鮎の季節には多摩川べりへ、酉の市には浅草へ、ふぐの季節には築地へと、



「酒を飲まない男を信じちゃいかんぞ。そういう手合いはひとりよがりで、いついかなる時でも善悪の区別をつけられると思いこんでいる。」



言葉は、踊りの終わったあとでしか必要とされない。



---



花のざわめき、銀の幕


「かえってきてくれて、うれしいわ」



疲労した人間にとって、ハワイほど体を休めるのに適した土地はない、と私には思える。

ハワイに着くと、私は安いアパートメント・ホテルを探し、そこに長期の滞在をする。朝はどこかのレストランでジュースと卵とパンだけの簡単な朝食をとり、その足でハワイ大学の図書館に行く。そこで涼やかな風に吹かれながら本を読んだり、珍しい本のコピーを取らせてもらったりしているうちに昼になる。和風の食べものもあるビュッフェ・スタイルの学生食堂で昼食を食べ、また図書館にもどる。三時頃になると、アラモアナ行きのバスに乗り、ショッピング・センター前の海でひと泳ぎする。帰りにマーケットで肉や野菜を買い、ホテルに帰る。陽がかげると、そよ風の吹きはじめた運河沿いの道でジョギングをする。帰ってシャワーを浴びてから呑むビールは格別だ。食事をしたあとは、テレビを楽しみ、夜更けにワイキキの酒場でバーボンでも呑む。ただそれだけのことだが、何にも増して心地よい休息になるように感じられるのだ。



ひとり、目的もなく歩いていると、ほんの少しだけセンチメンタルな気分に浸ることができる。



東京は、恐らく、歩くことだけでは人の人生が見えてこない都市なのだろう。



---



雨のしずく、蜜の味


誰にとっても、持続するということほど難しいことはないのだろう。



窓をすべて開け、暮れかかる外の風景を眺めながら、ビールを呑みはじめる。
南の窓からは、夕日の最後の光を浴びながら、東横線の高架を走っていく銀色の列車が見える。その向こうには、赤みを帯びた光をともした飛行機がゆっくりと羽田空港に降りていく。西の窓に眼をやると、濃い藍色の山々を背に、国道二四六号線の上に架かる高速道路を、ライトをつけはじめた車が流れるように走っている。それを見ているだけで、瞬く間に二、三時間が過ぎてしまう。ビールの缶が机の上に並んでいき、ホロッとした気分になってくる。
都会に暮らしているんだな、と思う。そして、それも悪くないな、と思う。



際限なく湧き出てくる子供のエネルギーを正面から受け止めるのは、かなりの労働だということをあらためて思い知らされる。



やれやれ



ジャーナリストとはなにか。その答えは、ジャーナリズムとはなにか、という問いに対する答えの数だけあるだろう。

私はジャーナリズムに身を置きながら、常にジャーナリズムからの逃走を試みている者だったのだ。その自己認識が、私の、ジャーナリズムへの発言を封じることになっていた。



「あなたには何か不思議な輝きがあるわ」



『一瞬の夏』



昨日から吉行淳之介を読み続けている。机の脇に吉行淳之介の作品を積んでおき、無作為に一冊を取り出しては、好きな箇所を読むということを繰り返している。たとえ一度読んだものでも、時を隔てると新鮮な発見をすることがある。それを期待しての、「雑読」なのだ。



優れたインタヴュアーとは、相手の知っていることを引き出すだけでなく、相手の知らないこと、つまり相手が意識の上に乗せてもいないことを引き出せる存在でなくてはならない。



どんな旅でも同じだが、楽をすればするほど記憶が薄れるのもはやいものなのだ。少々、危険だな、とも思う。



「そう。三歳までの子供は可愛いだろ。あの可愛さは何にも代えられない。だからさ、その可愛さで親に一生分の恩返ししてるっていうわけさ」



---



夢の子犬、日々の泡


それで? そこから? どこへ?



---



蛇の輝き、旅の果て


ボクサーがやる気を失うのは、いつだって金が原因なのだ。それだけは、今も昔も変わることがない……。



私は近藤紘一の「記事」と「ルポ」を「評論」や「エッセイ」や「創作」と並べることで、ひとつの体験がどのように変化、あるいは深化したかを俯瞰することのできる一冊が作れるように思えてきた。



---



鼠の眠り、不意の時


時の流れは急なのだ。そんなことに不意に気づかされる。



危険を感じたら引き返すことが重要、



こんこんこん
雪が降る
こんこんこん
雪が降る



---



消えたもの、消えなかったもの




























沢木さんとXファイル漬けの週末
「吸血」のモルダーとスカリーの掛け合いは愉快だった。


さてこれから川崎に打ちっぱ。
雲行きが怪しい、、

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S

2015-07-04 | 沢木耕太郎


沢木耕太郎
『ポーカー・フェース』★★★★

子どもの頃、自己紹介で「ポーカーフェイス」と言ったことがある。
イメージ 無表情 
今はどうだろう?少しはまるくなって人間味が出てきたかな?(笑)


沢木さん
もう一冊『246』もお待ちかね。
楽しい読書の始まり~

サリンジャーや吉行さん、村松さん、なんと春樹まで!



---



知らないことは恥ずかしがらずに「真っすぐ」訊ねる。そして、こちらも訊ねられたら、たとえそれがどんなことであれ軽蔑したりせずにきちんと答える。



一生のうちで、男と女のどちらから学ぶことが多かったかというのは、案外その人を理解する重要な手掛かりになるかもしれないと思ったものだった。



友人には、冗談半分に、NHKとテレビ東京がありさえすれば他の局は不要だ、と言ったりもしている。



マリーとメアリー

亡き淀川長治ではないが、どんなつまらない映画でも、最後まで見れば一ヵ所くらいは美点が見つかるものなのだ。



「糖尿病になると刺青の色が褪めやすくなってしまうんだそうです」



《氷が解けたら何になりますか――
「水になりまーす」
おそらく、どの子どももそう答えるでしょう。先生も、それが正解と思うに違いありません。でも、ある子どもは「春になる」と答えました。
ちょっと、びっくりさせられる答えですが、確かに氷が解ければ春になる。みんなが一斉に同じ方向に考えを向けていた時、その子だけは全く別の方向へ頭を働かせていたのです。

氷が解けたら春になるかもしれないが、氷は解けたら春にはならない。水になるのだ。

話には、ホントらしいウソの話と、ウソのようなホントの話がある。



「おのれ!」

「ひとりを除いて」

「いいところがひとつあるのだけれど」



人間の子供が生まれてくる親を選べないように、犬も飼い主を選ぶことはできない。どんな人のところに行くことになるかはまさに「運」しだいなのだ。

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S

2015-01-07 | 沢木耕太郎


沢木耕太郎
『深夜特急6 南ヨーロッパ・ロンドン』★★★

結構あっけなく終了///

帰省時、時間がある時ぱらぱら読み。
温泉の待ち時間に読んでいた時 弟に真顔で、
「そんな途中途中で読んでて話分かるの?」
「だって旅行記だもん 今ポルトガルまで来たの」
「・・・・・・」
全く本を読まない人から見たらそうなんだろうと(笑)



---



とりわけ、最初に出されたシンプルなトマト味のスパゲッティーは素晴らしかった。少年に訊ねると、「ポモドーロ」というのだと教えてくれた。二番目の皿は、鱈に似た白身魚をほとんどオリーブ・オイルと香料だけで味つけしたさっぱりしたものだった。テーブルの上に無造作に置いてくれるパンもおいしかったし、小さなキャラフに入れて出してくれた赤のハウス・ワインもおいしかった。それでわずか千二百五十リラ、六百円強に過ぎないのだ。
こんな小さな店が、こんな何げない店が、こんなにおいしいものを出すのだ。私は喜んで少年にチップをはずみながら、あるいはこれが文化というものかもしれないな、などと柄にもないことを思ったりした。



「ここからどこへ行くの」
とりあえずフィレンツェへ行こうと思う。私が言うと、そこからは、と未亡人が訊ねてきた。
「まだ決めていません」
「それならヴェネチアに行くといいわ」
「ヴェネチア・・・・・・」
「ヴェネチアは素晴らしいわ」
強い感情の籠もった言い方だった。
「ヴィスコンテイの『ベニスに死す』は見た?」
いえ、と私は答えた。
「あそこには、まるでヴィスコンテイの映画に出てくるような美しい少年が実際にいるの」
「そうですか」
「何もかも、あまりに美しすぎて哀しくなるほど」



私はまだ雨の降りやまない街に出た。そして、その叩きつけるように強く降りつ
ける雨の中を、熱に浮かされたように歩きつづけた。



モナコへ向かうバスはリヴィエラの海岸線に沿った細い道を走る。その左手に見える地中海は美しかった。しかし、この程度の海はいくらでも見てきたのだと思うことにして、私は自分の心に感動することを許さなかった。こんな人工的な観光地に感動するとは何事だ、と無理に自分の心そ押さえ込んでいた。
赤く大きな夕陽がゆっくりと地中海に沈みかかった時も、まだこんなもので感動してはいられないと思っていた。太陽が沈み切ると、半月が上がりはじめた。少し心がざわついたが、まだまだだと思っていた。しかし、その月が藍色の空にしだいに鮮やかさを増すにつれ、ついにギブ・アップしそうになった。月の光が海面に反射してキラキラ輝いている。そんなものはどこの海でも見たはずなのに、なぜかこのような美しい月の光は見たことがないという気がしてきた。参ったな、と思った。これは文句なく美しい。しかし、私は痩せ我慢をするようなつもりで、まだまだ、まだまだ、と思っていた。



バスの乗客は、昼休みにモナコからニースへ戻る人が大半だった。ごく普通の人にとっては、モナコは働く土地であっても住む場所ではないものと察せられた。道はしばらく海から離れていたが、ひとつの坂を越えると不意に左手前方に輝くばかりの海が姿を現した。太陽の光をいっぱいに受けて、海水は何層にも色を変えている。青く、蒼く、碧い・・・・・・。しかし、どのような文字を当ててもその美しさには追いつきそうもない。浜はわずかの幅しかなく、すぐ横を走っている海岸通りには高層の建築物が迫っている。にもかかわらず、浜にいちばん近い層の海の水の色は、ほとんど透明に見えるほど澄んでいる。
私は呆けたように眺めながら、胸の奥で呟いていた。
<これはひどいじゃないですか>
ただ単に海の色が美しかったからではない。これほどまで自然が柔順に人間に奉仕しているということが、何か許しがたいことのように思えたのだこれまでにも美しい海岸はいくつも見てきた。しかし、このように人工的でありながら、このように完璧な美しさを持っている海岸は見たことがなかった。あるいは、このバスを毎日の通勤に使っているだけの乗客には、何の感動もない風景なのかもしれなかった。だが、私は誰にともなく、これはひどいじゃないですか、と呟きつづけていた。



「ほんとにわかっているのは、わからないということだけかもしれないな」


「状況はどんどん変化して行くし、データなんかは一年で古びてしまう。それに経験というやつは常に一面的だしね」
確かに、それはそうだ。
「知らなければ、知らないでいいんだよね。自分が知らないというこを知っているから、必要なら一から調べようとするだろう。でも、中途半端に知っていると、それにとらわれてとんでもない結論を引き出しかねないんだな」
そういうことはあるかもしれませんね。と私は相槌を打った。
「どんなにその国に永くいても、自分にはよくわからないと思っている人の方が、結局は誤らない」
なるほど、と思った。日本にも、外国にしばらく滞在しただけでその国のすべてがわかったようなことを喋ったり書いたりする人がいる。それがどれほどのものかは、日本に短期間いた外国人が、自国に帰って喋ったり書いたりした日本論がどこか的はずれなのを見ればわかる。日本人の異国論だけがその弊を免れているなどという保証はないのだ。

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S

2014-11-15 | 沢木耕太郎


沢木耕太郎
『深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海』★★★

トラブゾンの夜は寒かった。高地のエルズルムと比べても、大して差がないほどの冷え込みだった。しかし、部屋には帰りたくなかった。部屋に戻れば、スチームの暖房がある。だが、それにもかかわらず、この街頭より、はるかに部屋の方が寒々しいように思えてならなかったのだ。
カブールですれ違った日本人が、これからヨーロッパに向かう私に、しみじみとした口調で言ったものだった。ヨーロッパに冬は寒い。しかし、その寒さは、雨が降ったり、雪が降ったからという寒さではなく、宿に帰っても誰もいないという寒さなんだ、と。しかし、ヨーロッパに辿り着く前に、私はその寒さに�拙まってしまったようだった。




























人を傷つけるのっていとも簡単。。
期待を持たせても・・・正直に伝えたがため。
何も言わずに去ることも出来るけど。
誰かとつながっていたい。
その誰かは自然と存在する。

わーわー。
美味しい珈琲が飲みたい。

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S

2014-10-24 | 沢木耕太郎


沢木耕太郎
『深夜特急4 シルクロード』★★★

高松からの戻りの飛行機で読む2
既に台風の影響なのか揺れて2ドキ2



また火事の夢をみた。。
今度ははっきり炎が上がって それも青い炎がぶわっと。。
燃え移ったのが原因
それもそれだけじゃなく助けを求め隣の部屋へ飛び込んだら、
そこでは人が燃えていた !!!
誰が?
…知らないおじさんが。。
衝撃過ぎてガバッと飛び起きた 旅の途中の高松のホテルの一室
火事の夢は以前にもみて調べて分かっているけど「吉夢」
しかしあまり後味はよくない。。



---

そのペンをくれないか、駄目だ。そうか。
実に素直なのだ。しかし、誰が来ても、一度は言ってみないと気がすまないらしかった。
一日、いったいそこを何人が通過するのかしらないが、そのすべてにペンをくれ
と言いつづけているようなのだ。まるでそれこそが本当の仕事だとでもいうよう
に。



しかしパキスタンのバスは、この壮絶なインドのバスのさらに上をいくものだった。
パキスタンのバスはどれも相当くたびれているが、眼の前にある車はすべて追い
抜かなければ気がすまないというような勢いで強引に走っていく。車体はガタガタで、
客は常に機銃掃射を浴びているような具合に体を震わせていなければならない。



アフガニスタンにあるのは、国家ではなく部族だ、法律ではなく掟だ、という言
い方がある



アフガニスタンの風景はこころに沁み入るようだった。とりわけ、ジャララバー
ドからカブールまでの景観は、「絹の道」の中でも有数のものなのではないかと
思えるほど美しいものだった。
鋭く切り立った崖が、果てしない壁のように続く奇勝。やがてそこを脱すると澄
んだ水が流れる谷間の河に遭遇する。さらに上流に向かって進んでいくと、透明
な水をたたえた湖がある。東南アジアからインドにかけての泥のような水しか見
られなかった眼には、動悸が激しくなるほどの新鮮さがあった。



「ヨーロッパの冬は寒いぜ。でもそれは、雨が降るから、雪が降るからという寒
さじゃない。宿に帰っても誰もいないという寒さなんだ。」
しかし、その寒さはヨーロッパに限ったものではなく、旅人が迎えなくてはなら
ない冬というものに、常について廻るもののようにも思えた。



なぜイスラムの民だけが、キリスト教国にも仏教国にも必要だった偶像を拒絶で
きたのか。あるいは、偶像なしでやってこれたのか。偶像拒否の精神、偶像不在
の建築とはどういうものなのか。

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S

2014-09-07 | 沢木耕太郎


沢木耕太郎
『深夜特急3 インド・ネパール』★★★★

働いた~って感じの土曜日
帰ってシャワーを浴びて、冷たいビール!!!
そしてよく寝た日曜日の朝から気まま読書で一気に読破



カルカッタにはすべてがあった。悲惨なものもあれば、滑稽なものもあり、崇高なものもあれば、卑小なものもあった。だが、それらのすべてが私にはなつかしく、あえて言えば、心地よいものだった。


アシュラムでの生活は楽しいものだった。陽が昇ると起き、陽が沈むと寝る、という生活がこれほど快いとは知らなかった。


ガヤの駅前では野宿ができた。ブッダガヤの村の食堂ではスプーンやホークを使わず三本の指で食べれるようになった。そしてこのバグァでは便所で紙を使わなくてもすむようになった。次第に物から解き放たれていく。それが快かった。


英語やフランス語やたぶん中国語や日本語にもあって、ヒンドゥー語にない言葉が三つあるが、それが何かわかるか。私が首を振ると、キャロラインが教えてくれた。
「ありがとう、すみません、どうぞ、の三つよ」
この三つの言葉は、本来は存在するのだが、使われないためほとんど死語になっているという。使われない理由はやはりカーストにあるらしい。異なるカースト間では、たとえば下位のカーストに属する者に対してすみませんなどとは言えない、ということがあるらしいのだ。そう言われてみれば、確かにインドでその種の言葉を耳にしたことはなかった。


ペナレスでは、聖なるものと俗なるものが画然と分かれてはいなかった。それらは互いに背中合わせに貼りついていたり、ひとつのものの中に同居していたりした。喧騒の隣に静寂があり、悲劇の向こうで喜劇が演じられていた。ペナレスは、命ある者の、生と死のすべてが無秩序に演じられている劇場のような町だった。私はその観客として、日々、街のあちこちで遭遇するさまざまなドラマを飽かずに眺めつづけた。


---


沢木 三島由紀夫が、肉体を鍛えて入れば太宰治も自殺しなかったかもしれないというようなことを言いましたが、僕も、とりあえず、こう言い切ってしまいたいと思う。怠情とか倦怠の八十かから九十パーセントは、肉体的に健康で疲労が取り除ければ消えちゃうんじゃないか、ってね。飢えた子に食糧を与えれば、三ヵ月で腹がへっこむのと同じで。

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S

2014-08-30 | 沢木耕太郎


沢木耕太郎
『深夜特急2 マレー半島・シンガポール』★★★★

引き続き。
全然色あせることのない旅情記に惹きこまれココロが躍る。

ココは都内の平和なマンションの一室
涼しすぎる8月の週末
お隣で気持ちよさそうに眠っているその寝息が腕にかかってくすぐったい。

ヌーン・ソーン・サーン・シー・ハー・ホッ・シェッ・バッ・ガウ・シップ
「タウ・ライ?」
「サーン・バーツ」
行ってみたいバンコク!!!

何気にみた『バーン・ノーティス:サム・アックス最後のミッション』がおもしろく
お互い「コラボ」で笑いが。

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S

2014-06-19 | 沢木耕太郎


沢木耕太郎
『深夜特急1 香港・マカオ』★★★

気になっていたけど読んでいなかった本の一つ。
さてこれから先が楽しみ。

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S

2014-04-20 | 沢木耕太郎


沢木耕太郎
『旅の窓』★★★★

図書館の書棚を見ていて『深夜特急』の人だと手にとってみた。
世界を旅して気まぐれに撮った写真に意味を持たせた一冊

マジック・アワー

琴線に触れる








GWは初湯布院ーーー!
九州ワイナリー巡りにゃりん。

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