沢木耕太郎
『深夜特急3 インド・ネパール』★★★★
働いた~って感じの土曜日
帰ってシャワーを浴びて、冷たいビール!!!
そしてよく寝た日曜日の朝から気まま読書で一気に読破
カルカッタにはすべてがあった。悲惨なものもあれば、滑稽なものもあり、崇高なものもあれば、卑小なものもあった。だが、それらのすべてが私にはなつかしく、あえて言えば、心地よいものだった。
アシュラムでの生活は楽しいものだった。陽が昇ると起き、陽が沈むと寝る、という生活がこれほど快いとは知らなかった。
ガヤの駅前では野宿ができた。ブッダガヤの村の食堂ではスプーンやホークを使わず三本の指で食べれるようになった。そしてこのバグァでは便所で紙を使わなくてもすむようになった。次第に物から解き放たれていく。それが快かった。
英語やフランス語やたぶん中国語や日本語にもあって、ヒンドゥー語にない言葉が三つあるが、それが何かわかるか。私が首を振ると、キャロラインが教えてくれた。
「ありがとう、すみません、どうぞ、の三つよ」
この三つの言葉は、本来は存在するのだが、使われないためほとんど死語になっているという。使われない理由はやはりカーストにあるらしい。異なるカースト間では、たとえば下位のカーストに属する者に対してすみませんなどとは言えない、ということがあるらしいのだ。そう言われてみれば、確かにインドでその種の言葉を耳にしたことはなかった。
ペナレスでは、聖なるものと俗なるものが画然と分かれてはいなかった。それらは互いに背中合わせに貼りついていたり、ひとつのものの中に同居していたりした。喧騒の隣に静寂があり、悲劇の向こうで喜劇が演じられていた。ペナレスは、命ある者の、生と死のすべてが無秩序に演じられている劇場のような町だった。私はその観客として、日々、街のあちこちで遭遇するさまざまなドラマを飽かずに眺めつづけた。
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沢木 三島由紀夫が、肉体を鍛えて入れば太宰治も自殺しなかったかもしれないというようなことを言いましたが、僕も、とりあえず、こう言い切ってしまいたいと思う。怠情とか倦怠の八十かから九十パーセントは、肉体的に健康で疲労が取り除ければ消えちゃうんじゃないか、ってね。飢えた子に食糧を与えれば、三ヵ月で腹がへっこむのと同じで。