介護お仕事を終えて二日目。
久しぶりに8時間眠ることができ
睡眠ってやっぱ大事だなぁなんて思っているsachiakiです。
寝るのっていいですよね。
だいぶ体が楽になった気がします。
とはいえ、まだまだ眠いって感じが残っているので
だいぶ体が楽になった気がします。
とはいえ、まだまだ眠いって感じが残っているので
もうしばらくは回復期なのかな?って気もします。
さて、それはさておいて介護お仕事最後の日のこと。
最後の日は以前日記にしたためた
年下さんと組むことになったので
ちょっと緊張感がありましたが、
とくに問題なくつつがなく終わることができ
ホッとしたのと同時に、
彼女の方から私の動きを観察して分析していたという話を聞き
ホワーッとなったのでした。
基本的に私は他人に見られていると想定して動いているので
うっかりしたことはしてなかったと思うけれど、
彼女が私の動きを観察したことで
彼女が苦手とされている高齢者さんとも
うまく打ち解けられると良いなとか思ったり。(偉そうでスマヌ)
最後ということで10分くらいお話しをしたのですけれど、
「なんで素早く利用者さんと仲良くなれたのか?」
という問いに対して、
私が所属している団体が秋のイベントに向けて
障がいについての勉強会をしていたこと、
障がいを持つ方、繊細な方と接するときに注意していることなどを
ほんの少しだけ話してみたら、すごく驚かれていました。
そして私が懸念していたように、施設自体の人手不足と
クレーム対策などで人権を考える余力がなくなっていることなど
ちぐはぐな現状が見えてきて、
医療、介護に関わる現場の限界を感じたりしたのでした。
もともと介護なんて現場を選ぶ方は
どんな理由があれど、やはり心が優しい方だと思うんですよね。
そんな方達が忙しさと合理的な判断で
思いやったりする時間を忙殺されている。
そしてそれはなによりも介護してもらう方達にとっても不幸であり
矛盾しているなぁなんて思ったりもするわけです。
人を守ったり癒したりするための施設が牙を剥いてくるのって
なんか変ですよねぇ。
学校・教育関連なんかでも往々にしてそんなものだけど。
人を人として扱うことの難しさ
しかし、それを怠ってしまうと悲劇は身近なものとなる。
そんなことを思いました。
とはいえ、その悲劇というのは
人間社会全てと言い換えてもいいのかもですけどね。
よっぽどの人以外は誰かを傷つけたりすることを
是としてないと思うんです。
だからこそ「あなたが私を傷つけた」って言われたときに
人はギョッとするものだし、
それは傷つけたのではなく、”良かれと思って”という
親切心から出ていることが多く
”地獄への道は善意で舗装されている”
ということの証左でもあるのでしょう。
人は善でありたい。
しかしその善は絶対ではなく、相対的であるからこそ
自分の行っている善がなんなのかを振り返る時が必要である。
そんなことを思いました。
私が派遣されていた施設さんはそれでも良い方だったのだと思うし
利用者さんたちもとても可愛かったし、
また彼女たちに会える機会があったら良いなって思います。
さて、私は来週頭の締め切りがあるのでこの辺にて。モイモイ
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