あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

自己の不在について考える

2019-11-19 | from:sachiaki
今日はずっと書きたい書きたいってことがあってウズウズしていたんだけど
なかなか隙間時間が見つからなくて結局夜になってしまったsachiakiです。

考えていたことはかなり長ったらしいことなので
やっぱり後ほどnoteにまとめようと思うんだけど
なんていうのかな、
とにかく言いたくなったのは
自我というものは「ない」もので
その「ない」ものを「ある」と感じるのは
様々な体験やインプットが連続した時間を超えて
自分の中に溜まっているだけで
インプットが少なくなれば
当然のように自分の中がスカスカに感じてしまうわけですわ。

んなもんだで、「自分探し」なんてもんをしたって
見つかるわけないんですわよ。
だって「自分」があるように感じても
んなもんないし、
ないと言っても「ある」わけで
探して見つかるもんなわけじゃないんです。

自分というものは詰め込んで詰め込んで詰め込んで
その詰め込んだものから溢れ出てくるものが
初めて外側から見られる「あなた」なわけですわね。

ケンカ漫画ばっか読んでいればケンカ好きになるのとは違うけれど
その中にあるエッセンスがその人の中に蓄積されていくわけです。
例えば「根性論」な部分だったり、「不屈の精神」だったり、
「友情を大切にすること」だったりがね。

だからインプットを自分の中で間違えてしまうと
どんどんズレていってしまうわけですわね。

ほんでまぁ、こういった自分の中で溜め込んだものを
外に出していって、人から「あなたって〜な人なのね」と確認してもらって
初めて自己が確立するわけですわね。
もちろん人にあーだこーだ言われたものに揺れてしまうこともあると思うけれど
それでもそこにある評価は確実に自分の糧になるわけで
できるだけ自分の中だけで閉じこもらずに
人と関わって自己の不在から解き放たれると良いと思います。

そんな感じ。

と、書いてきたらnoteにまとめるのが面倒くさくなってきちゃったわw
とりあえず明日の準備をしなくちゃなのでこの辺にて。
そんじゃーね。モイモイ
コメント
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